24話 海の上の街でした
花畑から見えていた街を越え、海を越え、あっという間に街も花畑も見えなくなる。
見渡す限り、雲ひとつない星空とそれを映す穏やかな海。
セイレーンの男は私を背負った状態で夜空を駆け抜けていた。
どのくらいの速度なのかはわからないがかなり早い。それにも拘わらず、私にも男にも風は当たらず、上空へ行けば行くほど気温が低くなるはずなのだが、不思議と寒くない。
どういう事なのかと思ったが、うっすらとだが水色のマナの光が彼と私を包んでいるのが見えるので、何かしらの術が働いているのかもしれない。
男は起動言語を唱えた様子も、魔法を使う時のようにマナを動かしたようにも見えなかったから、魔術でも魔法でもないと思うのだが……そういえばルーイ・ルーが精霊術や召霊術、錬金術等、魔法や魔術以外にもあるような事を言っていたなと思い出す。
男は人間ではなくセイレーンであるのだし、彼の翼で私と彼の2人分の重さを運ぶのは物理的に不可能なはずなので、何かしら不思議な力が働いていてもおかしくはない。というかきっとそうだろう。
「そろそろ着くぞ」
男がそう言って示した先の海の上に、月や星のものではない光が見えた。
人工の光のような激しさもない、自然に見えるふんわりとした輝きが、月に照らされた高い塔を中心にして、等間隔に灯っている。
その中のひとつの光――オレンジ色の灯りの元へと向かい、下降する。
「――ラァス」
「戻った、報告がある。長はいるか」
「迷いの森に居られる」
「わかった。ありがとう」
オレンジ色の灯りの側へ私を背負った男――ラァスという名前らしい――は降り、見張りの男と話しながら私を背から降ろした。
高所恐怖症ではなかったはずだが、地に足を付けると少しだけくらりとよろけてしまう。
そんな私を見張りの男が私を見て、ラァスさんが支えてくれようとするが、転げる前に気合で踏ん張る。飛行機以外で、はじめてあんなに高い空を飛んだのだから、ちょっと緊張してしまっただけだ。大丈夫大丈夫。
ラァスさんは差し出しかけた手を所在無げにぐーぱーさせながら、見張りの男と顔を合わせ、それから私を見て口を開いた。
「…長へ挨拶に行く。迷えば命の保証はできない。離れるなよ」
「はい。わかりました」
私は両手をぐっと握り、頷いた。
オレンジ色の灯りの場所から、ラァスさんの後ろをつかず離れずの距離を保ちながら歩く。等間隔に白色の街灯が照らすその道は中央の塔らしき場所へとまっすぐに伸び、両脇にはたくさんの家が並んでいた。
その家というものがその、なんていうか、和風なのである。日本家屋というか、うーん。そうだ、あれだ。時代劇で良く見る城下町。今は夜だからか、どの家も雨戸を閉めてあるが、瓦屋根の木造と思われるその家々に、ここが日本の観光地と言われても違和感はないだろう。
そういえばラァスさんが上半身に纏っている服も、よくよく見れば着物を改造したような感じの、一言で言えば和洋折衷な感じのものである。
日本人の行動の跡とか日記や手記があるかもしれないとは思っていたが、まさか文化自体が根付いているとは驚きである。まあ、これがセイレーンが独自に積み上げてきた文化…という線もあり得るが。
てっきりあの塔に行くのだと思っていたのだが、ラァスさんは水色の街灯のある場所を左へ曲がる。私ははぐれない様に慌てて小走りで追いかけた。
そういえば見張りっぽい人が長は“迷いの森”にいるって言っていた。どう見てもあの塔は森に見えないから、そりゃ目的地じゃないよなと今更ながらに気付いて頷いた。
ひとり頷く私にラァスさんは怪訝な顔をしたが、そっちは気付いても気付かないふりである。
道を曲がった後もまっすぐ歩き、水色をした瓦屋根の建物の前で止まった。
引き戸を開けると、私を見た。
「ここを下りると森に入る。さっきも言ったが逸れるなよ」
言葉と共に差し出された手は、つまり手を繋げという事でいいのだろうか。
