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12呪文の正体

 私はいつになく緊張していた。昨日の一件のせいで、一睡もできないまま、ヒガンの元へ行く朝を迎えてしまった。このままヒガンのところへ行って良いのだろうか? 王国魔術師団の男に魔法に掛けられたことを知ったらヒガンはどんな顔をするだろうか? そんなことをベッドに入ってからぐるぐる考えていた。私はパンの入ったかごを胸に抱えたまま鏡台の前で石のようになっていた。

「何かありましたね? 子栗鼠こりすさん?」

ヒガンの声がした。私ははっと鏡の中を見た。そこには、気遣わしげな表情のヒガンが映っていた。

「心を読んで下さい」

私は言った。ヒガンは私の目を見た。美しいヒガンの琥珀色の目の中には、怯えた表情の私がいた。

「なるほど。では、子栗鼠さん、こちらへおいでなさい」

ヒガンは私に手を伸ばした。私はおずおずと手を伸ばし、鏡の表面に触れたかと思うと、水をくぐる感覚の後には、ヒガンの家の中にいた。

「いいんですか?」

「もちろんですよ、子栗鼠さん。しかし、あなたには休息が必要です」

暖炉の鍋で何かが煮えている、と、思った直後には、湯気の立つ器をヒガンから渡されていた。

「飲みやすいようにミルクと蜂蜜も入れましたよ」

私は器の飲み物に口をつけた。ほんのり薬草の匂いと苦味がしたが、直後にミルクのまろやかさと蜂蜜の甘みがそれを包んでくれた。飲み干した頃には、全身がぽかぽかとあたたかくなり、私はその場で眠ってしまった。私の身体をヒガンが支えるのを感じ、私の意識は暗闇に旅立った。

 目が覚めた。私はベッドに仰向けになっていた。

「起きましたね」

ヒガンはベッドの脇の揺り椅子に腰掛けながら読書をしていた。

「私のベッドで申し訳ありません。他にベッドがないもので。しかし、眠りの質が最大限になるように整えていますから、夢も見ずに眠れたでしょう? まだあなたは一時間ほどしか眠っていませんよ」

私の体感的には、八時間眠った後の朝くらいすっきりしていた。

「あなたに掛けられた魔法も解いておきました。もっとも、ほとんどあなた自身で解いていたようですが。あなたは、本当に優秀ですね。パン屋に置いておくのは、勿体ないほどです」

普段の私だったら飛び上がるほどに嬉しいほめ言葉だった。しかし、今はそんな気分ではなかった。ヒガンは本を閉じてベッド脇の棚に置いた。私はゆっくり起き上がった。ヒガンは私に水の入った器を差し出した。私はそれを飲んだ。冷たくて、心なしか甘い水だった。

「でも解けませんでしたよ」

私は空になった器に視線を落とした。

「パン屋の店長に邪魔されましたからね……あなたが気にしていた術の正体を教えましょうね。あなたに掛けられた呪文は、関係性を暴くものでした」

「関係性?」

「家族関係や交友関係です」

「そんなものを知ってどうするんですか?」

私は投げやりな口調で尋ねた。本当は何となく察してはいたが、それを認めたくはなかった。

「おそらくは、人質です。ですから、王国魔術師団から何か要求があった場合は注意して下さい」

私は寒気を感じた。ヒガンが注意しろと言ったのだ。遅かれ早かれ、王国魔術師団は、私の前に再び現れるだろう。

「奴らの目的は……」

言い掛けた私の唇にヒガンは人差し指を当て黙らせた。

「運命は既に回っています」

ヒガンの表情が陰った。その言葉と表情の意味が分かるのは、取り返しがつかなくなってからだった。この時の私は、ただ戸惑うばかりだった。

「あの、質問がまだあります。ヒガン様との交流もあの男に知られてしまいましたか?」

私は恐る恐る尋ねた。ヒガンは不敵な笑みを浮かべ、首を横に振った。

「私の情報は簡単ではありませんからね。知られてなどいませんよ」

それを聞いて私はほっと胸をなでおろした。

「それから、そろそろ打ち明けるべきことがありますね」

「打ち明けるべきこと?」

ヒガンは私の頭を撫でた。

「初めて会った日のことです。私はあなたにパンを全て食べさせました。何故だと思いますか?」

まさか、と私は思った。私の表情を注意深く見守っていたヒガンはうなずいた。

「あの時、あなたに全てのパンを食べさせたのは、私自身を守るためでした。あの日、あなたが持ってきたパンには魔法が掛けられていました。服従の魔法です」

「え?」

私はぎょっとして、器を落としてしまった。しかし、器は床に着く前に消えてしまった。ヒガンに問われてから、あのパンには何らかの魔法が掛けられていたのだろうと予想はしていたが、服従の魔法などという凶悪な魔法だとは思わなかった。

