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出産の日

「ライオンさんだーい好き!」

「俺も好きだぜ、サフラン!」

 ナタリー食堂で今日もサーキス、サフラン、セレオスがちょっとした飲食を楽しんでいた。仕事帰りに酒が飲みたいサーキスとセレオス。夕飯前のおいしいジュースが欠かせなくなったサフラン。この三人はナタリー食堂に頻繫に集まるようになっていた。


「そんなライオンさんにお医者さんの物真似をしちゃうよ! 『おいこら、パディ! さっさと先々々々々月分の家賃を払いやがれ! でないとす巻きにしてスレーゼン川に流してやるぞ、おらー!』」

 サーキスが青ざめる。


「そ、それはお医者さんの物真似じゃなくて、家賃を滞納して支払えないお医者さんに督促をしてる不動産屋さんの物真似だよ…」

「ヒヒ、間違えちゃった!」

「パディ先生ってそんなに家賃を滞納してるんだ…」


 そうたじろぐセレオスにサフランが。

「少し大げさに言っただけだよ! ちなみにうちのクレアは木こりさんのことが大嫌いだから、今みたいなことを言うとクレアは大喜びするんだよ!」

「パディ先生って孤児院の子供に嫌われてるよね。ふざけて陰でフォードさんの悪口を言いすぎだよ!」


「それ俺もそう思う! どんだけフォードさんの世話になってるんだよ!」

 二人は意気投合している。たしなむように酒を飲むセレオスがしみじみと言った。

「そう言えばもうすぐだよね、サーキスのところ…」

「おう、来週の日曜日だぜ…。今から緊張が止まらないぜ…」


    *


「うえーんうえーんうえーん!」

 ライス夫婦の自宅、ライス総合外科病院・婦人科の手術室の真ん中でサーキスは泣いていた。周りには大勢の人間がひしめき合い、柔和に挨拶を交わしている。

「こんにちは。本日はお日柄も良く」


「初めまして。出産には良いお天気ですね」

「あはは!」

 冗談を交えた挨拶が皆の笑いを誘っている。この場は初対面の人間たちの出会いもあり、フィリアがカスケード寺院の僧侶から声をかけられている。


「あなたがブラウン先生のおばあさん! 先生にはお世話になっています! 私は彼の大ファンでして!」

「まあまあ、ありがとう! いつも泣き虫な奴でごめんなさいねえ!」

 ファナの友人であるミア、ギルも僧侶から声をかけられる。

「ミアさん、初めまして! 噂に聞く通り美しい方ですねえ!」


「うふふ! お世辞でも嬉しいですわ! いつも旦那のギルがお世話になってます!」

「おい。あんた、俺の嫁さんにつまらんちょっかい出すなよ」

「いつも言葉が辛辣だなあ、ギル君は!」


 カスケード寺院の僧侶兼看護師が十人以上、それと看護師見習いのサフランもいる。ファナやフィリア、リリカにパディ、ギル、ミアと一同が勢ぞろいしていた。今日はファナの出産日。待合室にはスプリウスや子供たちが、ファナの子供の誕生を待ちわびている。


「私はもう五年ぐらい妊婦をやってる気分だよ。なんか長かったなー!」

 大きなお腹を抱えたファナが鼻息を飛ばしている。ファナの子供は逆子で今日は帝王切開が行われる。ファナはリリカとパディから言い渡された逆子体操を頑張っていたが、結局赤ん坊の逆子は治らなかった。


「子供の頃からここに来てるけど、ここで手術されるのなんて初めてだよー! 近所にパディ先生が来てくれてなかったら私は死んでたねえ! あははー!」

 明るい笑顔のファナ。そして執刀医はサーキスだ。妻の体に刃物をあてることに彼の涙は止まらなかった。

「うえんうえんうえーん!」


 そしてオオカミ少年ではないが、普段から泣いてばかりの人間は損である。彼がどれだけつらくて悲しいのか周りはわからない。

 泣き続ける執刀医を気にもとめず、周りの挨拶や談笑は続く。リリカがファナに言った。

「そろそろ始めたいところなんだけど…。あんたの旦那、泣きやまないわね」


「えへへ。私のお腹を切るのなんかどうってことなさそうなのに!」

 ミアが両の手で拳を作ってファナを応援する。

「ファナさん頑張ってください! ここで立ち会えることがお友達として光栄です!」

「私もだよ! 手術をよく見て後でどんなだったか教えてね!」


 そしてなかなか泣きやまないサーキスにあきれたパディがサフランに声をかける。

「ほらサフラン。サーキスにはっぱをかけて。うんとすごいやつ」

 サフランは自分の胸をどんと叩いて言った。

「任せて木こりさん! …サーキス、いつまで泣いているんだ!」


 よく響く、それでいて低い声だ。全員が話をやめてサフランに注目した。

「…君が愛する奥さんに刃物をあてるのはつらい、そんなことはわかる。だから今日の手術はパスして僕がメスを持てばいいのか⁉ 違うはずだ!」


 周りはサフランがパディ医師の口真似をしていることに気がつく。皆の顔が思わずほころぶ。

「…仮に夜中、君の自宅でフィリアさんが突然、何かの病に侵されたとしよう! そしてフィリアさんの病巣が見つかったとする。それからわざわざ僕の家まで走るのか⁉ そうじゃないだろ⁉ 君がメスを持ってフィリアさんを救うんだ! 家族だから刃物で切れないなんて甘えたことを言うな! 奥さんのファナ君にだって! 君の家族の命はサーキス自身が守るんだ! そうだろ!」


