第171話 神田ゆういちという人間
俺は、
元アイドルとの放課後補習が確定したという、
あまりにもラブコメ濃度の高い現実から逃げるように、
相棒の待つ研究室へ向かっていた。
♢♢♢
ガラガラ――。
研究室のドアを開けた瞬間。
「やあやあ! 来たね!」
そこには、
いつもの白衣姿の相棒がいた。
……いや。
正確には違う。
白衣の下。
黒の水着だった。
「こいつまたかよ」
思わず真顔になる。
なんでだよ。
なんで研究室で水着なんだよ。
しかも前回より、
妙に俺の好み寄りなのが腹立つ。
黒を基調とした大人っぽいデザイン。
露出はそこまで多くない。
なのに逆に色気がある。
いやほんと何なんだこの女。
だが俺は、
あえてそこへ一切触れない事にした。
――触れたら負けだ。
本能がそう告げている。
「…………」
「やあやあ! 悪いね? こんなお昼時にさ?」
相棒はケラケラ笑いながら、
くるりと椅子を回転させる。
その瞬間。
ふわっ――と白衣がはだけた。
黒の水着が、
ちらりと見える。
「――っ」
(落ち着け……俺は紳士だ)
(品のある男だ)
(こんな安い誘惑に流されるな)
こいつは絶対、
俺をからかってる。
だから俺は騙されない。
今日は徹底的に紳士でいく。
そう決めた――その瞬間だった。
「その水着めっちゃ似合ってるな」
「――しまったっ」
静寂。
研究室の空気が止まる。
俺はゆっくり目を閉じた。
(……まあ)
(なんとなくこうなるオチは察していたが)
案の定。
本音が、
口から漏れていた。
すると相棒は、
数秒きょとんとした後――。
ニヤァ……と、
口角を吊り上げた。
「なんだいなんだい?」
「私を口説いているのかい?」
「ちげぇよ!!」
俺は即座に否定する。
「てか本題なんだよ!」
「推しとの昼食そっちのけて来たんだぞ俺!」
すると相棒は、
満足そうに笑いながら白衣を翻した。
「結論から言うと、部活を作ろうと思っていてね」
「……部活?」
「そう。部活だよ」
「へぇ……いいじゃねぇか」
俺は適当に返しながら、
近くの椅子へ腰掛ける。
「でもこの時期に入る奴いるのか?」
「みんなもう何かしら入部してるだろ」
「めぼしい奴はいるのか?」
すると相棒は、
すっ――と俺を指差した。
「君だよ」
「は?」
思考停止。
「俺?」
「そう。君」
「無理無理無理」
俺は即座に首を横へ振る。
「どうしてだい?」
「部活なんかやったら姫花ひとりぼっちになるだろうが!!」
俺は机を叩きながら叫ぶ。
「最愛の妹がお兄ちゃんロスでグレたらどうすんだよ!!」
冗談みたいに聞こえるかもしれない。
だが俺は本気だ。
かなり本気だ。
すると相棒は、
呆れたようにため息を吐いた。
「重い兄だねぇ」
「ここまでシスコンだとさすがにドン引きだよ」
「うるせぇ!!ほっとけ!!」
俺は咳払いして、
話を戻す。
「てか部活作って何するんだよ?」
すると相棒は、
待ってましたと言わんばかりに人差し指を立てた。
「よく聞いてくれたね!」
「これといって、何をするかは決めてないんだ」
「強いて言えば――」
相棒は立ち上がり、
研究室に散乱する機械達を見回した。
モニター。
謎のコード。
見たこともない装置。
そして机の上には、
明らかに学校に置いちゃダメそうな機械。
「私は発明家だ」
「その作った発明品が、世の中でどう役に立つのか」
「要は、ユーザーの反応を知りたいんだよ」
「部活では、それらを知る事が出来たらいいと思っている」
なるほど。
相棒らしい。
普通にちょっとカッコいいまである。
……天才発明家といわれるわけだ。
「あと部費が出てシュークリームいっぱい食べられるからね?」
「全部台無しだよ」
すると相棒は、
悪びれもせず肩をすくめた。
「あと私は感応科学者でもある」
その瞬間だった。
相棒の目が、
ほんの少しだけ真剣になる。
「君を狙うかもしれない“越界者”にも興味がある」
研究室の空気が、
少しだけ変わった。
さっきまでの、
ふざけた空気が。
ほんの少しだけ張り詰める。
まるで――。
それが本題だったみたいに。
「君といる機会が学校でも増えれば」
「越界者とも対峙できるかもしれないしね?」
静かな声。
けれどそこには、
冗談の色が混ざっていなかった。
俺は少しだけ眉をひそめる。
まただ。
時々こいつは、
妙に核心を突いてくる。
まるで。
俺の知らない何かを、
一人だけ理解してるみたいに。
そして相棒は――。
にやり、と笑った。
「要するに」
「私の都合の良い部活さ」
相棒は、
悪びれもせずそう言い切った。
「相棒、せっかく誘ってくれるのは嬉しいけどさ」
俺は頭を掻きながら、
少しだけ苦笑する。
「やっぱり姫花を一人にはできないや」
すると相棒は、
ふぅん、と肩をすくめた。
「まぁ、無理にとは言わないけどさ?」
その軽い返事。
けれど――。
その瞬間だった。
(……待てよ)
ふと、
ある考えが頭をよぎる。
“私的な部活”。
その言葉が、
妙に引っかかった。
俺はゆっくり相棒を見る。
