東都 中央地区α+ 同日 午後四時二十七分
扉を叩く音がする。
意識に微睡みを齎す眠気を払って唐須間が扉の方へと首を動かせば、静かに開かれた出入口には、小脇へ書類を抱えて黒衣を纏った灰髪の男が双眼を細めて不機嫌そうに立っていた。
「……死神様がお迎えに来たか」
「死神は俺よかアンタだろ。具合はどうだ、おっさん」
「自分の子供に泣かれるわ、お役所様の人間に叱られるわ、挙句に医者から睨まれてるわ、最悪だ」
「睨んじゃいねェ、寝不足なだけだ」
「悪かったな」
わざとらしく欠伸をしながら近づいて来る疾風へ、口だけの謝罪を落とす。
薬液が空になった二つの点滴の針が抜かれ、スイッチ音が聞こえると同時に寝台が静かに動き出す。
背凭れの高いソファの様になったところで音無く動きは止まり、臨時の主治医は唐須間から顔が見える位置へと座り、濃灰の左眼が此方を見据えた。
「…昨日、俺が行く前に何人殺った?」
「……」
「答えろ。怒りゃしねェから」
はっきりと聞き取る事が出来る低音が部屋に落ちる。
言い澱み、音にするまいと唇を引き締めるも、無感情に見つめ続けてくるその視線が重く突き刺さる。
視点を男から自らの手へと移し、伸ばし続けていたために怠い腕を曲げ、指を四本立てる。
その指を見た彼は「そうか」と一言だけ返し、膝に乗せていたバインダーへ何かを書き付けると、重い溜息を吐いた。
「……確認したい事は山程ある。が、まずはアンタの病状からだ。右外腹…脇腹の傷は見た目よりだいぶ深かった。出血量が多かったんで縫合して輸血。肋骨に数箇所の罅がある。程度的に自然治癒以外に方法はない。それと──」
淡々と並べられてゆく言葉の羅列を、適当な相槌を打ちながら聞き流す。
普段ならば嫌味の二言三言も混ぜられるが、今は医師としての役割を担ってか、ただただ説明だけが耳を抜けてゆく。
先で挙げられるであろう問いは何か、という不安から粟立つ肌を服上から手で摩り落ち着かせながら、唐須間は男を見つめる。
バインダーへ目を落としていた医師は体を摩る腕に気付き、手元のリモコンで空調の室温設定を変え、そのまま再度此方へと目を向けた。
「…途中から聞いてなかっただろ」
「聞いた所でどうせ覚えてられねーしな。そういう話は千尋と美雨に」
「話せない状況に置いてくれたアンタに言われる筋合い無ェんだけど」
「あン?そりゃどういうこった。治療はお前がやったんだ、だったら説明も」
やれば良いだろう、と言いかけて先程まで都築夫妻が自分を診ていてくれた事を思い出す。
─新堂疾風という男は、口は悪く態度も高圧的な部分がある。
しかし、仕事に対してはどんな内容であろうとも忠実で誠実、そして確実な方法を見つけて行動を起こす。
そんな人間が第三者に頭を下げて頼むという事は、何かしら予測範囲外の事が起きたという事だろう。
男の言葉をそのまま受け取るならば、その予測外を引き起こしたのは自分なのだろう。
軽口を紡ぎかけた口を一文字に締めるも、吐いた言葉を謝罪する気にはなれず、感情を感じさせない眼から視線を外す。
その様に呆れたのか、灰色の髪を苛立たしげに掻きながら男は再度深い溜息を落とした。
「……色が分からねェ目でも字は読めるよな」
「…そういうのも視えんのか」
「まあ、そう言う能力だからな」
見ろ、とばかりに顔前へ差し出された紙片へ目を向ける。
そこには電話番号と共に【唐須間 千尋】と少々不恰好な文字で記名されており、唐須間はその紙片と疾風を見比べながら首を傾げる。
「…昨日の夕方、請負屋に依頼に来るつもりで来たらしい」
「何?」
「【マンションの管理人】の俺じゃ対応は出来ねェし、疾斗は出張で居ない。依頼応対だけ都築に頼もうとした矢先、アンタが暴れ回ってくれた訳だ」
「……なんで彼処に居るとわかった?」
「検死データを知り合いに見せた。[雨の日だけに事件が起きてる]って言われたんで行ったんだよ。したら、喧嘩ふっかけられるわ、マスク引っぺがしたらアンタだわ、運ぼうとしたらアンタの携帯に息子さんからコールが入るわ…こっちが困ったっつの」
アンタの変声器でどうにかしたが、と疾風はこめかみを指先で軽く叩きながら一息に話し、僅かに苛む眠気を払うように目を拭う。
彼が息子達へどの様な対応をしたのかは判らない。
しかし、【管理人】として会った人間が【請負屋】として姿を見せれば、説明がややこしい事になるのは明白だ。
美雨に至っては誰かに似て気性が少々荒いのもあり、形はどうあれ命を繋いでくれた彼を詰問していたかもしれない。
「…親子共々迷惑掛けたな」
「迷惑なのはおっさんだけだ、二人からの依頼は受けてねェし。ま、あの分じゃ[父親を止めてくれ]とかだっただろうが」
紙片を取り上げられ、何か言いたげに口を開き掛けた医師姿の請負人は、舌打ちを一つ響かせて口角を歪ませながら言葉を呑む。
彼からすれば、今すぐにでも矢継ぎ早に質問したい所なのだろうが、それと同時にこちらが答える気がない事も分かっているようにも見える。
面倒そうな様子で手に持つバインダーで自身を仰ぎ、珍しく言葉を探しているのか首を回す。
居心地の悪い奇妙な沈黙に、肌には冷たい汗がじっとりと滲み、唐須間は無意識に息を詰めていた。
「…医者として言わせてもらう。もうこれ以上能力を使うな」
射抜かれるようにまっすぐ耳を通った言葉に、弾かれる様に顔を上げれば、濃度の違う灰色の双眼に警告の光を宿していた。




