三十七本目
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なんだか大変な事になった気がする。
きっとそれは僕だけじゃなく、他の皆も思っているはず。
僕らはただ村の外へ出たいと思っていただけなのに。
いつの間にか今まで村に存在していたものに対抗することになった。
そんなことをしても咲希は嬉しくないと思うけれど。
もとから咲希のことは好きだった。
勿論大切な妹だから。
同じ人から生まれた、僕と同じ環境で育ってきた他者だから。
世界に二人といない、掛け替えのない存在だから。
でも僕のその感情とは、違うものを咲希は抱いていた。
初めて聞いたときは驚いて、声も出なかった。
咲希の真剣で恐怖に揺れていた瞳は、真実だと訴えかけてきたのを見て更に驚いた。
他人と比べると、手間のかかるような僕に好意を抱く人がいるとは思わなかった。
それに告げてくれたのが妹だったから余計に信じられなかった。
でも彼女は一緒になるために、村の外に出る覚悟があると言った。
僕の意思次第だから、嫌なら断ってくれればいい。
僕が嫌なら、一人で村の外へ出ていく。
そう言われた。
僕は、彼女が居なくなることが怖かった。
だから、彼女に確かな好意がないのに一緒に行くと言ったのだ。
僕には兄か弟がいた。
でもその片割れは、産声を上げることなく死んでしまった。
その時のことはもちろん咲希は知る由もない。
(もしかしたら春樹の家の人に聞いたかもしれない)
その時の母親は狂ったようだった、と。
お父さんと、おばさんと、おじさんが。
僕が生まれてから、ずっと教え込んできたのだ。
咲希が生まれてからも、ずっと。
何度も何度も、繰り返して言われた。
『何があっても、母親に心配をかけてはいけない』
『母親との約束は必ず守ること』
そうでないと、お母さんはおかしくなってしまうから。
・・・そうなると、元に戻すのが大変だから。
何があってもお母さんを優先しなさい。
それが僕の家の教えだった。
咲希が生まれてから、ちょっとだけ反抗したんだ。
「咲希も同じようにお母さんを大切にしなくちゃいけないよね?」と。
でも彼らは迷うことなく言った。
『この子はいいの』
僕は訳が分からなくなった。
どうして、と訊いても彼らは何も答えてはくれなかった。
その代わりに僕の頬を強く叩いた。
その日お母さんは恐ろしいものを見たような顔で、僕の腫れた頬を撫でてくれた。
このことを春樹に話したのが、初対面の時だったと思う。
お互い言葉がある程度話せるようになって、お互い認識しあった。
僕らは双子ではないのに、同じような名前だ。
僕らは双子じゃないのに、同じ人に育てられている。
どうして?
今では理由が少し分かった気がする。
お母さんが欲しかったのは、男の子の兄弟だ。
あの時一緒に生まれてくるはずだった、男の子が生まれてこなかったから。
男の子の代わりに、女の子の咲希が生まれてきてしまったから。
お母さんにとっては咲希は必要じゃなかったのだ。
あまりにも残酷な推測なので、咲希には言っていないけれど。
まるで子供の心のまま大人になったような人。
それが僕の母親だ。
嫌なことがあれば癇癪を起こし、
望んだとおりにならないものは排除する。
今まで頑張って守ってきたつもりだ。
でもきっとあの人はどうも思っていない。
尽くして当然だとすら思っているのではないだろうか。
『どうして』と言った昔の僕の声が反響する。
どうして僕は、あんな人のために時間を消費しなくてはいけない?
自分で自分の面倒を見ることができれば、外に出ても構わないだろう?
あんな足枷は、もう必要ないのではないか?
お母さんが咲希を見捨てたように、
僕もお母さんを見捨てても構わないだろう?
「明樹?どうしたの」
心配そうに僕の顔を覗き込む紅い(らしい)瞳。
僕に色は分からないけれど、澄み切っているこの目は大好きだ。
今でも、恋愛としての好きじゃない。
でもかまわない。
僕は、僕のための人生を歩んでいきたい。
誰かのために使うほどの能力がない矮小な存在だからこそ、本気でそう思う。
愛なんて、この世界には存在しない。
恋なんて、この惑星には落ちていない。
僕らがいるここには、そんなたった一人の誰かだけを特別に思う感情なんてあるわけない。
「大丈夫だよ、何でもないから行こう?日が暮れてしまうよ」
この村が黄昏に近づいていく。
咲希にとっては少しは過ごしやすくなるだろう。
春樹の言うような、赤い夕陽も。
冬華さんの言うような、青々とした山も。
僕には同じような色に見えるけれど仕方がない。
夜に近づけば悪化する、それは致命傷だろう。
夜は僕にとっての、地獄だ。
春樹はそれが分かっているので、僕をちらちら見ている。
だから、今日は早く終わって欲しい。
それはきっと無理なのだろうけれど。




