33歪みの向こう
運命図に頼った世界創造は、すべきではない。それは、マツルとハヤの共通認識だった。しかし、マツルはすぐに運命図を消すつもりはなかった。ククールスの呪いが潜んでいるからだ。マツルはこの大樹のある島にありとあらゆる守りの魔法を施した。もう二度とあの影をこの島に入れてはならない。ハヤの為にも、自分の為にも、孵る時を待つ卵の為にも。マツルはあの影の現在地を常に把握する必要があるのだ。
「いつの日か、この運命図はオレの情報処理能力を超えてしまう。そうなる前に消すよ」
マツルはそうハヤに言った。それでも、ハヤはマツルが心配だった。運命図に振り回されて、いつか判断を誤るのではないかと。なにせ、いかに優秀な魔法使いと言えど、運命図を読み解ける人間はいなかった。運命図は、ありのままに正確だ。だから、膨大な情報量をどう解釈するのかは、運命図を読み解く魔法使いに委ねられる。その魔法使い個人の技量によって運命図から読み解かれる結果の判断が異なる。永久魔法マツルといえど、その範疇の筈だ。ハヤはそれとなく、運命図を消すことを提案するのだが、受け入れられることはなかった。ハヤが心配になるのは、マツルの行動のせいだ。ハヤに運命図を見つけられて以来、マツルは、ハヤが起きていようと関係なく、三階の部屋に入り浸るようになっていた。その姿は、運命図に依存しているようにしか見えなかった。だから、しばらくして、マツルがこう言い出した時は、どうしたものかと思った。
「ハヤ、何だか不思議に心惹かれるものを発見したよ! 一緒に見に行こう!!」
ハヤは呆れたように額に手を当てた。
「マツル。不思議に心惹かれるとは、どういうことですか?」
ハヤに尋ねられると、マツルは「え?」と首を傾げた。
「この世界はあなたが創造したのでしょう? ならば、あなたにとって不思議なものは、本来あり得ない筈ではありませんか? もし予定外のものが現れたのであれば、警戒すべきなのではないでしょうか?」
ハヤはマツルを心から心配していた。マツルにもそれは伝わったようだ。浮かれた様子を落ち着かせて、弁解するように苦笑した。
「きみの言うことは正しいよ。ただ、訂正がある」
マツルは言った。
「この世界はオレが創造した世界だ。でも、全てがオレの思い通りになるように創っている訳ではない」
マツルの言葉にハヤは怪訝そうな顔をした。
「オレが、創ったのは、世界という器と、七つの島、各島の特性だ。あとは、この世界が自由に成長出来るように促しているだけだ。だから、オレの思いのままの世界を創っている訳じゃないんだ」
ハヤはまだ腑に落ちない顔をしていた。
「思い通りの世界を創っているのでないのなら、世界創造を始めた意味とはなんなのですか?」
心底不思議そうにハヤはマツルに問いかけた。ハヤの疑問は最もだ。
「いずれ巡りあう命の為に」
「?」
ハヤは納得していないようだ。しかし、マツルもこれ以上詳しく説明するつもりはなかった。
「あと、思い通りにできないのは、それがオレの力の限界だからだ」
「マツルの限界、ですか?」
「そうだよ」
マツルの口調は穏やかだった。
「全てを思い通りにするには、さらに強力な魔法と緻密な設計が必要だ。でも、世界が勝手に成長するなら、オレの考えることもやることも少なくなる。その分を他のことに回せる訳だよ」
「他のことですか?」
マツルが質問に答える度にハヤの表情が曇っていく。
「きみと過ごす時間もまたその内の一つさ」
真剣な口調で、マツルは、ハヤの目元をひと撫でした。ハヤは赤面してそっぽを向いた。
「……またひとをからかうようなことを」
悔しげにハヤは呟いた。
気を付けろ。拗らせてるぞ、その女。
気を付けてはいるさ。己の内から聞こえた声にマツルは自然に返答し、そして、はたと思考を止めた。マツルはハヤに気がつかれないように、少し離れたところでこちらの様子を伺っている青年姿の真蔓の竜に視線を送った。彼はどうしたのかと、怪訝そうにマツルを見返した。真蔓の竜ではない、か。ならなんだろう。マツルが内心首を傾げていると、内なる声が「くくっ」と笑った。マツルは、一つ頷いた。うん、悪い奴じゃなさそう、と。
