サーキスがサフランの異世界行きの邪魔をする(1)
「こんなのおかしいよ! 何でサフランがそんなわけわからない世界に行かないといけないんだよ!」
カシミアを含む小さな子供たちが寝静まった夜中、サーキスが孤児院のリビングで怒鳴っている。この場所にはサフラン、ポーラ、レナード、マシュー、ジョセフと孤児院の初期のメンバーが揃っていた。皆、大きく成長している。賢者のクレアだけがマムルーク王朝に嫁いでこの場にはいない。奥のソファにはミアとスプリウスが苦虫を嚙み潰したような顔で座っている。
「みんなギルを助けたいんだよ! どうしてライオンさんはそういうこと言うの⁉」
「死っていうのは抗うものじゃない、受け入れるものだぜ! 俺たちが治療は無理って言ったら患者は諦めるものだぜ!」
ポーラとサーキスが言い争っている。アルペンローゼ・アプリコットと似ているということでアプリコット家の養子になったポーラ。身長がすらりと伸びたポーラは赤く派手なワンピースを着ている。アルペンローゼのお下がりだ。美しく成長したポーラはたまにアルペンローゼと間違われるが、本人は気にしないようすだ。冒険者になるという夢はいつの間にか霧散している。それでも呪文の勉強だけはきっちり続けている。そして今にもサーキスに向かって攻撃呪文を唱えそうな勢いだ。
《ポーラ、暴力は駄目だぞ》
察したシムエストがポーラを注意した。ポーラの瞳がサフランを捕らえる。
「ねえ、サフラン! ギルを助けに行きたいでしょ! ねえ⁉」
「デンシャ、クルマ…。楽しい乗り物いっぱい。こっちと比べ物にならないおいしいプリン…。見たことない食べ物…。オズの魔法使いのアニメーション…。絵が動く…しゃべる…。観たい、行きたい…。ヒヒー、ヒー!」
サフランの心はすでにあちらの世界に行っていた。今の時点でギルの死後、三日が過ぎていた。その間にサフランはパディからあちらの世界がすこぶる楽しい場所であると吹き込まれている。サーキスがギルの死を知り、治療のための計画を聞いたのが本日。策士のパディにサーキスがかなうわけがなかった。
「動機が不純じぇねえか」
サーキスのツッコミにポーラが動揺しながら、魂の器が入った瓶をサフランに押し付ける。
「サフラン、ギルを助けたいよね⁉ ほら、ギルがサフラン助けてーって言ってるよ」
「おいしいプリンを食べに行くついでにギルも助けてあげる…。ヒヒ! 死んじゃったギルはもう私のお尻を叩けない…。ヒヒ!」
「だいたいライオンさんはレナとマークのことをミアとじいちゃんに面倒みてもらってるだろ⁉ ギルに恩はないのかよ⁉」
最年長のマシューが怒声をあげた。
「それを今言うのは、お前…、フェアじゃないぜ…」
マシューは今では立派なドラゴンの戦士である。ただ、この度も痔になり、ライス総合外科病院で三度目の手術を受けている。ちょうど里帰りした矢先、ギルの病気を聞いたわけである。
「そもそも、ライオンさんがドラゴンの戦士は痔になりやすいって言ってれば、俺も心構えが違ってたんだよ! 何回もライオンさんにお尻を見せないといけないのは本当に屈辱だよ…」
「それは俺だけじゃないだろ! 前から言ってるけどパディ先生もリリカも同罪だぜ!」
マシューはクレアと結婚して、二人はマムルーク王朝を生活の拠点としている。
「うー…」
ミア、スプリウス、サフラン以外の全員がサーキスをにらんでいる。そして冗談が飛び交うこの状況。まるで人が死んだとは思えない雰囲気だ。
「ギルと会いたかったら生き返ってもらって、おしゃべりしたらまた死んでもらって。いつでも会えるだろ⁉」
サーキスの言う通りで蘇生すればギルといつでも会えた。それでここは緊張感を欠いたような空気になっていた。
「それに魂の器の方が綺麗じゃねえか! あんな悪いツラよりこっちの方がよっぽど美しいぜ!」
「なんてこと言うのライオンさん!」
「そうだよ、ひどいよサーキスさん!」
レナードとジョセフが文句を言う。レナードはフォードの養子になった少年。他の子供と同様、背は伸び、丸坊主だった頭も今ではふっさりとしている。学業は優秀。フォードの自慢の息子だ。
「僕、ライオンさんのこと尊敬していたのに…。お父さんだってライオンさんのこと、普段から褒めてるんだよ! 今日は心底がっかりしたよ!」
