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ビレッジオーバースプリングウッド  作者: ほかほか


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10/10

#10

 汗でくっついた互いの肌が、はがれるのを感じ、私は目を覚ました。暗雲と山の縁から顔を出す太陽が、窓を貫いて灰皿を照らしている。携帯を確認すると、まだ肌寒さを感じるような時間で、私は脱ぎ散らかした浴衣に袖を通した。昨日のタバコが原因か、まだ頭が冴えない。インスタントのコーヒーを拝借し、窓際に腰かける。温泉街はまだ眠っている。温泉宿の湯気が街を覆い、朝日の届かない場所が青白く影を作っていた。


 もう少しすれば、山際を段々と日が昇るだろう。そう考えていると一つの考えが頭に浮かんだ。温泉街を通る川、その上流には展望台がある。そこに彼女を併せたらなんと良いだろうか。検索したところ、日の出まであと40分。今出れば全然間に合うはずだ。


 布団は彼女の呼吸で小刻みに揺れている。今はもう昨日のような衝撃を感じずに、彼女の顔を見ることができるようになった。肩に手を乗せ、少しだけ揺らす。さすがは欲望の信徒、いくら揺らしてもピクリとも起きない。これでは間に合いそうもないため、私は浴衣のまま携帯だけ持って展望台へ向かった。


 霧の中を進む。温泉街は、川のせせらぎだけが聞こえ、変わらぬ硫黄の香りが漂っている。まだ日はほとんど出ていないものの、暗闇はなく、霧ごしに宿が見える。川沿いをしばらく柵伝いに進むと、温泉街の終わりについた。錆び付いた観光案内板には、登山ルートと展望台までの道筋がある。看板の傍にある山道へ続く階段は、風化が進み色あせ、ところどころひび割れがあった。だが、その秘境感が私を駆り立てた。


 山道の空気は冷たく、息を吸えば蒸気の粒子を感じるほどに湿っている。朝露のついた草は、浴衣の裾を濡らし、踏みしめるほどに土の濃い香りが舞った。目が冴えてきたせいか、山林の肌がよく見える。木々は一本一本深く根を張り、土からあふれ出んばかりに隆起していた。落葉を踏み、草木が靡く音が、鮮明に聞こえる。次第に辺りは、鳥の鳴き声が響き始めた。3種類では収まらないその鳴き声に、私は久しく朝を感じた。

 

 そこへ割り込むように、何かがこちらへ駆けてくる音が聞こえた。到底、人とは思えないその勢いに、私は思わず木の陰に隠れた。そのうち、それが近くで体勢を崩し、滑るように倒れる音が聞こえる。その音を聞き、私はようやく木の陰から様子をうかがった。先ほどまで聞こえていた鳥の鳴き声は消え、首筋に緊張感が走る。


 そこには一匹の雌鹿が横たわっていた。悪夢を見たような息遣いで胸骨が揺れ、濡れた鼻が艶めかしく照っている。しかし、腹が胸骨から内腿に、その精気を否定するように裂け、少しばかり腸が零れだしている。雌鹿が立ち上がろうとし、葡萄のように発達した筋肉がさらに厚みを増す。その度に、傷口からワインのような粘りのある血液が滴り、力なく倒れる。


 私が夢中になって雌鹿を見ていると、後方の草陰から黒い塊が飛び出した。そのまま一直線に雌鹿へ向かうと、馬乗りになり腹を貪り始めた。雌鹿は、山羊のような呻き声をあげると、もがき、立ち上がる。それと同時に、黒い塊は雌鹿の首元にかみつく。毛虫と丸太を混ぜたような腕が、踏みつぶすように雌鹿を押し倒す。雌鹿は動くのをやめた。黒い塊は、何かに気付いたように立ち上がると、その全容を見せた。2m近くあるだろうか、盛り上がり、皮膚を押し返そうとする筋肉を閉じ込めるために用意されたような毛の塊。何の熊かなどわからないが、ただ立ち尽くすのを見た。


 熊は立ち上がったまま警戒するようにあたりを見回すと、またどこかへ駆けて行った。目の前には手負いの雌鹿が一頭。私は、ゆっくりと近づき、息を吞んだ。熊に広げられた傷口からは、抱きかかえても零れ落ちそうな内臓が湯気を上げている。砕かれた首からは、血液が絶えず流れ、その目にも諦めがあった。これを喰えば私も熊になれるのか。私はこれを喰いたい。


 私はとにかく腸を引きずり出した。指を絡め掻き出すたびに、その間を通り抜ける腸の感覚に苛立ちを覚えた。私は、残りの腸をかき集めると、そのまま抱えるように手を回し、どける。浴衣に血のむせ返るような匂いと温かさが染み込む。私はそのまま潜り込むように腕を突っ込む。雌鹿は、一度だけ驚いたように痙攣すると、今度こそ動かなくなった。そのまま肋骨に至るまで、内臓を引きずり出してゆく。張りのある寒天のようなものが、幾度となく出てくるが、私の欲するものではない。


 最奥に達しようとするところにそれはあった。心臓だ。この巨体を動かすためのエンジン。私は慎重に取り出すと、震える手でかぶりついた。その味は、どれだけ考えてもうまいとは思えなかった。前歯をはじき返すような食感に、噛むほどにあふれ出る血。すべてに拒否反応を覚え、吐き出したくもなった。これはタバコだ。味などはどうでもよい。喰らい取り込む、その動作を私は繰り返した。後ろから駆けてくる影にも気づかずに。

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