第1話 世界最大企業の会長は、俺を知らないふりをした
3日間は1日3話投稿予定です。
昔、冗談で秘密結社を作った。
秘密結社といっても、国家転覆を企む悪の組織でも、世界の影から歴史を操る集団でもない。
行き場を失った少女たちを元気づけるために、俺がその場の思いつきで作った、子どもじみた遊びだった。
組織の名は、《ノクス・アウローラ》。
夜明け前の闇。
黒い外套を制服にして、適当に考えた紋章を木の板へ刻み、仲間同士だけで使う合言葉も決めた。
闇の中で泣く者を救い、世界に夜明けをもたらす。
俺は焚き火を囲みながら、そんな大層な理念を語った。
もちろん、全部作り話だった。
少なくとも――俺は、そのつもりだった。
◇
「アレン・クロフォード」
「あー、はいー」
「私の授業は、それほど退屈か?」
王立魔法学院の教室。
教壇に立つ老教師が、窓の外を眺めていた俺を睨んでいる。
「そんなことないですよー」
「では、黒板に描いた術式の問題点を答えてみろ」
また目をつけられてしまった。
俺は仕方なく黒板へ視線を向ける。
描かれているのは、火属性魔法の威力を増幅させるための魔力回路だった。
教師としては、授業を聞いていない学生に恥をかかせるつもりなのだろう。
「第三接続点の向きが逆ですねー」
「なに?」
「このまま魔力を流すと、増幅した炎が術者側へ戻ってきます。腕が焦げる程度なら運がいいですねー」
教室が静かになった。
老教師は眉をひそめ、黒板へ向き直る。
「そんなはずはない。この術式は王立研究院が三年前に発表した最新型だ」
「そうなんですかー」
「お前は、どこでその知識を得た?」
「似たような術式を本で見た気がしますねー」
「書名は?」
「忘れましたー」
嘘ではない。
ただ、その本が出版されたのは百年以上前で、著者はとうに亡くなっている。
正確に言えば、著者本人から草稿を見せられたことがあるだけだ。
老教師は疑うような顔をしながら、第三接続点を書き換えた。
魔力を流すと、術式は先ほどまでとは比べものにならないほど安定して輝き始める。
「……本当に改善した」
「偶然ですねー」
「偶然で最新術式の欠陥を見抜けるものか!」
教室中の視線が俺へ集まる。
また失敗した。
俺の名は、アレン・クロフォード。
種族は自分でもよく分からない。
少なくとも四百年以上生きているが、外見は十七、八歳の頃から変化していなかった。
長く生きていると、騒がしい人生には飽きてくる。
だから今は、王立魔法学院へ通う目立たない学生として、平凡な生活を楽しんでいた。
平均的な成績を取り。
普通の友人を作り。
適当に授業を受けて、食堂の新しいメニューに一喜一憂する。
それだけでよかった。
「やっぱりアレンって、実はすごい奴なんじゃないか?」
隣の席に座る男子生徒、トーマが身を乗り出してきた。
「全然すごくないよー」
「でも、入学試験でも魔力測定器を壊したって噂があるぞ」
「あれは測定器が古かったんじゃないかなー」
「剣術訓練では教官の攻撃を全部避けたらしいな」
「転びそうになって、偶然避けただけだよー」
「十七回連続で?」
「運がよかったねー」
俺が笑ってごまかしていると、学院中に大きな鐘の音が響いた。
普段の時刻を知らせる鐘とは違う。
貴族や王族など、特別な来賓が訪れた際に鳴らされるものだ。
教室の生徒たちが一斉に窓際へ集まる。
「来たぞ!」
「《アウローラ》の馬車だ!」
「本当に会長本人が来たのか!」
学院の正門前に、白銀の馬車が停まっていた。
扉には、昇る太陽を模した黄金の紋章。
周囲を固めている護衛は全員女性で、一人一人が王国騎士団長にも匹敵する魔力を隠している。
世界企業。
金融、医療、通信、運輸、魔導具、食料生産、警備。
この世界で生活する以上、《アウローラ》と無関係でいることは不可能だとまでいわれる世界最大の企業だった。
一国の経済を支えることもできれば、逆に取引を停止するだけで国家を傾けることもできる。
「今日の視察は、学院への新しい研究棟の寄付について話すためらしいぞ」
トーマが興奮した様子で説明する。
「会長のセレスティア・エルノア様は、王や皇帝とも対等に話す世界最高の経営者だ!」
「へえー」
「しかも美人で独身!」
「そこは視察と関係ないんじゃないかなー」
「重要だろ!」
男子生徒たちが一斉に反論した。
馬車の扉が開く。
最初に降りてきたのは、銀色の髪を持つ月エルフだった。
無表情で周囲を見渡し、学院長へ丁寧に頭を下げる。
その顔を見た瞬間、俺は目を細めた。
「……リゼット?」
「知り合いなのか?」
「いやー、昔会った子に似てる気がしてねー」
似ているどころではない。
本人だ。
昔は人見知りが激しく、俺やセレスの背中へ隠れていた少女が、今では隙のない秘書になっている。
リゼットが馬車の扉を押さえた。
