【足湯横丁】
一足早めに浴場を出た疾斗は、逆ナンされました。
公共の場を乱した男を露天風呂のベンチへそのまま転がし、仕事が関係することのない他愛もない話を友人と楽しんで、上せる前にと実兄に一言掛けて先に上がったまでは良かった。
「え、ホンモノなんですよね?!」
「申し訳ない……今日は身内と来ていて、プライベートなので…」
「えー?ホントですかぁ?」
「本当は恋人さんと来てるとか!」
人は多くも他人に興味を示すことが少ない街中とは違う環境である以上、外で一人待つなどという選択をすれば、この事態が起こる可能性は考えられた筈だった。
館内のシンボルとなっている大櫓広場から伸びた渡り廊下を進んで行く道すがら、運悪く女性二人組に捕まり、地酒の飲み比べと足湯と共に楽しめる【足湯横丁】へと連れてこられてしまった。
まだ成人したばかりくらいだろうか。
いやに親しげに話しかけてくる見知らぬ女達は、身勝手な妄想を諾々と口にしながら異様に詰め寄ってくる。
風呂上がりとは思うが、やたら甘ったるい香りがするのは一体何なのだろう。
鼻腔を突くような強い芳香にやや頭が痛くなるが、進行方向を遮るように纏わり付かれているためにうまく逃げることも出来ない。
力を使えば脱出自体は簡単だが、それを気づかれぬようにしたとしても、無意味に背鰭尾鰭のついた噂が広まりかねない。
その危険性を考えると、相手が飽きるまで此方が耐える方が無難に思える。
(疾風達が出るまで待ってた方が良かったな…)
「HAYATOさーん、写真撮りますよー?」
「いや、写真は…」
「良いじゃないですかー、はいチー──」
「し……疾斗さんすみません、お待たせしましたか?」
向けられた携帯端末のシャッターを押し掛けた指をほんの一瞬だけ静止させ、声の聞こえた方向へ顔を向ければ、濃灰髪の女性─都築凛がゆるりと頭を下げる。
ロングネックインナーの上に紫陽花と紅金魚柄の簡易浴衣を着込み、向日葵のような濃黄の兵児帯を留めたその姿は、普段の真面目な雰囲気は変わらないが硬い印象とは変わって穏やかに見える。
「え…本当に、こいび…」
「あの、夫と…お兄さん、は?」
「え…あ、ああ。里央は髪を乾かしてから、兄貴はもう少し温まってから来ると言っていた」
呆気に取られた女の見当違いな発言を遮る凛からの仮初の問いに、咄嗟に偽の答えを絞り出す。
─都築の髪が肩下程まで長さまである。
それを考えるとあながち間違ってはいないだろう。
少々ぎこちなさの残る会話に怪しんでいるのではないかと二人に目を落とすと、先程までの剛気さが萎み、戸惑いを帯び始める。
此方の言葉を聞いていなかった訳ではないらしい。
自分たちが取っていた行動に対して自問自答しているのか、時折何事かを話しては視線が彷徨うも、まだ心の何処かで何かを期待しているらしく離れる気配はない。
凛の助け舟に乗り切れず、俄かに騒ぎ始めた二人からできる限り視線を外してどうした物かと眉を顰める。
─カシャ カシャカシャ
「勝手に写真撮られるのって、どんな気分だ?お嬢さんがた」
耳に届いた電子シャッター音と嘲笑うような声に反応して振り向けば、悪役のような笑みを浮かべた疾風が携帯端末に指を幾度もタップしながら立っていた。
「えっ、ちょ、やめてください!」
「ヤメテクダサイ、ねぇ。それ、俺の弟も言ってなかったか?」
二人組へ端末を向けたまま凛に会釈し、一歩、また一歩と実兄が歩み来れば、警戒する女達はジリジリと此方から離れていく。
一人は何かを察したのか少々顔を青褪めさせて制止するが、撮影してきた女の方は何か言いたげに唇を食みながら何事かを求めてチラチラと疾斗へ視線を投げてくる。
「は、HAYATOさんってぇ、イベントの時もファンサとか殆どないじゃないですかぁ。こーゆーときこそ交流を大事にしとかないと、そのうち人気無くなりますよ?」
(……脅してるつもり、なんだろうな。多分)
紙媒体の中に映る自分とインタビュー記事の言葉から、勝手な理想絵図を書く事は仕方のないこと。
とはいえ、今の彼女は自身の理想を此方へ押し付けているだけだ。
ここで同情して数枚の撮影を許せば早いのだろうが、SNSに無断掲載されて有る事無い事を書かれることは避けなければならない。
