壹
ヂリリリッ__ヂリリリッ__
鉄骨の足場の上にあるアパートの一室。湿気のせいで畳の部屋は心霊現象でも起こりそうな空気だ。その中に鳴り響く、規則的かつ無機質な呼び出し音。
「はい、墓守相談所です」
すぐ目の前の台所で水を汲んでいた十开は、悠長に汲み終えてから座布団の上で居住いを正し受話器を取った。
電話番号もでない。
そもそもディスプレイなんてものがついていない。
何かしらコインを入れなければ回せもしない。
加えてプッシュ式ではなくダイヤル式。
今でも売っているのか、と電気屋で邂逅した時は目を輝かせた記憶がある。
レトロ家電を揃えているわけでもないが、電話に機能性なども求めていないため安いという事、それだけで事務所を開設した際、即断即決で買ったのだ。
「あ、あの!! た、たすけて__たすけてくださいっ!」
小さくため息の様な声で、受話器の向こうから喋りかけてくる。また少しの焦燥も感じる。
「はい、では今の状況を教えてください」
「そんなこと言ってる暇はないの! お願いがい、早くきて!」
「……はい、ではご住所を」
「さ、さんじゅ、よ、ん、くの__ぃ゛ひぃ゛?! は、ゃ__」
「三四区でしたら二時間かかりますけ、ど……?」
ブチッ__ツーツーツー__
一方的に切れた通話。恐らく最後の十开の声はもう聞こえていなかっただろう。
通話の相手は男声と言うより、女声の音域だった。
十开は受話器をそっと置いて、三四区辺りの地図を広げる。
電話越しの状況からして、遅かれ早かれ間に合うことはないだろうと、準備に勤しむ。
十开が自営する事務所、自分の苗字を取って『墓守相談所』__の生業として彼が掲げている事は、先ほどの電話のような被害をこれ以上増やさないこと。
被害の根本を取り除くということ。
その被害と言うのが、墓神と呼ばれる異形の存在。その形は様々で、黒であったり影であったり、人型または近未来建築の様な形をしている。
異形だからと言って、悪いものではない。彼等を排除しようとする団体は存在するけれど、彼等は死者を守護するものであり導くものである。何らかの要因が重なると凶暴化し、人間を死に導くこともある。それらの要因は、人間のつまらない私利私欲の所為。
彼が開いた事務所はあくまで相談所なだけでであって、人助けをしている訳ではない。
幾らその道の人間と言えど、自分はヒーローではないのだから__。
これは十开自身の教訓でもある。
犠牲になりたくなければ、それなりの行いをすればいいと__これが十开の悟りである。
人命救助と言うものは、そういう道の__つまりヒーローの仕事である。
赤の他人を助けるため、己が命を犠牲にするという信念の何処が美しく勇ましいのか。
だがしかし、墓守協会通信、通称『碑』という墓守のみが知る専門的なネットワークで聞いた話だが、ヒーローと呼ばれるに相応しい組織が新たに発足されたらしいのだ。
一月の半ば。冬ど真ん中。つまり字面通り真冬。
朝の十時にしては家の周りは静かだ。
(まぁ、こんな降雪の日にわざわざ出かける意味が分からんけど……)
居たとして、病気知らずの世間知らずの子供らだけだろう。
歯磨きは洗面台の定位置へ戻し、スウェットは適当に床に脱ぎ捨て、ハイネックのニット股引きを下にカーゴパンツを履く。壁にかけておいた厚手のジャケットを羽織れば、首にマフラーを巻く。更に、耳当てのある帽子を被れば、完璧な防寒を得られる。
十开は極度の寒がりだった。
「……よし、行くか」
そう意気込んで、玄関の扉を開けた。
一気に空気の温度が変わり、鼻水が凍りそうだと身体を震わせた。
目元だけが空気に晒されるように、マフラーを鼻上まで捲し上げ、帽子を更に深く被った。
自宅から駅まで、徒歩約五分。短いようで長い。春や秋は非常に歩き易いのだが、夏場、冬場は極力外出を控えたい。出来ることなら一度も外出したくないと思っている。
しかしながら、職業柄、十开には到底無理なことである。
駅に着くと電光掲示板で列車の時間を確認し、あらかじめ切符を買っておこうと、十开は券売機に足を向けた。ポケットの中を探ってお金を探す。
いつも丸裸で懐にしまっているそれ。いつもの様に氷点下の空気に手を晒し、懐を探るが目当ての感触が無い。
つまり、そもそも、お金など持ってきていなかったのだ。
(この前、確か、コンビニで全部使ったんだったか……?)
