第40話 9Songs
ハッキリ書こう。この映画は観る価値がない。
映画好きだけではなく、映画なんて大して興味がないがスケベ―ものであれば大々々好きな紳士・淑女であれば極めて認知度の高い映画が「9Songus」なのだが、「映画好き」にも「スケベ好き」にも観る価値がないというR18指定映画だ。
B級映画だのC級映画だの、果てはZ級といったランク付けすら意味をなさないだろう。どういう意味かと言えば「大したストーリーも無い上に、露出度100%官能度0%の映画」だからだ。例えていえば「ノーカットの出産シーン」が入った映画と大して違いがない。
この映画は2004年製作のイギリス映画で、監督はマイケル・ウィンターボトム。
主演女優はマルゴ・スティリーで当時は22歳。未成年じゃなくてまだ良かったのだが、確か彼女のデビュー作がこの映画だったはずだ。どうなんだろう? 元々がそういう女性だったのか、それとも映画に主演できるんなら何でもやります、って感じだったのかね? きっと後者だろうな。いくら性に開放的と言われる欧米であっても、アレは凄いというか、ハッキリ言って…酷いな。彼女はその後も女優業をやってるみたいで、2008年の映画:死霊の囁き、2017年の映画:スペインは呼んでいる、にも出演しているらしいが主演ではない。9Songsで彼女が晒した痴態が後々の映画人生に影響しちゃったとしか思えない。しかしネットで彼女の画像を検索してみると、なんとなくだが見覚えのある女優なんだよな。
ちなみにこの映画ーー9Songsを俺が初めて視聴したのはレンタルDVDで、確か成人コーナーじゃなくって一般コーナーに置いてあって、内容を知らずに借りたのだが、あまりにボカシが多すぎて、しまいには何を観てるのかすら良く解らない状態に陥ってしまい、腹が立って海外版ーー輸入版をネットで購入したのだ。
しかし、しかしなのだが、DVDにはリージョンコードなる設定があって、日本はリージョン「2」なのだが、海外で制作されたDVDはリージョンコードが違うために日本のデッキでは視聴できないときた。現在ならリージョンフリーのDVDデッキがネットで購入できるらしいが当時はそれも無くって、俺はある日本メーカーのデッキをリージョンフリーに改造してまで視聴したのだ(改造方法がネットにあって案外かんたんだった)。
海外版だから吹き替えも無ければ字幕もないが、それでも大体は理解できるくらい単純なストーリーだ。一組のカップルがコンサートに行って、家に戻ってきてセックスをして、次に日にまたコンサートに行って、家でヤっての繰り返しで、そのうち飽きてきたのかオナったりもしてる内に別れて、男は一人で南極に行く。そんな展開だ。
この映画をボカシなしで観た感想はというと、「もういい」だ。性行為が綺麗でもなければ、恥じらいや嫉妬、更には「愛」などといった人間が持つ複雑な感情が映し出されている訳でもなくって、ただの「行為」なのだ。そう…「行為」。腹が減ったから飯を食うみたいな「行為」。その行為を余すことなく映しても……。そうなのだ、この映画では結合部分まで映しちゃってるのだが、それがどういう訳だかエロくないのだ。なんて言ったら良いのか……二人の男女が裸で組体操をしてるみたいな…いやいや、それなら結構エロい。
とにかくストーリーが面白くない、ハラハラドキドキもしない、映像が特別綺麗でもない、そして最悪なのは視聴しても全く興奮しないことだ。
俺は断言するぞ。「この映画は、男女の行為を赤裸々に映し出してはいるが、官能映画ではない」。おまけに本物のドラッグを吸っているシーンまであるので、「イギリスの若者の日常」を写したドキュメンタリーのような映画だ。
それと、マルゴ・スティリーと行為に及ぶのがキーラン・オブライアンという俳優で当時は31歳。彼はこの映画に出演して絶対に後悔してると思う。ちょっとカッコ悪すぎなんだよね。自分であの映画は観れないだろう。
ちなみに監督のマイケル・ウィンターボトムは「鬼才」という形容詞がつくほどの映画監督らしいのだが、なんでこんな映画作っちまったんだろう? 何かで読んだか、もしかしたら最初に観たレンタル版DVDに収録されていたのかもしれないが、この監督は大島渚監督の「愛のコリーダ」にいたく感動し、いつか自分もあんな映画を撮ってみたいと考えていた、というインタビューを読んだか見た記憶がある。