「……申し訳ない。事務所からも[サービスを覚えろ]とは言われるんですが…どうも得意でなくて」
強欲な自論をつらつらと口から連ね続ける娘の視線を下げさせるため、床に膝をつけて屈み両手で片手を取る。
「えっ、あ……」
しつこい輩に一欠片の優しさを与えるほどの寛大さは持ち合わせていないが、限られている時間をこれ以上無駄にするような莫迦な事もしたくはない。
仕事柄姿勢に気を使うだけに、浴衣でこの座り方はどうなのかと思うが、目前の女には些細な事らしく、目を丸くしている。
「…仕事の時間が決まっていない自分が、普段あまり休めない兄と漸く時間を合わせて出かける事ができた、大切な休日なんです」
雑誌の中に映る自分。
彼女が自身の中で作り上げているであろう理想像。
できる限りどちらも壊さぬように問いかけ、指先を軽く握り、口角を上げる。
「好いて頂けるのは嬉しいですが、これで許して頂けませんか?」
「~~~~~~~~~~~っ!」
覗き込もうと首を傾げた次の瞬間、顔を真赤に染めると同時に音にならない声を上げ、娘は手を勢いよく振り払い、周囲に構う事なく一目散に渡り廊下へと逃げ出して行く。
青褪めていたもう一人も一拍の間を置いて小走りで女の後を追い掛け、姿が見えなくなるのを確認して立ち上がれば、疾風は肩を軽く竦めて苦笑した。
「すみません、すぐに声を掛けたかったんですが…」
「いえ、凛さんが機転利かせてくれたおかげで、本当に助かりました」
「お役に立てて良かったです」
「本当に助かった、ありがとうな」
二人分の謝礼に困惑しつつ、無事だったことに安堵した様子で凛が眉を下げて首を緩く振りながら微笑う。
浴場で聞いた話によると、レイヴホープは社員数が多いため、一斉ではなく数グループ単位で日時をずらして社員旅行を行っているという。
今日明日は本来の業務である監視調査部と整備会社で彼の受け持つ部署の両方に所属している人間が施設内に居り、本所属の社員に限り家族・友人の同行が許可されている。
普段であれば国役所内の一課長である凛は窓口対応をしている時間帯だが、いつも必要以上に気遣い働く彼女を想い、社員旅行に連れてきたということらしい。
何とも奇妙ではあるが、偶然が重なったことでいつもなら回避が難しい事態を逃れることが出来たと言っても過言ではないだろう。
「疾風さんと疾斗さんも、里央さんに社員旅行誘われたんだと思いました」
「疾風が[宿泊券を籤で当てたから]って誘ってくれたんで、休みを取ったんです」
「え?」
投げられた問いにいつもと変わらぬ調子で返したつもりが、問い返されるような一言。
その声に驚いて疾斗が顔を上げれば、珍しく目を丸くした凛と疾風が顔を見合わせては此方を幾度も確認して首を傾げる。
「…どうかしました?」
「いま、疾風さんのことを、お名前で呼んでいたので…珍しいな、と……」
言葉尻を窄めながら言われた予想していなかった解に思考が止まる。
自分としては[兄貴]と言っていたつもりだったが、違っていたのだろうか。
請負業に就いて間もなく、公私の分別をつけるために私生活での名前呼びをやめて呼称を使うようにしたのだが、呼び始めた当初は意識して使っていたそれは、今や当たり前のように馴染み切り、意識せずとも呼び分けができていた。
言葉を見出せずに二人を表情を交互に確認する他に何も出来ず立ち尽くしていると、唐突に肩を叩かれた。
「疾斗、大丈夫だったか?」
「里央か…驚いた。少し危なかったが、凛さんと疾風のおかげで…っ…?!」
口から出た実兄の呼称が名前になっている事を自覚し、思わず言葉を止めて顔を上げれば、先程まで同じような表情をしていた筈の男は手の甲に口元を当てて笑いを堪えている。
どうも今日は自分自身の感情がコントロールしきれていないらしい。
仕事の一環や日常の逢瀬とは違う、非日常的な環境での交流の楽しさに気が緩み切っている。
少しでも冷静さを取り戻そうと一度視界を閉じ、普段よりもやや速い鼓動に意識を向けて深呼吸を始めれば、数秒おいて首肩に何かが触れる。
浴衣の生地越しに伝わる温かさに目を開けば、八重歯を見せて笑う実兄の顔。
「普通に呼んでくれよ。今日明日くらいただの兄弟で良いんじゃねーの?」
まるで子供のように屈託なく笑う疾風に釣られ、懸命に直そうとしていた顔は苦笑に崩れた。