……少しは疑え。
大丈夫、大丈夫とマツルは内なる声に微笑んだ。内なる声は、フン、と鼻を鳴らして沈黙した。後で運命図を見返してみるか。何か見落としているのかもしれない。マツルは意識をハヤに戻すと、そっぽを向いたままの彼女の髪を優しくすいた。
「からかってないさ。だからこそ忘れないで欲しい」
マツルの言葉に、ハヤはおずおずとマツルの方を向いた。
「きみが何であれ、オレはきみの味方だよ」
マツルは片膝をつくと、ハヤの右手の甲の真蔓の紋様に口付ける仕草をした。きみが大魔法使いであろうと、魔女であろうと。
「オレの意志は揺るがない」
ハヤの琥珀の瞳が大きく揺れた。ハヤの胸にわだかまっていた、不信と不安がほどけて行くのをマツルは感じた。
「と、いうわけで、不思議な何かを見に行こう!」
急に戻ってきた話題に多少面食らいながらも、ハヤは、今度は微笑んで頷いた。
「仕方ありませんね」
二人は手を繋ぎ、花畑の部屋を後にした。
二人は大樹の元に広がる真蔓の森の中を歩いていた。手はしっかりと繋がれたままだ。真蔓の森は薄暗く、時折、ひそひそと真蔓の記憶の呟きが漏れる。以前は何とも思っていなかったハヤだが、今はそれが少し恐ろしく感じられた。自然とマツルを握る手に力がこもった。マツルが握り返してくれるのが、心強かった。
「ここだ」
しばらく歩いた後、マツルが足を止めた。ハヤは辺りを見回したが、変わった所は無いように思われた。
「マツル?」
マツルは、恍惚とした表情を浮かべている。その眼差しにハヤは一気に警戒した。周囲をより注意深く見れば、マツルの視線の先がまるで陽炎のように歪んでいる。シャン、と透き通るような鈴の音がした。ハヤはぞっとした。しかし、マツルはその歪みに向かって歩き始めていた。
「いけません!」
ハヤは強い口調でマツルの腕を引き寄せようとした。すると、不思議なことが起こった。まるですり抜けるように、マツルの手がハヤの手からほどけた。
「マツル、行ってはいけません!」
ハヤがいくら呼んでもマツルの歩みは止まらなかった。マツルが歪みに到達すると、マツルの姿もまた歪み始めた。マツルの輪郭が青い光を帯びた。ハヤは恐怖を押し殺し、マツルに駆け寄った。すると。
ーーが祭りを始めます。
厳かな声が、ハヤの耳に響いた。たいして大きな声ではないが、それははっきりと聞こえた。聞き覚えのある声に何故か悪寒がした。激しい胸騒ぎと息苦しさに助けを求めてマツルを探すが、その姿はどこにも見当たらなかった。恐ろしさに悲鳴を上げそうになるが、その直前にどこからか”声”がハヤの頭に流れ込んできた。
あなたの想像する未来とは何なのでしょう?
ただ、オレは幸せを願っているんだ
残念でしたね、オレでは力が及びません
諦めるのが早すぎませんか?
これが、ノボリさんが言っていた……
手遅れだ、こんなの
雨の一滴さえもらさず救いたい、と言ったら?
ふふっ、あなたは傲慢ですね
祝福と呪禍、どちらにも役割がある
難しいことを言うね、マリー
これは一体何なんだ。周囲が歪んでいる。”声”に混じって凛とした鈴がなっている。マツルの姿はない。その名を呼びたいのに声が出ない。地面まで歪んで揺れているようで、ハヤは立っていられずに膝をついた。しかし、歪んだ地面は、ハヤをその上から放り出そうとしているようだ。何とか態勢を保とうと、両手を地面に押し付けるようにして身体を支えた。そんなハヤを苦しめる”声”は未だやまなかった。
あなたに真名を与えましょう
不意に懐かしい声がした。混乱に沈みそうになる意識を呼び戻すこの声は。
「え?」
ハヤは目を見開いた。この声は、まさか。
「ミヨ?」
途端に頭が割れそうに痛んだ。思い出してはいけない。まだ思い出してはいけないのだ。ハヤは歯を食いしばった。これらは、自分の記憶なのだろうか。この歪みには記憶の欠片が集まって来ているのだろうか。
愛というより、アタシの後悔だねぇ
呪いだ、呪い! こんな姿っ!
なんで化け物の封を解いちまったんだ!
それで角をへし折ったんですか?
