4-4
――翌日。クエストはなんのこともなくネイジの家を出ると、そのまま魔本堂へ向かった。
裏口から入り、店内をざっと見回してみる。店主はまだ起きていないようだった。一応持ってきていた『幻惑の書』を適当な場所に置き、クエストは可能な限り普段と変わりなく開店準備を始めていく。
店主が事務室から慌しく飛び出てきたのは、それがおおむね完了した頃だった。
「バイト!」
マントにエプロンという仕事着ではあるが、普段は綺麗に整えてある黒髪は乱れ、眼鏡もまともに掛けていない格好でそう叫び、クエストの姿を見つけ出すなり駆け寄ってくる。半ば驚きの表情を浮かべるクエストに肉薄すると、実態を確かめるように肩を掴み、その姿を四方八方からじろじろと観察した。
やがて、なんらかのチェックが済んだようで、彼女は安堵に息を落とした。
「よかった……どうやら無事のようだな」
「っていうか今のはなんだったんですか」
曰く、怪我の確認らしい。
やはりネイジは、クエストを心配するような素振りを見せていた。そして同時に、申し訳なさそうに項垂れる。
「今しがた起きて店の中から家を確認したところ、破壊痕を見つけてな。バイトになにかあったのではと思ったんだ」
「……まあ、突然爆破はされましたけどね」
曖昧に言葉を濁しながら頷く。
店主が言うには、昨夜は疲労からかすぐに深い眠りに落ち、今まで一切目覚めることがなかったらしい。彼女は爆音に気付かず、すぐに助けに行けなかったことを詫びると同時に、「まさかこうまで大雑把だとは思わなかった」と悔やむような面持ちで唇を噛み締めていた。
クエストは――仕方がないことだ、と曖昧に彼女を慰め、気落ちした様子を見せるその姿を見下ろした。そんな時、頭に響いてくるのは自分のものでも店主のものでもなく、もっと別の、小さな子供の声だった。
クエストは木霊する記憶上の音声にかぶりを振って、慰めついでにという様子で話を変える。
「ところで店長――配達って、今まで全て店長がやっていたんですよね?」
「ん? まあ……そうだな」
不意な話に、店主は怪訝にしながらも顔を上げて頷いた。
「お前にやらせてもよかったんだが、流石に無理があるだろう?」
「分身でもしない限りは」
平素と変わらず冗談めかして答えるクエスト。その様子に、ネイジも多少なりとも普段の調子を取り戻していったらしい。どこか、意味もなく得意げになりながら言う。
「ここは『私の店』だからな。いくらバイトとはいえ、全てを押し付けるのも気が引ける」
「その他の大半は押し付けてますけどね、俺に」
「接客の合間に配達というのは苦労するんだぞ。なにしろ早さが要求されるからな」
と多大な疲労を抱えているように言ったところで、客入りのまだまだ少ない魔本堂では、その合間の時間ばかりなのだが、まああえてそれを指摘することもないだろう。そも、クエストがこの話を切り出したのは、そういった雑談めいた愚痴を引き出すためではなかった。
舵を取りながら、本題に近付いていく。
「でもまあ、しばらくは俺が配達係ですよね」
「そうだな……やはり迂闊に外は出歩けん。昨夜のあれで私が死んだと思ってくれればいいが、そう上手くもいかないだろう」
どこか申し訳なさそうに目を伏せるのは、やはりクエストを攻撃に曝してしまったためという意味だろう。しかし当人は気にする様子もないことを明白にしながら、それどころか気軽にぱたぱたと手を振ってみせた。
「構いませんよ。むしろ昨日のことで、店長がどれだけ狙われているのかわかりましたから。……あ、でも代わりに」
思い出したように、彼はどこか芝居がかった仕草で、ぽんと手を打つ。裏口の方を指差して。
「今日、業者から本が届くはずですから、サインしておいてくださいね」
そう告げた時――丁度よく、裏口の扉が叩かれた。ネイジは不審げにそちらを見やりながら聞いてくる。
「なにか仕入れたのか?」
「えぇと……乱丁本が少しあったので。それと、歯抜けになっているシリーズの補間とか」
「そういうものは私を通してからにしてもらいたいものだな」
「聞いたところで適当な答えしかしないでしょう」
「それは無論だ」
無闇に得意げな店主。それはいつものことなので、苦笑するだけで聞き流すことにして、クエストはそれよりも未だ叩かれ続ける裏口の方を指差した。
「ほらほら、早く出てあげてください。店長の出番ですよ」
「わかっている。そんなイチイチ子供扱いするんじゃない」
不服そうに口を尖らせながら、裏口から離れたクエストに代わり、ネイジが対応に向かう。扉を開けると入ってきたのは、言った通り荷を携えた配達員だった。
