仔猫姫の婚約にまつわる話
「ねぇ、ちょっと聞いていらっしゃいますの? あなたのようなちんちくりんの田舎者、フェリクス様にふさわしくないのよ! さっさと獣臭い田舎にお帰りなさい!」
ツンとした可愛らしい顔の赤髪の美少女が、なんとも不機嫌そうに顔を歪めながら、この物語の主人公である可愛いネリネを睨み付けています。
それを見て、私は広間にかかるシャンデリアの上から様子をうかがいました。
オレンジ色のくせ毛をした、私たちの可愛いネリネ・ウェリッシュはこの国ディシャールの辺境伯令嬢です。
表情と感情表現が乏しい子なんですが、別に無表情って訳じゃないです。
照れ屋さんで愛おしい、私達の可愛いネリネです。
年は16歳。私達からすればまだまだ赤ちゃんな気がしますけど、この国の人間の感覚で言うとそろそろ番を見つける頃合いらしく、ついこないだ婚約者ができました。目出度い話です。
今日は、ウェリッシュ辺境伯家が主催の夜会の日です。
ネリネは、普段は私達と辺境伯領で過ごしていますが、社交シーズンになると王都にきてこういった夜会や、お茶会に参加したりします。
人間の貴族はめんどくさいですねて思ってましたけど、まぁ今回はネリネが婚約してからはじめての会なので、お披露目も兼ねてるんでしょう。
今日のネリネの毛皮は、毛色に合わせたオレンジ色です。
ふわりふわりとしたさわり心地のよい布が、お日様のようでキラキラしてます。
その布に森の色をしたキラキラがいいアクセントになってますね、お洒落さんです。
キラキラした人間が今日はいっぱいいますが、ネリネが一番きれいです。可愛いです。
ウェリッシュ家が治める領地キティオラは辺境と言っても、国境線で隣国と頻繁に争っている国の北部や、広い砂漠と隣接する東部ではなく、そこそこにあったかくて広大な森を抱える西部です。
ディシャールにもいくつかある辺境伯家のなかでも、温和でまったりしたお家らしいです。
私達の可愛いネリネは、そんなウェリッシュ家の現当主の一人娘です。
ここ最近、男の子しか生まれなかったので領民たちは敬意と愛しさをこめて「仔猫姫」と呼びます。とてもよい通り名だと思いますが、ネリネはいつも恥ずかしがります。
そんなところも可愛いです。
ウェリッシュ家が代々受け継ぐオレンジの柔らかなくせ毛に、ペリドットに輝く右の瞳と、スカイブルーに輝く左の瞳を持っていて、人間の雌の中でもなかなかの美人さんだと私たちの中でも評判です。
だって聞いてください。
ネリネったら、とっても可愛い娘なのですよ。
小柄で可愛くて、いつも甘いにおいがするし、撫でてくれる手はお日様のようにあったかくてとっても気持ちいいんです。
いつだって静かで大人しい子で、ツンとした猫のような目がとっても可愛いのに、気が強く見えるからってちょっとコンプレックスみたいなのに、私達に気を遣って隠そうとしてるんですよ。
さすが私たちのネリネ、心優しいいい子です。
おっと、すみません。自己紹介が遅れました。
私は猫妖精のリオンです。年齢は75歳ですが、猫妖精の中ではまだまだ若造って言われます。
性別は雄です。自慢の毛並みはふさふさの銀髪です。前足と後ろ足が真っ白なのがチャームポイントだと思ってます。
猫妖精はみんな魔法使えるんですけど、私の使える魔法は風の魔法です。
ちょっと浮けたりするのが自慢です。
ネリネとは、ネリネの父親が子供の頃からの付き合いで、ネリネが生まれた時に初めて添い寝した猫妖精の仲です。
まぁ、しっかり者のネリネのお兄ちゃんってとこです。ネリネの父親からは「どっちかって言うと伯父……いや、祖父だろ」って言われるけどお兄ちゃんです。ここは譲りません。
ネリネの家であるウェリッシュ家は別名、猫貴族と呼ばれています。
何故そう呼ばれているのかと言えばディシャール西部に広がる広大な森を治めている猫妖精と仲介が主なお仕事だからです。
「他にもお仕事あるんですよ」ってネリネの父親が言ってますが、そんなものは知らんです。
サクッとご説明しますと、ディシャールは建国王の元に月の精霊姫が嫁いで作られた国になります。
まーだいたい800年くらい前になりますね。
その二人の結婚のために月の精霊王から遣わされた12の試練を纏う獣が、この国を支える12の公爵家の始祖になります。
でも本当は12の獣じゃなくて、13の獣だったんです。
で、その13番目の獣が僕らの先祖である猫妖精の王様猫妖精です。
あ、まだ生きてますよ。とんでもないおじいちゃんですけど、おじいちゃんって言うと怒ります。
普通の猫妖精に紛れて暮らしているので、多分普通の人間には見分けられないです。
まぁ、その王様なんですけど、月の精霊王様に「試練を与えに行け」って言われた時「最後にゆっくりでいいんじゃね?」なんて呑気に日向ぼっこしてる間に色々終わってしまったらしくて。
まぁ遅刻したんですよね。ようするに。
