ガドラフが現れた
ナタリー食堂でいつものようにサーキスとサフランがドリンクを飲んでいると、ドタドタとバネッサが黒髪を振り乱してやって来た。
「セレオスさんは⁉」
彼女の顔は怒りと焦燥に満ちている。
「今日はいないけど…」
「私が来ると思って仕事帰りの飲み会を欠席したんだ!」
ただならぬ雰囲気の彼女に、よせばいいのにサーキスは質問した。
「バネッサ、どうしたの…?」
「あのね、サーキスさん! この前、セレオスさんと一緒に遊んでた時に、セレオスさんに好きな人はいないかって訊いたの! そしたら忘れられない人がいるって言うから問いただしたら…」
サーキスはごくりと喉を鳴らす。
「…そしたら、リリカさんのことが忘れられないって言うじゃない! いや、リリカさんって人妻じゃん! それに私とリリカさんって全然似てない、共通点無し、好みじゃないってことじゃない⁉ …おいサーキス、知ってたなあ!」
突然、ドスが効いた声で呼び捨てされる。
「お、俺は、まあ、あの、ごにょごにょ…」
無表情で無関係を装うサフランもバネッサは見逃さない。
「サフランも私を助けてよ!」
「私、子供だからわからない…」
「嘘! 私がセレオスさんに好き好き光線を出してたら、それを面白そうにニヤニヤしながら眺めてたじゃない!」
格好の娯楽と思っていたのに、早々と悲劇に変わってサフランたちに飛び火する。
「うえーんうえんえん! うわーん!」
大泣きするバネッサにサーキスとサフランは青ざめながらテーブルにうつむいた。
*
カスケード病院の開院から一年と少しが過ぎていた。強い陽射しは石の道を白く照らし、遠くの入道雲が空をゆっくりと泳いでいる。麦わら帽子をかぶった子どもたちが、笑いながら駆け回る。風に草木が揺れて涼やか空気が時に流れる、そんな季節。
病院の診察室では静かにパディが患者に語りかけていた。仕事熱心なギルも彼の声に耳を傾けていた。そんな中、大きな足音がして勝手にドアが開かれた。現れたのはドラゴンの戦士、ドレイク。
「仕事中に失礼します! ギル、ちょっと来い! …すみません、パディ先生、ギルを連れて行きます!」
「おいこらドレイク! 人様に迷惑だぞ!」
フォードからギルは、悪人や怪物退治を最重要の任務と言いつけられている。カスケード病院の勤務から抜けるのは彼の自由であるが、今回のドレイクの動向は明らかにおかしかった。勤務中に押しかけられたのはこれが初めて。それも強引な誘い出し方だ。
「黒い格闘家が現れた!」
「なんだと⁉」
「北のサンチュニア国を別件で調査中のバロウズから連絡があった。さっき伝書鳩が飛んで来て手紙をもらったんだ。たまたま黒い格闘家を見つけたと!」
いつもは遠征の仕事をしぶるギルも今日は乗り気だ。
「これだけ人がいれば奴を倒せる! 俺の親父も連れて行こう!」
「スプリウスさんも! それは心強い!」
「フォード氏からドラゴンを借りるぞ」
これまでのギルの活躍により、フォードはマムルーク王からドラゴン一頭と運転手一人譲り受けていた。
「行きがけにトランシルバニアのアルプス山脈に寄ってくれ! なんとも都合がよいことに俺の友人でバンパイア・モナークの奴がそこに住んでいる! 非常に頼りになる戦力だ!」
「お前にそんな友達がいたなんて! 素晴らしい! とにかくこのチャンスは見過ごせない!」
*
ギルたちがトランシルバニアのリーフの家まで着くと想像と違う屋敷にドレイクたちは頬を引きつらせた。山の五合目に建つ、城とも見まごう大きな屋敷の入口には『ホテル・クラン』という看板、敷地では観光客らしき人間が十数人ほどブドウ狩りを楽しんでいた。
「おお! ギルー! 遊びに来たの!」
「大きなギーリウス…! お久しぶり…!」
「あなたがリーフ君の友達の!」
リーフ・リーフレット、妻のエマ、それとエマの父親がギルたちを歓迎した。
