南都 南地区γ− 一月二十六日 午後九時二十三分
怯えきる青年の頭へ銃口を突きつけた組頭が、何事かを呟いて躊躇うことなく引鉄を弾く。
依頼人を庇う自分の姿が見えていないのだろう、紅い飛沫を浴び鉄の匂いに気が高揚した飛雅が高笑いを上げている。
自分達の名を呼び、疾斗は掌の下で涙を流している依頼人の目を覆うことを止めた。
「め…なさ、い……ん、ど…さ……」
「大丈夫ですか、綾果さん」
「……ぇ…?」
白昼夢に再度溺れぬよう右眼を細め、綾果を支える腕を緩める。
先程まで実兄を手に掛けようとする自分の姿を見ていた彼女は、何が起きたのか理解出来ずに朱色の双眼を見開く。
「いったい、なにが…どうし、て……」
笑う飛雅と疾斗を交互に見やる依頼人が、止まっていた涙をまた浮かべて、少々怯えた音で問いを投げかける。
答えようと口を開き掛けるも、砂利を踏む足音を耳が捉える。玄関へと視線を向けると、髪の水を手で乱雑に掻き払う疾風が口角を上げた。
「随分派手にやったなァ、飛雅?」
呼ばれたことで振り向き、一拍の空白を置いた次の瞬間、飛雅が絶叫を上げながら後退る。
「おいおいどうしたァ組長、化物でも見てるみてーな顔してンな?」
「きっ貴様、何故生きて…!死んだ、筈じゃ…」
「何言ってんだかさっぱり判らねェな。俺も弟も依頼人も生きてるぜ?」
「なっ…」
此方を指し示す疾風の指を確認し、疾斗は組頭の白昼夢を綴じるように右眼を瞑る。
綾果を自らの背に庇い、元より左目でしか確認出来ない視界で見つめれば、自分達の姿を目に映した男は喉へ言葉を詰まらせて愕然としていた。
「俺は疾風を殺していないし、お前に撃たれてもいない。見ていたのは、俺の眼が見せていた白昼夢─いわば幻だ」
「はっ…?」
銃弾に頭を潰された組員に気付き、顔面蒼白で唇を戦慄かせる。
背後に立つ疾風を押し退け、弾かれた球の様に玄関から飛び出すと、短い音を吐くと同時に玄関先で膝から崩れた。
「な、なんで…ウチの、ヤツらが……」
「何寝ぼけたコト言ってんだ?御宅さんが自分で殺ったんだろうよ」
「は…?」
「そこの一人と外の屍体合わせて十三人。内の十人は、アンタが自分で始末したんだよ」
自らの視覚と聴覚からの情報を処理しきれなくなっている飛雅の引き攣った表情に、疾風が堪えきれず喉で嗤う。
コートの背が握られる感覚に異色双眸を綾果の方へ向ければ、発言の意図が多少取れたのか、朱眼を見開き疾斗を見上げてくる。
「中々面白い見世物だったぜェ?アンタのご乱心に撃たれ斬られて。疾斗にマウント取られて命乞いしてる奴をぶっ刺しちまう所なんか最高だった」
「まぁ、あれは予想外だった。反動でうっかり撃って弾を無駄にしたな」
笑い話す疾風と僅かに嘆き笑う自分を睨め、数発も残っていない銃を握って震える腕で此方へ翳す。
「貴様……儂の依頼を反故にしおったな…!」
「依頼内容の半分は終わっていたからな。客側が店を選べるように、店側である俺達も客は選べる。まして俺達は国内で3組しかいない国家認可所持の請負人、それなりに権限を持っている。内容を再検討した結果、強制破棄を行使した。追加の一件は契約書を交わしていない以上、請けた訳じゃない」
視点が定まらぬままでも抵抗を見せようとする虚勢に内心拍手を送り、右眼へ意識を向ける。引鉄へと指を掛けようとする飛雅の視界情報を歪めて動きを止めれば、実兄は薄く笑みを浮かべて組頭へと近付く。