月の精霊王にこっぴどく怒られたらしいんですけど、その後なんやかんやあってうちの王様……もういいや爺様で。
爺様は建国王とちょっとした契約をしまして、ディシャール西部にあったこの森(当時は色々とヤバかったらしいです)を貰いました。
以来、私たちはここに住んでます。
ウェリッシュの家は、そんな僕らと相性がよく私達と人間とを仲介するために辺境伯家に任命されました。なので、他の辺境伯家とはちょっと扱いが違います。
12の獣を祖先に持つ12公爵家とも違って、ウェリッシュ家と私たちの間に眷属としてのつながりはないですけど深い絆があるわけです。
そんな絆が深いウェリッシュ家の一人娘である可愛いネリネが、名前も知らない雌に酷い暴言を浴びせられています。酷い話です。
私の隣に居る雌の猫妖精であるコーラルは、このよく分かんない雌の暴言に威嚇して怒っています。
シャーと威嚇していると普通の猫みたいに見えるからやめてほしいです。
私たちは誇り高き猫妖精なのだから、もうちょっと優雅であるべきだと思いますが、まぁこれは仕方ないでしょう。
ネリネは目の前の雌がきぃきぃ喚いている様子を少し困った顔で見ていました。
もともと感情的に表情を変える子ではないのだけれど、きりっとしたおめめのせいで勘違いされやすい子です。
私達からすれば、勘違いする方の目が節穴であっぱらぱーなだけだと思いますけども、目の前の雌は声高に、ネリネに目がきついから性格が悪いだのなんだの言ってます。
話を聞いていると、どうやらこちらのお嬢さんは12公爵家のひとつ炎帝の狒狒・ユーテクシア家のお嬢さんらしいです。
なるほど、紅の赤髪は確かにあのお猿さんの血筋ですね。
王に仕える立場で炎帝を名乗るなんておこがましいと思うんですけど、まぁうちの爺も王様猫妖精とか名乗ってるからお相子なので言いませんけど。
「フェリクス様は、私と同じ12公爵家カルライナ家の御子息様です! 貴女のように田舎臭い小娘がフェリクス様の婚約者になるだなんて! 恥知らずですわ!」
「はぁ」
ネリネは困った様子でそう答えてます。
お猿のお嬢さんは、どうやらネリネがあの犬臭い雄の婚約者になったことが不満らしいです。
フェリクス・シェルド・カルライナ
ネリネの婚約者になった雄は代々、当主が宰相を務める12公爵家が一つ 夜空を纏う狼と名高いカルライナ家の三男で、今は王国騎士団の二番隊の副隊長の騎士です。ちなみに私と同じく風の魔法が使えるそうです。お揃いですね。
年は25と16歳のネリネからすれば随分と年上ですが、政略的な意味合いでつい先日婚約が結ばれました。
顔立ちは人間の中では随分といい顔をしていると思います。
年よりもちょっと若い顔立ちらしいです。アッシュブラウンのさらりと流れる髪に、深いエメラルドの瞳はカルライナの家の特徴でもありますけど、懐っこい性格で社交界では人気らしいって噂を聞きました。
知らんけど。
私たちが知るフェリクスは決してそんな奴じゃないと思うんですけどね。
人間の貴族の結婚は、大抵政略的な意味を伴うらしく、例にもれずネリネとフェリクスの結婚は政略結婚です。
余所からみたら、あのお猿のお嬢さんが言うように「歳の差でこんなちびっこを掴まされて可哀想」だとか、「将来有望な二の騎士(王国騎士団二番隊の通称)の副隊長殿が辺境の、しかも猫貴族に婿入りだなんて」と憐れむ対象らしいです。
まぁ分からなくもないですよ。
いや、年の差は18歳だという猿のお嬢さんも対して変わらないと思いますけども。猫妖精からすれば誤差です。
ウェリッシュ家が治めるキティオラは、辺境とは名ばかりな土地です。
国防は他の辺境伯に比べたらそこまで力を注ぐ物でもないですし、広大な森の恵みを糧に過ごす、とても平和でのどかな土地ですから、はたから見れば王国騎士団の二番隊副隊長まで務めたフェリクスが婿入りするような場所じゃないです。
盗賊とか、森の獣とかがごく稀に悪さしますけど、そんなん私達が食べちゃいますしね。
お猿のお嬢さんは炎帝の狒狒の血族ですので、まぁ王国騎士団の取りまとめをするユーテクシア家としては実力あるフェリクスの血が欲しいんでしょうね。などと邪推します。
そちらの方がよほど政略的だと思うんですけど、人間の感覚は違うんですかね。
まぁそれ以上に、お猿のお嬢さんがフェリクスに好意を持っているんでしょうけども。
恋愛感情という奴は、人を豊かにもしますが愚かにさせるものでもあります。お猿のお嬢さんは頭が花畑な典型例なんでしょう。
赤い髪を綺麗に盛り付けて、体のラインがでた真っ赤なドレスを着てるお猿のお嬢さんは、ボンキュッボンとしたとても人間の雌らしい体つきをしてらっしゃいますけど、猫妖精の私達から言わせれば、匂いがダメです。
元々猿臭いのに、そこに他の獣の匂いがする香水でもかけてるんでしょうね。
ぐちゃぐちゃに混ざった獣の匂いに、鼻がひん曲がりそうです。
顔立ちはいいのに。
どんなに美しくて器量がよくても、あの匂いじゃ猫妖精だったらモテません。
