東都 南東地区β- 四月三十日 午前十一時二十六分
中央地区内のビル街を抜け、南東地区へ向かうインターチェンジへ入った瞬間、目前に広がる新緑と深緑のグラデーション。
蒼天とのコントラストは鮮やかで目に楽しいが、運転する隻眼の実弟には眩しすぎるのか、珍しく偏光サングラスを掛けている。
「二人で普通の一泊なんて初めてじゃねえか?」
「確かに。そもそも旅行自体そんなに行った記憶がない」
「それもそうだな」
ドリンクホルダーへ立てていた縦置型灰皿へ吸殻を落とし、行きがけに買ったボトルコーヒーへ口を付ける。
自分達の母親は能力者の中でも珍しい能力を持ち、それに加えて後天性の難病で体調面で大きな波を持っていた。
疾斗はそんな母の類稀なる能力を血と共に受け継ぎ、幼い頃はその力の代償に三日以上眠り続ける事が当たり前だった為、小学生の頃は日中に外に出ることが少なかった。
そして父親は、東都管理を担う先代国家認可請負人。
どこかへ出かけたり遊んでもらうよりも、父の空き時間に体術や道具の使い方を教わる事の方が多かった。
それが常であり普通だった自分達にとって、当時は長期休暇後の作文に書くことがなく白紙のまま出しては、同級生に「金持ちなのに」と不可解な難癖をつけられ喧嘩になったことすらある。
家族の仲が悪かったわけでは決して無い。
しかし全員で揃って出掛ける事が出来たのは片手で数えられるほどしかないのも確かだ。
まともに記憶に残っているのは、初めて行った南都の海で父に二人同時に海中へ放り込まれたことと、竹林のキャンプ場で母から弥次郎兵衛の作り方を教えてくれた事くらいかも知れない。
互いの背を預けるようになってからは、共に出掛けるのはせいぜい日用品や食品を買いに行く時くらいの物で、遊びに行くことなど考えたことも無かった。
腿上に乗せていたヒップバッグを開き、ペアチケットと共に封筒へ入れられていたリーフレットを出せば【教育都区】と呼称される東都ではまず見かけない古風な遊戯場の写真が乗せられている。
温泉の効能や食事の種類、近隣の観光スポットも仔細に書かれ、経営元が持つ調査力の高さに感心して頁を捲りつつ、仕事以外で何かを楽しみにする気持ちは自分にもまだ残っていたのかと笑う。
「仮想スパーリングも飽きてたんだろう?」
「まぁな。どっか遊びに行くっつっても、俺の場合ダーツ投げに行くくらいしかねえし」
「普段とさして変わらないな」
「うるせえよ。ンなこと言ったらお前のサバイバルゲームも変わらねえだろ」
「まぁほとんどは」
車中で家にいる時のような普通の兄弟の会話を長く交わすのは何年振りだろうか。
大小関わらず個人や政都からの依頼があれば、請負屋としての勤務時間になる。一般的に言われる連休など存在自体は在っても自分達には関係のない物だ。
どこにいようとも寛ぎきる事などは出来ず、どこかしらで仕事が絡んでくるのが常で、たとえ完全休暇が二日続く日ができても切り替えが難しいのが現実だ。
しかし今回は珍しく何事のない一般的な日々を過ごしている。
数日前、職務中の不慮の事故で疾風自身が精神的苦痛を負い、機関本部から《業務停止》という名の強制長期休暇が言い渡されたというだけのこと。
懲罰というより慰安の意が込められているらしいのだが、突然降って沸いたようなこの連休は退屈でしかなかったため、予定に入れていたとは言え今日の外出は本当に幸運だ。
現金な話だとは思うが、一泊旅行の翌日からすぐ仕事に戻るという状況にもならないのもありがたいと思う。
「そういや運転任せっきりだけど大丈夫か?」
「御相伴に預かる側だ、これくらいは」
数キロ先の料金所を降りるよう指示を出すナビゲーションをハンドルに備え付けられたキーボタンで応え、フロントガラスへ表示される視界補正用映像へ目を向ける。
疾斗が運転する車輌は各ウィンドウが二重構造設計で、彼が捉えきれていない視界情報を補うために風景シミュレートホログラムが奥窓に写る仕様。
本人曰く、補正映像がはっきりしすぎて雨の日の運転がやりにくいが、安全を考えて仕方なしに立ち上げているらしい。
元の風景が見えている疾風にとって、彼が口にする事のない苦労は片目を閉じて視界を一時的に封じる事でしか知り得る事が出来ない。
この数日間のあいだ、試しに片目を閉ざした状態で仮想敵相手に模擬戦闘を行っていたが、実際に動くと自分が思う以上に狭い。左眼の能力を使用したところで距離算出と行動速度に僅かなズレが生じた。
その結果、散々経験を積んできた慣れているはずの相手に対して負けてしまった。
(人工網膜入れれば治るかっていえばそういう事じゃねえだろうし……眼を使う能力だからどうなるかも判らねえしなあ…)
自分が医者になったのは実弟の先天性網膜不全を治す手立てがないかを調べるためでもあり、本人が本来の視界で見ることを望むのであれば、多少無理を通してでも眼科医の免許も取得するつもりだ。
