11.前を向いて
ヤーヴェへ贈ったカフスが私の元に戻って来てから、数日が経った。
執事からの報告によると、バッシュは今まで通り黙々と厩番の仕事に励んでいるという。
(ヤーヴェ、どうして……わざわざ私に突き返すようなマネをして、お金を無心したの? 私への騎士の誓いは軽い気持ちだった? 結婚……アハハ、どうやら私一人が舞い上がっていたようね)
ヤーヴェの騎士の誓い――ひと言ひと言が、まだ鮮明に私の耳に残っている。
あのバルコニーでのヤーヴェの姿を思い出すたび、とめどなく私の瞳に涙が溢れた。
皮肉なことに、身分でもなく、遠く離れたことでもなく、こうして否応なく『完全にヤーヴェを奪われた』ことで、私は自分の本心と正面から向き合わざるを得なくなった。
『好き――好きで好きでどうしようもないほど好き。……だけど、ヤーヴェのことは忘れるしかないのね』
けれど、結局、あのサファリンのカフスを捨てられなかった私は、ドレスルームの奥深くに仕舞った。
◇
「ミレイユ、お前に縁談の話が来ている」
夕食の時間、おもむろにお父様が話し出した。
「それはいつものことでしょう? 私はまだ結婚する気はありませんわ。それに17歳の成人の儀もまだ終えていませんし。そう言ってお断りして下さい」
「そ、そうか……ウーム、娘に無理強いはしたくないのだが」
これまでの縁談は私が何も言わなくても断ってくれていたが、今日のお父様はいつもと違うように感じた。
「お父様、もしかしてバリバール家が断れないような高位貴族からの縁談ですか?」
(でも、おかしいわね。格上の公爵家ですら門前払いするお父様が……ハッ! まさか)
「皇家からですか!?」
「あなた、やっぱりお断りしましょう! わが家のダイヤモンド鉱山を陛下に献上して……それでもお怒りなら領地の半分を献上しても構いませんわ」
「ちょ、ちょっと、お母様、落ち着いて下さい。何が何だか私には分かりませんわ」
「実は、陛下がミレイユと皇太子殿下との婚姻を強く望まれていて、今日、正式に縁談状が届いたのだ」
執事が銀のトレイに乗った縁談状を私に見せた。
「そ……んな、皇太子殿下はすでに妃殿下がおられるではありませんか!」
するとお母様が両手でバンッとテーブルを叩き、肩を震わせている。
「夫人……少し落ち着きなさい。ミレイユ、お前を皇太子殿下の側妃にと仰られてな。北の野蛮族の討伐が長引き、完全な戦に発展している。国民への負担も大きくなって、皇家への批判が高まっているのだ。そこで――」
「『白薔薇の乙女』と婚姻させ、祭り事で国民の目を逸らせるということですか! なんて浅はかなの」
「ミレイユ! 口を慎みなさい。陛下は、『白薔薇の乙女』と人気の高いお前を皇家へ迎えることで、国民の希望と団結を呼び覚まそうと考えておられるのだ」
「国民の目を曇らせるために私を使うなど……笑わせますわね」
「ハァー、お前の気持ちも分かるが、もう決まったことなのだ」
私は反抗期の娘のように持っていたナイフをテーブルに叩きつけ、何も言わず飛び出した。
やり場のない怒りの熱を冷まそうと庭園を歩き始めたものの、気持ちが抑えらえず、衝動的に目に入った薔薇をグシャリと握り潰した。
「痛っ」
薔薇の棘が手に刺さり、鋭い痛みとともに血が流れている。
「お嬢様! 何を……」
ちょうど出くわしたオーウェンが私の手から薔薇をもぎ取り、ハンカチで傷口を押さえた。
「うっ」
「少し我慢してください。早く消毒をしましょう。ただならぬ様子のお嬢様を追ってみれば、何てことをなさるのです。きれいな手が台無しじゃありませんか」
「きれいな手なんか意味ないわ! それが何の役に立つというの? 何も掴めないじゃない!」
目にいっぱい涙を浮かべ叫ぶ私の顔を、オーウェンがじっと見つめた。
「お嬢様……皇家へ嫁ぐのがそんなに嫌ですか? それとも他に何かあるのですか?」
オーウェンが私にとって優しくて強い兄のような存在だからだろうか――お父様やお母様に吐けない弱音を吐き出したくなった。
「どうして何もかも上手く行かないの? オーウェン、教えて、私が何をしたって言うの? ヤーヴェに会いたい……会いたいの」
その場に泣き崩れた私をオーウェンは黙って抱かかえ、近くのベンチに座らせてくれた。
そして、泣きじゃくる私の前に跪き穏やかな声で話し始めた。
「ヤーヴェの幼馴染とお会いになってから、一切ヤーヴェの事をお訊ねにならなくなりましたね。そこでどんな話をされたかは分かりませんが、お嬢様の記憶の中のヤーヴェは……消えて無くなってしまったのですか?」
「記憶の中のヤーヴェ……」
「はい、そうです。ヤーヴェはお嬢様だけを見つめて、お嬢様のことだけを考えていました。そして今、アイツはお嬢様の元へ戻るために、死に物狂いで戦地で戦っていますよ」
私はオーウェンの言葉の意味が分からず、涙を溜めた瞳で見つめた。
「でも、幼馴染の女性は『ヤーヴェと結婚の約束をしている』と……はっきりとそう言ったのよ」
「うーん、本人の口から聞いてもいないことを信じるのはお嬢様らしくありませんね。お嬢様の知っているヤーヴェはどういう男ですか? 私の目には、ヤーヴェはいつも小さな可能性でも必死にもぎ取ろうとしているように映っていました。ヤーヴェにとってお嬢様は、決して手の届かない方です。それでも……命を賭して懸命に足掻いているのでしょう。お嬢様を手に入れるために」
「私を手に入れるために――」
「お嬢様、このまま黙って……他人に自分の人生を好き勝手されて宜しいのですか?」
オーウェンの厳しく力強い言葉が私の胸を強く打った。
「いいわけないでしょう、オーウェン。――私も最後まで足掻いてみるわ!」