現に今日の王都にあるウェリッシュ辺境伯邸での夜会において、お猿のお嬢さんには猫が1匹も寄り付いていません。
由緒あるウェリッシュ辺境伯家は、領地にあるキティオラ城でも、ここ王都の邸でもたくさんの猫と猫妖精を住まわせています。
今日みたいな夜会の時は人間たちと一緒に猫が夜会を楽しむのはいつもの事ですけど、参加するのは人間が好きな社交的な猫ばかりですし、あらかじめ猫がいっぱいだと言う事を理解して参加する人間ばかりなので、よほどの貴族じゃなければ猫が側にいるはずなんです。
そんなわけで、猫が誰も寄り付いてないのでお察しです。
「フェリクス様だって! 貴女みたいな貧相な小娘と結婚だなんて嫌に決まっているでしょう!」
お猿のお嬢さんが、勝ち誇ったような顔で意地悪く微笑んだのを見て、表情を変えずに困ったように聞いていたネリネの瞳がちょっとだけ曇りました。
ネリネは表情に乏しいところがあるので、ちょっと付き合っただけじゃわかりませんが、あれは悲しんでる時の仕草です。ムカムカはしてましたが、さすがにカチンと来ました。
『なんだあの言い方。フェリクスの事なんも知らないんじゃないの』
『フェリクスが幸せなら、どこに婿入りしようがお猿ちゃんには関係なくない?』
『性格悪いね、あのお猿ちゃん』
『お猿のお家って頭悪いの?』
『そんなことなかったと思うけど、あの子は頭悪そうね』
なんて、周りの仲間たちが口々に言います。
人間達には多分猫が「にゃぁにゃぁ」鳴いてるのしか聞こえないだろうけど。
そんな私達の声を聞いていたネリネが不安げに……いや、あれは「お願いちょっと静かにして」って顔ですね。
ウェリッシュ家の血族は、代々猫の言葉が分かる特殊な能力があります。
他の人間が聞いてたらにゃぁにゃぁ鳴いてるようにしか聞こえないけど、ネリネは私達の会話が理解できるからお猿ちゃんへの文句が全部分かるからうるさいでしょうね。ごめんね。
『っていうかフェリクスはどこに行ったの?』
『偉い人に呼ばれてった』
『メリシャとリヴァイアが呼びに行ったけど、遅いねー』
と隣にいた仲間たちが喋ってるのが聞こえたんでしょう。ネリネが私達をちらちら見ていた目を輝かせました。16歳なんて猫妖精の私達からすればネリネはまだ赤ちゃんですからね。
私達の可愛いネリネを守れないようなあんぽんたんだったらどうしてくれましょうか。なんて、ふんすふんすと鼻息を鳴らしてるとお猿のお嬢さんがさらにきぃきぃと声をあげました。
「なんとか言ったらどうですの!」
お猿のお嬢さんは、その綺麗な顔を醜く歪めながら、持ってた扇をネリネに向かって投げつけました。
危ないっ! と反射的に思った私が、風の魔法を使うよりも早くぶわりとネリネの周りに風の防御壁ができました。扇は風をあびてくるくるとまわったあと、絨毯の上にぱたりと落ちました。
まったく、遅いんですよ。
「……これは一体どういうことでしょう」
「「フェリクス様」」
ネリネとお猿のお嬢さんが、それぞれフェリクスの事を呼びました。
フェリクスの肩には彼を呼びに行った三毛猫のメリシャが乗っていて、ハチワレ猫のリヴァイアが足元にゴロゴロと喉を鳴らしてました。フェリクスの大きな手がメリシャを撫でてますね。別に羨ましくなんかないですよ。
「フェリクス様!」
「ユーテクシア公爵令嬢、これは一体どういう事でしょう。私の婚約者にこんなものをぶつけようとするなんて……」
フェリクスはそう言って、足元に転がった扇を拾い上げました。リヴァイアがその扇についたふわふわとした羽が気になるのか、前足をちょいちょいしてます。
本当に普通の猫みたいに見えるのでやめてほしい。私だって我慢してるのに。
「だ、だってフェリクス様! この小娘が本当に酷いんですよ!」
お猿のお嬢さんはそう言って、如何にネリネがフェリクスに相応しくないかという話を延々と繰り返します。
やれ、爵位がどうのだとか(確かに12公爵家に比べたら下ですけど、これでも辺境伯家ですので、地位は侯爵家ぐらいありますよ)。
やれ、年が離れているだとか(人間的に7つ差はあれなのかもだけど、20歳差とかじゃないですしねぇ)。
やれ、体が貧相だとか(お猿ちゃんはボンキュッボンだけど、匂いがなぁ)。
やれ、両目で色が違うのが気持ち悪いだとか(猫では普通だし、ネリネのおめめは可愛いです)。
それはそれはもう酷い言いざまです。
人間の平民の雌でも、こんな酷い言葉を吐かないでしょう。周りの人間も顔を顰めているので、酷いと思っているのは猫も人も同じなようです。
フェリクスを見れば、にこやかに微笑んでるけど青筋が立っていました。
フェリクスと付き合いが短い私達でもめちゃくちゃ怒ってるのが分かるのに、お猿のお嬢さんは凄い自信満々で語りまくってて、なんか……もう、すごいなって思いますね。
フェリクスがさっと、ネリネの事を庇っているのみえないのかな?
