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EDGE LIFE  作者: 如月 巽
Xtra.02 新堂兄弟の一泊旅
89/98

【宿部屋 [星岳の間]】

 足湯横丁で地酒とつまみを楽しみ、館内の広小路エリアに入っている旧国料理処の御膳に舌鼓。

 酔い覚ましに縁日通りの型抜きで手先と頭を使い、互いの得意分野に当たるゲームを遊んで、大櫓前で行われた催し舞台の大道芸を眺めてきた。


「んー…っ…よく食ったぁ」

「こんな遊んで食べて過ごしたのは初めてだな」


 時間を空けているとはいえアルコールの入った身体での入浴をする気はなく、大浴場での入浴は明日の朝に回して宿泊部屋へと戻ってくれば、就寝の用意に訪れていたらしい中居が部屋から出て来る姿が見えた。


「おかえりなさいませ。館内はお楽しみ頂けましたか?」

「ええ、おかげさんで童心に戻れました」

「嬉しいお言葉ありがとうございます。お部屋の方はご就寝支度をさせていただきました。起きましたらお布団はそのままの状態で結構です」


 恭しく頭を下げる女性スタッフに会釈を返し、疾斗が扉へ指輪を嵌めた左手を翳せばオートロックが解除される音が耳に届く。ノブを握り部屋へ入ろうとすると、次の部屋へ向かおうとしたスタッフは何かを思い出したように此方へと戻って来た。


「お客様、もし宜しければですが[星見酒]のご用意をさせていただきましょうか?」

「星見酒?月見ではなく?」

「ええ。毎年この時期は鯨座流星雨が見られるんです。今日が一番綺麗なんですよ」


 朗らかに笑う初老の女性の言葉に疾斗と顔を見合わせ、出来たばかりの施設に詳しい彼女へ首を傾げて問いを投げる。

 聞けば女性は昔からこの辺りに住んでいるらしく、元々はこの宿泊施設が建てられることを反対していた側だったらしい。

 政都が教育施設の新設に力を入れすぎるあまり、山岳地帯が多いこの地区も随分と森林が削られており、掘り当たった温泉に目をつけて更に開発が勧められてしまうのではと怯えていたという。

 景観を壊されることを厭悪する先住者達の話に、運営を任されたグローリリーフが耳を傾けてくれたそうだ。

 それらを守った外観造りと意見を取り入れてくれることを約束してくれたことで合意し、娯楽の少ないこの東都に新たな楽しみを増やすことができた、と嬉しそうに話してくれる。

 彼女は宿泊部屋の提案に携わり、どの部屋からも夜空を楽しめる様に設計をしてもらい、一番見通しの良い場所であるこの部屋に力を入れたのだと笑う。


「──お部屋の名前も私がつけさせて……ああ申し訳ありません、おすすめをする筈がこちらの身の上話で貴重なお時間を頂いてしまいまして…」

「いえ、良い話をありがとうございます。その星見酒ってやつ、お願いして良いですか」

「かしこまりました、ありがとうございます。準備次第お持ち致します」


 今一度姿勢を整え直し最敬礼をした中居は、どことなく足取りが軽くなった様子で移動台車を押して行く。


 ここが出来上がるまでの間、どれだけの人が悩んで意見を交わし、譲歩し合ってきたのだろうか。

 個人法人、機関や政都からの依頼がない限り、如何なることにも介入することはない【請負屋】は、そんな苦労があったことなど全く知らなかった。

 今ここで話を知る事がなければ、施設をただ堪能して終わるだけだっただろう。


「……まだまだだな、俺らも」

「ああ。でも、知るか知らないかでまただいぶ違う」


 閉じてしまった扉を再度解錠した弟の言葉に苦笑って部屋へ入ると、常夜灯だけが燈された薄暗い室内に、淡く柔らかな光が差し入っている。

 部屋へ通された際、広縁の外にあるベランダルームを見た時には、足元を見るための誘導灯は確認したが、外付照明らしきものを見かけた覚えはない。

 前室から布団の敷かれた主室を足早に抜け、座高が低く作られた布張りのソファを避けて、小洒落た遮光カーテンの片割れへ手を掛ける。

 揺れて漏れ入る白光が更に部屋へと広がり、子供の頃に始めて祭囃子を聞いた時のような高揚感と期待を胸に、大布を一息にレールへ走らせた瞬間。


「────っ…!」


 高透過硝子が使われたベランダルームの向こう側。

 普段目にしている夜が偽りではと思うほど、雲筋も欠片もない澄んだ藍色の空。

 家では数個見える程度の星が、数えるなど到底出来ない程に姿を現して涼やかに煌めく。


「凄いな……こんな空が見られる所があったのか…」


 空が晴れきっている事もあってか、誘導灯が灯されていなくとも室内は星に照らされて明るい。

 文献に残る風景を研究して原型を割り出して模することは出来ても、自然各々が持っている力を表現することまでは敵わない。

 疑似空間によって作られた風景がどれだけ美しいとしても、その時の風や空気まで再現することは出来ないことを考えると、この感動は人工物を見たところで出る事は無いのだろう。


