南都 南地区γ− 一月二十六日 午後九時十八分
銃声が一発響くと同時、低く通る声が夜闇を抜ける。
「そこまでだ」
男が眉を顰めて顔を背けた瞬間、隙を狙い澄ましたように右肩が蹴り込まれる。
緑の請負人の長身が傾いだ向こう側、右眼に黒い三日月を浮かべた紫髪の請負屋が左腕を垂らして立っていた。
「まァだ生きてたか。昔と比べて随分しぶとくなったなァ、疾斗」
「アンタに散々仕込まれたからな」
右手にリボルバー銃を握る紫髪の青年が、左手をダラリと垂らしたまま口を開く。
兄弟である男の額へ一切躊躇わずに構え、引鉄に指を掛ける。瞬間、緑髪の青年が弾倉を掴み込むと同時に腕を引き、僅かに怯んだ請負屋の額へ自分の額を打ち込む。
縺れた足を擦り水の音と共に払い蹴り、疾斗が砂利混じりの地面へとその身体を強かに打ち付けると、その頭を踏みつけた。
(どうして、こんな事に…)
飛雅から金を積まれた故に、疾斗が此方側を護衛しているのは理解している。しかし、今目前で繰り広げられる凄惨な光景は、一体なんの間違いだと言うのだろう。
緑髪の請負人 ─ 新堂 疾風が、自身がサインを入れた書面に疾斗と共に名を連ねていたのはこの目で確認している。
「ぐ、ぅ…っ」
「このまま思い切り踏み込んだら、暫くは表の仕事行けなくなるな?」
ま、此処で死ねば関係ねェか。
踏む足へ力を込められているのか、男が痛みに呻き踠く声が雨音に滲んでゆく。
やめてくれ。
叫べばこの場限りの停戦は望めるだろうが、喉は恐怖にひくつくだけで音が出ない。
自分との契約を守る方法が、道理も理屈も見つけられないこの戦なのだとしたら、それは自分の望んでるものとは違う。
内部抗争や討ち入りとも違う、請負人達の死闘に、綾果は耐えることしか出来ない。
「こン…っ、クソガキャァ!」
罵声が響き白鞘を抜いた飛雅が、銀光を細く反射させる刃を振り回し、疾風へと向かう。
狙いなど定まっていないそれは、ただ闇雲に空を切り、動きを見切っているのか、男は仮初の夫を嗤うように跳ね舞い避ける。
「だ…め…」
踏場にされていた疾斗が身を僅かに起こし、振り回される刃へ気が向いた自身の兄弟の足を右腕で払えば、バランスを崩したその長身は背から地に落ちた。
興奮状態のまま突進する組頭の手首を叩き、白鞘の脇差を落とさせると、青年は倒れた実兄へと乗り上げてまっすぐ額へ銃口を向ける。
「姐さん、こっちに!」
騒ぎに気付き駆けつけたらしい組員が、玄関から外へ向かおうとした自分の身体を引き止める。
「っ、は、離しなさいっ!はなして!」
「ダメです、そっちは危険です!」
思いのほか青年の腕力は強く、体を捩っても振り払うことは出来無い。
更に強くなる雨はスタンドライトの白光をまばゆく残し、兄弟請負屋と飛雅達の姿をかき消してゆく。
「新堂さん、もう…もうやめてぇッ!」
請負屋の名を叫ぶと同時、堰を切ったように涙が溢れ出し、組員の手は悲鳴を抑え込むように目と口を塞いだ。
†
新堂の手に拠って弾かれた脇差が地に突き刺さり、飛雅は叩かれた手首を支えながら二人を睨める。
予想外の反撃だったのか、請負人だと名乗った緑髪の青年は倒れ、紫髪の請負屋は隙を与えずにその身体の上へと乗り上がると、撃鉄を起こしたリボルバー銃をまっすぐと額へ押し当てる。
「…葬る前に訊いておく。一体誰に何を依頼された?」
雨脚が強まり、水が地を強く打つ音が激しくなる中、紫髪の男の声が低く響く。
「言ったらその撃鉄は戻してくれるってのか?」
「納得出来る答えならな」
「あーそうかい。生憎、頭の硬いお前を納得させられる程、口が上手くねェんだわ」
