東都 中央地区α+ 三月二十七日 午後五時八分
水色が琥珀から赤茶に変わったポットから茶葉を引き上げつつ、疾風は応接間から玄関先へ視線を移す。
住人達の帰宅時間に掛かってくる時間帯とは言え、二台のエレベーターは常に稼働している。一階の玄関ホールから事務所がある三階までは、待ち時間を入れたとしても十分と掛からない。
しかし「飛鳥が依頼人を連れてきた」と管理室の疾斗から連絡を受けてから、既に十五分が過ぎている。
「……遅ェ」
今日の面談予約は今待っている相手が最後であるため、時間自体は気にする必要はないのだが、 階数を間違えて戻っていると考えても、随分時間が経っているように思う。
エレベーターではなく非常階段を使っているのだろうか。不思議に思い、携帯端末履歴から実弟へコールを鳴らす。
『──内線掛ければ良いだろう』
「所長室行くの面倒だったんだよ……つか、依頼人来ねえんだけど」
『来ない?』
鸚鵡返しで尋ね返され短く肯定すれば、扉を開く音が微かに響く。
管理室から足を踏み出したのか、時折住人達へ挨拶を返す声が入るも、問いへの答えは戻ってこない。
『……こっちに戻ってはいないな。カメラも映っていない』
「風貌は?」
『青い短髪で俺達と背が変わらない男だ。道に迷っていたから連れてきてくれたらしい。その階で迷ってるんじゃないか?』
「かもな…外見てきてみるわ」
要件を交えるだけの通話が切れたことを確認し、一人掛けのソファから腰を上げて伊達眼鏡を掛ける。
─国家認可を持つ請負人は、国からの依頼を請ける事も多々だ。
そのため、事務所を構える者は皆一様に目立たない様にしている。
父親から職を継ぐような形で事務所を持つ疾風達も例外ではなく、内装の改築はしているが、外観は他の住居と同じままだ。
個人で依頼に来た者への案内は管理室の人間が行なっているが、場所を間違えられることもしばしばある。
今回も同じような事になっている可能性は十分にあるだろう。
外に看板を出す気は無いが、せめて玄関扉は付け替えおくべきだろうか。
前髪を掻き上げ、対策をぼんやりと考えながらドアノブを握り外へと押す。
「………ん?」
それなりの力を込めている筈だが扉は動かず、無意識に鍵を掛けていたのだろうかと確認してみるも、二重鍵はどちらも開けてある。
午前中に来て数回出入りしているが、建て付けが歪んでいた様子も無かった。
東都管理責任者になって間もない頃、逆怨みしてきた同業者に外側から閂をされた事はあったが。
管理室担当が派遣雇いなら同じことが起きないとは言い難いが、今日居るのは疾斗だ。よほどのことでも無い限り、同業者がここまで来る筈はない。
何とかして開けようと扉に手を付き、先程よりも力を込めて押してみるも、やや隙間が広がっただけでそれ以上は動かない。僅かに見えた外界の床には、人の指先が見える。
「…おいおい、なんの冗談だ」
眉間に皺を寄せ、ヒップバッグに片付けていた携帯端末を再度取り出した。
†
「充電が切れていただけで良かったですね」
「肝冷やしましたけどね…。人型機体って一日足らずに電池切れるモンなんです?」
「内蔵主電池の電圧が規定値より低いので、バッテリー交換期に入ってる可能性がありますね。去年生産終了した旧い機体なので」
電圧計を社用工具箱に片付ける飛鳥の父親─姫築翔の言葉に、自分ではどうにもしようがなかった状況に肩を竦める。
依頼中は屍体が何体増えようと気にかけることはないが、今は一般人としての生活時間、いわば日常の時間だ。
朝から散々出入りしていた扉が突然開かなくなった上、向こう側で見知らぬ人物が倒れているとなれば、大抵の人間は焦るだろう。
疾風でさえ早とちりを起こしたこの状況だ。先に見つけたのがこの階に暮らす住人だったとしたら、厄介な大事になっていた可能性もある。
「機械人形に遣い頼むなら、きっちり充電しといて欲しいモンだ…」