 周りから爆笑が飛ぶ。反してサーキスは突然泣きやみ、彼の目に光が宿る。顔が引き締まり力強さが戻った。パディがサフランを褒めた。

「さすがサフラン。上手だったよ」

「へへ。『君は勇気あるライオンなんだ』も言えばよかった。イヒヒ」


 サフランがハンカチでサーキスの涙を拭った。リリカが言う。

「さあ、ファナ。手術台に乗って」

「これに乗るのも初めてだなあ」

 ファナはワンピース型の入院着を惜しげもなく脱ぐと上下灰色の小さな下着だけの姿になる。大きなお腹が丸見えだ。


 ファナは手術台に乗ると「ベッド冷たい」と一言漏らし、構わずにリリカが睡眠呪文で眠らせる。ベッドの周りに人だかりができる。背が低いサフランはギルにおんぶしてもらった。

「腹腔を開く…皮膚から…」

 小声で言葉を繰り返すサーキスにリリカが言った。


「そろそろいいかしら」

「いいぜ…」

「これよりファナ・リアム・ブラウンさん十八歳の帝王切開手術を始めます」

 リリカの言葉を合図にメスを取ったサーキスはへその下を横一文字に切った。迷いはない、素早い一刀目だった。「おお…」という中年たちの低い声が漏れる。


 そして皮膚を大きく上下にめくる。ここで血がにじむが量はそれほどでもない。それから皮膚の下の皮下組織も同じく切り開く。これも上下にめくる。

 さらに下の腹直筋、筋肉を切る。ここで患者の腹から一気に血が噴き出して血まみれになる。おびただしい量の血だ。予想していなかった光景に全員が眉をしかめた。ラウカー夫婦が苦言を言い合う。


「こんなになるなんて…」

「お、俺もちゃんと聞いていなかった…」

 ギルの上のサフランはまばたきもせずに無表情でじっとお腹に見入っていた。

 全員がかたずを飲んで見守る中、サーキスは開創用(かいそうよう)鉗子(かんし)で傷口を固定し、子宮壁を切る。赤ん坊の足が見えた。

 サーキスは赤ん坊の足をつかむとファナの体から引っ張り出す。サーキスは両手で赤ん坊を抱え、金髪の子供が全員の眼前に現れる。


 皆が顔を輝かせる中でサーキスだけが異変に表情を曇らせる。

「泣かない…」

 呼吸をしていないのか、赤ん坊の泣き声が聞こえない。

「逆さまにしてお尻を叩いて」


 パディの助言にサーキスは赤ん坊の足を持って逆さまにして尻を叩いた。

「ほぎゃーほぎゃー!」

 血に濡れた赤ん坊が泣き出す。周りの緊張した顔が緩み、一気にほころぶ。

「まだ気を緩めるな」


 サーキスにのみパディが小声で叱咤(しった)する。サーキスはへその緒を切り、子供を大事に抱いてそっと床に移動、産湯につける。フィリアが代わって子供の体を優しく洗い出す。

 サーキスはファナのお腹に向き直って、ファナの体の中から伸びるへその緒を引っ張る。へその緒の先にくっついていた胎盤が取り除かれる。そして鉗子を外して筋肉や皮膚をもとに戻す。


「えっと、回復はサンビルさんに頼むよ」

 指名を受けた中年の僧侶サンビルが喜び勇んで回復呪文を唱える。隣の僧侶が羨ましそうに彼の顔を覗いた。

 激しい赤ん坊の泣き声に部屋の中は感動に包まれ心沸き立つ。感動屋の多いカスケード寺院の僧侶たちは涙を流す者もいた。


 サーキスは血まみれの手をボウルで洗い、リリカが血で汚れたファナの体の湿ったタオルで優しくふき取る。

 サーキスが腰を下ろして産湯に浸かる赤ん坊に挨拶した。

「初めましてレナ。お腹の外からずっとお前を見てたんだぜ。ふふ…。かわいいな…。ああ、皆さん、娘の名前はレナだよ。よろしくな」


 赤ん坊にゆっくりとお湯をかけながらフィリアが瞳に涙をにじませている。

「ひ孫にこうして触れる日が…。かわいいね…。本当に私は幸せ者だよ…」

 それから少ししてファナが目を覚ました。

「お腹が急に軽くなった…。ぶよぶよするよ…」


 手術台から彼女は降りて激しい泣き声の娘に目を細めて笑った。

「ああ。金髪だったんだ。かわいい。お父さん似だね。ふふふ」

 フィリアから娘を優しく手渡されファナがレナを抱っこする。柔らかい体を両手に感じながら娘の愛おしい顔に口元を緩めた。

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