ようやくお目覚めか
”声”の濁流が勢いを増してきた。治まりそうにない頭痛にハヤはとうとう地面に倒れこんだ。その地面はずっと波打っているようで気持ちが悪い。こんなに苦しいのにマツルはどこへ行ってしまったのだろう。ハヤの目から涙がこぼれた。
シマリスくーん、待ってるよー!
すぐ近くで声がした気がした。随分期待のこもった陽気な声だ。
私は、ここだよ!
切実な叫びが聞こえた気がした。この声も良く知っている。胸が締め付けられるような懐かしさだ。
「子栗鼠さん」
ハヤは、もうろうとしながら呟いた。ハヤは目を瞑ろうとしたが、何かが光った。それは黄金の紋様だった。
「二重螺旋に、四枚葉……な、ぜ……大魔法使い……?」
ハヤの問いに答える者はない。地面は激しく波打ち、ハヤは宙に投げ出された。この空間は自分を拒否している。どこかへと飛ばされるような浮遊感にハヤは成す術がなかった。自分はここで消えてしまうのだろうか。ハヤがそう思ったとき、その体は誰かに抱き留められた。波打つような白い髪が揺れ、冴えた空色の瞳が心配そうに自分を覗き込んでいる。マツルは、壊れ物を扱うような繊細な手付きで、ハヤの涙をぬぐった。
「大丈夫かい? ハヤ。ごめんよ。もう帰ろうね」
マツルの優しい声色にハヤから力が抜けた。ハヤはぐったりとマツルの腕にわが身をゆだねた。マツルの左の胸に自分の頭を押し付けても、その胸から鼓動は聞こえない。ただあたたかな魔力を感じた。いつの間にか頭痛が止んでいた。鈴の音も”声”もしなくなった。ハヤはやっと息が出来た心地だった。ハヤはしばらくの間、真蔓の森を歩くマツルの規則的な足音を聞いていた。
「マツル、あなたは、あの歪みの中で何か見ましたか?」
大樹が近くなった頃、ハヤはぽつりと尋ねた。
「ああ、見たよ」
目元を緩め、穏やかな口調でマツルは言った。
「未来のオレがいた……笑ってたよ、暢気な顔で……ハヤは、何か見た?」
マツルは気づかわしげな表情でハヤを見た。ハヤはわずかに首を振った。
「もう、よく、覚えていません」
強烈な出来事だったはずなのに、今のハヤには何一つ思い出すことが出来なかった。そう、とマツルはうなずくと、ハヤを抱く腕に力を込めた。そして地面を蹴ると宙に飛び上がった。先ほどとは違い、心地の良い浮遊感だった。
マツルはハヤを花畑の上に寝かせた。ハヤはぼんやりとした表情でマツルを見上げている。マツルはハヤの頬を優しくなでた。くすぐったそうにハヤは微笑んだ。しかし、ハヤに起き上がろうとする様子はなく、ひどく眠たげだ。
「お別れみたいだね」
寂しそうにマツルが言った。
「そのようです」
ため息のような声でハヤは返した。視界がかすみ、マツルの姿もぼやけている。
「手を握ってください」
ハヤが言うと、なんとか差し出した右手がマツルの両手に包み込まれた。
「さようなら。ハヤ。良い、旅を」
泣きそうなマツルの声に、ハヤはマツルの手を一度強く握った。マツルがハヤの手を握り返した。それに満足するとハヤは目を完全に閉じた。
マツルの前からハヤが消えた。未来の肉体の元へ旅立ったのだ。マツルはゆっくりと立ち上がった。さっきまでハヤの手を感じていた両手を見下ろし、その手をぎゅうっと握った。
「さようなら、ヒガン。いずれ、巡り合うその日まで」
マツルが後ろを振り返ると、青年の姿の真蔓の竜がいた。
「当然、気づいていたわけか。彼女の正体に」
真蔓の竜が言った。
「運命図も見たわけだしね」
マツルは肩を落とした。
「では過去を語るとしよう」
真蔓の竜の言葉にマツルはうなずいた。真蔓の竜が話し始めると、マツルの意識がその記憶の中に引っ張られていった。マツルの目の前が真っ白になった。
***
色とりどりの花が咲き誇る中で、白い少年が仰向けに眠っていた。白い少年を見守るように、黒髪で黒装束の少年が、その傍らに腰を下ろしていた。
「フン」
彼は退屈そうに鼻を鳴らした。




