東都 南地区α 三月二十七日 午後四時三十三分
スーツ姿で時計を覗いてる男性。
杖に手を掛けつつ舟を漕ぐ老人。
綺麗に化粧をしてそわつく女性。
半袖制服でお喋りを楽しむ学生。
バスを待つ停留所前のベンチには、いつも通りの見慣れた光景。
人々の間から道路先を確認しようと、小さな身体を目一杯にのめらせた姫築飛鳥の視界に、白と黄色の車体が駆動音を緩めながら此方へと向かって来るのが映る。
人は勿論のこと高層建築物も多く、ほとんどがモノトーンカラーで構成されている風景だが、あちこちに植えられた木々の鮮やかな緑が差し色となって、窮屈感はあまり感じた事はない。
ゆっくりとターミナルへ入り停車すれば扉が開き、通学用パスカードをリーダーへ読ませれば、運転手がゆるりと頭を下げて座席方向へと手を流す。
目前の運転席にハンドルやメーター表示はなく、脚があるべき筈の場所には、無機質でつるりとした質感の機体動作用胴体がモーター音とは違う駆動音を立てている。
(今日のバス、自律制御式機体なんだ…すごい)
父が職場から持って帰ってきたカタログで新しい機械は見てきたが、初めて見た車輌同期型機体に内心興奮しながら顔を上げる。
以前暮らしていた北地区・Φエリアには、教育都区と呼ばれる東都でありながら学校が無く、母が連れて行ってくれていた小さな図書館が勉強の場になっていた。
そこで館内案内役と司書を担っていたのが旧型人型機体で、その機体は幾度となく修理を繰り返していたため、最後に行った頃には酷い片言口調になっていたのを憶えている。
越してきてから半年。こちらで暮らし始めて間もなく事件に巻き込まれていたため、少し前までは気づきもしなかったが、今はたくさんの新しい物に目移りが過ぎるほど興味をそそられている。
古銅輝石の様な硝子眼を迷惑気に細めた男性機体は、車内へ入るように手を再度流し、慌てて車内へ入れば、どんどんと人が増えてゆく。
乗車が終わったことを確認するアナウンスが流れ、発車定刻を迎えたと同時に扉が閉まる。
見惚れていたことが災いしたのか、多くはない座席は既に大人達で埋まり、手すりを掴もうにも手を掛けられる場所がない。
少々混雑した車輌内、床から直接感じるタイヤ付近の振動に揺らされて足が縺れる。鞄の重みで前へと重心が動くと、床との距離が一瞬で近づいてきた。
「わ…──あ、ぅん?」
「っと、ギリギリセーフ。大丈夫か?坊主」
身体が後ろへと引かれて床が離れ、予想していた痛みはどこにも無い。代わりに頭上から聴こえた声に驚いて振り返って見れば、背負う鞄を掴んだ蒼髪の男性が口角を上げた。
信号の停止表示にバスが一時停止すると、男は座席から降りると場所を入れ替えて、半ば強引に飛鳥を椅子に座らせる。
「お兄さん座ってたのに…」
「良いんだよ、子供は遠慮するモンじゃねーの。それに、オレは立ってようが座ってようが変わらねーから」
「あ、ありがとございます」
呆気に取られながらも頭を下げれば、困った様に笑う。
やや荒い口調ではあるが優しい行動をとるその姿に、自分を助けてくれた管理人がふと過る。
顔つきは違うが、彼が持ち合わせてる雰囲気がどことなく似ているのかもしれない。にやけてしまいそうな顔を手で覆い捏ね、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを整えた。
能力制御練習に人々の内なる感情を影を通じて垣間見て、後ろめたい気持ちを抑えながら目前の男の足元を見ると、スニーカーの下に見える影は、いくら見つめても動きを見せない。
時折揺れる車内、他の乗客の影に目を落とせば、学生の影は平面上を項垂れ、女性の影は立体具現しそうな程に足元で跳ねている。
他の人たちを見ても、自分だけが視える影の住人達は主人の心が動くままに行動を見せてくれている。
真下へ目線を落としてみるが、人工光に照らされて作られた影は有れど、感情の揺らぎ一つすらもなく、ただ静かに男性の足元に収まっている。
(司書のお姉さんの時と一緒だ……)
図書館内で利用者の足元で感情のままに揺らぐ影の中、唯一、彼女の影だけは微動さえもなかったことを思い出す。
不思議に思ったその当時、母へ司書の事を聞いた際、初めて人型機体だと教えてもらった。
影が動いて見えるのは、人間や動物などの感情がある者のみ。
自分が能力者だと自覚し、現在暮らしているマンションの管理人から基礎を教わった今だから判ることだ。
(……このお兄さんって)
「なぁ坊主」
「ぅひゃい?!」
動かぬ影にあれこれと思想を巡らせていたため、喉から出た音は裏返りながら車内を通る。
乗車客達の視線が一斉に此方へ向けられ、恥ずかしさに身体を縮こめれば、話しかけてきた男は頭を撫でながら小首を傾げて見せた。
「ん?何かあったか」
「な、なんでも、ない、です。どうしたんですか?」
「ああ。このバス、中央綜合ってトコには止まるか?」
「止まります。ぼくが降りる停留所もそこです」
「そりゃ良かった、一緒に降りれば場所には行けそうだ」
三回も乗り間違えちまってなぁ、と笑う男の言葉に飛鳥は驚き、鞄から路線図を取り出す。
都内各地区から運行されているこの巡回バスは、どこから乗車をしても中央地区を経由するように組まれている。エリアによって本数の違いはあるが、男の話す【中央綜合】は中心地にある停留所であるため、頻繁に止まる場所だ。
土地勘がなく乗り間違ってしまったとしても、その回数を乗っていれば最低でも一回くらいは目的地を通っているのは、此方に暮らし始めてまださほど長くない自分でも解る。
「えっと…どこ行くんですか?」
「請負屋に頼みがあってな。本当は自分が住んでいる北地区の奴らに頼むつもりだったんだが、オレが自己思考式人型機体だって言ったら追い出されちまって」
頭を掻きながら苦笑する男がさらりと素性を話し、影が一切動かなかった事に納得する。
(機械のお兄さんでも、道に迷ったりするんだ)
整備士の父から聞いた話の知識でしかないが、一般に流通している人型機体は、基礎プログラムの一つとして居住都区地図情報がインストールされていると聞いている。
その理由は、自身で外出が出来ない際の代理や、護衛としての役割を担ってもらう際に情報入力の手間を省くための仕様として組まれている、と話していた。
道に迷うということは、彼の中に入っているデータが古いということだろうか。不思議に思いながらも停車案内板を確認して、飛鳥は言葉を続ける。
「お兄さんの行きたい[うけおい屋さん]って停留所から近い?」
「何処かマンションの中にあるらしい。隣に公園があるって話だ」
「え?」
─中央地区のマンションに請負事務所を持つのは、俺達だけだ。
緑髪の管理人と同じ顔をした、紫髪の男性がいつかに発した言葉。
決して大きくはない、くっきりとした低い声が頭に響く。
「あのっ、ぼく、そこ知ってます」
気付けば飛鳥は、笑みを浮かべた男性機体の服裾を掴んでいた。