続いて、一人の女性が姿を現す。
腰まで伸びた淡い金髪。
澄んだ緑色の瞳。
白を基調とした衣服には、金糸で《アウローラ》の紋章が縫い込まれている。
その女性が一歩進むだけで、学院長も教師も、集まっていた貴族の子息たちも緊張した。
世界企業会長。
セレスティア・エルノア。
「……セレスまでいるんだねー」
「だから知り合いなのか?」
「同じ名前の子を知ってただけだよー」
俺は笑いながら答えた。
けれど、内心では妙な違和感が膨らみ始めていた。
《アウローラ》。
昇る太陽。
夜明け。
俺が昔作った秘密結社の名前は、《ノクス・アウローラ》。
偶然にしては、少し似すぎている。
「まさかねー」
俺は深く考えないことにした。
世の中には、似た名前の組織などいくらでもある。
セレスが俺と別れたあと、自分で会社を興したのだろう。
泣き虫だった少女が世界最高の経営者になったのなら、喜ばしいことではないか。
俺が遠くからその成長を見守っていると、不意にセレスが顔を上げた。
視線が、学院の校舎をなぞる。
そして、二階の窓際に立つ俺のところで止まった。
目が合う。
セレスの足が止まった。
「会長?」
学院長が不思議そうに声をかける。
セレスは答えない。
完璧な笑みを浮かべていた顔から、一瞬だけ表情が消えた。
緑色の瞳が大きく見開かれる。
俺の横にいたトーマは気づかなかっただろう。
教師たちも、他の学生たちも。
けれど、俺には分かった。
セレスの唇が、確かにこう動いた。
――アレン。
俺は小さく手を上げた。
すると、セレスの瞳がわずかに潤んだ。
しかし次の瞬間には、何事もなかったような完璧な笑顔へ戻っている。
「お待たせいたしました、学院長。参りましょう」
「は、はい。こちらです」
歩き出したセレスに続きながら、リゼットがこちらを見上げた。
彼女も俺の姿を確認したはずだ。
それでも表情を変えず、会長の専属秘書として静かに歩いていく。
「見間違いだったのかなー」
俺が呟いた直後。
リゼットが手にしていた書類の束を一枚だけ落とした。
あのリゼットが書類を落とすなんて、昔から考えられないことだった。
◇
午後の授業が終わると、俺は学院長室へ呼び出された。
教室を出ようとしたところで、トーマが心配そうに声をかけてくる。
「お前、何かやったのか?」
「何もしてないと思うけどねー」
「《アウローラ》会長が、直々に面談したいと言っているらしいぞ」
「へえー」
「へえー、じゃないだろ! 世界最高の企業から勧誘されるかもしれないんだぞ!」
「雑用を頼まれるだけかもしれないよー」
俺は騒ぐトーマと別れ、学院長室へ向かった。
部屋の前には、リゼットが立っている。
「アレン・クロフォード様ですね」
初対面の相手へ向けるような、事務的な声。
「そうですよー」
「会長がお待ちです。中へお入りください」
「久しぶりだねー、リゼット」
「……」
リゼットが固まった。
無表情のまま、瞬きすらしない。
やがて、何事もなかったように扉を開く。
「人違いではないでしょうか」
「そういうことにしておこうかー」
「ありがとうございます」
声が少しだけ震えていた。
部屋の中では、学院長とセレスが向かい合って座っている。
「お呼びでしょうかー」
「うむ。セレスティア会長が、君の魔法に対する知識に興味を持たれたそうだ」
「少しお話を伺いたいのです」
セレスの声も、表情も完璧だった。
百年以上前、俺の袖を掴んで泣いていた少女と同一人物とは思えない。
「私からも同席を――」
「学院の教育方針に関する資料を、リゼットへ見せていただけますか?」
セレスが自然な笑みを向ける。
「可能であれば、原本を拝見したく存じます」
「もちろんです! すぐにご案内いたしましょう!」
世界企業の会長から頼まれ、学院長は嬉しそうに立ち上がった。
リゼットとともに部屋を出ていく。
扉が閉まる。
さらに、外部からの音や魔力を遮断する結界が展開された。
俺は空いている椅子へ座ろうとした。
その直前。
セレスが勢いよく立ち上がった。
「アレン!」
完璧な会長の姿は消えていた。
机を回り込んできたセレスは、そのまま俺の胸へ飛び込んでくる。
「本物……本当に、アレンなのですね……!」
「久しぶりだねー、セレス」
「久しぶりではありません! 百二十七年です! どれほど探したと思っているのですか!」
「立派になったねー。泣き虫だったセレスが、世界一の会長さんかー」
「また子ども扱いして……!」
怒っているのか泣いているのか分からない顔で、セレスが俺の制服を掴む。
扉が開き、学院長を送り出したリゼットが戻ってきた。
彼女はすぐに扉を閉め、再び結界を確認する。
それから俺の前まで歩み寄り、静かに膝をついた。
「秘密結社補佐官、リゼット・フェルミナ」
