呪いの絵画事件 ~絵に潜む魔物~
「くっそ、ゼヴィ!!!」
ふにゃ、と何か柔らかくて温かいものが唇に押し付けられた直後、アルテイシアは途端に自由になった腕を使い、ゼヴィレンの右頬に見事な右ストレートをお見舞いした。
予想外の衝撃にのけ反ったゼヴィレンから素早く逃れ、アルテイシアは自分を閉じ込めた呪いの絵画を睥睨する。
絵画は空虚で、薄茶色の濃淡が塗りたくられているだけの状態になっていた。
発動条件は不明だが、触れなければどうということもないとばかりに、アルテイシアは指先に魔力を集中しようとする。が、学内では許可のない魔術の使用は禁止されていることを思い出し、ぐっと引っ込めた。
よく考えれば、自分が振り上げた箒によって自爆しただけなので、絵画が故意に閉じ込めたわけではない、かもしれない。そう思い直したものの、溜飲は下がらない。
とはいえ、事故を引き起こしたのは自分の不注意でもあるので、それより問題は――あれだ、とぐるりと背後を振り向いた。
「ゼヴィレン! ゼヴィレン・ノイノワール・グリムリッジ!!」
「アルテイシア。君に名前を呼ばれるだなんて光栄だな。もっと呼んで」
恍惚とした表情でうっとりと真っ赤に染まった頬に手を当てて薄く微笑む変態に、アルテイシアは悪鬼のような形相で近寄る。
大股で四歩ほど接近すれば、いつも通りくしゃくしゃになった黒髪の下の赤い瞳がとても嬉しそうに細められた。
撫でてほしいのか、詰られたいのか――いや、たぶんどっちもだ。
熱烈な視線を向けられていることに気づき、うっとたじろいでいると、ゼヴィレンが困ったように表情を歪め、膝の埃を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「無事で何よりだよ」
「無事ですって?」
アルテイシアが絵に閉じ込められている間、意識があることを自覚しながら、散々弄んだではないか。
非難を込めて睨み上げると、ゼヴィレンはゆるやかに片手を伸ばし、アルテイシアの頭をよしよしと撫でた。
「なによ」
頬を膨らませて憮然と見上げると、ゼヴィレンはとても嬉しそうに相好を崩した。
「いや。やっぱり、生っていいなぁと思って」
「は?」
なぜだかこの男が言うととても卑猥な言葉に聞こえる。
「ともあれ、シア。アレに魔法はいけない。校則で禁止されている以前に、あれは人の魔力を吸うようだから」
「アレ?」
アレ、とゼヴィレンが示したのはアルテイシアの背後だった。
なんだか天窓からの光が翳っているぞ、とふと振り向けば、ずぉおおおおおん、と音を奏でながら宙に浮かぶ何かがあった。茶色のモップのような縮れた太い毛先を漂わせながら蠢く、四角い額縁――。
「△□〇×!?」
声にならない悲鳴を上げ、思わずゼヴィレンに抱きつく。
意外としっかりした体躯の彼は、のほほんと観察しながら呑気に言った。
「面白いな。ただの魔道具が、長い年月を経て魔物になるなんて。いや、あれは絵に取り憑いた魔物か」
「感心してる場合じゃないでしょおおおお!! アレ、どうするのよ!! 明らかにおかしいでしょうが!!」
先日のクッキー事件といい、今回の絵画事件といい、次から次に、ゼヴィレンと関わると全く毎回とんでもないことに巻き込まれる。
うねうねと蠢くモップのような姿の魔物が、こちらの様子を窺うようにぷかぷかと浮いてそよいでいる。波打つように動くほどほどに長いケバケバの触手っぽい何かが、ものすごく嫌悪感を刺激する。
すぐさま距離を積めないのは、何かを警戒しているからだろうか。
蛇は大丈夫だが毛虫の類は一切ダメなアルテイシアは、あれがだんだんとソレに見えてきて、涙目で絶叫を上げながらさらにゼヴィレンに縋りついた。
「いやぁああああああ!! 生理的にむりぃいいいいいい!!」
「これはこれで、役得だな」
「お願いだから何とかして!」
「お願い……」
逃げることもせず、後退することもなく、ただ面白そうにとっくりと観察をし続けるゼヴィレンの髪の毛を引っ張りながら、アルテイシアは必至で訴えた。
アレをどうにかしてくれるのなら、何か一つくらいお願いを叶えてやってもいい。
そう思えるくらいにはあれは、絶対、――無理なやつだ!