「エマは体調が戻ったようだな」
「ええ…! 病院の皆さんのおかげ…!」
「あなたたちのおかげで娘がまた歩けるようになりまして! 本当に感謝しています!」
「俺は何もしていない」
初対面のギルとエマの父親が握手を交わすと、外野が微笑ましい顔を見せる。頭頂部が薄い父親は左腕の黒い籠手とも挨拶をした。
「君がシム君。初めまして」
《よろしくな…》
それからギルがリーフに耳打ちした。リーフは野良仕事をしていたのか作業着姿だ。
「ガドラフが現れた。ここから北の方だ」
「ほんとかい⁉ それは看過できない! 僕も手を貸すよ!」
「そう言ってくれると思ったぞ!」
「お父さん、エマ! 僕、ちょっと行って来る!」
リーフがドラゴンのオルバンに乗り込むと、二頭の竜が再び北に向かって飛び立った。そして状況を飲み込めないドレイクが驚きの声を上げた。
「私はリーフレットさんは農家と聞いていた! なぜ観光ホテルみたいなことをやっているんだ⁉ …あ、初めまして。私はギルの仲間でドラゴンの戦士、ドレイクだ」
「初めまして! 僕はリーフ・リーフレット!」
銀髪で病的に色が白い。人間とバンパイアの混血と聞いていたドレイクは特に邪険もしないし、美男子だからといって臆することもなかった。リーフが話を続ける。
「ドラゴンに乗るのは初めてだから嬉しいよ! …ええと、ギルとシムには言いにくいことだから黙っていたみたいだけど、僕は二重人格なんだ。ガドラフさんの呪いで人格を植え付けられたの」
ドレイクは顔をしかめてギルを見ると、彼は素知らぬ振りを決め込んでいる。
「目的地まで時間があるからあなたの話をゆっくりと聞きたい」
「じゃあ! …僕の中にリスハーって人格がいるんだけど、僕はたまにリザードマンと入れ代わるんだ。その人格が僕の家を見て老朽化が進んでいるのを指摘したの。人が住んでない部屋がいっぱいあるし、掃除もたいへん。だからいっそのこと屋敷をホテルにしてお金を儲けてちょっとずつ家を直していこうって。それが大当たり。山道も舗装して馬車が通れるようにしてもらったよ。リスハーって商売上手なんだよ! 僕は会ったことないけど!
クランって名前は僕の奥さんのお父さんの名字。僕の中のリスハーは以前はイステラ国のカレンジュラ市でお店をやってたけど、リスハー商店って大々的に名前を出して商売をしてたから目立って逮捕されたの。それを教訓にうちのお父さんに社長をやらせて、リスハーは陰で僕たちを働かせてるの。頭脳労働が主でハンモックに寝転がってばかりみたいだけど、家族は慣れてるのか何も言わないみたい。あ、僕は毎日楽しくやってるよ! …ドレイクさんはツンデレのギルと仲間になってどう?」
「こいつはツンデレだよな!」
「ツンデレだよ!」
ギルが舌打ちをした。
「俺のことを初めてツンデレと言ったのがそいつ、リーフだ…」
二人とシムが大笑いした。まるで遠足でも行くような楽しげな雰囲気だった。
*
ガドラフは黒いローブをはためかせて草原を東に向かって走っていた。自慢のヒゲは理髪店で整えたが、胸までしか長さがない。昨年、ギルに切られたためだ。ローブも自ら縫い付けた。
またすねまでヒゲを伸ばすには何年かかるかわからない。あまりに口惜しい。パラディンとの再戦までにはまだ時間が必要だ。奴との戦闘力は五分五分。わずか数年で圧倒的な力を手に入れている。敵に仲間が一人、二人もいればこちらの形勢はたちまち不利になる。
今はまだ力をつける時。このサンチュニアという国の東に手練れの戦士がいるらしい。自分は地上最強とのたまっているそうだ。ガドラフはそのような自己顕示欲の強い人間が嫌いだった。そして虚飾に満ちた人間を叩きのめすことは快感だ。予想にたがわず思わぬ強者であったとしてもまた一興、倒せば己の糧になる。