「ふん…。だいたい大人二人…、いやシムエストも合わせて三人、俺に意見しないのがおかしいって思わないか。奥さんのことがあるから何も言えないんだよ!」
サーキスの言う奥さんとはスプリウスの妻、リナリア・バレンタインのこと。肺炎になったリナリアはあの時、死ぬ運命だった。それを受け入れたからこそ、今のスプリウスやサーキスがいる。抗いようのない事実だった。
「親っさんたちは間違えたことをしようとしてる自覚があるんだ!」
尽きかけたギルの命運。それを世のことわりに歯向かって前人未踏の茨の道へ、サフラン一人を犠牲にしてギルを救おうとしている。サーキスには看過できないことだった。
ミア、スプリウスはうつむいて黙ったままだ。まるでサーキスがいじめているようだ。
「よくわからないけど、じいちゃんとミアがかわいそうだよ! ひどいよ、ライオンさん!」
「そうだよ! サフランはやる気満々なんだよ! そんなことを言うサーキスさんは嫌いだよ! 僕はしばらくライオンさんの家には帰らない!」
ジョセフがミアの方を振り向いてお願いする。
「ねえミア、いいでしょ⁉ 僕が寝るところはソファでいいから!」
「え、ええ…」
「もうサーキスさんは帰ってよ!」
「そうだ帰れ、帰れ!」
「ライオンさん帰って! 顔も見たくない!」
「ヒヒー!」
子供たちの罵声を浴びてサーキスは泣きながら家を出て行く。根が明るいサーキスは、人から好かれることはあってもここまで人から嫌われるのは初めてのことだった。涙は止まらず、嗚咽も漏れる。
「クェーッ」
庭でドラゴンのオルバンがサーキスを呼び止めようとした。理屈がわかる彼はサーキスを慰めたかったが、サーキスはオルバンに気づかずに孤児院から離れて行った。
サーキスは夜道を歩くのも億劫になっていた。できれば呪文を唱えて帰りたいが、彼が帰還の呪文を唱えるとなぜかライス総合外科病院に戻ってしまう。帰還の呪文はその人間の思い出深い、深層心理のホームに戻る呪文だ。ほとんど僧侶はそれをコントロールできない。
「どうして俺はパディ先生の家に帰っちゃうんだろ…。ファナとよそに出かけて帰還の呪文を唱えたら、ライス病院に戻って、『どうしてリリカの家に帰っちゃうの⁉ そんなにリリカのことが好きなの⁉』って怒り出すし…。もう帰還の呪文なんか使いたくないよ…。うえーん!」
サーキスは家路を歩きながら自分の子供たちのことに気がついた。
「そうだ、明日どうしよう…。もうレナとマークを孤児院に連れて行けないぜ…。仕方ない、明日はカスケード寺院に連れて行くか…」
あれからサーキスとスプリウスの協力により、カスケード寺院には小さな僧侶候補が軒並み増えた。司祭のハル・フォビリアはサーキスに礼をさせてほしいと常々言っているが、サーキスはそんなことはどうでもよかった。僧侶になる人材を探すスプリウスがとびきり生き生きとする姿を見られるだけで幸せだった。
スプリウスはたまにカスケード寺院に行って、修行に励む子供たちを遠巻きに眺めては感動の言葉を漏らしていた。
「俺がハルさんにお願いすれば、子供二人ぐらいしばらく面倒見てくれるだろ。明日はリリカにはエリンたちを孤児院に連れて行けないって断りを言わなくちゃ。あいつに自分の子供を連れて行ってもらわないといけないぜ。…あとばあちゃんとファナにもそれとなく伝えておかないと…」
サーキスがそんな独り言を言っていると後ろから誰かが駆けて来る音がした。振り返ればスプリウスだった。
「…親っさん? 俺を殴りに追っかけて来たのか?」
「いや、明日はレナとマークはどうする?」
「カスケード寺院に連れて行こうって思うけど?」
「いつも通りうちに連れて来てくれ。今日のことは気にするな。小さな子供たちには黙っておく。そうしないとリリカさんに怪しまれる。ミアさんもワシと同じ意見だ」
「それならその方がいいけど…」
「助かる。ではな」
スプリウスは踵を返して帰って行った。普段ならこんな時はもう少し雑談に興じるのだが。
「親っさんからも完全に嫌われたな…。僧侶探しももう一緒にやってくれないだろ…」
つらい孤立だがサーキスには信念があった。サフランをわけのわからない世界に送るわけにはいかない。サーキスは瞳に涙を浮かべていた。




