王宮夜会 (5)
容疑者の貴族たちが騎士たちとホールを出ていく後ろ姿を、人々はざわめきながら見送った。
入り口の扉が閉まる前に、ラルフ王は「さて」と言いながら手を大きく打ち鳴らした。人々はおしゃべりをやめ、注意を国王に向ける。
「せっかくの夜会なのに、ごたごたしてすまなかったね」
王族の暗殺やら暗殺未遂やらといった重い話を「ごたごた」と雑にまとめる国王に、人々からは苦笑がもれた。だが苦笑しながらも、これが国王の気遣いだということに人々は気づいていた。
ラルフ王は、にこやかに続ける。
「気分の悪い話は忘れて、めでたい話をしよう」
人々は国王の次の言葉を、そのまま静かに待った。
「さきほどルイスを王太子に指名したが、実はルイスの婚約者はすでに決まっている。家柄も、政治的な結びつきの面からも、申し分ないお嬢さんだ」
これを聞いて、ユージェニーは全身から血の気が引いていくのを感じた。
王太子なんて、結婚にも政治が絡むに決まっている。無事な姿を見てホッとするあまり、そんな当然のことに思いが至らなかった。そもそもエルドウィンが王太子だというこの現実が、まだのみ込めていなかったのだ。
なのに、まだ言葉も交わせないうちに、別の誰かとの結婚が決まってしまうのか。泣きそうだ。けれどもここで、不意に彼女の頭の中に名案がひらめいた。
(また、逃げればいいのよ)
そうだ、また逃げればいい。ルシアンから逃げたように。今度はエルドウィンを連れて。二人一緒なら、どこでだって生きていける。
ユージェニーが心の中ではっきりと決意したその瞬間、ラルフ王は高らかに呼ばわった。
「オールダム侯爵家のユージェニー嬢、ここへ」
彼女は呼ばれたのが自分の名前であることに、すぐには気づかなかった。だがホール内のすべての人の視線は、彼女に集まっている。国王も、彼女のほうを向いて笑顔で手招きしているではないか。
(え? わたし?)
驚いてエルドウィンに視線を向ければ、彼は笑顔で両手を広げてみせた。
「ジニー、おいで」
彼のその声と姿は、あまりにもいつもどおりだった。
だからつい、ユージェニーも我を忘れて、いつもどおりに走ってしまったのだ。淑女らしい礼儀作法なんて、かなぐり捨てて。いつもどおりに、勢いよく抱きついてしまった。そしてエルドウィンは、いつもどおり揺るぎなく彼女を抱きとめたのだった。
彼女はエルドウィンをぎゅうっと抱きしめたまま、彼を見上げる。
「会いたかった」
「うん。僕も」
「ずっと、ずっと探してたんだから」
「うん、僕もだよ」
「ねえ、どうして──」
ここで、エルドウィンの陰からラルフ王がわざとらしく咳払いをした。これから聞きたいことが山ほどあるのに、水を差された気分だ。いささかムッとしながら、彼女は彼から体を離して国王のほうに顔を向けた。
国王はすまなそうな、困ったような顔をしていた。
「積もる話もあるだろうが、それは二人きりになったときにしてくれるとありがたいかな」
そう言われてユージェニーは目をしばたたき、辺りを見回す。
ホール内にいるすべての人々の視線が、ユージェニーとエルドウィンの上に集まっていた。国王の言葉がなければ、気づかないままでいるところだった。顔から火が出そうだ。ようやく会えたうれしさで、彼しか目に入らなくなっていた。
羞恥に頬を染めたユージェニーとは対照的に、エルドウィンは相変わらずいつもどおりだ。穏やかな笑みを浮かべたまま彼女の肩に手を回し、キュッと抱き寄せた。
二人を微笑ましげに見守っていた国王は、人々へ向き直り、よく通る声で開会を宣言した。
「実はすでに神殿で誓いを交わし、簡素ながらも婚約式は終わっている。だから今日の夜会をもって、婚約披露の場に代えたい。みんな、楽しんでいってくれ」
どこからともなく拍手が沸き起こり、ホール内全体に広がった。やがて拍手がやむと、人々はまた、それぞれの輪に散っていく。
エルドウィンの前には、貴族たちがひっきりなしに挨拶にやってきた。