しかし昨日とは別人らしく、遥かに小柄な人物。しかし作業着の大きさだけは昨日の人物と変わらないのか、かなり布が余っている様子だ。帽子も同様にぶかぶかで、目深に被っているというよりは単にずり落ち、顔はほとんど見えなかった。
どうあれ配達員は無言で納品書を差し出しサインを頼むと、店主もそれに従った。ペンを手に取り、紙の上に先を触れさせると、そこに名前を書き込んでいく――かと思ったのだが。
「ふんっ……馬鹿者が!」
突如激昂すると、店主はペン先を紙に突き立て、破り捨てた。
「こんなもので私を謀れるとでも思ったか!」
彼女は吼え、そのまま投擲ナイフのようにペンを構えると、眼前の人物に向かって投げ放つ。配達員の格好をした者は動きにくそうな作業着姿のままで辛うじて飛び退き、それを躱すと、その煩わしい帽子と服とを一気に脱ぎ捨てた。
下から現れたのは、禍々しい赤黒いワンピースに銀色の長髪をなびかせる、魔法使いの師匠――ミスト。
忌々しげに、少女じみた姿の師匠が吐き捨てる。
「っち、バレたみたいね!」
ひらひらと舞う散り散りになった紙が、二人のもとから離れてクエストの足元へやって来る。
一見すれば単なる納品書であるその紙が風に揺られて裏面を見せると、そこには読むことの出来ない魔術めいた文字が刻まれていた。ただしクエストは、それに酷似した内容であろうものを見たことがある――気色悪い好色魔法使い、ルードと相対した時、その額に貼り付けてやった精神支配の魔道書。
「流石は店長、勘が鋭い……」
感心のような慄然のような心地で呟くと、耳聡くそれを聞きつけた店主が鋭く振り返った。
「バイト! お前もグルだったのか!」
「あ、い、いや、俺は……」
明確な憎悪を向けられ、いつでも逃げ出せる体勢で狼狽する。ただでさえ鋭い目付きをした店主の、さらに敵意の篭った眼光に思わずそのまま背を向けたくもなるが――
クエストはどうにか、ぎりぎりのところで堪えた。それは自分をこの幻惑的な美観を湛える魔本堂へ自分を招き入れたことへの感謝や、つい先ほども顔を覗かせていた、自分を心配する人間的な温情を感じ取ったことで、再び彼女への信用が湧き上がったために他ならなかった。
今にも牙を剥き出しにしそうなほどに激昂する店主が、やはり残忍な失踪事件を引き起こすような悪人ではないことを、その事実を確かめなければならないという強い意志で踏み止まる。
いつの間にか隣にまで移動していたミストが、いかにも無駄な作業であるとばかりの目付きをしながらも顎で促し、クエストは信ずる店主へ問いかけた――人を食らい金品を強奪するという、恐るべき計画の真偽を。
彼女は表情を怒りから、少し怯んだものへと変貌させた。そして無言のまま、ちらりと自らの師匠の方へ視線を向けると……それをクエストに戻すこともなく、肩をすくめる。
「その小娘から全て聞いたのなら、もはや隠すことに意味はないだろうな」
「店長……」
彼女はクエストの心中、葛藤にも全く気付かなかったわけではないだろうが、あえてそれらを全て無視するような調子で、師匠の語る一切をあっさりと認めてみせた。
かぶりを振って、タネを明かすようにマントを翻す。薄暗い店内に映し出されるその影は、悪魔が翼を広げたように錯覚させられた。混乱と絶望を食い物にする、魔法使い。その形容が最も相応しいのだと如実に告げるような、まさしく悪魔的な声音で告げてくる。
「お前はルードほどの有効な力を持ってはいないが、ルード以上に扱いやすいものだと思っていたのだがな」
「店長!」
懇願するように叫ぶ。なにに対しての懇願なのかは、クエスト自身もわからなかったが。
ただ、そんなものにはもはや耳を貸すこともなく――ネイジは魔道書を取り出した。それがなんであるかは、わざわざ表題を読まずとも知れる。
「私の金儲けの障害になろうというのなら、もう用はない! 小娘と共に消え去るがいい!」
ネイジの放り投げた魔道書が、空中で単なる古書ではないものへと変貌を遂げていく――
「チッ……ここは一旦逃げるわよ、実行犯!」
その変化を見届けるよりも早く、多大な危険をいち早く察知したミストが、クエストごと店の外へと脱出した。なんらかの恐ろしい姿を見せたであろう魔道書が、直後に閉じられた店の扉に激突する……
その音を聞きながら、クエストは抗議の声をあげる暇もなく――今はこの場を離れるために、ミストと共に薄暗い裏路地の中へ姿を紛れさせていった。