手と繋がないと迷うとでも思っているのだろうかとも思ったが、実際に迷わないと言う確信も持てない。
“迷いの森”と言っていたからには、迷わせる罠や仕組みが満載だろうし。
私はラァスさんの顔と手を見比べて、恐る恐る右手を乗せる。それを握ると彼はそれでいいとばかりに頷いて、そのまま私を連れて建物の中にある階段を下りて行った。
☆ ☆ ☆
迷いの森。
ラァスさんに手を引かれて下りた階段の先にあった扉。それを開くとそこは文字通りの森であった。
緑の葉の茂る普通の木はもちろん、水晶のような色の幹をした赤い葉の茂る木。燃えて炭にでもなったのかという黒い幹に塩素にでも晒したのかというくらい真っ白な葉を茂らす木。アゲハ蝶のような模様の葉があるかと思えば、見た事の無い形の不気味な色の実が生っている。
決して前の世界では見た事のない、架空の物語の中にしかなさそうな彩りを持った植物の数々。
なるほどこれは迷いの森っぽい――不思議な森だなぁと思った。
「――呼ばれても振り向くな」
「……?」
「死にたいなら別だが、そうでないなら呼ばれても振り返るな。惑わされるぞ」
言われたことが分からず見上げれば、言葉が追加される。
つまり“迷いの森”というからには、迷わせる…惑わせる何かがいるという事だろうか。
死にたくはないので、しっかりと彼の手を握り、頷く。
それを確認するとラァスさんは扉に背を向け、森をまっすぐに見る。大きく息を吸い、彼は口を開いた。
『私は声を知っている』
予想外の起動言語に私は目を丸くする。その一方で、森は彼の起動言語に呼応するように震えて割れていった。
割れた場所を一本の水色のマナが走り、マナが通り過ぎた後には石造りの道ができていた。
開けゴマのような呪文なのかもしれない。
「……行くぞ」
「は、はい!」
道が出来るとラァスさんはそう言って足を踏み出した。手を繋いではいるが、それでも逸れてはたまらないので、引っ張られる前にしっかりとついて行く。
好奇心のままに探検してみたいと思える幻想的な森なのだが、迷えば命の保証ができず名前を呼ばれて振り向いたら死ぬと言われている森である。好奇心どころではなく、恐怖しかない。こわいこわい。
しばらく歩くが、何もない。音も気配も、何もない。
ただ、私とラァスさんの音だけが森に響き、何もないはずなのにそれがとても怖い事のように思えた。
ラァスさんを見ても彼はまっすぐに前だけを見て歩いている。
『私の声を知っているかい?』
ふいに、何かがそう問いかけてきた。
何だと思って声のした方を向こうとして、ラァスさんに「振り向くな」と言われていた事を思い出す。
気になっても振り向いてはいけない。そうだった。あぶない。
『私はあなた あなたは私』
声を気にしてはいけない。まっすぐ見て、耳をふさいで。聞こえない聞こえない。
まっすぐ、ラァスさんから離れずに歩くのだ。
『一緒に遊ぼう』
少し高めの、小さい子供のような声はなおも続く。
どこかで聞いた事があるような、ないような、そんな声だ。
『一緒に踊ろう』
フレーズごとに声が変わる。声は、遊ぼう、踊ろう。そう誘いかけてくる。
母親、父親、親戚友人知人。市橋嬢、鳴海嬢、ルーイ・ルー、サシャさん、レイリンさん、レイリスさん、メフィトーレスさん、護衛の人たち…。
知らない人の声だったり、知っている人の声だったり、様々な声で誘いかけてくる。
迷いの森と言うだけあって、その声は気を抜くと全身に染みわたり、振り向いてはいけないとわかっているのに振り向きそうになる。惑わされてしまいそうになる。そうなるのがこわくて、私は自分以外の……ラァスさんの手を強く握りしめて、目をギュッと閉じた。
それでも耳をふさいでいる訳ではないから、声は聞こえる。
いつまでそうして歩いていたか。
1時間、2時間……もしかしたら10分も経っていないかもしれない。
