東都 東地区α 四月八日 午後三時二十六分
隻眼に差す日光の眩しさに目が眩み、極彩色の現実へ突如投げ出されたような感覚。
頭に残る微かな浮遊感を払おうと、顳顬を押さえて数回瞬きを繰り返せば、黒髪姿の実兄が労い代わりのタオルを投げて寄越す。
「…時間は?」
「大体五分くらいだ。短時間で済んで良かったな」
「あぁ…夢の中にいる時は相当の時間いた気がしたが…」
疾風からの書面暗号による呼び出しから翌々日。
指定された時間に病室を訪ね、依頼主である佐多も立ち合いの下、眠る対象の夢を共有していた疾斗は、握っていた美南の手を離し、程良く冷えているパイル生地で顔を拭う。
「弟さん、何か分かったんです?」
「申し訳ないですが、めぼしい情報源を観る事は出来ませんでした」
「観られなかった?また珍しいなそりゃ…」
「ああ。自分の身体は見えたんだが、それ以外はただ黒くて何も判らなかった」
どの方角を見ても延々と広がる唯の闇。
気を外へ向けたら一瞬で呑まれかねないほどの黒。
夢と認識出来ずに彷徨い続けていたら、と思うと恐怖を覚える。
事実、適温に保たれた病室内にも関わらず、一欠片程思い出しただけで服下で肌が粟立っている。
「観えなかったんじゃどうにもならねえよな…」
「ああいや、確かに映像はなかったんだが、声だけは聞こえた。誰かと話していたようだったが、おそらく美南龍弥本人の物だと思う」
「誰か?どういう人物です?」
「残念ながらそこまでは。会話していると言っても、俺の耳に聞こえていた声は美南さんの物だけでしたので」
対象者の夢を共有している、と言えば聞こえは良い。
平たく言って仕舞えば、眠りという相手の個室の中へ、疾斗が能力を用いて勝手に覗き見をしているだけに過ぎない。
まして、今回は今までの経験にはない予測不能の事態が起きただけに、表面では冷静を装っているが、頭の中では今だに混乱している。
話す内容と声から感じた気配から考えると、それなりに懇意の間柄ではあるだろうが、それはあくまで予測上での話だ。それを佐多にわかるよう説明できるだけの言葉と力量は持ち合わせていない。
機械仕掛けの依頼者の問いに歯切れの悪い回答を述べる事しか出来ず、徐々に胸へと淀み始めた自身への苛立ちを落ち着けようと深く息を抜く。
「お前が入り込めた上に声が聞こえたっつー事は、少なくとも脳は生きてるな」
「待ってくれ請負人先生。弟さんが[夢]ってモノにハイリコメタ?事と、主の思考機能の有無ってのは一体どういう関係なんです?」
「どういう関係ってそりゃ……あ」
あまりにも普通に話し答え、何が出来るのかを考えて行動を取るために、彼が人型機体だという事が抜けていたらしい。
失念に気付いた疾風の口が止まり、バツが悪そうに溜息を洩らし頭を掻くと、眉間に皺を深く刻みながら再度口を開く。
「人間の[睡眠]は、お前さんで言う[充電]みたいなモンだ。睡眠を取ることで、人間の中枢部である[脳]が、その日の情報整理をして身体を休ませる。【夢】ってのは、その情報整理中に見る映像のような物なんだよ」
「壁に映像を出したりするのとは違うって訳ですね。でも今の話から考えると、夢って物はその日一日の情報処理された一部って事なんでしょう?眠りについてから九九三日間・約二年半以上起きていない主の脳はずっと情報整理し続けている事になりません?」
「人間は動物よりも複雑で面倒くせェ生き物でな。昔のことを何度も考えたりしてるうちに、情報処理がバグって夢に出ちまう事もあるんだよ」
自らの頭を指先で小突きながらやや口早に言葉を紡いだ疾風の表情はが険しいのは、久々の医療業務に従事しているから、というだけではなさそうだが、聞いたところで適当にはぐらかされるのだろう。
親子の押し問答のようなやり取りを聞き流しながら、美南の言葉を調査に使えそうな部分だけ抜粋し、メモへと書きつけて席を立つ。
「あれ、弟さん帰られるんですか?」
「ええ。疾風が病院から動けないので、動ける俺が別の所を探した方が、早期解決に繋がりますから」
現状、俺がこの場で出来る事はここまでです。
何事か言葉を紡ごうとする佐多の方へ顔を向けずに告げ、面倒そうに頭を掻いて顔を上げた疾風の額に紙片を叩きつける。