「王太子のご就任、およびご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう」
エルドウィンはにこやかに挨拶を返し、列なす人々をそつなくさばいていく。だがしばらくすると、彼はユージェニーの耳もとにささやいた。
「ここで待ってないで、こっちから回ろう。そのほうが効率がよさそうだ」
「そうね」
エルドウィンはまず、オールダム侯爵家の面々が輪になっているところへ出向いた。挨拶が交わされる前に、ユージェニーは彼の腕を引っ張ってジョージの前に連れていく。
「おじいさま、この人がエルドウィンです」
「えっ」
「事情は、わたしもまだ知りません。あとで聞き出しておきますね」
「ああ、うん」
さすがのジョージも、何を言われたのかすぐには理解しがたかったらしい。目をまたたかせて、「やっぱり、とんでもない隠し球を持っていたじゃないか……」と呆然としていた。だがそれも、ほんの一瞬のこと。すぐに表情を取りつくろう。
「跳ねっ返り娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「よく知ってます」
にこやかにエルドウィンがさらりと返すものだから、思わずユージェニーは目を据わらせて横目でにらんでしまった。すかさず弟のシリルが呆れ顔で、容赦なく指摘する。
「ジニー、そういうところだよ」
明るい笑い声が上がった。
ユージェニーは閉口してくるりと目を回してみせるも、次の瞬間にはとり澄ました顔を作っていた。彼女が気の強いところを見せるのは、家族の前だけなのだ。
家族への紹介を済ませたので、次はホール内にいる人々の輪をひとつひとつ訪ねて挨拶していく。その中で、彼女はあることに気づいた。カスバート王子の妃や、宰相夫人の姿がどこにも見当たらない。
それに気づいてから、それとなくホール内をうかがってみる。するとフィッツシモンズ子爵家の者や、ブルフォード伯爵家の者の姿も見当たらなかった。まあ、それも当然だろう。家長が衆目の中で拘束されるという屈辱を受けた後なのだから。会場に残っていても、針のむしろでしかない。居たたまれず早々に辞したのだとしても、無理はなかった。
そう言えば宰相たちが拘束されて出て行った後、青い顔をして足早に会場を出ていった貴族も何人かいた。あれはきっと、今からでも証拠隠滅を図ろうとしていたのではないか。でも、もう手遅れだ。
有能なゴードンのこと、間違いなく彼らの屋敷にもすでに捜査の手が入っている。カスバート王子が王太子に指名されるとぬか喜びし、当主たちが夜会に繰り出した隙を逃すはずがない。むしろ国王に具申して今のこの状況を作り出していたと考えるほうが、自然なくらいだ。当主が不在の間に、あらゆる証拠を押収し尽くしているに違いない。
この先、悪事に直接的に加担したかどうかにかかわらず、宰相派だった貴族たちの未来は明るくないだろう。それがわかっているからか、宰相派だったはずの貴族ほどエルドウィンのご機嫌取りに必死な様子がうかがえた。
一時間ほどもかけてホール内を一周し、やっとひととおりの挨拶回りが終わる。ちょうどそれを見計らったかのように、ひとりの男が楽団のところへ案内されてやってきた。
それは、吟遊詩人エルチェだった。彼は人々に向かって流れるように一礼し、深みのあるよく通る声で口上を述べた。
「このような記念すべき慶事に呼んでいただきましたこと、望外の喜びでございます。今日はみなさまもよくご存じの『エイミーとロニーの物語』を披露しにまいりました。ただし内容は、みなさまがご存じのものとは少しばかり違っております」
口上を聞きつけ、人々はおしゃべりをやめて楽団の周りに集まっていく。エルチェはゆっくりと聴衆を見回し、ユージェニーに気づくと笑みを深めて小さく目礼した。
「では、どうぞ真実の物語をお聞きください」




