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第33話 頭おかしいんじゃない?

――姫花の誕生日の一週間前の夜。


しん、と静まり返った部屋の空気を、バスルームから持ち込んだ湯気がぼんやりと揺らしていた。

風呂上がりの安城恵梨香は、肩にかけたタオルでまだ濡れた髪を軽く拭きながら、椅子に腰を落とす。


ふぅ、とひと息。明日が来るのが、少しだけ怖くて、でもほんの少しだけ楽しみで――

そんな夜だった。


ピコンッ


突如、スマートフォンが淡い光を放ち、短い電子音が静寂を破った。


安城「なにかしら?」


音が静寂を破った。


カタリ、と小さな物音に、安城は目を上げた。


「……え?」


呟くような声とともに、彼女の視線が、教室の扉に吸い寄せられる。


その先にあったのは、どこか見覚えのある名前。

一度、剣道対決で刃を交えたことのある、あの――


(神田裕一……?)


あのときの打太刀の鋭さは、今でも腕に残るかのようだった。

格闘センス……だけなら、確かにある。それだけは、否定しようがない。


けれど――


(でも……“私を推し”とか、訳わかんない)


目を細める。

冷たい視線の奥に、わずかな警戒と、ほんの少しの興味が揺れる。


“ただのクラスメイト”で済ませたいのに。

“ただの勘違い男”でいたはずなのに。


『神田ゆういち』


その文字列を見た瞬間、タオルで乾かしかけていた手が止まる。


あのお泊まり会――

いや、正確には、あの“寝ぼけて部屋を間違えた大事件”のあと。


それはまるで、空気を読まされたかのような流れだった。

あのとき、なんとなく、いや、仕方なく――LINEを交換した。


(べつに、私が望んだわけじゃない)


交換したその日の夜、早速来たメッセージ。

だけど私は、開くだけ開いて――既読のまま、無視した。


メッセージなんかじゃ、あの男が何を考えてるかなんて、まるで読めない。

言葉と心が一致してないのは知ってる。

あの心の声、あの“推し”だの“女神”だの、意味不明なテンション――


(……わけがわからないのよ、ほんと)


以来、通知はなかった。ずっと沈黙していたそのアイコンが、今、光っている。


安城「……あいつからLINE?」


反射的に、乾ききっていない髪を気にすることも忘れてスマホに手を伸ばす。


指先が画面に触れる直前――ほんの少しだけ、胸が高鳴るのを感じた。


安城「一体……なんの用かしら?」

そして――その指が、ふと止まる。


スマホの通知画面には、少し焦ったような文体のメッセージ。緊急なのかしら?


ゆういち:

「おっす!安城!少し相談なんだけど、実は来週、姫花の誕生日なんだけど、まだプレゼント決まってなくてさ!

俺、女友達って安城しかいなくてさ……。

安城の意見を聞かせてほしい!姫花が欲しがってたものとか、なんか聞いてたりしない?」


その一文に、安城はわずかに眉を上げた。


(……女友達って、私だけ?)


心がざらついたのは一瞬だけ。

すぐに頭の中に、とある記憶がよみがえった。


──少し前、姫花とゆういちに偶然遭遇したショッピングモールでのひととき。


そのとき、リルスチュアートのコスメ売り場で、姫花が視線をとめていたのを思い出す。


彼女の目は、ひとつのコフレに釘付けだった。

そして――


(来週から限定販売か〜。ちょうど姫花の誕生日の前日だ。人気だからすぐなくなるんだろうなぁ……)


その“心の声”が、安城には――はっきりと聞こえていた。


安城「なるほどね。そういうこと」


濡れた髪から滴る一筋の水が、肩を滑り落ちる。

それも拭わず、彼女はスマホを手に取り、画面に指を走らせた。


(私は……)


彼女には決めていることがある。


それは、“心の声が聞こえても、それに干渉はしない”ということだ。


どれだけ明確に聞こえてしまっても。

どれだけ助けを求めているように思えても。


たとえば、聖ちゃんのように――

“訳あって、自分の性別を偽って男のフリをして入学している”

――そんな秘密を抱えた人がいたとしても。


それを他人に話したり、同情や正義感で動いたりして、その人の人生を狂わせるようなことだけは、絶対にしてはならない。


(私のせいで誰かの人生が変わってしまうなんて、そんなの……傲慢よ)


だから今も、ゆういちの問いに対して、彼女は「わからない」と返すべく文字を打ち始めた――が。


ふと、頭の中に浮かんできたのは

姫花ちゃんが、コスメのプレゼントをもらった時のとびきりの笑顔を想像した


純粋で、まっすぐで、あたたかくて。

安城の心を、そっとやわらかく包み込むような、そんな笑顔だった。


「……っ」


打ちかけた文章を、一文字ずつ消していく。

心に芽生えた微かなためらいが、安城の胸を少しずつ揺らしていた。


(――こんなの、ずるいじゃない)


スマホの画面は、まだ何も送信されていないまま。

けれど、彼女の心は確かに、少しずつ揺れていた。既読がついて、数分。

迷いながらも、安城はスマホに指を走らせる。


「ちなみにアンタは何プレゼントしようって考えてるの?」


その問いを送るや否や、すぐに返ってきた通知。

早すぎる返信に、思わず眉をひそめる。


「姫花の写真プリントしたTシャツ」

「正直自信だけはある」


……一拍。


「……は?」

スマホを見つめる視線が、氷のように冷える。


間髪入れずに、親指が画面を叩く。


「頭おかしいんじゃない?」


無感情。だが、内心では盛大にため息。

どうしてこの人は、いつもこうなのか?その自信はどこから来るんだ?。


だがその数秒後、口元にほんのわずかな笑みが浮かんだ――

そのことを、彼女自身すら気づいていなかった。


「……まったく、しょうがないわね」


小さく吐いたその言葉とは裏腹に、

安城恵梨香の表情は、どこか優しさを帯びていた。


スマホの画面には、既読をつけたばかりの、あの“しょうもないやりとり”。

だけど、ふとした拍子に、そこから滲み出る温度が心に触れる。


“心の声が聞こえる”という、誰にも知られない秘密。

それは、ずっと自分のための盾であり、壁でもあった。


誰の助けもしない。誰にも近づかない。

感情に巻き込まれることなく、冷静に、俯瞰して――

そう決めていたはずだったのに。


「ふふ……馬鹿ね。Tシャツって、ほんとにアンタは……さすがにないわよ」


自分でも驚くくらい、自然と笑みがこぼれていた。

それは“呆れ”とも、“微笑み”ともつかない、不思議な感情の混ざった笑顔。


思い出すのは、小さな妹・姫花の無邪気な笑顔と、

その笑顔を守ろうと、不器用ながらまっすぐに奮闘する、兄の“心の声”。


スマホをそっと握り直す。

これは、きっと――


自分の能力を、初めて“誰かの幸せのため”に使った瞬間だった。


冷たかったはずの胸の奥に、ほんのわずかに灯る火種。まるでこの能力を初めて正しく使えたような気持ちでもある。

それが安城自身にも、少しだけ意外だった。


そして、ディスプレイをそっとスリープさせたその瞬間。

黒くなった画面に、ふと映った自分の顔。


そこには、誰にも見せたことのない――

優しく、あたたかな笑みが、確かにあった

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