「戯言を」
暴発防止装置に掛けていた指が緩く浮き、引鉄へと曲げられる。
水が滴り伝う顔には前髪が下り、目許が隠れて表情は見えない。
しかし放つ気配に悲哀や憐憫は微塵も感じられず、問い質しの圧力が雨と共に重さを増していくように思え、飛雅は息を呑みこんだ。
「……ハッ、ハハハハッ!!」
「な、なんだ?!」
唐突に笑い出した緑髪の青年に飛雅は慄き、一瞬生まれた隙に、男は新堂が握る銃の弾倉を再度掴む。
「ただ撃ち殺されるぐれェなら、お前の依頼人を絶望させて死んだ方が何倍も面白ェなァ?!」
狂気に溺れたその隻紫眼に照準を浮かべ、青年はこちらを一瞥するとその口角をさらに歪める。
「教えてやるよ…俺の依頼は飛伽組の解体。依頼人は唐須間雄吾、いや、飛雅雄吾と唐須間綾果…アンタの実弟とその嫁さんだよ!」
「なに……?」
笑いながら突きつけられた名に反応し、反射的に玄関に立つ女へと目を向ける。
「っほざけ!あの女がそんな度胸ある訳なかろう!!」
「野郎よりも女の方が度胸はあるぜ?大体な、何も無きゃあこの世に内部告発なんざ無ェんだよ。アンタ、身内からも相当恨まれる真似してンだなァ?」
「身内のモン奪って何が悪い!奴ァ組を裏切って警察なんぞに入りおった。愚弟の躾をして何が悪い!」
言い放つと同時、地を突いていた白鞘を手に戻し、男の手首を刺し貫く。
弾倉を握っていた左手は離れ、その反動で請負屋の引鉄に掛けていた指が動き、銃声と数滴の紅が閃く。
刃を受けた腕は無様に枝垂れ落ち、極至近射撃によって弾丸は額から後頭を完全に貫き、雨水を携えた砂利混じりの地に赤黒い液体を流れだす。
だらりと首が横に捩れ、瞳孔が開いたままの虚ろな異色双眼をこちらに向けた男は、息絶えて尚も飛雅を嘲笑うように口角を上げていた。
「請負屋、どういう事だ!?」
「どう、とは?」
「しらばっくれるな!昨日の話じゃ、あの日儂から依頼を受けた時点で既に組員は死んでいたと言っとったろうが!」
「ええ。彼からそう聞いていましたので。その理由が【貴方から依頼を受ける前に殺されていたから】だったとは知りませんでしたが」
「知らなかっただと?」
飛雅の問いに二度頷いた新堂は静かに音を落とし、銃撃で命を綴じさせた片割れの目蓋と口を指で整え、垂れていた左肩を重い音を立てて嵌め込む。
銃を脚へと挿し戻して濡れた髪を掻き上げれば、万物全てから関心も興味も失ったような無表情。
「…対象の死亡を確認しました。御依頼いただいた護衛任務は終了です」
身内を失った者とは思えない、落ち着き払った様子の請負人は此方に向き直り一礼し、顔を上げると同時に臥せた緑髪の請負人と同じ顔で笑む。
「き、貴様、その眼は…」
「生まれつきですが、何か」
右の隻紫眼には黒み掛かった三日月が嘲笑のように浮かんでいる。
左の隻緑眼は何の感情も見ることのできない得体の知れぬ恐怖が感じられ、背筋が凍りつき膝が笑う。
「本来の依頼を遂行するのであれば、彼の依頼主である綾果さんも仕留めるべきですが…事情が変わりました」
口許を綻ばせたまま、足下に転がる短矢の一つを右手に構えて請負屋が此方を見据える。
「…なんのつもりだ」
「俺は[納得出来る理由があるなら撃鉄を戻す]と兄に約束しました。ですが手違いで殺めてしまったので、せめてもの贖罪に仕事の優先度を守ろうかと」
「優先度?そんな物、儂が一番に決まっとろう」
「俺が貴方から依頼を請けた時…正しくは請けさせられた時、既に組員の始末はついていた。という事は、兄の請けた依頼が貴方よりも先に来ていた事になります」
