11思い出すこと
アライ、ボノさんがいなくなった!
うるさい、シマ! そんな事知ってるっ!
会計対応をしている時にふと明け方に見た夢を思い出した。いけない。私は手元の釣銭を注意深く確認し、客に手渡した。ヒガンの元に通い始めてから三ヶ月が経った。今日は休日の二日目。すなわち、明日からの平日は私にとっての三連休だ。疲れが出てきているようだ。ついさっきは、ヒガンと初めて出会った時のことを思い出していた。何だか集中出来ない日だ。休憩が待ち遠しい。
やっと休憩時間になった。休憩室に入ると、私はふぅっと息を吐いた。休憩室には、私たち従業員の荷物入れの棚とテーブルや椅子、仮眠用のベッド(という名のソファー)が乱雑に置かれている。休憩は交代制で、この時間は私しかいない。私は、自分の荷物入れからパンの入った紙袋を取り出し、テーブルの上に広げた。私は口いっぱいに葡萄のパンを詰め込んだ。
「子栗鼠さん」
ヒガンの声がした気がした。
「シマリスくん」
ボノさんの声もした。鼻の奥がツンと痛くなった。前の世界の友人達を思い出すのは、今でも辛い。ボノさんとアライは私のかけがえのない友人だった。最初にボノさんが消えた。アライは、ボノさんを助けに行こうとした。本当は、私もアライと一緒に行きたかった。しかし、アライはそれを望まなかった。お前は、早とちりしがちだから、大事なところでしくじりそうだ。そう言ってアライは一人で行ってしまった。そして、アライは監視者の棍棒の餌食になった。どうして私一人だけ転生したんだろう。どうしてボノさんとアライは一緒にいないんだ。私は葡萄のパンを無理矢理飲みこんだ。何か温かいものが手に落ちた。どうして誰もいないんだ。どうして。
まさかあちらに行きたいと思っていた訳ではありませんね?
目蓋の奥に青い光が走った。大地の裂け目、あそこに行けばもしかしたら。カーン、カーンと鐘の音がした。私は我に帰った。もうすぐ休憩時間が終わる。私は立ち上がった。ヒガンの元で学べば、きっと正しさを得るための力が手に入る筈だ。
私は休憩室から戻ると会計に立った。焼き上がったパンは飛ぶように売れる。同僚たちが焼きたてのパンを魔法で次々に並べていく。私は包装と会計に専念した。ヒガンの元で学び始めてから、魔法を使った包装は一段と速くなった。別に包装の魔法の練習をヒガンとしているわけではない。ヒガンが言うには、魔法への理解を深めるだけでも、技術を向上させることができるそうだ。しかし、私が魔法を向上させたことで、同僚たちはほとんど会計に立たなくなり、パンの陳列だけに専念するようになった。それは、休日勤務の時がより顕著だった。パンの補充が終わると同僚たちは、厨房に入り、お喋りしながら次のパンが焼けるのを待つばかりだった。お喋りがうるさいと厨房の作り手達に追い出されて仕方なく会計に立つこともあるが、隙があればすぐに厨房に戻ってしまった。作り手たちもパンの仕込みや焼き方に忙しく、さぼりの売り子を何度も注意する余裕はなかった。そんな状況なので、会計も魔法に任せることができれば、より円滑な対応が出来るだろうが、それをしてしまうと悪目立ちしてしまう。ヒガンは、私との接触を秘密にしたいようだから、良くないだろう。
ようやく終業時間が迫っていた。ああ、早く帰って休みたい。私はついつい余計なことを考えてしまっていた。その時だった。
「そこの店員、釣銭が違うぞ!」
怒鳴り声がした。私は、はっとなって手元の釣銭を見た。目を皿のようにして確認する。間違っていない。瞬間、肌がピリッとしびれる感覚があった。やられた! 魔法にかけられた! 私は手元の釣銭を男に突き出した。私は噛みつく勢いで男を睨み付けた。
「何をしたんですか!」
私は唸るように言った。
「客に対する態度かね?」
男は年を取っているが、背筋はピンと伸びており、私の頭三つ分背が高い。それに威圧感を感じないかと言えば嘘だ。だが、私はそれほど恐怖を感じていなかった。怒りが勝っていた。体の何もかもが熱い。注意を逸らしたうえで魔法にかけるなんて卑怯もいいところじゃないか。男も私をにらみ返したが、何故かたじろいだ。
