政都 中央地区α 三月十七日 午前九時三十五分
隻眼の自分には眩しすぎる朝の日差し。
テラス席で深緑を繁らせる大樹はそんな光を和らげ、店内に柔らかな彩りを添える。
「アイスコーヒーとクロックムッシュ、お待ちどうさま。それと頼まれていたコーヒー豆はいつも通り粗めに挽いておいたよ。帰る時に渡すからね」
「ありがとうございます」
開店直後のニュートラル。
入口にほど近いカウンター席に座る疾斗の元に届けられた食事からは、焼けたパンの香りが漂う。
朝はトースト一枚でも食べれば保つのだが、今日は早朝撮影前に食べられなかった事に加え、南都からの長距離運転だった。
途中で立ち寄ったサービスエリアでカフェオレを買って飲んだが、流石に腹の虫は耐えきれなかった。
この後は帰宅すればマンションの管理室にいるだけなのだが、時間が多少ある今の内に旨いものを食べておきたい、というのが本音である。
「そう言えば疾風君から少し聞いたけど…中々大変な目に遭ったんだって?」
「学生時代の自分と里央が気づかない内に蒔いた種だったので刈っただけで…大変だったのは兄貴と月原だと思います。戴いた広告で行った限定イベントの方は楽しかったですよ」
片眉を下げつつ焼きたてのクロックムッシュへナイフを入れ、溶け出るチーズをパンに絡めて口へ運ぶ。
─遊戯施設内で二人を監視していた実兄から当時の状況は聞いたが、それは正直呆れる内容だった。
外部モニターで戦闘を見ていた際、唐突に怒号が聞こえたため、不穏を感じた疾風が月原に指示。
支援者用個室ドア前で口論内容を確認後、明らかに興奮状態の終夜の様子に危険を察知。怯えながらも反論を返していた青山を、月原が強制的に室外へ連れ出して保護。
疾風が筐体内で罵詈雑言を続ける男を引きずり出した際、佐賀を含めたゲーム待機者達が「ゲームルームに入った人と顔が違う」と証言した事が決め手となり拘束に至った。
「─動機は大会で敗退した怨みから、同名ユーザーに対しての憂さ晴らし。それと、警察と請負業の両方が扱える権限の全てが欲しかったらしいです」
権力と呼べる全てを手に入れ、自分の一族を貶めたい。
私欲に塗れ切った余りにも御粗末な理由に、終夜の元上司は共に聴取に立会っていた疾風へ平謝りし続けた後、どうしたものかと頭を抱えていたそうだ。
終夜は、両職種の共通禁則事項である保安機関と請負業の兼業を管理責任である実兄の前で暴露。
敢え無くその場で東都中央警察へ御用となり、即日で両職種資格剥奪と逮捕・拘留が決定した。
「二兎追う者は一兎も得ず、とはよく言ったものだね。しかし、何でまた自分の家族を貶めようなんて思ったのか…」
「その理由も聞きましたが、ゲームの方と殆ど同じような内容でしたね。会社が継げなかった腹いせだそうで。ゲームを知り尽くした自分が社長じゃないのはおかしい、と聴取中に言ってたそうですよ」
「我欲に捉われて何も見えなくなっていた、って事か…なんだか気の毒な話だ」
眉を下げて苦笑した馬奈木に肩を竦めて見せ、付け合わせのグリーンサラダを食べる。
口に残っていたチーズの香りが水々しい葉野菜の甘味にかみ合い、ミニトマトの酸味が引き立つ。
「その、終夜って子のパートナーだった人は大丈夫だったのかい?」
「彼に無理やり付き合わされていただけだったので、請負業資格剥奪はしなかったと聞いてます。とはいえ三ヶ月間の謹慎と二週間の再講習は免れないですが」
僅かに氷の溶けたコーヒーを混ぜ飲めば、乳製品独特の濃厚さは緩和され、スッキリとした後味は舌をリセットしてくれる。
「……疾斗君に聞くのも申し訳ないんだけども、樹阪君に処分は」
「骨格変化系は国内では情報が少ないらしく、長年勤めている人間でも見抜けないのは無理はないということで、統括機関が今回は不問にしてくれたそうです」
「それなら良かった。昔とは随分変わったって聞いているから、少し心配だったんだ」
口にした機関名に馬奈木が一瞬顔を強張らせるも、その結果に安堵したのか息を抜き、その笑みに疾斗も口角を弛める。
最後の一欠片を口へと運びきり皿を店主へ返し、グラスの中へミルクを入れて氷をストローで回せば、柔らかな色に変わってゆく。
「今日のお墓参りは行くのかい?」
「いえ、俺はコーヒー係なんで。二人に淹れたら、時間まで管理室に居るだけです」
「そうか。そしたらこれ、僕から二人に、って疾斗君に渡してくれるかい?」
注文していたコーヒー豆の袋と共に、花柄の小さな紙袋が渡される。ふわりと香ばしい匂いに鼻腔を擽られ、馬奈木からの贈りものが何なのかを悟り、苦笑するように頷くと、来店のカウベルが控えめに鳴った。
「マスター、おはようございます!あれっ?」
「おはようござ…あ、あれ?ハヤトさんじゃないっスか」
「…そこまで驚かれるのは心外なんだが。おはよう」
倉井と桂馬の驚きように笑い、食事と注文品の代金を支払って残りのコーヒーを飲み干す。
「おはようございます、すいません…だって確か撮影は明日までって…」
「今日は外せない用があるんでな。明朝に撮影だった分を繰り上げてもらったんだ」
「あ、じゃあお引き留めするのは良くないですね。ちょっと聞きたいことあったんですけど…」
「ああ、すまない」
二人と話したい気持ちはある。
しかし疾風には電話で午前中のうちに戻ると伝えている以上、身内言えども待たせてしまうのは気が引ける。
「じゃあ一つだけ!TBRのアプデ入ったんで、やりに行こうって話してるんスよ。明後日って時間取れたりします?」
「先週からの配信曲、ステアさんイメージの歌詞なんですって!歌ってる方、お名前を見かけた事がないんですけど、もうホントにすっごく良くて!良かったら!!」
興奮気味に語りながら迫ってくる倉井を宥めつつ桂馬を見れば、彼もまた衝動を抑えるように口を引き締めて期待の視線を向けている。
「…午後からで良いなら」
「全然!終わる時間に連絡くれれば、お迎えに上がるっスよ!」
主人に褒められた大型犬を思わせるような桂馬の満面の笑顔につられ、疾斗も笑みを返す。
時間と場所を確認し、手帳へ予定を書き入れ終わると同時、店に居られるタイムリミットを報せるアラームがジーンズ越しに鳴り始める。
挨拶もそこそこに車へ戻りエンジンを掛ければ、昔良く聴いていた音楽がラジオから流れ出す。
「…懐かしいな」
聴きなれた音楽の冒頭を口遊み、幼い頃兄弟揃って歌っていた歌詞を唱えるように音へ乗せる。
─もうホントにすっごく良くて!
「……本業がそう言ってくれるなら、引き受けた甲斐はあったな」
倉井の言葉に胸を撫で下ろし、疾斗は再度帰路へと向かう。
学生時代に親しんだTBRの新作が出ることは、所属事務所の社長を通して早々に耳に入っており、そのゲームに桂馬と倉井が初めて声優業の仕事を手にしたと聞いていた。
そしてその祝いとして「一度限り」という条件の下、名を変えてキャラクターソングを歌わせてもらったのである。
その事が彼らや事務所の同期に知れたのは、この日から少し後の話。




