南都 南地区γ− 一月二十一日 午前十時三十分
床一面に敷き詰められた真新しい畳の色が目に眩しい。
左右両側へ一列に並び座る者たちは、下手な行動を取れば飛びかからん気配を漂わせて此方を注視する。
畳の青い匂いに様々な香水や人間の持つ体臭が混じり合う異様な空気に顔を顰め、疾斗は居住まいを正しながら左手首に嵌める腕時計を見た。
「はぁ…どうせだったら女性に囲まれて待ちたかったなぁ…」
突然に発せられた間延びした声に、殺気と緊張が張り詰め静まり返っていた大部屋が、一瞬にしてどよめく。
多人数が動き空気が掻かれると、篭り切っていた悪臭も多少は落ち着き、疾斗は詰めていた息を吐きながら隣に座る人物へと視線を移した。
「ん?」
「依頼人に会うまで不要な発言は控えるよう言った筈だが」
「だって普段も男性だらけの所に居るんだよ?疾風君に代理頼まれたから出てきたのに、外でも囲まれるなんてさぁ…」
正座を崩した男は子どもの様に頰を膨らませ、波打った墨色の髪を揺らして拗ねる。
発された言葉に呆れながら周囲を確認すると、怪訝な表情で此方を凝視する者も居れば、小刀に触れながら出方を待つ血気盛んな者も居り、これ以上の発言は無用な戦闘を招く元になる事は容易に理解できる。
しかし、横に座る男は「こわいねぇ」と笑いながら自身の体を抱いた。
「お前たち、得物を引きな」
騒つく気配を斬り裂くように、音の一閃が燦めく。
殺気さえも醸されていた大広間は瞬時に鎮まり、各々が背筋を正す。
部屋を抜けた声の方へと顔を上げれば、艶やかな藍の髪を結い、芥子色の色無地を纏った妙齢の女性が上座へ姿を現した。
「飛伽組・組長代理、飛雅 綾果と申します。此度は御足労頂きありがとうございます」
「業務代行請負人・東都管理責任、新堂 疾斗です」
高座を見上げる斑鳩へ視線を投げ、共に地へ手を付き頭を下げる。
夫人が畏まるなと笑いながら制止しつつも、隣座する男を暫く見つめて首を傾げた。
「…東都の請負人は双子と聞いていましたが?」
「はい、仰せの通りです。彼は兄の公認代理です」
「どーも初めまして、斑鳩 和樹でーす」
見えているのかさえ定かではない糸目を更に下げ、へらりと笑いながら片手を上げる。
その態度に男衆が再度殺気を纏うも、飛雅が眼を細めて声無き一喝を投げたことで鎮まった。
「私は貴方とお兄さんにお願いする様に頼んでいましたが」
「国の認可を保有する我々は、一都の管理責任を任されております。両者不在については、政都に於ける緊急時以外認められていません。何卒ご容赦を」
無言の圧力と肌を疑念の視線で刺されるような感覚の中、正当の言葉を並べて飛雅を見上げる。
─南都は東都に比べて区域分けが少なく、γ地区が最下等級であり、現在地である南地区は保安所すらも置かれていない。
スラムといっても過言ではない程に治安は荒れており、二年前までは南都管理責任の同業者が地区全域の状況改善に努めていた。
管理責任者が空席である現在、国家認可を持つ各都の請負屋と南都業務監視調査機関と協力し、当番制で監視を行なっている。
狐疑を宿した切長の朱眼を眇めて斑鳩を見下ろし、品定めをするように首を傾ぎ、見つめられている男もまた真似るように首を揺らす。
「…わざわざ来て頂いてる以上、これ以上望むのも失礼ですね。判りました、お二方にお願いしましょう」
口角をゆるりと上げた飛雅は男衆の響めきを背に、しなやかな動きで襖を開き手招く。
艶やかで妖しげなその笑みに眉を顰めつつ斑鳩を一瞥すれば、何かに興味を惹かれているのか常に上げた口角を更に緩ませた表情を浮かべて立ちあがる。
急く様に差し出された手を払い、疾斗は周囲への警戒を絶やさぬまま立ち上がり、招かれるがままに襖へと足を進めた。
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木造建築の母屋から繋がる渡り廊下を抜け、砂利の多く混じったコンクリート造の離れへと通される。
錆混じりの鉄製扉が開くと、青白い室内灯が点る板張りの廊下が枝分かれの様に伸び、疾斗は見える左目で出来る限りに見取図を頭へ焼き付けてゆく。
(さっきのが応接・集会場と考えれば、こっちは寄宿舎みたいなものか…?)