私の手を引いて歩いていたラァスさんが、歩みを止める。
目を閉じていたのになぜわかったかと言うと、声が聞こえなくなった瞬間にラァスさんの背中にぶつかったのだ。
声は聞こえない。ラァスさんは止まった。
つまり、森を抜けたのだろうかとおそるおそる目を開ければ、ラァスさんの背中が見え、上を向けばオレンジ色の目と合った。
そのままラァスさんは何も言わずに前を向き、また歩き始める。
呆れさせてしまったのだろうかと不安になりかけたが、そもそも出会いからして情けない姿しか見せていない。今更あらためて呆れるなんて時間の無駄だろう。自分でもそう思う。切ない。
「…すいません」
「…? 何を言ってるんだ?」
自分の情けなさに謝ると、ラァスさんは不思議そうに聞き返してきた。
もちろん私は答えない。というか、情けなさ過ぎて自分が惨めになってきたので答えられない。
私ってこんなに涙もろかったかなと思いながら、泣きそうなのをぐっと堪える。
そうこうしているうちに、目的地へ着いたらしく、ラァスさんが再び歩みを止めた。
見れば、前方にある階段を下りてくる、水色髪の女の人が居た。その人はラァスさんと同じくセイレーンのようで、下半身は鳥の姿であり、腰からは翼が生えている。
「――ラァス」
「帰りました、長」
女の人がラァスさんを呼ぶと、彼はそう言って一礼した。
私も慌てて頭を下げる。
「原初のマナの色ね。はじめまして」
女の人は私に向かってそう言った。
そういえばあの時の金髪さんも言ってたけど原初のマナの色って、私の髪の事だろうか。
メフィトーレスさんが目の前で死ぬかもしれない恐怖で色が抜けただけなんだけど、やはりそれは言わない方がいいだろうか。
というか、この年齢で部分どころか全部が白髪になってしまったのがちょっとかなしい。
それはさておき、第一印象というものは大切なので、ちゃんと挨拶を返さねば!
「はじめまして。えと」
「リシスというの。よろしくね」
「は、はい。私はスイナ・カゲウです。……え、『水よ』…さん?」
起動言語の発音そのままの名前に、私が首を傾げると女の人――リシスさんはふんわりと微笑んだ。
「ええ、そうよ。その“リシス”でいいの」
肯定するその返答に、どう返せばいいのかわからなくて言葉に困ってしまう。
『水よ』が良い名前なのかはわからないし、珍しい名前ですねとも言いにくい。この世界の普通の名前を知らないので、それ以前の問題かもしれないが。
私がどう返そうかと頭を悩ませていると、ラァスさんが口を開いた。
「長、許可が欲しい」
「まあ、あなたのお願いなんて珍しいわね。いいわよ」
「…内容を言っていないが」
「あなたの連れてきたスイナさんの事でしょう? 拒否する理由がないわ」
リシスさんはそう言って、夕焼け色の目を細めた。
予想外の返事だったのか、ラァスさんは目を瞬き、私とリシスさんを見比べて首を傾げている。
その様子に、リシスさんはますます笑みを深くする。
「ラァス、悩まなくていいの。見たままに、思ったままに、感じとればいいのよ」
にっこりと笑ってリシスさんが言い、ラァスさんが「はぁ」と気のない返事をする。
正直、私も何を言っているのかわからないので首を傾げたい。
そんな事を考えていると、リシスさんは私の方を向き、私の手をとった。
「スイナさん、こんな子だけど根は優しいのよ。安心してね」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
暖かい笑顔でそう言われては頷くより他はなく、私は頷きながらぺこぺこと頭を下げるのだった。
1月23日 ところどころ抜けてたので加筆して、誤字修正しました
1月23日 誤字修正しました
セイレーンが人を背負ってる状態で空を飛ぶとか、正直かなりシュールな絵なんじゃないかと思ってます。
あと、ラァスが使っていたのは起動言語ですが、魔術ではありません。