「貴様ら、タダで済むと思わんほうが─」
「終わってねえ依頼は、敵対者の排除だったな?」
男の罵声をあっさりと遮った疾風の言葉に、声を出す事なく頷く。
何故それを知っているのかと目で問う飛雅に、柔らかい笑みを見せた兄は、掲げられたままの銃を手から外しとり、数秒の間を開けてからその顎骨を砕かんばかりの一蹴を入れる。
拘束を解いた瞬間、声を上げる事も出来ずに後方へ仰け反り、乱れ開いた襟元を掴まれ起こされた組頭は、衝撃から閉じられない口へと拳が捻じ込まれ、唸り混じりの音を漏らす。
「幻の俺にも言われた筈だ。根本的な原因はお前にあると」
「は、ふぁへふぁ?!ふぁひふぁふぁひふぉひひぇひふぁひ──」
「何もしてねえ?まだ寝惚けたこと抜かしてンだ?弟の嫁さんを無理矢理ヤったのは何処のどいつだ」
痛みを覚えぬ疾風は、飛雅へ捩じ込んだ拳を肉が削れる事も構わずにゆっくり縦へと回し始める。
「ひゃれふぉえふぉ…」
「手前ェの弟本人から聞いたんだよ、俺がな」
口角へ疾る痛みと、徐々に口内へ流れ込む血液の苦さに飛雅は踠くが、その手は止まらない。
「貴方は綾果さんを攫った挙句、彼女を脅迫して離別承諾票を書かせ、彼へ送りつけた」
「アンタ、先代組頭の親父さんでも頭悩ます程の大莫迦野郎だったらしいな。若い時から家の肩書を盾にやりたい放題やって、ヤバくなったら自分の部下に揉み消させたり、家の金使って口封じしてたんだってな。頭足んねー奴が使う常套手段だ」
「家や組員を預ける事は到底できない。そう考えた先代は、本家の血を色濃く継いだ貴方ではなく、後妻との子である腹違いの弟・雄吾さんを選んだ。しかし元から家を嫌厭していた彼は、其れを断った上に縁を切った」
代わる代わる投げ掛ける解に、いつ手を引き抜かれるのか判らない恐怖と息苦しさに苦悶する飛雅が、僅かながらも数回首を縦に振る。
「組頭になったのを良いことに、権力と金にモノを言わせて家を出た飛雅雄吾を探させた。そして見つけたものの、警察官になっていた上に相手の籍に入って結婚していた」
「弟が居なくなったからって理由で跡継ぎに選ばれるわ、腹いせに探してみりゃ綺麗な嫁さんと幸せにしてるわ…屈辱だった訳だ」
「だから、自分以上に酷い屈辱を与えた」
自分に無いものを奪い取るという、最悪の方法で。
先程までの威勢が失せ、僅かな酸素を取り入れるだけでだらしない呻きを漏らす男の顔を上から覗く。
先の幻想にまた呑まれると思ったのか、怯えきった両眼が強く閉じる。しかしそれに連動して口に力が入ったのか、息が出来ないと首を左右に揺らして訴えてくる。
「ここまで説明したんだ。何故お前が原因なのか解らないことはないだろう」
「手前ェの行いからきた因果応報だってのに、こんだけ好き放題されちゃあブチ切れて当然だって、の!」
言い切ると同時、疾風がその口から一気に手を引き抜く。
抜かれたそれに目を移せば、拳は崩されて指先をすぼませた形だったが、外された本人は衝撃もあったためか震える身体を摩りながら大口を開けて呼吸を整えている。
飛雅の近場に落ちていた銃を外へと蹴り捨てて始終を見ていた綾果の元へ行けば、緊張の糸が解けたのか身体を震わせ、眉根を寄せながら目を細めていた。
「……緑髪……本当に支部を潰したのか…?」