「なぁ」
「ん?」
「私的な事してもいいんだよな?」
すると相棒は、
少しだけ目を丸くした後――。
ニヤッ、と笑った。
「ああ。構わないよ?うちの部活は自由だ」
その返答を聞いた瞬間。
胸の奥が、
少しだけ熱くなる。
俺は迷わず言った。
「ならさ――」
研究室の空気が、
ほんの少しだけ静かになる。
「俺、愛理のお母さんを探したいんだ」
その瞬間。
さっきまでケラケラ笑っていた相棒が、
何も言わなくなった。
ただ静かに、
俺を見ている。
俺は続ける。
「前にさ」
「相棒から、愛理が施設にいた頃までの記憶……転写してもらっただろ?」
「あの時、俺……愛理のお母さんも見たんだ」
脳裏に、
あの日の光景が蘇る。
優しく笑う女性。
小さな愛理の頭を、
愛おしそうに撫でる手。
あの表情。
あの声。
あれが、
子供を捨てる人間だったなんて。
どうしても、
俺には思えなかった。
俺は拳を握る。
「……あんな優しいお母さんが」
「愛理を捨てるなんて」
研究室の機械音だけが、
静かに響いていた。
「何かあったんじゃないかって」
気づけば、
自然とそう口にしていた。
本当は。
ただの綺麗事なのかもしれない。
勝手な理想なのかもしれない。
それでも――。
その瞬間だった。
さっきまで軽薄に笑っていた相棒の表情が、
ほんの少しだけ変わる。
「……君というやつは」
小さく、
呆れたように息を吐く。
「私的な願いですら、結局“誰かを救うこと”に行き着くんだね」
そして。
相棒は静かに続けた。
「だが――」
その声色が、
少しだけ低くなる。
「もし、君のその行動が」
「逆に本郷愛理を苦しめるとしたら?」
「君はどうするんだい」
研究室が、
しん、と静まり返る。
俺は目を閉じた。
その問いは、
きっと正しい。
俺のやろうとしてる事が、
本当に愛理のためになる保証なんてない。
もしかしたら。
過去を掘り返す事で。
傷を開く事で。
愛理を、
もっと苦しめるかもしれない。
それでも――。
俺はゆっくり目を開く。
覚悟を決めるみたいに、
真っ直ぐ相棒を見る。
「……確かにな」
「俺がやることが正しいかなんてわからない」
「もしかしたら愛理を苦しめるかもしれない」
胸の奥が、
少しだけ痛む。
それでも。
俺は言葉を止めなかった。
「それでも俺は――」
「愛理が幸せになる可能性がある未来を信じたい」
研究室の空気が、
静かに揺れる。
「もし」
「また愛理が泣くような結末だったとしても」
拳を握る。
「その時は」
「俺も一緒に泣いてやりたい」
自分でも、
不器用な答えだと思う。
綺麗な正論じゃない。
合理的でもない。
でも。
それが今の俺の本音だった。
「あの子を、もう一人にしたくないんだ」
「俺は」
「絶対に愛理を見捨てない」
言い切った瞬間。
研究室の機械音だけが、
やけに大きく響いた。
相棒は、
しばらく何も言わなかった。
ただ静かに、
俺を見ていた。
そして――。
ふっと、
小さく笑う。
けれど。
その笑みは、
いつもの軽薄なものとは違っていた。
その目だけは、
どこか違う。
まるで。
何かの答え合わせをするみたいに。
俺という存在を、
どこか納得したような目で見ていた。
「……ふふ」
「やっぱり面白いよ、神田ゆういち」
相棒が、
どこか納得したように笑う。
その瞬間だった。
ぴっ――。
相棒が突然、
スマホを取り出して何かを操作した。
「ん?」
俺は眉をひそめる。
「何してんだ? 相棒」
すると相棒は、
悪びれる様子もなく答えた。
「いや、録音してたんだ」
「君の恥ずかしい秘密でも録音して、これを学校中に広められたくなかったら部活に入れって脅すつもりだったんだ」
「いや、お前怖すぎだろ!?」
俺は思わず机を叩いた。
だが相棒は、
そんなツッコミなど完全スルー。
むしろ楽しそうに、
スマホをぴこぴこ触っている。
嫌な予感しかしない。
「送信っと!」
「は?」
俺の顔が引きつる。
「誰に送ったんだよ!?」
すると相棒は、
ニコォ……と満面の笑みを浮かべた。
「君の妹だよ?」
「は?」
思考停止。
「さっき言ってたじゃないか」
「“部活なんかしたら姫花が寂しがる”って」
「だから許可を取るためにね」
「おまっ――」
「勝手に送るなよ!!」
俺の悲鳴が研究室に響き渡る。
だが。
その瞬間だった。
ピコン♪
軽快な通知音。
「うわ、返信早っ」
相棒が、
めちゃくちゃ楽しそうに画面を見る。
嫌な予感が、
限界突破する。
「……何て来たんだよ」
恐る恐る聞くと、
相棒はわざとらしく咳払いした。
「やっぱり君の妹だね?」
そして。
読み上げる。
「“私を何歳だって思ってるのよ”」
「“にぃにがいなくても全然寂しくない”」
「えぇ!? 嘘だろ!?」
思わず叫ぶ。
「いやいや絶対強がりだろ!?」
「くくっ……」
相棒は肩を震わせながら、
続きを読み上げた。
「“だから――”」
研究室の空気が、
少しだけ静かになる。
「“本郷愛理さんのお母さんを、必ず見つけてね?”」
「――だってさ」