淡々訥々と語られる音は、聴覚を支配し体に搦み憑いて、飛雅の荒立つ感情を押さえ込むように、重く重く響く。
不気味なその感覚を払おうと身体を振り、抜身のままの長脇差を握り突進を仕掛ければ、青年が身を捻る。
転げる屍体に足を取られ、手を離れ勢いを保ったままの白鞘刀は生垣の茂みへと飛ぶ。
背後に寄る冷たい気配に、全身の汗腺が壊れたかのように油汗が噴き出し、慌てて引き抜こうにも鞘は枝に紛れてしまい、目視だけでは探せない。
「契約内容は飛伽組の敵対者排除。貴方の組員を殺したのは確かに別の人間でしたが、根本となる原因を生み出したのは貴方自身だ」
排除すべき対象は、貴方だったようですね。
男の言葉に一瞬で沸き立った忿怒に振り向こうと首を動かせば、短矢が右頰を掠めて生垣へと飛ぶ。
身体は寒気か恐怖かも解らぬ震えが止まらず、必死に視線を巡らせると、絶命した若輩組員の銃を見つける。
「死に晒せやァ!」
半ば転がるような形で引ったくり照準位置が定まらないまま、叫びに似た罵声と共に引鉄を弾く。ぶれる腕は射撃反動に耐えられる筈もなく、自由に動く的が上手く捉えられない。
駆ける獣の如く跳ね走る請負人を追い撃ち、倒れた照明灯を跳弾が割れば、水に烟る視界は更に悪化。
水跳ねと砂利を踏む音だけを頼りに弾数を重ねる。
「何処じゃァ新堂!大口叩いて逃げ回るだけか!」
玄関灯以外の光が失せた闇の中、飛雅の煽りが響く。
時折飛び交う矢は緑髪の男が擲った時程の射速はなく、振り続ける水に速度を奪われて力無く落ちては、鉄糸に引かれて夜の中へと消える。
時折漏れるような呻きが聞こえ、思わず笑いに顔が歪むが、位置を割り出せぬ焦りと自らの生命の危機に、口も喉も酷く渇く。
数撃った弾が致命傷を与えたのだろうか、僅かな息遣いすらも消え、降り頻る雨音以外に聞こえなくなった。
「東都の番犬共も南都の認可請負人と大して変わらんかったな!儂に噛み付いたのが運の尽きよ!」
雇った請負人の死体は見受けられないが、明日の朝にでもなればその無様な姿を拝顔出来るだろう。
冷え切った屍体の請負人の整った顔を蹴り踏みつけ、飛雅は高笑いをあげる。
自分にひと時でも恐怖を見せた男を嬲る事に気が高揚し、左胸を撃てば赤黒い池は面積を広げてゆく。
─依頼人は飛雅 雄吾と唐須間 綾果
自分を嘲笑いながら高らかに宣言された名が、忌々しい男の声で反芻される。
「ひっ……、いや…ぁ…!!」
玄関で一部始終を見ていた綾果が、悲鳴混じりに泣き出す。
「…よくもまぁ長いこと騙してくれたなァ、綾果?」
泣き崩れているのは、自分が生きている事への絶望か、依頼を失敗されたことか。
或いは、愛する男を思ってのことなのか。
へたり込んでしまっている女へと近づき、その脳天へ銃口を向ける。
握る銃は弾数が減った事で多少軽いが、撃ち殺せる位には残っている。
「心配せんと、彼奴も近いうちに同じ所に送ってやる」
もはや顔を上げる気さえも失ってしまったのか、泣き続けるだけで此方を見ない。
引鉄を指で加圧し、破裂音と共に百合飾りの簪が砕け紅色が散る。
爆ぜた頭からのめり斃れ、実弟から寝取り娶った女が鮮血に彩られた光景に、背筋へぞくりと快感が突き抜けてゆく。
極度の緊張から解き放たれたことも相まって、滲み出す安堵と鉄の薫りに冷めぬ興奮が込み上げ、押し止めることなく音へ変えて暗雲明けぬ雨夜へと勝者の笑声を響かせる。
「随分派手にやったなァ、飛雅?」
背後から突然掛けられた声に、ゆるりと振り向くと。
額に開いた穴を隠すことなく、三日月の様に口角を歪めた緑髪の青年が立っていた。