大島渚監督の「愛のコリーダ」という映画。俺は実はこの映画も海外版を持っているのだ。「芸術かワイセツか」で裁判にまでなった映画なのだが、ボカシなしを観た結果、絶対に芸術じゃないと思うのだが、だけど卑猥か? といえば違うような気がする。というのもあまりエロいとは感じられなかったからだ。
エロさで言えば、同じ大島渚監督の「愛の亡霊」の方が100倍エロいし、映像が死ぬほど綺麗だし、ストーリーが実話を基にしているのだが非常に面白い。傑作だろうな。
愛のコリーダが1976年、愛の亡霊が2年後の1978年。愛のコリーダの主演:藤竜也は、その後の2年間ーー愛の亡霊で大島渚に呼ばれるまでは全く仕事が来なかったそうだ。そして愛の亡霊で主演女優を務めた吉行和子。彼女の周りはこの映画への出演に大反対だったらしい。「あの大島渚が撮る映画だぞ。おまけに映画なのに本番までやった藤竜也との濡れ場だってあるそうじゃないか」とのこと。更には当時の吉行和子は42歳で、映画であえて裸を晒さなくても十分な実力と実績、それに知名度があった。だけど彼女は次のように語っている。
「当時の映画は30歳を過ぎると面白い役が来なくなっちゃうの。どんな映画に出たのかも思い出せない役ばかり。もうダメかなと思っていると、42歳の時に大島監督から話を頂きました。愛のコリーダの後の作品でしたから事務所は躊躇してましたが、台本を読んだら凄く面白くて、ここに女がいるーーそう思えました。こういう役を40を過ぎたらやりたいと思ってました。まさにそんな役でした」
そんな吉行和子の演技も凄いが、亭主役の田村高廣が凄い。ちなみに亭主の留守を見計らって吉行和子が浮気をする相手が藤竜也。藤竜也と吉行和子の濡れ場は見事にエロいし、吉行和子の身体も凄く綺麗だ。そして亭主の田村高廣は二人に殺されるのだが、その後の亭主は幽霊になって出てくる。幽霊役の田村高廣の演技が他の出演者を霞ませてしまうほどに凄い。そこに居るだけで恨めしい雰囲気を存分に醸し出していながら、恋女房の吉行和子を人力車に乗せて走ったりするんだよね、幽霊なのに。
この映画は幽霊は別だけど、実際にあった事件を基にしてる。中村糸子という無名の人ーー茨城県の郷土作家が取材の上、小説化した。そして著者:中村糸子がこの小説を大島渚に送り、大島が感銘を受け映画化したとの事だが、なにやら運命的な話だよな。
愛の亡霊は傑作だと思う。撮影監督が宮島義勇という人なんだけど、どうやら凄い人らしい。
宮島義勇は元々は撮影技師。撮影技師というのは映画やドラマで動画を撮影する人の事で、簡単に言うとカメラマンなのだが、彼がやった手法ーー撮影技師が照明に注文を出す手法が「撮影監督」というシステムになったらしい。
彼が撮った「人間の条件(1959年、1961年)」、「切腹(1962年)」、「怪談(1965年)」は国内だけでなく海外からの評価も高い。そして俳優たちからの評価も高く、「赤穂城断絶(1978年)」では田中絹代からの指名、「仕掛人 梅安(1981年)」では萬屋錦之助による指名で参加している。
大島渚監督は愛のコリーダも宮島義勇に参加してもらうよう要請したらしいが断られたと言われている。ま~あの映画の撮影監督を務めるのは、ちょっと、と考えても不思議ではないが、もし仮に、愛のコリーダの撮影監督が愛の亡霊と同様に宮島義勇だったら、あの映画:愛のコリーダの印象はまるで違ったものになったと思う。
追記:愛のコリーダの主演女優:松田瑛子は当時24歳。元々は劇団員だったらしいが、この映画で超々々有名女優になった。国内だけでなく海外でもだ。しかしその後は大した役が回ってくることは無く、数本の映画に出演後、1982年に引退。2011年に死去。
それと愛のコリーダの撮影後のエピソードなんだか、スタッフが用意した白無垢の着物(単衣)を藤竜也が松田瑛子に手渡したそうだ。二人っきりになれる旅館の部屋で「あの…これ…どうぞ」って。松田瑛子はボロボロ泣いてしまったという。
愛のコリーダで吉と定を演じ、愛欲にまみれた二人。だけど吉と定の世界はあそこで終わったのだろう。
途中から9songsじゃなくって愛の亡霊と愛のコリーダの話になってしまったが、あの手の映画に出演した女優・俳優は洋の東西を問わず、けっこう干される。




