南都 南地区γ− 一月二十五日 午前十時三十分
依頼人の指定時間より早く到着し、室内で待たせてもらっているものの、床一面に敷き詰められた真新しい畳の色が目に眩しい。
左右両側へ一列に並び座る男衆は、旧国の伝統衣服【着物】を其々に着崩し、そわついた様子で此方を注視してくる。
畳独特の青い草の匂いなら良いが、汗の臭いと体臭しの香水が混じり合い、異臭となって室内へ充満している。その異様な空気に眉を顰めつつ、右手首に嵌める腕時計を見て居住まいを正す。
「ねーえ、ボクも来て大丈夫だったの?」
発せられた間延び声に、緊張で静まり返っていた大部屋が一瞬にしてどよめく。
多人数が動き、篭っていた人熱と悪臭は掻かれ、多少は酸素が回ったのか呼吸が幾分か楽になる。
詰めていた息を緩めるように吐きながら、隣に座る人物へと視線を移した。
「依頼は二人で請けたんだ。報告にお前も来なきゃ意味無いだろう」
痺れたと言わんばかりに正座を崩して足先を丸める墨髪の男へ目を向ければ、眉根を下げて首を傾げながらも笑みを湛えている。
「んー、それはそうなんだけど。ボク、なぁんか依頼主にあんまり良く思われてないみたいなんだよね」
「そういう態度で居るからだろう?少しは公私を分けたらどうだ」
「いつでもどこでも自然体っていうのが僕の信条なんだよー?ボクがキミみたいにキリッとしたら似合わなくない?」
「そういう問題じゃないと思うが」
子供の様に頰を膨らませる斑鳩に呆れ、息ごと肩を落とす。
動き一つ発言一つで騒めく周囲を一瞥し、苛立つ感情を宥めながら正面へ向き直れば、襖が音なく滑り開いたと同時、百合の芳香と僅かな精の匂いが鼻腔を突いた。
「お待たせして申し訳ない。始末に手間取りましてな」
「いえ、指定していたお時間よりも早く到着したものですから。急かしたようで…申し訳、ありません」
膝へ手を置いたまま頭を下げれば、飛雅が帯縁へ指を通しつつ乱れた着物の襟を払い直す。
「なァに、時間が守れない奴よりもよっぽど良いじゃありませんか。儂は構いませんよ」
下卑た笑いを隠しもせず、組頭は高圧的な雰囲気を漂わせたまま高座へ胡座をかき、頬杖をついて此方を見下ろす。
露骨過ぎる見下す視線と口振りに思わず眉間に皺を寄せるが、それに気づいた斑鳩が「抑えろ」と言うように僅かに首を横に振り眉を下げる。
「報告前の長口上は不要、内容だけで結構です」
苛立ち任せに矢を抜きたい衝動を堪え、重くなった口から深く息を吐き出し、仕方なしに開く。
「東都に残っています新堂疾風より連絡がございました。音信不通と仰っていた三名につきましては、ご依頼をいただくより前に死亡していたことが確認されました」
「御宅さんら、巡回してないんですか?してれば前もって止める事も出来たはずでしょう?」
「我々の巡回時間帯と事件発生時間帯がずれていたので、未然に防ぐ事が敵いませんでした。申し訳ありません」
「ズレてるズレてないは関係ないンですわ。御宅らの、巡回不足で、ウチの人間が、三人も死んでるんですよ?」
(……すげえ殴りてェ)
自都の巡回は機関と協力して夜間を中心に行なっている。
最初の遺体が見つかった翌日から、事件地区を重点的に見回ってはいたが、人間の目では見落としが生まれてしまうのは事実だ。
今回に至っては、犯人はこちらの行動パターンを把握していた事も相俟って、歯止を掛ける事が遅くなったのも確かなことではある。
しかし、今此方に向けて投げられている依頼人の発言は、私欲と悪意を持っていることは明白で、浅はか甚しいことこの上ない。
「南都の担当さんは、儂の発言を最優先に動いてましたよ?まぁ、頭が堅くて命云々の仕事は頑なに断られ
ましたが」
「…それって最優先監視対象にされてただけじゃないの?」
揚げ足を取らんとする男の発言へ、斑鳩が呆れたように指摘を入れる。しかしその音は彼の耳に届かなかったのか、ただただ愉悦の表情で此方の出方を待ち笑う。
気を緩めれば殴りに行きかねない自分の憤怒を抑え、膝上に置いた手を握りしめ、上座に踏ん反る組頭へと顔を上げる。
「仰る事は尤もですが、我々も人間です。いつ何処で何が起こるのか全てを把握出来る程の万能さは生憎持ち合わせておりません」
壁に風穴を開けるように自らの論理を撃ち放てば、謝罪を待っていたであろう飛雅はその反論に目を見開く。
「ご依頼前に起きていた事態についての責任は負いかねます」
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弱みを握り、手駒として引き込むための手札として使ったが、人の死を引き合いに出したのは間違いだったようだ。
自分の命に関わらぬ者が何人消えようとどうでも良いが、この男にとってはそういう訳ではないらしい。