おめめの色は綺麗な緋色なのに、節穴なんですね。
「フェリクス様、私でしたらフェリクス様を支えてあげられますわ。
家格も申し分ないですし、私のお父様は王国騎士団の大隊長です。
出世も見込めますし、そこの小娘と結婚してよく分からない獣臭い田舎に引っ込むより、一の騎士の隊長にだってゆくゆくは望めますわ。
ですから、そんな小娘との婚約なんて破棄してしまって下さいな。
あとの事は全て、私に任せてくださいまし」
お猿のお嬢さんは晴れ晴れとした顔でそう言いきりました。
顔はいいのに何でこんなに残念なんでしょう。
ネリネが不安そうに、フェリクスの綺麗な服の袖裾を小さな指先でつまんでフェリクスを見上げます。
これは可愛い。さすが私達の可愛いネリネです。
フェリクスも同じ気持ちなのでしょう。
じっと上目遣いでフェリクスを見つめるネリネと目を合わせて、彼は真顔になったかと思うと、愛おしいものにだけ見せるとっておきの微笑みを浮かべながら、ネリネの頭を撫でました。
ディシャールの人間は、魔力を髪に溜めるというのが信じられている為、髪に触れるという行為はとても尊いものってことになってるらしいです。
異性で触れていいのは血縁者と配偶者だけで、求婚を許す時にだけ相手の髪に触れるのだと聞きます。
ネリネも、いつか旦那様にそうして求婚してもらいたいと言っていたけど、こんな風にたくさんの人の前で撫でられるとは思って無かったのか、表情に乏しいはずなのにびっくりしてます。
うちのネリネとてもかわいい。
びっくりしてるのはネリネだけじゃなかったみたいですね。
事態を見守っていた夜会の参加者達や、お猿のお嬢さんもびっくりしてる。
びっくりしてないのはフェリクスだけです。
「さて、ユーテクシア嬢。私の婚約者に随分と酷いことを言ってくれましたね。
まず、
確かにネリネとの婚約は我がカルライナ家とウェリッシュ家の事業提携を発端にした政略結婚ですが、顔合わせの前から彼女の事は知っていましたし、彼女を妻にと望んだのも私です。
ウェリッシュ家の当主様が私の思いを最大限汲み取ってくださったゆえの婚約ですことを、ここに明言致しましょう。
家格についてですか、確かにこの国で12公爵家以上に高い爵位を持つのは王族だけです。
ですが、カルライナの三男と言えど、私も12公爵家の一翼ですからね。ウェリッシュ辺境伯の重要性はよく知っています。
それを田舎者扱いとか、確か18歳ですよね。
王立学院には通われていたかと記憶しているのですが、今までどんな勉強をなさっていたんですか?
確かにウェリッシュ家は国防の要である北部や南部、隣国と隣接する砂漠地帯の東部に比べたら、西部のキティオラは平和に見えるかもしれません。
ですが、猫妖精様が護るあの森があるからこそ、このディシャールに平穏があることは周知の事実です。王立学院で学びましたよね? ご存知ないのでしょうか?
西部の森は我が国が建国当時、魔獣と毒の草花に侵され壊滅的な状況でした。
魔なる者も闊歩していた時代です。人が暮らせるなどとてもじゃないけれど想像もつかなかった魔の森がここまで回復したのは、猫妖精様とウェリッシュ辺境伯家の尽力の賜物です。
あの生きとし生けるもの全てを拒絶していた毒の森を再生させたのは、あの森に今も住まう伝説の猫妖精様と、その猫妖精様と親しくしているウェリッシュ辺境伯家。
それが史実であり、事実であります。
猫妖精様がウェリッシュ辺境伯家に力添えして平和に導いたという事は、歴史の授業で必ず習う事です。
平民の幼子だって知っていますが、ユーテクシア公爵令嬢殿はそれを知っていて田舎者と馬鹿にしたのでしょうか?」
凄い。
猫妖精にも分かる嫌味のオンパレードです。
ちなみにネリネは最初の「妻にと望んだのも私です」の一言で、さらに固まってました。フェリクスの「お嬢さん馬鹿なんですか?」という嫌味は多分全然聞こえてなくて、「妻にと望んだのも私です」というのが理解できないままなのか「????」と、困惑しています。
やっぱり私達のネリネはとても可愛い。困ってる顔は貴重なのですごく可愛いです。
そんな私とネリネの気持ちをよそに、フェリクスはネリネの容姿を褒めはじめます。
「ネリネの瞳は森の新緑を映しとったペリドットと、空の青を宿したスカイブルーです。
とても美しくて、私をじっと見つめてくれる眼差しの愛らしさが気持ち悪いわけがありません。
私の知る限り、容姿で他者を貶めるのは性根の腐った行為だと教育を受けたのですが、家によって教育が違うのでしょうか?
貴女の兄君とは親友として絆を結ばせていただいておりますが、そんな真似をされたことがありませんから、これは貴女の資質の問題でしょうかね」
「そんな、酷いっ。フェリクス様!」
「そう、それです。私は貴女と何度か顔を合わせましたが、一度も名を呼ぶことを許可した覚えはありません。
貴女のお兄様とは親友ですし、お父様にも仕事上良くしてもらっていますからね。
お互い名前で呼んでますが、貴女には名を許した覚えはありません。
兄君も何度も言っていたでしょう? 「そんな品のないことをするな」と。
ケヴィンの努力がうかがえますね」
フェリクスはそう言ってにこりと笑いました。
嫌味がやばいですね。
甘く見えて、若い淑女の皆さんにはウケが良いらしいのですが、私達は知ってます。
さっきネリネに見せてた笑顔が、腹黒な彼の本当の笑顔であると言う事を。
その件について語るととっても長くなるので、時間ができたら後程語るとしまして今はこの修羅場の話です。
お猿のお嬢さんは顔を真っ赤にさせて怒ってました。
炎帝の狒狒っていうのはああいうお猿さんなんですかね? 見たことないから知らんですけど。
「リオン……」
おっと、声に出てたみたいですね。
冷静さを取り戻したらしいネリネにじっと睨まれました。
他の人間には猫語は分からんのですからいいじゃないですかね。
「でもでも、その小娘より私の方が美人ですし、体つきだって申し分ないはずです!