総合治療従事医の免許を所持する現在も、時間を見つけては専門医療書を片手に勉強は続けている。
何とはなしにバックミラー越しで疾斗を見れば、濃青のレンズ越しに目が合い首を傾いで言葉なく問いを投げられ、何でもないと首を横に振る。
僅かに開けられた窓から入る澄んだ空気の心地良さに呼吸を弛め、肺へ甘く苦く残る紫煙と酸素を入れ替えるように深呼吸をすれば、隣から微かな笑い声が聞こえた。
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山間部でありながら四車線舗装された真新しいアスファルトを走り、広く作られた駐車場へと車を入れる。
平日にも関わらず一般来場の車両置場は色取りどりに所狭しと並んでいる上、幾つかの大型観光車両やマイクロバスも停められており、施設が出来てそれほどまだ数ヶ月も経っていないにも関わらず繁盛している事が判る。
《宿泊者専用》と書かれた白線を辿りながら立体駐車場へと入っていけば、平地の混雑と賑やかさとは打って変わり、昼間でありながら程よい静寂が場内を満たす。
一台の車両間隔は広めに取られており、誤駐車と車両盗難策なのか電光板には宿泊者の苗字の表示。
助手席に座る実兄に確認を取りながら停車すると、表示されていた文字が消えると同時に足元からロック音が聞こえた。
「もっとこじんまりしてると思ってたが。もう既にだいぶ広いな」
「規模的にはこれでもグローリリーフの1/3ぐらいらしい」
「疾斗センセイ、元の比較施設がデカすぎて想像つかねェんですけど」
「そう言われてもな。それに先生は俺じゃなくて兄貴だろ」
トランクから着替えの入った鞄を下ろしながら苦笑する疾風の言葉を打ち返し、接続していた携帯端末を外してショルダーバッグへと放り込む。
サングラスから伊達眼鏡へと掛け替えれば、暗さに慣れていた隻眼は色彩を取り戻して僅かに眩む。
頭を振って車を降りれば初夏の風が体の熱を流すように吹き抜け、溜まっていた熱を抜いてゆく。
掲示板に表示されている道順を頼りに向かえば、木製 造の灯籠台を構えてその外観を見せた。
「グローリリーフ経営施設は各都特色に合わせた建築だ」という話を樹阪から聞いていたが、それを踏まえると、この仰々しく思わせる建立物は【教育都区】と呼ばれる東都に合わせているのだろうか。
旧国時代の歴史的建築物である【城】。
現代的なアレンジを加えられつつ、教科書の中だけに見えていたその重厚な圧力を感じる。
何の前情報もなくここを訪れたら、来る場所を間違えたかと確認をとっていたかもしれない。
自分達の暮らす地区や教育施設の多い地区ではほぼ間違いなく見ることがない建築形態。
この辺りで一番新しい建物だが、数十年以上この地に建っているかのような雄々しさすらある。
少なくとも一見で温泉宿泊施設と思う人間はあまり多くないだろう。
「そのうち撮影で呼ばれたりしてな」
「仕事は嬉しくないな、忙しないだけで」
「…わざわざ強調して言うってことは、今は嬉しいワケだ」
「……なっ…」
投げられた言葉の意味を一瞬で理解することが敵わず、思わず声を漏らせば、それと同時に耳まで熱が上がってくる。
この歳になって出掛ける事が嬉しいと知られるのは気恥ずかしく、出来る限り顔に出さぬようにしていたはずだが、言葉は感情を隠す事が出来ていなかったらしい。
気まずさにどうすれば良いか解らず顔を逸らせば、一拍おいた兄が息を抜いて笑い出す。
「いやホント、そう云う所は子供ン時から変わらねえなぁ……ンな顔すんな、俺も結構浮かれてンだ」
片眉を下げながらくつくつと笑う疾風に肩を数度叩かれ、擦り硝子が嵌められた引戸風自動ドアへと歩めば、ゆっくりと開かれた先には大広間のようなロビーが広がる。
まだ馴染みきっていない木の薫りは此方を出迎えてくれているようで、僅かに残っていた緊張が緩み、自宅マンションの二部屋分はありそうな下足箱へと向かう。
「折角の機会だ、目一杯楽しもうぜ。次がいつになるかも解らねえし」
「そうだな」
自身では気付いていないようだが、ここ数日間に見ていた物とは違う、柔らかな表情。
─こんな顔を見たのは何日ぶりだろうか。
数週間前の一件以降、友人達といる時ですら貼り付いた笑顔だったが、本人が言う通り浮かれているのか、自然な笑みが浮かんでいる。
(……この一泊で調子が戻るといいが)
「おーいどうしたー?受付、行っちまうぞー」
「ん、ああ」
久しく見ていなかった素の顔に驚いていたせいで、隣にいた男がいなくなっていたこと自体に気付かなかった。
今日明日の二日間、今までのように─否、昔のように笑い合う事が何度できるだろうか。
靴箱の鍵を引き抜いて後を追いながら、疾斗は自身のその想いに口角を緩めた。