此方の示唆する盤戦の数手先を読まれたように、反撃の手を打たれ織り出す筈だった言葉を呑み込む事しか出来ない。
「契約が介在していようとも飛伽組専属となった訳ではありません。お忘れなきよう願います」
表情一つ変える事の無い、淡々とした発言であるにも関わらず、発された覇気に気圧され、口元を戻す。
請負人の牽制に、囲む男衆が得物を構える。それを手を振り退かせて眼を戻せば、眼鏡越しに覗く両紫電に射抜かれる。
報告の穴を見つけ突いたつもりが、予測以上の正論を突きつけられ腹の底へ憤懣が宿り、奥歯を噛んだ。
「……確かに、新堂さんの仰る通りですな。すいませんねェ、気を悪くさせたようで」
今にも喉笛を喰い千切らんとする猛獣の如き眼光に追撃は憚れ、笑みを顔へ貼り戻しながら、平然を装う声で謝罪を絞り出す。
「仰るような疑問があるのも当然かと思いますので」
「いやはや、そう言ってもらえてありがたい」
ゆるりと眼を閉じ、恐怖を覚えるほどの冷酷な光が消える。
飛雅は脇息に置いた手指で木枠を打ち、苛立ちを嚙み殺しながら笑みを崩さずにおくも、袖下の肌は垣間見た本性に粟立ったまま戻らない。
この数日のやり取りで男の性質は知ったつもりであったが、それは偽りの姿だったのだろう。
これ以上死者を楯に攻め込もう物なら、機嫌を損ねるだけではなく契約を打ち切られかねない。
(請負屋よりも隣の男が問題だ…。何隠してるか判りゃしねェ)
隣に座る糸目黒髪の胡散臭い男は、先程から紫髪の請負人の話す内容を肯定するように頷き、何を考えているのかを全く見せないその顔は、まるで仮面をつけているかの様な不気味さを感じる。
経過報告ゆえに同席を許しているが、今すぐにでも外に摘み出したいのが正直なところだ。
こちらの警戒と不信を知っての事なのか、有無可否を言わせまいとする威圧感が今も静かに発せられ、思うように言を運べない。
依頼相談中の短時間で目論見を阻んだその男は、説明を並べ立てる紫髪の男とはまた違う気配を孕んでいる。
言葉数は初日以上に少ないが、真綿に身を締められる様な感覚に服下の肌が粟立ち、冷汗が伝う。
「どうかなさいましたか?」
「っ…ああ、いや申し訳ない。話の続きを」
次の一手を策していた飛雅は、新堂の問いかけに体を小さく跳ねさせて反応し、話の続きを促す。
能力者の存在自体は一般認識程度には頭に入っているが、自身はおろか幹部の人間・組員にはそれらしい者が居ない。
「身体が食い千切られていた」「凶器は大量の水だった」などと言われた所で現実味が無く、ここまで聞いてきた報告はいまいち中身が掴めず、曖昧に返答を返すことしかできない。
「ご遺体はどうなされますか?」
「ウチの組員に引き取らせますわ。死因と凶器が解ってるなら、犯人の目星もついてるって事ですかね?」
「はい。既に斑鳩が特定しております」
隣で舟を漕ぎ始めていた男に紫電の双眸が向けられ、その視線に気付いたのか、目を覚ましたのかも解らない糸目を此方に向けて首を傾げる。
「御依頼主、飛雅 剛組長。組長さんは、生きる上で絶対存在していないと困る【四大元素】ってモノ、ご存知ですかねぇ?」
「……火、水、土、空気だろう?」
「ピンポーン、だぁいせーかーい。流石は人をまとめる位置に立たれてるお方ですねぇ。意外と答えられない人って多いんですよー?」
間の抜けた苛立つ言動を見せる男が、自らの上着の内ポケットから何かを取り出し、ふらりと席を立って此方へと近付いてくる。
「今回の凶器は大量の水。しかも内臓ぶっつん出来ちゃうくらいのものってことは、そんじょそこらの高圧水流洗浄機なんて足元にも及ばない。つまりー、犯人は一般人じゃないって事です」
一欠片も崩れることのない笑みで歩み寄ってきた男の生白い手が、脇息へ置いた腕を掴む。
氷の様な異様な冷たさを帯びたその手の柔らかさに不快感を覚え、反射的に振り払おうとするが動かず、掴まれた手首を返されれば四つ折りの紙片が乗せられた。
「新堂管理責任副長の指示の下、水を扱う能力者だけリストアップしました。極東国内には三名しか居なかったんでラクでしたよー。お名前はご自身でご確認ください」
圧力らしいものは感じられない語調であるにも関わらず、この男の一言一動が増えてゆく度に、全身を締め上げられてゆくような錯覚と息苦しさが増してゆく。
伸び切っていた指先を包む様に曲げられ、手中にメモを無理やり押し込められ、掴まれていた手が解放されると同時に、細い手が触れていた場所は鉛の塊を下げられたように重く感じ、つい、と背筋へ汗が伝う。
高座を離れて新堂の元へと男が戻ったのを確認し、渡された紙片を開けば、やや筆圧の弱い薄めの文字。
記された氏名と簡略な経歴を一つ一つ眺め、三人目の名に目を止め、暫しそれを眺めた後、大口を開いて高笑いを上げた。




