12.女は度胸
「メイ、お願いがあるのだけれど。誰にも気づかれないように、この手紙を皇太子妃殿下に届けて欲しいの。バリバール家の紋章が入っているから、妃殿下の宮の衛兵も通してくれるはずよ」
メイに持たせた手紙には『皇太子妃殿下と二人だけでお会いたい』としたためた。
ほどなくして、私は皇太子妃殿下の宮へ目立たないように招待された。
「帝国の高貴なる二番目の月に、バリバール侯爵家が娘ミレイユがご挨拶申し上げます」
「……いつもあなたは美しいわね。どうぞお掛けになって……それで、人目を避けて私に会いたいとはどういう事かしら?」
柔らかな笑みを浮かべながらも、妃殿下の突き刺すような眼差しが私にずっと向けられている。
(毒入りの紅茶でも出されそうな勢いね)
「ありがとうございます、妃殿下。きっと、回りくどい事がお嫌いかと存じますので、単刀直入に申し上げますわ。私と取引をして頂けませんか?」
妃殿下の瞳が僅かに揺らいだ。
「面白いことを仰るのね。私にミレイユ嬢と取引をする理由はありませんわ」
「いいえ、ございますわ。もう、妃殿下のお耳にも入っているはず……私が皇太子殿下の側妃となるお話が」
「ああ、その事ね。皇太子殿下は、ゆくゆくは皇帝となる身。皇家の繁栄のためにも、後宮が必要なのは当たり前でしょう?」
「ええ、そうですわね。でも、私が側妃になれば――必ず殿下の心を射止めましてよ」
「ホホホッ、とても自信がおありなのね。そんな脅しに私が乗るとでも?」
(絶対に怯んではいけない……この挑発に、妃殿下が本気で応じてくださらなければ、すべてが水の泡になってしまうわ)
「脅しではありませんわ。私、側妃になりましたら殿下の寵愛を独り占めするつもりですの。妃殿下は殿下を心から慕っておられるそうですわね。本当に私に出来ないとお思いですか?」
私の言葉に揺さぶられるように、妃殿下は左薬指のマリッジリングを確かめるように指でなぞっている。
(認めたくはないけれど、殿下の寵姫となったミレイユ嬢の姿が目に浮かんでしまうわ)
「ハァー、分かりましたわ。そのミレイユ嬢の取引とはどういうものですの?」
安堵した気持ちを悟られないように、私は唇に浮かぶ笑みを扇子で隠した。
「簡単ですわ。私はこの縁談をお断りします……いえ、このお話自体を無かったことにするつもりですの。ですが、そのためには先に手にしなければならないものがあります。どうか、此度の戦で戦果を上げた男に褒賞を与えて下さい」
「ちょっと待ってちょうだい。どうやって縁談を断るつもりなの? その男は誰なの? それに褒賞を与えるって、どれほどの戦果だと思っているの?」
「もちろん、野蛮族の族長の首くらいはと思っておりますわ。この取引に応じて下されば、もし戦果を上げられなくとも、それはこちらの不徳の致すところ。私は隣国へ亡命するなり、舌を噛むなりして必ずお約束は守ります」
「分からないわ……どうして、そこまでして取引をしたいの?」
「ふふふ、それは、その男が私の愛している人だからですわ」
「なんですって……アハハハッ! ミレイユ嬢がこんなにも愉快な方だとは知らなかったわ。いいでしょう、後のことは私に任せなさい」
◇
(もう、かれこれ半年にはなるな。今ごろ、お嬢様はどうしているだろう……)
毎日のように地面や水の中を這いつくばって、野蛮族との攻防戦に身も心も疲れ果てていた。
(こんなにも傷だらけだと言うのに、不思議と月を見ると穏やかな気持ちになるんだ)
「おい、ヤーヴェ、さては月を眺めて恋人でも思い出してるのか?」
配給された干し肉と薄いスープを食べていると、ソバカスだらけの男が親し気に近づいて来た。
「そんなんじゃないよ、ジョン」
ジョンと呼ばれた男はどこぞの田舎貴族の婚外子らしく、一旗揚げようと今回の討伐に参加したらしい。
「まぁ、俺とお前にそんな余裕なんてあるわけないか」
「何言ってるんだよ。ジョンは俺と違って貴族じゃないか」
「婚外子の俺には継げる爵位も無いし、このまま行けば平民に逆戻りさ」
ヤーヴェとジョンの間に重たい空気が流れた。
『手柄を立てて、爵位を手に入れるんだ!』
戦場に来るまでは二人とも希望に満ちていたが、現実は声高な決意ほど簡単ではないと思い知った。
拮抗する戦力と長引く戦場生活。
敵とは言え、野蛮族の人間を斬った時の感触はいつまで経っても慣れなかった。
「あっ、そうだ! 隊長がヤーヴェを探していたぞ。それを伝えに来たんだった」
「隊長が? 何の用だろう?」
兵士たちは数十名で一つのテントで寝泊まりしているが、隊長は一人で一つのテントを使用していた。
「隊長、ヤーヴェです。お呼びでしょうか?」
「ああ、入りなさい」
中に入ると兵士のテントとは違い、ベッドの他にテーブルや椅子、食事も豪華で酒の入ったグラスまであった。
(当たり前だけど、俺たちとは待遇が全然違う……。隊長は皇宮から派遣されている方だから、高位貴族なんだろうな)
「失礼します」
隊長はヤーヴェを一瞥すると、無造作に一通の手紙を差し出した。
「君はバリバール侯爵家の騎士だったのか。君のような優秀な騎士を寄越すとは、バリバール家の騎士団は余ほど層が厚いのだな。おっと、バリバールから手紙が届いているぞ」
「ありがとうございます!」
(あまり表情に出さない男だが、バリバールからの手紙がそんなに嬉しかったのか?)
すでに兵士たちが寝静まったテントに戻ると、明りが漏れないよう布団をかぶり小さなランプを灯した。
封を切るのももどかしいほど、久しぶりに気持ちが昂っていた。
『ヤーヴェ、元気にしているかしら? 怪我をしたり病気になったりしていないかしら?』
そこまで読むと、手紙を胸に抱いた。
(まさか、お嬢様から……夢じゃないだろうな)
『この手紙は――どうしてもヤーヴェにこの戦で手柄を立てて欲しくて、奮い立たせるつもりで書いたの。
ううん、奮い立たせるだなんて生易しい言葉ではいけないわね。
必ず敵の族長の首を取りなさい。
これは、私から私の騎士への命令よ。
そして、ヤーヴェ、あなたが私の命令をちゃんと果たしたら、どんな褒美が待っていると思う?
あなたが――私のヤーヴェになるの』
手紙を読み終えたヤーヴェは、身体の深い所から泉のように力が湧いてくるような錯覚を覚えた。
再び手紙を胸に抱くと、ヤーヴェの耳元にミレイユの声が柔らかく響いて来る。
先ほどまでの暗い気持ちが嘘のように、心が満たされるのを感じていた。
◇
「ファーアッ……、お早う、ヤーヴェ。今日も過酷な戦になるんだろうなぁ」
ジョンが締まりのない欠伸をしながらやって来た。
しかし、ヤーヴェにはそれが精一杯の強がりだと分かる――ジョンの指先は小刻みに震えていた。
まだ陽が昇る前、冷気と土の臭いが皮膚にまとわりつく。
「……俺ならできる、できる」
ヤーヴェは深く息を吐き、剣の柄を握り直した。
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