見目からして、私の方がフェリクス様に相応しい。そうでしょう!」
え、まだめげずにアタックするんですか?
猫にもこんなにしつこいのはいないですよ。
お猿のお嬢さんは泣きながら、フェリクスに手を伸ばして訴えましたが、フェリクスはするりとそれを避けながら、ちゃっかりネリネを腕の中に閉じ込めました。
ちょっとだけ冷静さを取り戻したはずのネリネがぎょっとして、フェリクスを見上げますが、フェリクスはどこ吹く風でネリネの髪を一房とってちゅっと口づけます。
ちょっとやりすぎじゃないですか?
ネリネのお兄ちゃん的な私としては、ちょっと小言が言いたいです。
ネリネだって息が止まるほどびっくりして真っ赤になってるじゃないですか! 隣のコーラルは「まぁ!」って黄色い声出してますが、私は不満です。
なお、フェリクスに避けられたお猿のお嬢さんは、そのまま絨毯の上に倒れ込みました。
涙でいっぱいの目をフェリクスにうるうると向けますが、フェリクスはあの鉄の笑顔でにこりと笑うだけです。
「残念ですけど、結婚したいと思うのも私が口づけたいと思うのも、婚約者のネリネだけなのです。
鮮やかな太陽の色をしたこの美しい髪に触れ、彼女の暮らすあの穏やかなキティオラを共に護る伴侶に選ばれたことが私の誉れなのです。
まだ16歳と幼いながらも、私の事を理解して受け入れてくれるのは彼女唯一人。
ですので、ユーテクシア公爵令嬢。
貴女の申し出は有難いと思わない事もないですが、そこに私の幸せはありませんので結構です」
ばっさりと、フェリクスはお猿のお嬢さんを斬り捨てました。
お猿のお嬢さんはぷるぷると震えながら泣いてます。ちょっとかわいそうになってきました。
「な……なによ。私を誰だと思ってるの! 私はユーテクシア公爵令嬢よ!
パパに言いつけてやる! 貴方なんかクビにしてやるんだから!!」
前言撤回。
このお猿のお嬢さんマジで諦めが悪い。
猫妖精からしたら赤ちゃんですけど、人間的には18も生きたらいい大人でしょう?
パパに言いつけてやるはさすがに恥ずかしすぎないでしょうか?
フェリクスはそれを見てふぅとため息をつきました。
腕の中に閉じ込めているネリネの耳を両手でふさぐと、ニコニコとした顔をすっと真顔にさせて酷く冷えた声で言いました。
「……っていうかさ、なんで俺があんたを選ぶと思うの?
こんな人目の多い夜会の席で、人の婚約者を罵倒するような品が無くて失礼な女。
俺はたとえネリネがこの世にいなかったとしてもごめんだね」
その言葉に、さすがのお猿のお嬢さんも蒼褪めた。
周りの人も蒼褪めてて、その場の空気が凍ってます。
さすがフェリクスです。知ってましたが、敵とみなした人には容赦がないわんわんです。
「大体なんで、自分が選ばれるとか思ってるのか理解に苦しむね。
どんなに地位があっても、ネリネを退けたとしても、君みたいな子は無理だよ。話にならないほど品が無いし、教養も足りないもの
っていうか、こんな場所でこんなことを起こしたら誰も選ばないでしょうね。
ケヴィンも君のような荷物を持つなんてかわいそう……」
そう言い募るフェリクスの口元を、小さな手が隠しました。
見れば、ネリネがムッとしながらフェリクスの口を閉じさせてます。
「……ネリネ」
「言い過ぎですよ、フェリクス様」
ネリネはそう言って、フェリクスの腕から抜け出すとトコトコとお猿のお嬢さんに近寄りました。
「……あの、大丈夫ですか?」
「……っこの!」
まだまだ元気だったお猿のお嬢さんは、キッとネリネを睨み付けると平手打ちをしようとしました。
はっと、フェリクスが阻止しようと手を伸ばしますが、それよりも先に第三者の手が入ります。
「っに、やってんだ。ヴィヴィアン!」
お猿のお嬢さんの手を止めたのは、フェリクスと同じくらいの歳の赤毛の体の大きな男でした。
「お兄様っ!」
燃えるような揺らめくオレンジの瞳から見るに、ユーテクシア家の跡取り息子でフェリクスの親友のケヴィン・レイヴ・ユーテクシアですね。
フェリクスの隣でちょろちょろしてた覚えがあります。
「お前という奴は!! フェリクスの事は諦めろと何度も言っただろ!」
「だって、だってお兄様っ!」
「だってじゃない! いいからこいっ!」
ケヴィンはちらりとフェリクスの事を見て苦々しく目を伏せると、そのまま会場から立ち去って行きました。
うーん、あれは「ごめん、ほんとごめん」って意味ですね。
本当は死ぬほど頭を下げて謝り倒したいんでしょうけど、彼は一応12公爵家の跡取りで、立場的に同じ12公爵家と言えど三男のフェリクスにこんな場で公的に謝るわけにはいかないんだろうね。人間ってめんどくさ……いや、精霊獣同士の間でもよく分からないマウントとられたりするから何とも言えないか。なんにせよ面倒ですね。
ため息をつきながらフェリクスが手を振ったのを見て。ケヴィンは明らかに「うっ」って顔をして去っていきました。
観察してたから知ってるけど、ケヴィンは人間的にまともな雄です。
正義感が強くて、筋肉ムキムキの脳筋ですけど、頭がいいちゃんとした雄なので、あんな妹がいるとは思ってませんでした。