ガドラフがけたたましい音を立てて走っていると、空に中型のドラゴンが二匹飛んでいる姿が目についた。プティバーンだ。それは急に旋回すると低空飛行し、人が四人降りて来た。ガドラフは急ブレーキをかける。敵はちょうど今、考えていたパラディン。そしてなぜか銀髪の男、リーフレットもいる。残り二人は昨年見かけた雑兵。
パラディンはすでに剣を抜いて身構えている。リーフレットも横っ飛びして散開、戦闘態勢の構えだ。二頭のプティバーンは空高く舞い上がり、また別の敵が乗っているのが見えた。
ギルの方はチラリと仲間に目をやると皆がうなずいた。話し合いもなく一気に片を付ける算段だ。緊張感が走る。
「行くぞ!」
ギルがそう叫ぶ前にガドラフは両手を高々と上げていた。全員が何かの技だと思っていたが。
「降参だ」
チーム・オルバンの者たちが顔を見合わせる。ガドラフが続けて叫んだ。
「前回の戦いでパラディン、貴様とその予備の連中でワシは太刀打ちできなかった! おまけにリーフレットまでいる! ワシがかなうものか! …それにドラゴンの上にはまだでかい奴が乗っている! 秘密兵器と言ったところだろうがな!」
スプリウスはギルたちが全滅した時のもしものための保険だった。全員が殺されてもスプリウスだけが呪文で逃げ帰ればどれだけでもやり直しが効く。
「…提案だ。ワシは貴様らの仲間になってやろう! そうすれば捜索の呪文でワシの位置を把握することができる! ワシの首に鈴を付けられるということだ! 悪くあるまい!」
ギルが動きを止めて考えているとドレイクが空に向かって叫んだ。
「バロウズ! 黒い格闘家が負けだと言ってるぞ。どうするー⁉」
「いいんじゃねえー⁉」
ガドラフが両手を下ろして歩いて近づいて来た。
「ククク…」
笑っている。敗者にして厚かましい態度だった。張り詰めた空気の中でドレイクとセレオスが相談する。
「セレオス、こいつを…」
「うん。彼をマムルーク王朝まで連れて行かないと。やっつけて仲間にしました。黒い格闘家の脅威はもうありませんって報告を…」
「こいつと一緒にオルバンに乗るのか…」
構えを解かないギルに向かってガドラフが何を思ったのか挑発を始める。
「パラディン! ガルシャで貴様と戦った時に思ったが、ワシの技をパクったな! 一生懸命、回し蹴り。下段の前掃腿も毎日訓練していたな! でなければワシの蹴りは避けられん。小石を飛ばす練習していたはずだ! ピンピンピン! 親指で小石を弾いてピンピンピン!」
図星を言われてギルは顔を真っ赤にした。
「何を貴様! くそー! ガドラフ、殺してやる! お前ら手を出すな! こんなジジイ、俺様一人いれば十分だ!」
ガドラフは笑いながら一歩跳び退く。そんな状況でギルの左腕からはシムエストがひとりでに外れて飛んでギルの頭の周りを浮遊すると、フェイントを使ってギルの視界から一気に逃れ、全力で拳を主人の後頭部に叩きつけた。ギルにも予測していなかったことであっさり気絶して倒れてしまう。シムが嘆いた。
《せっかく話がうまくまとまるところを…。ガドラフ! 貴様も馬鹿か!》
「クククク…」
《さあ、主戦力が消えたぞ。貴様、まだ戦うつもりか》
「いや。どうせ戦闘中に回復させられる。ワシの不利な状況は変わらない…。…今は従順な振りをして力を付けよう! そしていつかここにいる全員を同時にまとめて根絶やしにしてくれる!」
《そういうことは思っても口に出さないものだぞ》
ここでガドラフはリーフを見やった。
「久しぶりだな、リーフレット」
リーフはぷいとそっぽを向いて返事もしなかった。
「フッ…、嫌われたものだな。さあどこに行くか知らんがワシを連れて行け!」
ガドラフをドラゴンに乗せることになった。同乗者たちは戦々恐々としていたが、我慢を貫いてどうにか恐怖に耐えた。
気絶したままのギルはリーフがもてなしたいと、彼の家まで連れて行くことになった。