「最初、私はあなたをあの男の配下と思ったのです。しかし、あなたは、私を問い詰めることもなく、大人しく私の言葉に従いました。あまりに従順なので、私が怪しまないようにあなたはあの男によって魔法が掛けられている状態なのだと思いました。しかし、あなたには魔法が掛かっていませんでした。だから、あなたは事情の知らない人間で、ただパンを届けるように言われただけなのだと理解しました」

「あの男は、どうしてヒガン様を服従させたかったのでしょう?」

私は尋ねた。ヒガンは首を横に振った。

「詳細はわかりません。しかし、ろくでもない理由だろうことは想像がつきます」

ヒガンは嘘をついている。ヒガンは何か事情を知っている。だが、私には教えたくないようだ。こういう時は、しつこく聞いても教えてくれない。そういうものだ。

「ところで、あの服従の魔法は、私個人を狙ったものでした。ですから、私以外の人間にはほとんど効果はありません。しかし、敵は私の真名を知らないので、もし、私が食べたとしてもあまり効果はなかったでしょう」

確かに相手を服従させるには、相手のまことの名、すなわち、真名まなを知ることで、最も魔法を効果的に掛けることができる。だが、王国魔術師団の人間が掛けた魔法が弱い訳がない。王国魔術師団とは、並外れた魔力を持つ存在だ。真名を知られないだけで簡単に防げるものではないはずだ。つまり、ヒガンの実力は、王国魔術師団など比べ物にならないのだろう。私は改めてヒガンを尊敬した。私なんてお釣りの指摘をされた拍子に魔法にかけられているし、その魔法を解くのだって呪文を唱えて解かなければならず、時間もかかる。もし、ヒガンならば、呪文を唱えたとしてもパン屋の店長が来る前に魔法の解除が済んでいただろう。もっとも、ヒガンのことだから、ひと睨みしただけで、解いていたかもしれない。

「私は、あなたがパンを食べるときに魔法をかけて、あなたが私に服従するようにしました。しかし、私があなたの真名を知らない事情を考慮したうえでも、あなたには効きが悪かったように思います。あなたは、この国における世間一般の魔法使いとは、魔法の性質が違うようです。あなたの魔法の性質についてもおいおい調べてみなければなりませんね」

ヒガンの目が好奇心に輝いている。私の魔力は、魔法学校の魔力測定で“中”だった。この国の魔力を持つ大多数の人間の魔力数値である。王国魔術師団になる者は測定において”高”を示す。私の魔力は調べても面白いことはないはずである。そして、私は私の魔力の性質以上に聞きたいことが他にあった。

「ヒガン様、ドバトは味方ですか?」

私は質問した。これもヒガン本人に確認しておかなければならないことだった。ドバトは味方であってほしい人物だが、私を油断させるために近寄ってきた可能性もなくはない。嘘をつけない魔法をかけて確認済みだが、どうしてもヒガンの口からも確認したかった。

「ドバトは、味方です。お気づきかもしれませんが、”ドバト”というのは、私がつけた呼び名です。これも真名ではありません。私が名を与えたことによって、彼もまた真名を守ることができます」

ヒガンの言葉を聞きながら、私は、ヒガンは人に動物の名前を付けるのが好きなのかな、と思った。そして、私には似たような友人がいた。

「しかも、私にとって都合が良いことに彼は王国魔術師団との関わりもありますから、そちらの情報も得られます。王国魔術師団が呪文のかかったパンを私に届けようとしている情報もドバトから得ました。だから、私はその日の御者をドバトが担うように頼みました。ドバトはうまくやりましたね。器用なところも信頼しています。しかし、彼には、もし自身の命と引き換えにしなければならない状況ならば、私の命と天秤にかけるべきではないと伝えてあります。その点、彼はあなたほど苦労はしないでしょう。そういう意味で、私もまた私と彼の命を天秤にかける必要はないのです」