先の大広間に全員集められているからであろうか、時折視界に映る扉の向こうに人の気配は感じられない。
磨かれた板間を言葉なく歩き行けば、水墨で飛龍が描かれた四枚一対の襖が現れ、夫人は音静かにそれを開き中へと招いた。
「此方でお待ちください、主人を呼んできますので」
「ご丁寧にどうもー」
斑鳩の礼へ夫人は頭を下げ、薄い笑みを絶やさぬまま引き戸を閉じ、足音が遠ざかってゆく。
部屋を見渡せば数台のカメラが置かれており、常に監視の目が光り続けている状況に、疾斗は重く息を吐いた。
「いやぁ、来た時は廃墟かと思ったけど母屋もここも外見と中身が大違い」
「金があると分かれば襲う様な輩も多い。事実、此処に来る前に襲われただろう?」
「あ、そうだった。東都だとせびられることはあるけど、いきなり襲われたりはしないから新鮮だったなぁ」
ずれた話をつらつらと続ける斑鳩へ相槌を打ちつつ、襟元を直して下座へ置かれた座椅子と座る。
話を続けながら何かを指で挟む仕草を見せる仮のパートナーに首肯し、足音の聞こえる方へと視線を上げる。
音静かに開いた襖の向こうから、顔へ横一文字の傷痕を持った赤毛の男が現れた。
「あら、思ったより若い」
「斑鳩」
「いやはやお待たせして申し訳ない。飛伽組・当代組長、飛雅 剛という」
斑鳩には一切見向きもせず、飛雅は薄く削られた檜に筆字で書かれた名刺を差し出してくる男は、貼り付けたような笑顔の下、先の夫人と同じように値踏みをしてくる。
その目に心地悪さを感じながらも木紙を受け取り、黒紙に銀文字で自身の名が印字された名刺を渡すと、その右手を男の右手で半ば強引に繋がれる。
「南都のは何度頭下げても来てくれなかったモンでね…いやぁ、来てくれるとはありがたい!」
「…お話を聞かずに依頼受諾可否を決めるのは、我々の主義に反しますので」
握手の形で右手同士を繋ぐその意を汲みつつ、手を下げようと体を引く。
しかし手を離す様子はなく、男へと視線を戻すとニヤつきにも似た笑みを浮かべたまま手を硬く握ってくる。
「若いのにしっかりした考えをお持ちで。気に入った、請負屋なんぞやめてウチの組へ──」
「お仕事のオハナシしてくれませんか御依頼主?彼も暇じゃないんで」
身を乗り出した飛雅の食い気味な勧誘を遮断するように、にこやかな表情を浮かべた斑鳩が話の腰を折る。
強引に掴まれたままの手上に手が重ねられた瞬間、静電気が放電された様な痛みが走る。
その痛感に驚いた飛雅が反射的に手が解き、放電したであろう本人を睨め付けた。
「…気ィ付けろや、兄ちゃん」
「はは、ごめんなさい。ボク、帯電体質なもので」
「申し訳ありません。ですが、午後より南都内の巡廻がありますので、お話をお聞かせ頂けますか」
「…そうか、すまんかったな」
飛雅から向けられる怒気を気にすることなく、斑鳩は話を続けてくれと笑い、疾斗の方へ片目を開く。
出された助け船に首を縦に振り、男の方へ再度向き直れば、刺しかねないほどの気迫を一瞬に掻き消した飛雅が媚びへつらう様に笑い、頭を下げる。
ころころ変わる態度に苛立ちが募るのを覚えながらも、疾斗は飛雅へ話の先を促した。