胸元から取り出したのは、黒い円の中央に一筋の金色の光が刻まれた紋章。
俺が昔、木の板へ適当に描いたものと同じだった。
「創設者様のご帰還を、心よりお待ちしておりました」
「……創設者様?」
聞き間違いであってほしかった。
セレスは俺から離れ、涙を拭う。
「アレンから授かった理念と組織を、私たちは守り抜いてまいりました」
「もしかして、《アウローラ》って……」
「《ノクス・アウローラ》の表部門です」
嫌な予感が当たってしまった。
「最初は小さな商会でした。しかし、困窮する女性たちを救い、雇用し、技術を広めていくうちに、現在の規模へ成長しました」
「ずいぶん大きくなったねー」
「まだ道半ばです」
「世界最大なのに?」
「アレンの理想には、ほど遠いものです」
そんな壮大な理想を語った覚えはない。
いや、語ったかもしれない。
焚き火を囲みながら、世界中の泣いている人を助けられたらいいね、と言った気はする。
だが、それは幼い少女たちを元気づけるための話だった。
全部ただの作り話だった、と口にしかける。
しかし、セレスの誇らしげな表情を見て、言葉を飲み込んだ。
百二十七年間。
彼女たちは、俺が何気なく語った言葉を信じ続けた。
それを今さら冗談だったと言えば、彼女たちが積み上げてきたものまで否定するような気がした。
「ところで、どうしてアレンは学生などを?」
「普通の学院生活を楽しみたくてねー」
「……なるほど」
セレスとリゼットが同時に表情を引き締めた。
「王立魔法学院へ潜伏し、内部を調査しておられたのですね」
「いや、普通に学生生活を――」
「承知いたしました。アレンが自ら動かなければならないほどの異変が、この学院に潜んでいると」
「話を聞いてねー」
セレスが立ち上がり、会長としての顔に戻る。
「学院では、アレンと《アウローラ》が無関係であるように振る舞います」
「うん、それは助かるねー」
「創設者様の極秘任務を妨げるわけにはまいりません」
「極秘任務じゃないけどねー」
「リゼット」
「すでに情報統制を開始しております」
仕事が速い。
「本日、会長がアレン・クロフォード様へ興味を示した理由は、魔法理論に関する将来性を評価したため、と処理いたします」
「それなら自然かなー」
「護衛については?」
「いらないよー」
「承知しました。目視できない距離へ配置します」
「配置しなくていいからねー」
「学院内における創設者様への接触者を、すべて調査いたします」
「しなくていいよー」
「ご学友のトーマ・ベルク。十六歳。商家の三男。過去に重大な問題行動なし。交友関係も健全です」
「もう調べたの?」
「会長と創設者様が視線を交わした直後に」
俺は感心していいのか、怖がるべきなのか分からなかった。
そのとき、リゼットが通信魔道具を取り出す。
「他の部門長へ、創設者様の生存のみ報告してもよろしいでしょうか」
「報告しないと、後で怒られるんじゃないかなー」
「はい。特にラグナ様が」
「元気そうで何よりだねー」
「それでは、最高機密回線を使用します」
リゼットが通信魔道具へ魔力を流す。
光が点いた瞬間、複数の声が同時に響いた。
『アレンが見つかったというのは本当か!? どこだ! すぐに迎えに行く!』
『映像を回してください。百二十七年ぶりの再会を記録しますので』
『転移座標を要求します。拒否された場合、空間を直接接続します』
『今夜の国家晩餐会は中止よ。理由? 世界より大切な方が帰ってきたのよ』
懐かしい声だった。
全員、昔と変わっていない。
「みんな、元気そうだねー」
俺が通信魔道具へ声をかけた瞬間。
回線の向こうが静まり返った。
そして次の瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの声が響いた。
『アレン!』
「学院では普通の学生として過ごしたいから、静かにしてねー」
『承知しました!』
返事だけはよかった。
通信を切ったリゼットが、淡々と告げる。
「ただいま、全部門へ最高機密命令が共有されました」
「どんな命令かなー」
「創設者様の正体を、何者にも悟らせてはならない」
「うん。それなら大丈夫そうだねー」
俺は安心して学院長室を出た。
その日の夜。
王立魔法学院の周囲には、誰にも気づかれないまま、国家一つを滅ぼせるほどの戦力が配置された。
情報部門は、学院関係者全員の経歴調査を開始。
魔導研究部門は、学院全域を覆う防御結界の設計に着手。
金融外交部門は、学院の土地と周辺商店の買収を検討。
軍事部門は、創設者への敵意を感知した場合に備え、三個師団を待機させた。
すべては、俺の平凡な学生生活を守るためらしい。
当然、俺はまだ何も知らなかった。
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