「着替えは裏口で仲川院長へ預けた。後で受け取ってくれ」
「………おう」
僅かに眉を歪めた医師は、落ち着きを取り戻す様に呼吸を整える。
向けられていた視線が逸れたと同時、【夢】についての話に納得仕切れていなかったのか、人型機体はすぐさま対話対象を疾風へ変えて質問を投げかけ始める。
医師姿の実兄はといえば、そんな彼に対して身分を取り繕って話すのが面倒になったのか、礼儀など皆無とも言える普段の物と変わりない言動に戻っている。
新たな了見を得ようと説明を求める佐多の問いを掻い潜りながら、「後で連絡する」と音なく動いた唇に頷いて病室から出れば、白壁が陽光を反射して目を差す。
闇さえ知らぬような眩さで路を示し、人気のない廊下には自身の規則的な靴音が僅かに響く。
生活音が聞こえる現実に安堵しつつ、疾斗は対象者の夢を思い返して僅かに息を落とす。
─睡眠下における夢
対象者本人が持つ情報を基礎として、直近で見聞きしたモノや記憶に強く残る内容を情報処理するために映像として映しているもの。
又、精神状態に左右され、時には都合良く美化を付け加えた薬として一時の安らぎを与え、時には心傷に残っている出来事を延々と繰り返す毒となり、当人を苦しませることがある。
医学的分野としての知識は兄が持つ多数の医学書を読んでいるため、ある程度は頭に留めている。
だが、眠る相手のそれを直接観ることが出来る疾斗は、これまでの経験からそう考えることが自然に思えるのである。
表舞台の職が人同士の繋がりを重要とする部分がある仕事柄、会話からある程度の情報を聞き取る事には慣れている。
夢の始まりでは大凡の時間帯と場所が明確にわかる会話。それは実際、彼の過去に起きた事象なのだろう。
大きく聞こえていた声は、誰かに楽しそうに話し掛け、一呼吸置いて頷き、笑っていた。
あの闇の中で笑いを聞くことに違和感はあったが、疾斗の目には何も観えなかったというだけで、夢を見ている本人には、相手や周りが見えている状態であったのかもしれない。
言葉の間の取り方や相槌を打つタイミングからして、一人語りしていたとは到底考え難い。
アニメや特撮番組を話題に上げていた事を考えると、美南は映像へ新たな命を吹き込む【声優】であったと仮定してもいいだろう。相手に関しても、「テレビで見れば一緒だ」という言葉を基にすれば、関連付く職業を絞り込み、関係者を見つける事が出来る可能性もある。
(無駄足にはならずに済んだな)
彼の夢が完全な無視界無音の世界であったら、強制的に起こされない限りあの場所を彷徨い続けていたかもしれない。戻って来たとしても、佐多からの曖昧な情報だけで闇雲に手段を探し、悪戯に時間を使うだけだっただろう。
夢は基本的に本人の記憶から作られているため、その時々の精神状態も非常に影響を受けやすい。
しかし、今回の対象者の場合は長期にわたって眠り続けている為、外部からの情報による精神面の起伏増減はそうそう起き得ない筈だ。
妄言に等しい事ではあるが、現実の厳しさに絶望し、夢中の楽しさに溺れて目覚めないというのであれば、多少なりの合点はいく。
仮に、本当にそうなのだとすれば、あんな声が出るような悲しみに暮れる物を見る必要性はない。
(……どうにも、引っかかる)
あの世界で矛盾が起きることは当然だと思っていたが、どうにもあの夢には納得のいかない認識のズレが起きている気がする。
同じ人物の夢へ何度も同調することが出来ないという事はないだろう。
ただここで何度も彼の中へ調査を行って仕舞えば、早かれ遅かれ能力代償である強制睡眠に陥ってしまう可能性もある。
代償がいつどのタイミングで起きるかも、その目覚めがいつになるかも判らない以上、短時間でも長期に渡って使用する事はなるべく避けたい。
(……とりあえず、美南のことを知っている人間がいるか調べてからだな)
不意に背後から感じた視線へ緩く振り向けば、女性が数人此方を見て何事かを話している様子が見え、口角を上げて会釈して見せれば、看護士達は紅潮してその場から完全に立ち去る。
人払いをしたところで、自動販売機で水を購入して呷った疾斗は、蟠りを少しでも落ち着かせるように息を抜いた。