俯いて息も絶え絶えの飛雅が、掠れた声で疾風に問う。か細くも恨み嫉みが含まれた音は、重い空気へ更なる重力を持たせる。
投げられたそれに呆れたように、実兄は生乾きになった髪を掻き上げて鼻で笑うと、飛雅の顎を掴み顔を引き上げた。
「答えてやる義理もねえし、手前ェには誰かを怨む資格は無ェ。人を纏める意味も知らずに莫迦しかしてこなかった結果、自分の部下も遺されたモンも人も全部失ったんだ。自分を怨め」
牢屋の中でな。
疾風が突き刺すように吐き捨てた言刃に目を見開き、口を閉じることさえも出来なくなった飛雅は、顔を投げられたまま動かなくなる。
覚束無い足取りの綾果を疾斗は片腕で支えてやりながら、携帯端末を開いて拘束要請の短縮連絡を入れて玄関を出れば、既に雨は止んで細い三日月が雲間から覗き、庭に横たわる遺体を照らしていた。
出来る限り見せぬよう道を選び、門戸から数メートル離れて停めていた車へと歩く。
「ところでお前、野郎に一体どんな俺を魅せた?」
「……ホラー映画ほど派手さは無いが、現実味のある生きる屍」
「なんだそりゃ…まぁ良いや。御依頼人、アンタは疾斗と一緒にグローリリーフに行って、今日はそこに泊まってくれ。部屋も着替えも全部向こうに用意してもらってあっから」
「え?」
「それと、その物騒な簪はもう必要ねえだろ」
見た時は驚いたからな、と苦笑しながら疾風が百合の簪へと手を掛けてそれを抜き外す。
飾り鈴が清かな音を立てれば、艶やかな藍髪はゆるりと解け落ち、先程までの凜とした印象から柔らかで穏やかな雰囲気へと変わる。
行動の意図が読めず、眉を下げて首を傾げる困り顔の綾果を後部座席へ座らせれば、実兄は自身の武器であるワイヤーダーツを投げる様に簪を空へと放つ。
高く飛んだ小さな的を狙い、脚へ挿していた銃を引き抜いて花弁型に削り出された橙の宝飾石を撃ち抜けば、砕けた欠片は月光に照らされて煌びやかに散る。
「……所長さん、もしかして、この花達の意味…」
「たまたまだ。物騒御三家を身に纏うなんざ中々考え付かねえよ。本当はその着物も着替えろと言いてェんだが…奴の迎えが来る方が早そうだから、ホテルで着替えたほうが得策だろ?」
「それに、貴女の帰りをずっと待っている人達の所へ連れて行かないと。ある人からの依頼が終わらない」
笑いかける兄と表情を変えない自分。それを交互に見遣り、くしゃりと顔を歪ませた綾果の瞳から涙が溢れる。
先程まで流れていた悲観にくれた涙ではなく、安堵感から流れるそれに安心して息を抜くと、赤い回転灯を灯した公用車が数台こちらに向かっているのが見えた。
「…各機関への報告は片付ける、警察への説明と明日の帰路は頼んだ」
「おぅ。明日八時に正面口な。さっさと帰らねえと斑鳩教授サマがご立腹になる」
肩を竦めて首を軽く振る疾風に苦笑で返事を返し、座席の扉を閉めて運転席に乗り込む。
携帯端末を繋いで鍵を差し込み、ナビゲーション画面に表示された検問の位置を調べ、兄へ片手を振って発車させる。
赤い回転灯の海を背に笑う兄をバックミラーで確認し、初めて屋敷を訪れた時に見つけた裏道を使い、大通りへと抜けた。
「あの、疾斗さん…」
「何だ?」
「その…私が見ていた白昼夢は、何処からが幻だったんですか?」
後部座席から顔を覗かせて首を傾げる綾果に、滲む様に痛む頰を手の甲で撫でつつ口角を緩める。
「ご想像にお任せします」