それはお互いにとって非情なことのように思われた。しかし、生き残るための選択としては正しいことだ。私は複雑な心境だった。

「ドバトがパン屋で私と関わったことは、王国魔術師団に伝わってしまったでしょうか?」

私は尋ねた。これも気になっていたことだ。

「微妙なところですね。しかし、知られてしまったと思った方がよいでしょう。まったく、ドバトは不注意でしたね。本当にあなたを助けたいなら、かばうべきではなかったのです。いえ、かばうまでは大目にみましょう。その後、お礼のパンをもらうためにあなたを待っていたり、あなたに忠告したりするのは余計でしたね。彼には、あまり厳しいことを言いたくないのですが」

ヒガンはため息をついた。やっぱり、私はドバトとはあまり関わらない方がよいだろう。彼がヒガンの味方でいるのは、ある意味で期限付きだし、きっと私に対してもそうなのだろう。私が悶々と考えていると、ヒガンは私の肩をもみ始めた。私は驚いてヒガンを見上げた。

「考え込ませてしまったお詫びですよ。まだ何かが起きたわけではありません。肩の力を抜いて、気楽にいきましょう」

そう言われても、事態がこちらにとって不利なのは変わらないのではないのだろうか。王国魔術師団は、私の関係者をいつでも人質にとれるのだ。それを利用して、ヒガンを罠にかけようとするかもしれない。そう考えると泣きたくなってしまう。

「困りましたね」

ヒガンは、今度は私の眉間に指を当ててくるくる回した。

「こんなに深いしわを眉間に寄せては、跡になってしまいますよ。お詫びに今日の授業は飛び切りあなたの興味をそそる楽しいものにしなくてはなりませんね」

それから、と言ってヒガンは私の頬を両手で包んだ。

「私はあなたを天秤にかけることはありません。あなたを守れるのであれば、自分を差し出すくらいの覚悟はあります。ですから、あなたは自信をもって選択してください。あなたが正しいと思う道を進むのです。あなたが転生する道を選んだように。あなたは、選び、進む定めであることを忘れないでください」

私の目から涙がこぼれた。やっぱりヒガンはどこかボノさんに似ている。


ボクは、役立たずだけど、きみ達を守る盾にはなれる。


そう言ってボノさんは消えた。ヒガンもいつかボノさんのように消えてしまうのだろうか。私が泣いている間、ヒガンは黙ったまま私の背中をさすっていた。自分と他者を天秤にかけることが正しいことだとは思わない。しかし、ヒガンはそれを正しいことだと思っているのだろう。きっとボノさんも同じだったのだと思う。私が求めた正しさはそういうものではない。しかし、本当に正しいことなんてあるのだろうか。その上で、私に選択することなんて出来るのだろうか。考えれば考えるほど辛くなった。

 しばらくして私は泣き止んだ。まぶたが腫れぼったい。頭も重い。せっかく眠ってすっきりしたのに台無しだ。

「少し、一人なって落ち着いた方が良さそうですね。この本を書庫に戻して頂けますか?」

ヒガンはさっきまで読んでいた本を私に手渡した。何気なく題名を見ると「いばら姫」と書かれていた。この物語は私の世界にもあった。しかし、今は質問する元気はなかった。私は、ヒガンから本を受け取ると書庫に向かった。そういえば、どこに本を戻せばいいかヒガンに聞くのを忘れていた。だが、「いばら姫」があったということは、同様の物語が置いてある棚があるはずだ。私は書庫の本棚を注意深く見て歩いた。しかし、なかなか「いばら姫」が収まりそうな棚が見つからない。全ての本棚を見たが、やはり分からなかった。この書庫の本棚は本がみちみちに詰まっていて、一冊本を取っただけでは、隙間ができない。私は本棚歩きの二週目を開始した。と、すぅっと図書霊の白い影が近付いてきた。