かたや、フェリクスはさっきの本音からよく分かるように腹黒です。
あとから確認したら、ユーテクシア家は年の離れた長女と次女、それから離れてケヴィンが生まれて、お猿のお嬢さんは末っ子だったっぽいです。
お姉さん方はとっくに嫁いでしまって、末に生まれたお猿のお嬢さんが可愛くて現当主夫妻はハチャメチャに可愛がってしまった結果、かなり我儘でアレな性格のお嬢さんに育ってしまったようです。
早い段階で両親も気がついたらしいんですけど、既に矯正が厳しいところだったみたいで頭を抱えているんだとか。12公爵家と言えど哀れですね。
そんなことを思っていると、ネリネがフェリクスをじっと見つめてからつんっと顔を背けました。
その様子を見て、フェリクスは慌ててネリネの前に跪きました。
絵物語に出てくる騎士と姫のようですね。さすが私達のネリネです。
「ネリネっ」
「私だって、公的な場であそこまで言うフェリクス様は嫌です」
「許してネリネ。ネリネの事を酷く言われて我慢できなかったんだ」
「私を理由にしないでくださいまし。ユーテクシア公爵令嬢がお可哀想」
「彼女には悪いと思っているけれど、自分の婚約者があそこまで言われて我慢できる男などくそくらえだと思わない?」
フェリクスのその言葉に、周りの男性陣がうんうん頷いてる。
まぁ、ディシャールは男尊女卑の傾向が強い国だけど、そもそも国ができた時月の精霊姫を建国王が迎え入れたという伝説がある。
根っからの精霊教信仰で、王族が月の精霊姫の血を受け継いでいるのがアイデンティティなとこがある国なので、基本的に雌を大事にするお国柄だ。
ごく稀に雌を馬鹿にする雄はいるけども、だいたいそういうのは愚か者って言われる国です。
そりゃあ、フェリクスの台詞に頷くわけですね。
「ネリネ、お願い許して。君を愛してるんだ」
「……もうしません?」
「……君を貶めるやつじゃなければ」
「……」
ネリネはむぅと唇を尖らせているけれど、あれは怒っているのではなく落としどころが分からなくて困っている顔です。可愛い。やっぱり私達のネリネは可愛い。
ネリネは、小さな手のひらをフェリクスにとられてチュッと口づけられて耳を真っ赤にさせると、そっとフェリクスの耳に顔を近づけると「今回だけですよ」と、きっとフェリクスと私達猫妖精の仲間にしか聞こえてない声で囁いた。
フェリクスはちょっとだけきょとんとしたあと、ネリネを慈しむように微笑んでそのままネリネを軽々しく抱き上げました。お姫様抱っこという奴です。
ネリネのおでこにぐりぐりと自分のおでこを押し付けて、固まってるネリネをよそにフェリクスは上機嫌に会場を後にしようとします。
仲間たちや、周りの人間達が拍手や「お幸せに~」なんて声をあげるの聞きながら、私はネリネとフェリクスのあとを追いました。
フェリクスの足にまとわりつくように歩いてやりましたが、フェリクスは私を踏まないように器用に歩きます。腹立たしい雄です。
やってきたのは休憩室です。
フェリクスは休憩室のカウチにネリネを下すと。そのままぎゅっと抱きしめて押し倒して、ネリネの唇に自分の唇を重ねてました。
ネリネはびっくりして固まって、それから頑張って引き離そうともがいてましたが、騎士のフェリクスに可愛いネリネが敵うわけありません。
フェリクスはたっぷり口づけてから満足したのか、一度顔を離しました。
犬のようにぺろぺろ舐めるかと思いましたけど、それは自重したらしいです。ネリネが16歳だからですかね? 可哀想なネリネは顔を真っ赤にして、息もできなかったのでしょう。はぁはぁと必死に呼吸してます。
「フェ、フェリクス様」
フェリクスはネリネに呼びかけられているのに頷きながら、ネリネの首筋に顔を埋めてすりすりとすり寄ってます。フェリクスは夜空をまとう狼の家の子ですけど、まぁ完全にわんわんなので、この仕草はわんわんですね。おっきなわんわんです。
私はぴょんとフェリクスに飛び乗ると、頭の方まで歩いて行ってフェリクスに『いい加減にしろフェリクス』と低い声で言いました。
フェリクスには私が「なーう」と鳴いてるようにしか聞こえないですけどね。
フェリクスは少しだけ困ったような顔で私を見ました。
私が怒っているのは分かったのでしょう。眉根を寄せてしょんぼりしてます。
「……あぁ、だめ? リオン様」
「これ以上続くなら、きっと爪を出されますよ」
ネリネがそう言ったら、フェリクスはしぶしぶ体を起こしました。
それでもネリネの事をお膝に抱っこして、ネリネの髪を一房愛おしそうに触れながらなので、懲りてはいないっぽいです。
フェリクスもお猿のお嬢さんの事言えないくらい、めげないしへこたれないわんわんです。
「結婚前なのに、破廉恥なことをしないでください」
「ネリネは癒し効果高いのだもの、ずっと吸ってたいんだ、ダメ?」
「吸うならリオンをどうぞ」
なんて言いながら、ネリネは私を抱き上げるとむぎゅりとフェリクスに押し付けました。
まぁ普通の人間の雄なら怒るでしょうけど、フェリクスはそんな奴じゃありません。
