東都 中央地区α+ 五月六日 午後三時四十二分
レースカーテンの向こう側、鮮やかな空とビル街の合間に入道雲が湧いている。
ここ二週間で空調の作り出す適温に慣れ切ってしまったため、体では外の暑さに茹るやもしれないが、今に限ってはどうにも外が恋しい。
「お金ならいくらでも出すって言ってるじゃない」
異様に強い香水の匂いから気を逸らすべく、目前に座る相談主を顔を見る振りで外を眺めていたが、劈く金切声に思わず片耳を塞ぐ。
「上級請負人が政を左右する仕事を請けること自体が御法度なんです。金を積まれりゃ出来るって話じゃないんですよ」
「得票数の操作くらいバレずに出来るでしょう?!」
顔を赤らめて怒鳴り散らす女性が紙束を疾風へ叩きつけ、太腿へ落ちた金額無記入の小切手に目を落とし大袈裟に肩を落とす。
手首の時計型端末に目をやれば、短針は一目盛り進み長針は一周半を過ぎており、無意味な押し問答の繰り返しを耐える自分を賞賛したくなる。
記名された名前はマンション前へ一時的に作られた選挙告知掲示板のポスターで見たが、紙面上で表明していた公約と今話す依頼内容はまるで真反対のことだ。それを本人は分かっているのだろうか。
二日ほど前に彼女が行っていた街頭演説では立派な公約を掲げていたが、素性を知った今思い返すと聞こえを良くしただけの口約束を並べただけだった事がよくわかる。
今も選挙権を保有していたら、候補から即時外して別名を書き込むのは間違いない。
「どこに居るのよ、この都内の請負業最高責任者ってのは…」
苛立った様子の女が零した言葉を耳が拾い、観察力だけでなく知性も感じられず、疾風は浅く息を吐く。
「……政都に関する職へついているアナタ様なら、あの証をご存知では?」
膝上の小切手を一度テーブルに戻し、その手でそのまま飾り棚に置いた小型の盾を指し示す。
御影石の台座に嵌められた大盤の黒瑪瑙はダーツ盤を模して彫り削られ、その円盤には二本の短矢と回転弾倉銃が交差して浮彫が施されている。
自分と実弟の名が認可証下に記されたそれを目にした女は、棚から盾を掴み出して凝視する。
「アンタさっき、上級請負人だって言ったじゃない!」
「ええ言いました。請負業界内の階級構造では都内最高責任者なのは認めます。ですが、依頼人から見た階級構造では[上級請負人]でしかないんですよ。」
「五月蝿いっ!国家認可証持ちなら飼犬らしく言うこと聞きなさいよ、私達はアンタ達の飼主なのよ?!」
「最上位資格保有者が政関連で動けないようにしているのも飼主である貴女がたですよ?御存知無いんです?」
「口答えするんじゃない!」
響き渡る罵声と共に投げつけられた盾を右肩で受けた瞬間、体内から僅かに鈍い音が響く。
外感痛覚が機能していないため何も感じないが、かなりの衝撃で当たったのかもしれない。
落下しかけるそれを二の腕で挟み、守った利き手で小切手帳を滑らせて返却する。
露骨な嫌悪を見せつつ鞄へと戻した女議員候補者は、応接室の扉を壊さんばかりに叩き開けた。
「そんなに頼みたいんなら、下位資格保有者の連絡先お教えしますよ?アナタが最初に提示した額でも十分過ぎる報酬ですし、動いてくれる人間もいると思います」
「結構よ!アンタに紹介されるくらいなら自分で探す方がマシだわ!」
宣材写真に写っていた笑みとは程遠い、血の気が上がり切った赤い夜叉顔を晒したまま喚く議員が扉に当たり散らそうと力を込める。しかし、交換したばかりのドアクローザーは衝撃を全て吸収してゆっくりと閉じていく。
鍵を掛けて背を預けた扉の足元あたりから不自然な金属音が響くと同時、悲鳴じみた声が聞こえた。
「やれやれ……この時期になると増えるな、この手のハナシは」
ようやく訪れた開放感に疾風は肩の力を緩めて右手にもったままの石盾へと目を移す。
敢えて激昂させるような言い方をしたのは、衝動行動による本人の素を曝け出させるためだ。
鞄やティーカップなどの軽くて持ちやすいものもある中、人を殺めるにも十分な重量がある物品をわざわざ掴み出して使用した事を考慮すると、力や立場が「自分よりも弱い」と認識した相手への風当たりが強い人間なのだろう。
あの様子からすると、普段から感情が高まると物品へ当たり散らしている可能性も想像に容易い。
本来であれば傷害罪として警察へ通報できるが、今回は此方の立場を示した上で嗾けたことなので、言う必要はない。
靴箱棚へ盾を置き、応接室の片付けを始めようかと水場に向かう廊下で、携帯端末と時計型端末が静かに暴れ始める。
文字盤に表示される《管理室》の文字に眉を寄せ、受話をタップした。
「おう、どうした」
『スンマセン疾風兄さん、仕事終わったばかりなのに。もう大丈夫です?』
「機嫌は頗る悪ィが大丈夫だ。どうした?」
電話の向こう側、管理人代理として管理室に入っている月原涼夜の困惑した声。その奥からは微かに男性同士の話し声が聴こえる。
『飛び込みで至急相談したいって方が来てまして。応接室片付けてるかと思って携帯にしたんですけど』
「気遣いありがとさん、こっちは問題ねえよ。名前は」
『えー……それが、政治家の金野光三サ「警察行けって言って帰らせろ」
耳が名を捉えたと同時、考えるよりも先に脊髄反射にも近い速さで口が拒否の言葉を生む。
連絡を入れてくれた月原に当たるつもりはないが、感情が先走り思わず唸り、眉間に皺を寄せる。
よりによって次の来客も政治家とは。
謹慎期間を明けて2日で無駄な時間と言い争いを過ごしたばかりだと言うのに、一息分の休み時間を挟んだとしても気持ちを落ち着けるには無理がある。
数日前の一泊旅行で癒した疲労が、数十倍になって返って来てるようにしか思えない。
『管理長……その、お気持ちはものすごーく判るんですけど、西地区警察署長サンも同伴なんですわ…』
「……相談済みの上って訳か。わかった、通してくれ」
時間を稼いでくれていたであろう月原の申し訳無さそうな追言に首を傾げつつ、礼を伝えて通話を途切る。
「厄介ゴト確定じゃねえか…」
少なくとも政治関係ではないのだろうが、警察の上層部が直々の同伴ということは、彼らが既に関わっている何かであると考えるべきだろうか。
右襟首を持ち上げて覗いた肩に浮かぶ赤い炎症に苦笑し、湯を沸かし直すために疾風は給湯室へ向かった。