「プラネタリウムなんか全っ然比にならねえわ……」


 浴衣の裾を捲り上げ、設置されている露天風呂へと足だけ浸して天を見上げれば、目線が低くなった分だけ更に多くの星々が視界に映り、あまりの華麗優美さに嘆息が溢れる。

 一つたりとも同じ表情を見せることのない天空を暫し眺めていれば、扉を控えめに叩く音が響く。

 先程の中居に頼んだ品が届いたのだろう、取りに行こうと風呂縁の足場へ手をつけば、そっと肩に触れた疾斗が言葉を発することなく部屋の出入口に向かう。

 不器用で何気ない気遣いは昔と変わらず、請負人になってからは何度助けられたことか。


 真夜中ですら何かと気忙しい都心部ではまず味わうことの出来ない、一拍の静寂。

 遠く聞こえる声は梟か、深く低く響く音が心地良い。


 時間帯的にすれ違うことの多い弟と時間を長く共有して過ごし、信頼のおける友人と心置きなく遊ぶ事など、いつもの非日常的日常ではまず考えられない事だ。

 今日という一日で、心を束縛していた緊張の猜疑の糸をだいぶ解かれたような気がする。

 謹慎期間という建前の連休が明ければまた引き締めなければならないが、残りの数日くらいはこのままで居ても良いのかもしれない。


「疾風」


 静かに名を呼ばれて振り返れば、普段よりも穏やかな空気を纏った疾斗が頬を緩める。

 裾を上げて風呂縁へ腰を下ろして湯船に足を浸けると、互いの間に空けていた一席分に携えていた木桶を静かに置く。覗けば、六分ほどまで酒の注がれた硝子製の冷酒カラフェと生菓子、深緑と深紫の猪口が一つずつ入れられている。


「酒の名前も今日に合わせて[流星]だそうだ」

「どこまでも洒落が利いてる」


 徳利へと手を伸ばした半身の手を軽く止め、驚く指先へ猪口を渡して酒を注いでやれば、少し困ったように笑って返杯される。

 家でも時折やっている事なのに少し照れくさく感じてしまうのは、特別な時間の中の一つだからだろうか。

 互いに杯を軽く上げて口へと進めれば、熟れた果実のようなとろりと溶ける甘さが舌を撫でた後に薄荷に似た清涼感を伴って喉を落ちる。

 甘味から辛味の効いた飲み口はさながら流星ということか、程よい後味はさらなる一杯を呼ぶ。


「…さっき、何か考えてたのか?」


 猪口へ次の酒を注ぎながら投げられた問いに、疾風は首を僅かに傾ぐ。

 品を受け取り戻って来る際、空を眺める姿を見て何か思う所があったのだろう。その表情に大きな起伏は見られないが、目には微かな不安を宿らせているように見える。


「……疾斗が俺を[兄貴]って呼ぶようになったの、いつからだったっけなって」


 苦し紛れの偽りの回答に、僅かに目を見開いた疾斗が暫く此方を見つめて、息を吐く。


「…変えたのは請負人になって、間もなく」

「となるともう十六、七年か。なんだかんだ結構経つな」


 疾斗が突然[疾風]と呼ばなくなった日のことは、昨日の事のように覚えている。

 高等学生最初の年、温かな雨が降っていた春の夜。

 業務代行請負業の資格取得を遂げたその日、互いの立場を明確にするように名前を日常生活で呼ばれなくなった。

 使い分けで公私混同を防ごうとしていると気付いたのはそれから数日過ぎた後の事だった。

 理解はすれど納得する事が出来ず、顔を合わせる時間を減らそうと当時の階級で請けられる仕事をひたすら受諾して帰宅時間を遅らせていた時期もあった。


「……嫌、か?」

「んなこたねえよ。二十歳前のこと今も引っ張ってるわけねえだろ。あの頃はまだ若すぎて、お前の考え方を理解してやれなかったんだよ」


 呼称に対して擦れた考えを持つような頭は、とうの昔に完全に捨ててきた。

 否。捨ててきたと思っていた。


 本人にとっては本当に僅かな気の緩みから出たのであろう、昔と同じ呼び方。

 その音が真っ直ぐと耳へ入って来た瞬間、素直に嬉しいと思った自分が居たことに驚いた。

しかしそのことを言葉にするのは妙に気恥ずかしく抵抗があり、先があるのかと待つ視線から目を逸らし、猪口へ口をつけたまま「あの時はゴメンな」と呟けば、僅かに目を見開き首を横に振る。


「……俺は、疾風が本当に笑っている顔を見られて安心した」


 くっきりとした低音が紡ぐ、思いもしなかった意外な言葉。

 生菓子に刺した黒文字楊枝を止めて視線だけを上げれば、猪口の中身を一息に煽った半身は珍しく得意げに口角を上げてカラフェの酒を杯へと移す。


「…気付いてたのか」

「何年疾風の弟やってると思ってる?それぐらい判る」

「……言ってくれるぜ」


 乾き物の摘み豆の器を引き寄せて甘味の皿を此方へ押しやる弟の額を小突き、笑い合う。


(贅沢してンなぁ……)


 切り分けた水饅頭を一口入れて酒を呑んだ瞬間、視界の端を白い筋が奔る。

 一つ、また一つと落ちてゆく光。

 消えゆく光帯(こうたい)を目で追い、僅かに視線が噛み合ったと同時に硝子張りの天を仰ぎ見れば、濃藍に浮かぶ光の湖面から流星雨が降り始める。

 強く眩く、弱く柔く、煌めき奔り征き消えゆく星々は、またいつか新たな光に変わるのだろう。


「……なあ、疾斗」

「どうした、疾風」

「年一回くらい、どっか一泊しようぜ」

「……ああ、良い考えだな」


 提案に驚きつつ笑った実弟の光無い右目へ、流星の白光が映り込む。

 美しく暖かい空の下、双子の星宴は想い出話を肴に夜更けまで続いた。

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