「お前、その目はなんだ?」
男の声は怯えているように聞こえた。私は男の隙を見て呼吸音に近い音で呪文を唱えた。男は後退り、振り払う仕草をした。無駄だ。何を血迷っているのだろう。解呪の魔法は、蚊ではないのだから、そんなことで妨害できるわけがない。男もそれに気づいたようだ。顔を赤くし、慌てたように解呪を妨害する呪文を唱えだした。男の唱える魔法は、意外にも正確で強力だった。私は自分を落ち着かせた。まだ私の呪文の方が進行している。このまま冷静に唱え切れば、男の呪文を解呪できるはずだ。もう少しで男に掛けられた魔法が解ける。私はほくそ笑んだ。
「何してる? おい、お客様相手にどうしたんだ?」
店長が後ろから私の頭を押さえつけたせいで集中が途切れた。私は魔法の解除に失敗した。
「ふん、未熟者め!」
明かに安堵した顔で男は包装が済んだパンの包みを鷲掴みにすると店からそそくさと出ていった。くそっ! 私は悔しさに歯を食いしばった。解呪が途中になった上に男が妨害の魔法を上からかぶせたおかげで、私に掛けられた魔法が複雑化してしまっている。しかも、今ので自分がどこまで呪文を唱えたのか、すかっり頭から吹き飛んでしまった。解呪の呪文を唱え直そうにも、中断した部分から正確に唱えないと、解呪が失敗したり、別な効果の魔法が発動する恐れがある。私は動揺し、頭が真っ白になった。店長は、私を離すと、同僚の一人に会計を代わらせた。同僚は私を一瞥し、舌打ちをすると会計に立った。店長は、私を店の隅に連れていった。
「どうしたんだ? お前らしくない。客と揉めるなんて」
私はうつむいて答えなかった。爪が食い込むほどこぶしを握り締めていた。店長は溜め息を漏らした。
「その子は、悪くないよ」
誰かが割り込んで来た。私は顔を上げた。割り込んで来たのは男だった。見覚えのある男だ。私をヒガンの住む北の森まで送り届けた御者の男である。
「さっき、魔術師の旦那が魔法でちょっかいを出したんだ。その子は掛けられた魔法を解こうとしていただけだ」
「魔法だって?」
店長はぎょっとした顔をした。
「まさか、呪いか?」
店長は青くなると、私の顔を心配そうに覗き込んだ。
「あっしは、専門外だ。魔法の種類まではわからない」
御者の男は首と両手を同時に振った。
「情報収集の魔法です。呪いではありません。頭に血が上ったせいで、どんな情報を奪うものかまでは、分析できませんでした」
私は半ば落ち込み、半ば苛立ちながら言った。
「命に関わるものでないのなら良いが」
店長は困った顔で言った。私は店長にも苛立ちを覚えた。のんきなものだ。情報とは命に匹敵するほど大事なものだ。店長は、そんなことにも気づいていないらしい。
「でも何故そいつは、うちの店員にちょっかいを出したんだ?」
店長は、私の顔と御者の男の顔を交互に見ている。
「そこのおチビさんが、有能な魔法使いだからだよ。最近、北の国の動きが怪しいでしょう? 王国魔術師団は使えるものは何だって使いたいのさ。情報収集の魔法なら、恐らくおチビさんが、どの程度魔法を習熟しているかの確認だと思うなぁ」
「王国魔術師団だって!? 何て事だ!」
店長は怯えた声を上げた。
「大丈夫。奴らは世間体を気にしなければならない立場の人間だ。こんな有名店にあからさまに圧力をかけることはないでしょ。問題はおチビさんだ」
御者は優しい眼差しで私を見た。この人は味方であって欲しい。しかし、気になることがある。
「私は自分で何とかします」
私は強がって言った。どちらにしても、この問題にこの場の二人を頼るわけにはいかないだろう。
「あと、あなたに何かお礼をしたいです。もうすぐ私の終業時間ですので、それまでお待ち頂けますか?」
私が言うと御者の男は「律儀だね」と言ってうなずいた。
「それから、この店であなたが好きなパンを教えて下さい」
私が尋ねると御者の男はにっこり笑った。
「あっしは、真っ白バターパンに目が無いね」