「それは、夢見る少女のための本だ。君は夢を見ているのかい?」

図書霊が言った。からかわれているのかと思い、抗議しようと口を開きかけると、どこからともなく次々と白い影が現れ、私を取り囲んだ。

「それとも、高貴なお方のキスがお望みか?」

「百年の眠りにご興味が?」

「抗えぬ予言を行使したい?」

「境目のない世界観への願望?」

「完全性への憧憬か?」

私は戸惑った。突然集まってきたこの図書霊たちはどの本に憑いているのか? 私は、はっと手元の本を見た。つまり、そういうことである。

「この本を元の場所に戻したいんですが」

私は、私を取り囲んでいる図書霊の白い影に尋ねた。すると、影が一つすっと前に出た。

「でしたら、私がご案内しましょう」

現れたのは図書霊のヒガンである。ヒガンの図書霊は、私の前に立つと音もなく書庫の中を進んだ。ヒガンは、一人で落ち着く時間を与えるために私を書庫に行かせたのに、ヒガンの図書霊が現れてしまっては意味がないような気がしたが、不思議と気持ちはすでに落ち着いていた。本の匂いが良かったのかもしれない。ヒガンの図書霊は、少し先の本棚の前で立ち止まって指をさした。そこに本を戻せということだろう。しかし、そのあたりの棚は物語や童話の類の棚だっただろうか。私は首を傾げた。ヒガンの図書霊の指示通りに本を戻したが、そこは呪いに関する本が集められた棚だった。確かに、「いばら姫」にも呪いが登場するが、この場所に配置する本としてはふさわしくないように思えた。

「姫の呪いを解くのに王子のキスは必要だったのか」

突然、ヒガンの図書霊が口を開いた。

「必要だ」

「必要ない」

複数の図書霊が同時に答えた。私は答えなかった。

「いばら姫は百年の眠りにつき、そして百年後に現れた王子がキスをしました。姫は死の呪いを避けるために、百年眠る魔法を掛けられました。大事なのは百年もの間眠ることです。故に、本来王子キスは解呪に関係がありません。王子はたまたま百年後に現れて、たまたま姫が目覚めるタイミングでキスをしただけなのです」

ヒガンが言うと、集まった図書霊たちは不満そうな声と、賛同する声を上げた。これが図書霊たちの読書感想会か、と私は眺めていた。

「しかし、王子のキスと呪いの解呪をつなげる作品もあります。あえて、呪いを解くための条件を設定するのは、その方が、強い呪いになるからです。つまり、他の方法で解呪される危険性を回避できます。まぁ、あとは解呪の方法を残しておいた方が、駆け引きができるという術者側の事情が関わってくる場合もありますが」

私は感心しながら図書霊ヒガンの説明を聞いていた。しかし、”キス”派の図書霊は納得していないようだ。

「もっともらしいことを言っても無駄です!」

図書霊の一人が言った。

「あなたもまた夢見る少女のはずです!!」

別の図書霊が追い打ちをかけるように言った。

「あなたは、もっと面白い見解を語っていたはずです!!!」

図書霊ヒガンはため息をつくような仕草をした。

「白状しましょう」

図書霊ヒガンが言うと、”キス”派は大喜びした。

「ですが、これは、夢見る少女の見解とは言えないでしょう。私のもう一つの考えは、呪いを破るのは幸福感だという考えです」

「幸せなだけで呪いが解けたら苦労はないはずですよ?」

反対派が言った。

「もちろんです。しかし、呪われた人間というのは、常に不幸です。不幸な心根が不幸を呼び、自ら呪いを強化していくのです。では、呪われた不幸感を上回る幸福感を得たらどうなるでしょう? 呪われた人間が魔法使いで、呪いを掛けた側と実力の差がない場合においては、幸福感で呪いを解く可能性が出てきます。幸福を実感した時の瞬間的な正の力は、時に呪いの負の力を圧倒するのです。そして女性にとって”王子”とは幸福の象徴なのです。お分かりになりますか? 見目麗しく、性格も良く、権力も財産も持つ唯一無二の男性が求婚してくるのですよ? それに舞い上がらない乙女がいましょうか? 幸福を感じない乙女がいましょうか?」

図書霊ヒガンの言葉に”キス”派は、わあっと歓声を上げた。反対派も黙ったままうなずいて拍手をしている。私はというと、おとぎ話一つでこんな魔術的な考察ができるのかと、感心しきっていた。さすが図書霊、さすがヒガン様。

 そして、元気を取り戻した私は、書庫を後にした。

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― 新着の感想 ―
ボノさんの影がちらつきましたが、面白かったです。
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