サーキスがサフランの異世界行きの邪魔をする(2)
翌日も普段と同じようにレナとマークを孤児院に連れて行くが、ミアはサーキスに対して無理に明るく振る舞ってくれる。それが逆にサーキスにはよそよそしく見えた。スプリウスもレナには優しく接してくれるが、サーキスと目が合うと浮かない表情を見せる。
ジョセフはブラウン家に帰るつもりはないらしく、すれ違うと露骨に冷たい態度を取られた。
その日の仕事では薬が足りないことに気づいたサーキスが昼休みを使ってカスケード病院まで足を運ぶと、院内で数人の僧侶兼看護師から突然詰め寄られた。
「ギル君が白血病にかかったんだって!?」
「ブラウン先生が協力してくれないって院長が!」
知る人ぞ知る話だが、ギルはカスケード寺院を救った英雄だ。そしてこの男たちはギルとミアからお見合いの世話までしてもらっている。どれだけのことをしても恩は返しきれないと思っている連中だ。
サーキスは返答もできず、顔をこわばらせる。そしてふと目をやると柱の影からパディがこちらをじっとのぞく姿が見えた。その顔は無表情で気持ちが悪い。サーキスは何から何まで気に入らなかった。
それから数日が過ぎ、日曜日がやって来た。自室の二階でサーキスがサフランやスプリウスのことを考えていると玄関の方から「ごめんくださーい!」と大きな声がした。フォードの声だ。
「チッ…。あのおっさん、フォードさんにも言いやがって…。まあ言うよな…。ギルはフォードさんのお気に入りだし、俺を説得したいのだろうけど…」
サーキスが独り言を言っていると、フィリアが二階に登って来た。
「フォードさんが来てるよ。あんたに用だって」
「うん、声でわかった。でもいないって言って」
サーキスのありえない返事。しかしながらなぜか祖母は聞き分けがよかった。
「ああ、うん…」
フィリアは玄関に下りるとしばらくして二階に戻って来た。
「フォードさんにはサーキスはいないと言ってくれと言われたって伝えておいたよ」
「ありがとう」
「うちの野菜が急に売れ出したのはフォードさんのおかげだろ? たぶん、あんたを医者の仕事に専念させるためにあの人が自腹で切ってうちの家計を助けてくれてるんだ。フォードさんにお礼を言っても知らぬ存ぜぬだけど、あんたもわかってるだろ? 今日はたいへん失礼なことをしたよ?」
「わかってる…」
「フォードさんは思いつめた表情だった。…ジョセフも孤児院に寝泊まりしてるし、あんたたち何があったんだい? バレンタイン寺院の秘密ぐらい言えないことかい?」
「そうだよ…。今は言えない」
「仕方ない…。レオが散歩に行きたがってるよ。行って来な」
「はーい…」
サーキスが玄関を出るとフォードのハゲ頭が小さく見えた。サーキスはいたたまれない気持ちだった。犬小屋の方を見ると、レオは小屋の外に出て来てブルブルと体を震わせる。そしてサーキスを見てはゴロンと横になってハッハッと舌を出す。
「あんまりお前…。散歩に行きたそうにも見えないけどなあ」
サーキスは現実から目をそらしたい一心でレオのお腹をなでた。
「お前はかわいいなあ!」
レオの体を全力でなでていると背中からふいに知っている声がする。
「やあ、サーキス」
パディだった。家の陰に隠れていたようだ。
「うわ! パディ先生! …駄目だよ、レオ! 不審者がいたら吠えないと!」
「君は師匠に向かって何て言いざまだ」
「フォードさんとうちに一緒に来てたんだな! フォードさんとは仲が悪かったんじゃなかったのかよ!?」
「正義と悪は時に手を組むものさ。…ちょっと歩こうか」
最悪の気分だった。いったいこれから何を言われるのか。
サーキスは街の方へ行くと思っていたらパディは西に歩き出した。畑道だ。
「レオにハウスって言ったらちゃんと家の中に入ったよ。しつけられてるな。ご主人様は僕の弟子ってちゃんとわかってる」
帰ったらあんなおじさんの言うことを聞くなとレオに言いつけなければ。
(でもそんな複雑な説明を犬にどうやってするんだよ…)