「承知しました」
この男のおかげで少し落ち着くことが出来た。
「では、私は会計対応に戻ります」
私と店長と御者の男は会計棚の方を見た。そこには長蛇の列が出来ていて、私の同僚が顔を真っ赤にして、てんやわんやで対応していた。
「ひどいもんだね。おチビさんが、いかに優秀かわかるよ。おチビさんの時は並んでもせいぜい二、三人だった」
「まったくだ」
店長は呆れ顔だった。二人の会話に内心照れながら、私は駆け足で会計に戻った。
「ごめんなさい。代わります。パンの補充をお願いします」
私が言うと同僚は安堵の表情を見せた。私が抜けた怒りよりも、この場から解放される喜びが勝ったらしい。いつもだったら、「早く代われよ、チビ」くらいは言われるのだが。
ようやく仕事が終わり、私は確保して置いた自分用のパンと御者の男用のパンの代金を払った。この後、会計の精算作業があるのだが、店長が代わってくれた。私はパンの包みを持って御者の男の元へ向かった。御者の男は店のすぐ外のベンチで待っていた。
「店の中のベンチでも良かったんですよ」
「それじゃ、閉店作業の邪魔になるからね」
御者の男は言った。
「では、これはお礼のパンです」
私はパンの包みを手渡した。
「おぉー、バターパンの他に、チーズパンとオレンジパンも入れてくれたのかい? どっちも好きなやつだ。ありがとう」
「かばってくれたお礼ですから」
私はきちんと頭を下げた。御者の男はよしてくれよ、と言ったが、お礼はお礼だ。これで一区切りだ。
「では、質問に答えて下さい。あなたは、どちらの味方ですか?」
「え?」
御者の男は戸惑った。しかし、とぼけているようにも見えなくはない。私は数分間だけ嘘がつけなくなる魔法を御者の男にかけた。
「王国魔術師団とヒガン様、どちらの味方か聞いたんです。あの魔術師とあなたは知り合いでしょう? あなたは、私がヒガン様にパンを届けに行った日に馬車の外であの男と話していました。声でわかります」
ちなみにあの魔術師の男はヒガンの書庫でも会っている。著者の図書霊だ。気にくわない横柄な態度と声に聞き覚えがあったが、今日の一件で思い出した。馬車の外から聞こえた声と著者の図書霊の声、今日の魔術師の男の声は一致している。
「あぁ、なるほど」
御者の男は頭をかいた。
「さぁ、早く答えて下さい」
私は急かした。早くしないと魔法が解ける。
「安心してくれ。あっしは、ヒガンの味方だ。一体いつどこで、あっしとヒガンとの繋がりに気づいたのやら」
御者の男は驚きあきれた口調で言った。実のところ、ヒガンと関係があるのではないかと思ったのは、ただの勘に過ぎなかった。しかし、私の前にこの御者の男は二度も現れている。しかも二回とも、あの王国魔術師団の男と一緒にである。だから、この男が王国魔術師団の味方でないのなら、ヒガンの味方なのだろうと何となく思ったのだ。
「あっしから詳しいことは言わないよ。だけど、それは君も同じだよね? ヒガンは情報が漏れることを嫌う」
御者の男は眉間にしわを寄せた。
「ところでね、君は情報収集の術を掛けられているんだよな? だから、あっしへの質問は我慢しなきゃならなった。本来ならね。でも、あっしは、おチビさんの焦りもわかっている。だからね、このことは、ちゃんとお師匠に相談しなさいね。今後のことはしっかり話し合って決めるんだ。もう先走ってはいけないよ」
私はしゅんと肩を落とした。御者の男の言うとおり、私は焦っていた。不安だった。だから、質問を止められなかった。御者の男は苦笑した。
「わかればいいんだよ。あっしのことはドバトと呼んでくれ。それでは気を付けてお帰り」
「色々、ありがとうございます」
「何だ、気にしないでおくれよ。チーズとオレンジのパンの分のお礼と思っておくれ。じゃあね」
ドバトは、私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。あたたかい手だった。また目頭が熱くなってしまった。
「今日は、駄目だね……」
私は自嘲した。