「俺が疾風さんの立場なら腰抜かしましたよきっと…。緊急充電なので、正直どのくらい保つかはわからないんですが…」
「今挿してるケーブルで満タン充電させてから帰します。電気代と迷惑費上乗せして貰っとくんで、儲かった分でまた一緒に飯でも食いましょうや」
足首に挿した充電用ケーブルを示しながら冗談を交え笑い、困りながら笑う姫築へ料金と出張費を支払い、金銭と領収書を見比べた男が「料金より多い」と返却する手を軽く握らせれば、目を丸くしてこちらを見る。
「過剰分は優良情報料として御宅の息子さんに、な」
肩を柔く押して外へ出るよう促せば、意味を理解した整備士は頭を下げる。来客用のソファで横になる機体を見つめる飛鳥に声を掛ければ、靴を鳴らして父へと飛びついた。
「管理人さん、また明日ね!」
「おう、ちゃんと宿題やれよ」
挙げられるまだ小さな手へ手を振り返し、姫築とは互いに会釈をして扉を閉めれば、コンクリート床を規則的に踏む二重奏が徐々に遠のいてゆく。
(里央は研修で暫く居ないって話だったから、別の奴が来るとは思ってたが。飛鳥の親父さんとはな)
顔しか知らないような人間が派遣されるよりは気が楽だが、一整備士としての所属であり、調査機関側へ就いていない筈の姫築を寄越されたのは予想外以上の話だ。
東都請負業務監視調査機関・機関長であり、姫築が務めている整備会社の社長でもある樹阪爛が、機転を利かせたのだろう。
今いるこの階層は、各々其々の事情に悩まされ、請負人である自分達へ助けを求めてきた人間達が住んでいる。
居住や仕事を失った者、元の居住場所から身を引かざるを得なかった者もいれば、疾風達が危機的状況と判断して保護した人間達も身を置いている。
表向きには満室としているが、実際には他階と比べて空室が多く人も少ないことも幸いしたのもある。
顔馴染みへの説明だけで済んだ上、状況改善も手速く終わった事に感謝しつつ、人型機体の横たわる応接室へと足を戻せば、閉じられていた硝子眼を開いて此方を見ていた。
「いやースンマセン、助かりました。請負屋って方々は整備士のお知り合いも居るんですねぇ。すげぇなぁ」
「あなたを連れてきてくれた子のご家族です。佐多伍樹サン、でしたか。ウチの住人が事情を知っていたので助かりましたが、本来であれば今頃救急車に乗せられてますからね?」
向かい側の一人掛けへと溜息と共に身体を落とし、人の良さそうな笑いを浮かべる依頼人へ毒吐けば、表情を変えることもなく上辺だけの謝罪を述べて頷く。
自己思考式人型機体とは過去にも会話を交わした事はある。しかし大概は主人からの託けを伝え、此方の問いには淡々と回答してくるパターンだった。
本物の人間のように表情を動かして話してくる機体は、少し前に実弟が連れ帰ってきた一体以外に会った事がない。
依頼書を挟んだバインダーを開き差し出して、必要事項欄の記入を促そうとペンを置けば、一般人と何ら変わりのない動きで文字を書き込む。
「なんかもう主電力部分がだいぶヘタレちゃっててダメなんですよ。今日だって充電きっちり満タンにしてきたんですけど、再検索してたら思ったより使っちまいまして」
「来てくれた整備士から聞きました。生産終了している型とは言え、交換パーツとかはまだあるんでしょう?ご自身の主にバッテリー交換でも頼んだらどうです?」
機械に関して詳しくはないが、一年前程まで作られていたという事はそれなりに部品は販売されている筈だろう。青年姿の人型機体は数回瞬いて首を傾ぎ目を閉じる。
(プログラムに無いコト言ったか?それにしてもローディングが長すぎる様な…)
眉一つ動かなくなり言葉を発する様子もなく、カップに継ぎ足した紅茶を啜り、ただ待つ。
大して変わった事を言ったつもりはないが、彼の思考回路にはその様な考えは入っていなかったのか、微かな駆動音だけが室内に舞う。