「その…、僕からのお願いは、サフランが異世界に行こうとするのを邪魔しないでというのもあるけど、君にはそれ以上に今回の計画に力を貸して欲しいんだ。サフランが僕の世界に行ってギル君の白血病の治療をするためには君の協力が不可欠なんだ」
二人はお世辞にも歩きやすいとは言えないでこぼこ道を進む。レオは連れて来ていない。
「…やだよ」
「うん、君はサフランと仲良しだもの。そう言いたいのはわかる。…それにリリカに僕が自分の世界に帰る方法がわかったなんて告げ口されると僕たちの夫婦関係にヒビが入る。…君は遠回しにそう脅してるんだよね」
「まあ…ね」
「君の好きなリリカ姉さんが悲しむだろ」
「それを先生から言うのか? ずるいだろ」
今のパディには遠慮も禁句もないようだ。どんな手を使っても自分を説得するつもりだ。サーキスは身構える。
春のきざしに空気は緩み、生命の息吹を、土の匂いに変化を感じる。並んで歩く二人はシャクナゲの方に目をやるとつぼみが芽吹いていた。
「まあ、それから患者を殺して病気の進行を止めるってのは君のアイデアだ。それを否定しておいて実行したのは僕だ。気に食わないのはわかるよ」
「先生は俺が泣くまで怒ったぜ。怒髪天を衝くって感じだったよ。すっごい怖かった」
「ほんとにごめん。謝るよ…。そしてこんなことを気軽にやってはいけないとは思ってる。でもギル君の白血病を見つけた時は迷わなかった…。恩人だもの」
今は三月。それでもまだ少し肌寒い。もう少し歩みを進めないと体も温まらない。
「どうしても今回の計画はサフランがいいんだ。頭の良さ、考え方の柔らかさ、僧侶の呪文を全て扱えて、ギル君に近しい存在。あの子しかいない。必ずうまくやる」
サフランのことを言ったと思えば急にパディはたとえ話を始めた。
「バレンタイン寺院の、スプリウスさんのお弟子さんたち。みんな師匠と再会した時は親子のように感動の涙を流してたね。そのシーンに何回か出くわしたけど、感極まるものがあった。けれども、お弟子さんはサーキス、ギル君と出会っても感動の『か』の字もない。無反応ではないけれど、『よお、久しぶり』ってノリだった。君たちは本当に男兄弟みたいな感じだ。兄弟がどこかで野垂れ死んでようが関知しない。逆に自分が死んでもほっといて欲しい。そんな感じでしょ?」
「そうだぜ」
「それが今のギル君にも当てはまる。君の気持ちはわからなくもない。でも僕やサフランはギル君を助けたいんだ。…実は君がこれ以上の妨害をするなら、サフランは諦めて次の候補に頼もうと思うんだ」
「誰?」
「セルガーさんだ」
「え⁉」
ここでサーキスが足を止めて大きな声をあげる。予期しない人物だった。
「セルガーさんだけはギル君を兄弟ではなくて友達のように認識している。彼とはいろいろ話してわかったよ。あの二人は君たちみたいにドライな関係じゃない。親友の命がかかっていれば、きっと自分の生活も顧みないで助けに行く」
「先生、それは卑怯じゃないか…」
「そして彼は看護師ではない。右も左もわからない世界で彼はきっと苦労する。セルガーさんの人生を大きくねじ曲げることだろう…」
二の句も告げられないサーキスにパディが続ける。
「セルガーさんが断られた場合、次はスプリウスさん。息子のためならどこまででも行くだろう」
「いや、駄目だって! あの人にはパディ先生の世界に行くのは向いてないよ!」
人工血管を作れるほどの文明の発達した世界だ。想像しても、スプリウスにそんな世界が合うわけない。
「建前を抜きに、完全復活の呪文が使えれば結局のところ誰でもいいんだ。しかし、計画に適性のない人間が向こうに行けば治療の成功率が低下するし、あっちの人間を動かすための時間が途方もないほどかかる。そして君が言う通り、スプリウスさんは僕の世界で生活することに全く向いていない」
「親っさんがかわいそうな目に遭うのは目に見えてるだろ!」
サーキスは号泣していた。涙と鼻水を垂れ流しにしていた。
「そうだね」
サーキスはやけくそだった。もう彼にはパディに歯向かう余地はなかった。
「わかったよ、先生の邪魔はしない! サフランに協力するよ!」