私を押し付けられたフェリクスはプルプルと震えた後、それから私を押し倒してもふもふの毛に顔を埋め始めました。
すぅううううと吸い始めるのに、私は苦い顔をしました。
ネリネは身だしなみを整えながら「ふぅ」と息を吐きます。
「……フェリクス様?」
「……ふぁぁぁあああ、猫吸い最高」
すぅううと、私を吸いながらフェリクスは歓喜の声をあげましたので私はうんざりしながら前足でぺちぺちと頭を叩きます。
ぺちぺちと叩かれているのに、その表情は先ほどネリネに向けた時のように晴れやかで、ちょっとうっとおしいです。
そう、フェリクスは夜空をまとう狼の末裔の1人であり、わんわんみたいな奴ですけど、その正体は我々、猫と猫妖精の下僕なのです。
話は婚約が本決まりする前に遡りますがさくさくと行きましょう。
私達猫妖精は、ネリネの父親である現辺境伯当主に極秘任務を頼まれました。
「フェリクス・シェルド・カルライナの素行調査を頼む」
たくさんの猫を集めた王都の邸で、ウェリッシュ辺境伯は言いました。
元々、カルライナの家とウェリッシュの家は仲がいいわけでも悪いわけでもありませんでしたが、現当主の2人は趣味が同じで仲良しさんらしいです。
そんななか、ウェリッシュ家の一人娘であるネリネの婚姻の話になりました。
この頃、ネリネにはいくつもの縁談が持ち上がったのですが、これがまた碌な男がいませんでした。
性格が悪いとか、素行が悪いとかもありますが、それ以前の問題です。
猫妖精と懇意にする間柄であるウェリッシュ家。
その一人娘であるネリネと番うということは、雄が一番なこの国では将来の辺境伯になると言う事と同義です。なのでまともな雄であることは最低条件なのですが、それよりもなによりも大事な条件が一つあります。
それは我々猫妖精の正しき下僕であることです。
人間は須らく、我々猫の奴隷であるべきなので、とても簡単な条件のはずなのですが、ネリネに縁談を持ち込んだりした雄たちは、軒並みそれができてませんでした。
一応他の人間の前では取り繕っていたみたいですが、私達猫妖精の前で私達を馬鹿にした発言をしたり、暴力を奮おうとしたり、それはそれは酷かったのです。
中には、猫に近づくとくしゃみが止まらなくなる雄もいて、正直「死にに来たのかな?」なんて言ってました。
とまぁ、そんな奴らを辺境伯爵に据えるわけにはいきません。
せめて猫が好きなら矯正のしがいもありましたが、それ以前の問題なんです。
え? それをどうして私達が知っているかって?
ふふ、それが私達猫妖精とウェリッシュ家の最大の秘密です。
このディシャールに暮らす猫と猫妖精は、その全てがウェリッシュ家の諜報員なのです。
猫も猫妖精も、ディシャールのどこにもいます。
そうして、賢い私達は人語をちゃんと理解していますので、人間の内緒話を聞くのはお茶の子さいさいなのです。
だから私達は、古い時代から当主に頼まれたらご褒美と引き換えにこうして調査をするのです。
そんなお仕事をしている私達が、可愛いネリネの為に番候補の素行調査をしないわけがありません。いや、報酬はもちろん貰いますけど。
外面のよい悪党はもちろんダメですが、猫嫌いはウェリッシュに婿入りするにあたって論外です。
縁談や求婚が来るたびに、私達が素行調査をして潰すのを繰り返していたのですが、これまたちっとも私達の目に叶う雄は現れません。
困ったネリネの父親に、「それじゃあ俺の息子はどうだろう?」と、提案したのがカルライナ公爵でした。
「腹は黒い三男坊だが、君の所の猫の目に叶うかどうか見てくれ」と、提携業務の話を勧めながら何とも軽い調子で言った公爵に言われて、ネリネの父親は私達に素行調査を依頼したみたいです。
もったいぶらずに結論から言いますが、フェリクスはとても素晴らしい私達の下僕でした。
最初は犬臭くて不評だったんですよ。
それでも仲間と観察してると、面白い事に気がつきます。
普通の猫のふりをして遠巻きに観察していれば、フェリクスは必ず私達に気がつきました。路地裏で気がついた時は、きょろきょろと周りに人目が無いことを確認してゆっくり近づいたかと思うと「うううん、かわいいな……ね、猫ちゃん」ととてもニコニコしながら私達を見つめるのです。
「触りたいけど……だめだよな。ふぅ……可愛い」
と、ニコニコしながら言うものですから、まだ年若い猫妖精がフェリクスをからかうように足元に近づいたりとかしたら、「ふぐっ」とフェリクスは悲鳴を上げてました。
にやけ顔を我慢しながら、プルプルと震えて耐えるその姿に、私達は素質しか感じませんでした。
そういえば、ネリネの母親もこんな感じでした。
ネリネの母親は「ダメよ、やめて頂戴。ドレスが汚れちゃうわ」と言いながらニコニコしてましたし、「ここが気持ちよいの?」などと言いながら、ちょうどよい塩梅で私の届かない場所を掻いてくれました。
今でもそれは変わらないです。
普段はつんけんぷりぷりしてますが、あれもまた可愛らしい雌です。ネリネの父親は良い雌を捕まえたと思いますし、常々ネリネの母親の前で惚気ては猫パンチによく似たパンチをされています。イチャイチャ夫婦です。