いつまでも動きを見せない佐多から壁掛け時計へと目を移してみれば、五分程経っている。
(まぁ、とりあえずで動く最低限の充電だし、また切れただけだろ)
座り直した際に挿したケーブルかコンセントが抜けたのかもしれない。延長コードを見ようとテーブル下へ頭を下げ入れて。
「請負屋さんって、どんな仕事でも受け付けてくれるんですか」
「はい?」
投げられた問いに反応し、自身のいる場所を忘れて身体を起こし上げた瞬間、鈍い音を立てて強かに頭を打つ。
「……御宅さん、本当に人型機体なんです?今までそんな質問してきた奴、ヒトでもあんま居ませんけど」
充電接続に異常がないことを確認して、テーブル下を抜けて男の質問に眉を寄せながら顔をあげれば、不思議がる様に頭を揺らして硝子玉の眼球を此方に向ける。
「…なんです?」
「あの速さで頭を木枠に強打して痛感を訴えない人間がいる、というデータが無いモンで」
感覚的にかなりの勢いで当たったとは思うが、痛みを忘れている身体に異常は何も感じない。
機械仕掛けとは思えないと思っていた矢先の機械的発言に、毒気を抜かれ、調子が狂う。
「痛みには人一倍どころか数千倍くらい鈍感なんですよ。で、御依頼は?」
「俺の主人を起こして欲しいんです」
「起こす?」
内容の曖昧さに鸚鵡返しをすれば、男性機体の上がっていた口角が元の位置へ帰る。
どの程度まで顔に変化が出るか判らないが、少なくとも再起動させてから初めての表情を見せた佐多が、何かを挟み付けて此方へと向け置き直したバインダーへ目を落とす。
「人型機体は本来、何ヶ月か置きに情報更新が必要なんです。でもそれには主人の許可が必要で、俺の主人は二年と六ヶ月程眠っている状態が続いてまして」
「そりゃ医者に頼むべき所でしょう?ウチじゃ専門外の話で」
「既に東都東中央病院・特別病棟六〇八号室でお世話になってます。担当医も既に六回変わってて、それでも起きないんです」
話しかけても、身体を揺すっても。
顔も話音も平坦なまま、佐多は一般論で言えば明らかに異常な状況を口にする。
「…御宅の主さんは、能力者だったりします?」
人間の文字とは違う、無個性・無機質に書かれた依頼書と共に付けられた一枚の写真を指で打ち訊けば、首を横に振り否定される。
長時間睡眠の原因は、現代に於いて二通りと考えられている。
一つは過剰睡眠症候群という、常に眠気に捕らえられてしまう睡眠障害系の病で、強制的に起こされれば大概は起床する。
もう一つは【能力代償】と呼ばれる症状で、能力者が力を使い過ぎた際に引き起こす一時的な体調不良だ。
能力が特殊で、強くなればなるほどこの症状は重くなり、幼い頃の疾斗は、一度も目覚めぬまま一週間以上眠り続けた事もある。
能力者で無いなら、能力代償による異睡眠でないのは確かだろう。
しかし仮に前者の病であったとすれば、旧国時代では難病とされていたが、現在では投薬治療で完治する事が各国で証明されている。
(後追者として覚醒してる可能性も無ェとは言えねえが、二年半も寝てるのはおかしいか…)
無表情のまま此方を凝視する人型機体に一瞬視線を戻し、再度書面を見つめる。
一人の人間のために作られた機械が、人間のように様々な感情や思惑を抱いて虚偽の依頼を持ち込むとは考え難い。
そもそも、自己思考式と呼ばれる個体いえども、そこまで先のことを考えるように作られているとも思えない。
「……依頼はお受けします。ですが、少し準備期間をください」
胸の辺りへしこりが出来るような感覚を覚えつつ、疾風は承諾の言葉を落とした。
依頼者 佐多 伍樹 ※自己思考式人型機体
依頼内容 指定対象者の起床覚醒
請負期間 四月一日〜 未定
備 考 対象者状況確認の必要性有り
偽姓による医療従事業務許可を要請する
要請者 新堂 疾風
受諾者 新堂 疾風 新堂 疾斗