さて、
『今までで一番素質がある』
という、私達の調査報告を聞いて、ネリネの父親は首を傾げていましたが、実物を見てすぐに理解しました。
そう、フェリクスはは根っこからの猫の下僕です。
この上なく、ネリネの番に相応しい未来のウェリッシュ辺境伯爵でした。
ネリネの父親は、「ぜひうちにくれ!!!!」とカルライナ公爵に直訴し、公爵もまたそれを喜んで受諾しました。
あとは本人の気持ち次第だったのですが、初めての顔合わせの時、フェリクスはネリネを見てすっと息を呑み、それからあの慈しむような笑顔を浮かべたのです。
調査の時、人には例の鉄仮面で「人の相手なんてマジめんどい」とか言ってたのにです。
その笑顔を見て、ネリネも恋に落ちたのでしょう。
あの表情に乏しいネリネが、顔を真っ赤にさせて恥ずかしがる様子は僥倖でした。
そんな風に出会って婚約した二人ですので、お猿のお嬢さんの抗議は見当違いもいいところなのが、理解いただけるでしょう。
「そもそもね、騎士職なんて向いてないんですよ、俺は。こんな風に猫に囲まれてのんびり過ごして暮らすのが夢だと言うのに、出世とか意味が分からない」
話を今に戻しましょう。
フェリクスは私のもふもふの毛に顔を押し付けながらそんなことを言いました。
元々彼は文官志望だったのですが、あのお猿さんちのケヴィンに「王国騎士団が脳筋ばかりで困ったことになっているんだ、少しの間でいいから参謀になってくれ!」と泣きつかれて騎士になったと、騎士宿舎で暮らす猫に言ってました。
元々、彼は王家の忠犬と言われるカルライナ家の中では珍しい怠惰な性格でしたので、二番隊の副隊長なんて面倒な職には就きたくなかったようです。
自分の代わりを育てるために必死にやった結果、後続も育ってきて、脳筋は脳筋だけど頭も使える脳筋と言われるようになり、フェリクスはいつ辞めてもよかったのですが、やめ時を失って続けていたようです。
ネリネと婚約してからは結婚したら寿退職して、次期辺境伯として領地で暮らすことを楽しみに、日々の鍛錬と領地経営学を改めて学んでるような雄ですので、お猿のお嬢さんに勝ち目なんてものは、端から存在していませんでした。ご愁傷様です。
ネリネは未だに私を吸い続けることをやめないフェリクスの頭にそっと触れました。
よしよしと撫でるそれは、髪に触れることを愛情表現としているディシャールにおいて男女が逆転しても特別な意味をもちます。
フェリクスがそのことに気がついて、はっと顔をあげました。
「ネリネっ」
「……フェリクス様は、辺境伯になりたくて私と結婚するのですか?」
しゅんっと、眉根を寄せるネリネはなんて可愛いのでしょう。
しょんぼり拗ねてるネリネがとても可愛いのですが、しょんぼりさせた理由がフェリクスのせいなので私はフェリクスを威嚇します。
ネリネを泣かせるなら、爪を出すのも厭いません。
フェリクスは、自分を撫でてくれていたネリネの手をとるとその指先に口づけます。
ネリネがまた固まって、赤くなりました。
「君と結婚して、夫婦として過ごせることが僕の一番の幸せなんだ。
愛してるよ、僕の最愛の仔猫姫」
恭しく、最愛の言葉を吐かれて、ネリネは苦い顔をしながらさらに赤く染まります。
あれはどうしていいか分からなくなっているんですよ。凄く可愛いです。
ネリネはフェリクスからその小さな手を取り上げて、それから恥ずかしがりながらもフェリクスの胸に飛び込んで、精一杯の思いを振り絞ってフェリクスの口の端に口づけました。
そのネリネの精一杯に、あの腹黒フェリクスが顔を赤く染めあげます。
「……ネリネっ」
と、フェリクスがネリネに迫ろうとした瞬間、『フェリクス~』『ネリネ~!』と扉の向こうから仲間たちの声が聞こえました。
『イチャイチャするのは結婚してからだよ~』
『ねんねするなら僕たちも!!』
『ネリネに変なことしたらお爺ちゃんに言いつけますよ!』
なんて、人が聞いてもにゃあにゃあと文句を言ってるようにしか聞こえないでしょうに、扉の外で大合唱です。
ネリネとフェリクスと、それから私は顔を見合わせて笑い出しました。
フェリクスには悪いですが、ネリネが19歳になるまで我慢してもらいましょう。
扉を開ける直前に「……そういえば、フェリクス様は顔合わせの前から私の事をご存知だったんですか?」ってネリネがフェリクスに聞くと、フェリクスはごまかすように上を見ながら「あー……内緒。結婚したら教えてあげる」なんて言ってました。
ふむ、これはまたそのうち、仲間たちと調査しないといけません。
まぁ、私達猫妖精にかかればきっとすぐに分かるでしょう。
なんてことを思いながら、私はネリネとフェリクスが扉を開けるのを見守ります。
そうして、開け放たれた扉から飛び出したいっぱいの猫と猫妖精が、フェリクスに群がるのを見て、それがとても幸せだと言うように恍惚とした表情を浮かべるフェリクスと、それを見ながら穏やかに微笑むネリネを見て幸せだなぁと思うのでした。