懐から見つかったレシートを見返してみると、残金なし、ピッタリ支払いっていると言う痕跡が、確かに証明されていた。
そのことをすっかり忘れ、補充しておかなかったのは自分の落ち度。しかし、また極寒の中を引き返すと言うのも面倒であった。
「……あの、お金貸してくれませんか?」
熟考した結果、十开は後ろに並んでいた人にお金を貸してもらうことにしたのだった。その振り返った先に居たのは、十开より随分と低い背丈の少年だった。
一八〇センチの巨漢が見下ろし、放った言葉は倫理的に人生退場もの。
しかし彼は切実だった。
己が世間体など気にする様子は全く無い。
「…………はい?」
一方で少年は訳がわからないとでも言う様に、顔を顰めて聞き返した。
「だから、お金を貸して欲しい、と」
「……お兄さん、知っていますか? お金を貸して欲しいと見ず知らずの人に言われて、昆虫ホイホイ見たいにホイホイ貸すやつ居ないですよ。逆に昆虫ホイホイの確率といい勝負ですよ」
『昆虫ホイホイ』とは、昆虫を採取する為のお手軽な商品なのだが、巷の噂によると採取確率は0.01パーセントと極めて不良品なのだ。
蝿でさせ捕まらないのだ。
「……そうか、じゃあどうすればいいと思う?」
「……一回家に帰って財布なり何なり、取ってくればいいんじゃないですかね?」
十开は少年に真っ当なことを言われてしまうが、今更帰る気にはならない。
気を変えるつもりはなかった。
「寒い、帰りたくない、だからお金……」
「……」
執拗な十开の意思に、少年の頑なな常識が揺れそうになった瞬間。
「十开さん、何をなさっているのです? まさか、家に財布を忘れたけれど、寒くて帰る気も起きず、その様ないたいけな少年にお金を集っているのでしょうか?」
可憐な声と共に、和装の少女が現れた。腰まである長い髪は、素直に真っ直ぐ伸びていて、毛先も完璧に切り揃えられている。少しの赤みを帯た瞳は、光加減で色が変わる様だ。
(このお姉さん絶対最初から聞いてたんじゃ……)
「そうだけど」
(この人も馬鹿正直だな)
「申し訳御座いません。いたいけな少年殿。この無作法極まりないな十七歳が無礼を致しまして。私が責任を持ってお金を貸して差し上げようと思いますので、少年殿はお気になさらず」
「あ、いえ」
十开は無事に特急券を買い、列車に乗ることができた。アイシェと言う幼馴染による救済が、偶然か必然か、舞い込んできたからである。
「お兄さんとお姉さんは知り合いなんですか?」
行き先がどうやら同じ様で、空いている席に十开とアイシェと少年と相席していた。
「ええ、少女漫画でよくある当て馬ではない方の幼馴染です」
「は、はぁ……」
訳のわからない説明に少年は気まずく頷いた。
「少年殿は小学生の様ですね。お幾つか伺っても宜しくて?」
膝に抱えた茶色のランドセルによる、アイシェの的確な推測。
「八歳だけど三年生」
「御立派ですね。こんな顔以外の巨漢にしっかり抵抗できるのですもの」
口元に着物の袖を当てながら上品に笑ったアイシェ。
「そりゃあまぁ、大人でも逃げると思いますけど」
少年は列車の外を眺めながらそう言った。
ご尤もな意見だと、アイシェも苦笑した。
「お姉さん達は何しに行くの?」
「お仕事です」
「何の仕事してるの」
「墓守」
無口で聞き耳だけ立てていた十开が、口を開き、簡潔に言い放った。
「あの? 墓守?」
「他にどの墓守があるんだ?」
「十开さん、彼は貴方を見くびっていらっしゃるのですよ」
(言っちゃうんだ……)
少年は彼等の関係値が余計に分からなくなっていた。
アイシェは一見お淑やかで丁寧な物言いだが、歯に衣着せぬと言うか。
多少辛辣且つ営利な口文だが、彼等が互いにそこまでの関係を築けているからかもしれないと、宛ら熟年の夫婦の様な二人を、少年は眺めていた。
「……そうか、俺弱そうに見えるか?」
アイシェの言葉に、十开はしょぼくれた声で真剣に少年に問うのだった。
(そこは信じるのか……)
「いや、その……」
十开は大層鈍い男だった。
又は、天然とも言う。
「十开さんの言葉はどうぞ右から左に流して下さいまし。真面目に相手をすると面倒な質でいらっしゃいますもの」
少年に微笑みながらアイシェは助言を施す。
「つまり、お兄さん達国家公務員ってこと?」
「私はそうですけれど、十开さんは違いますわ」
「じゃあ、お兄さんは違うの?」
「ああ、そうだな」
「ほら、十开さん。こう言う時です。こう言う時に作った名刺を差し出すのです」
アイシェはつい一週間前のことを思い出して、十开に助言した。
十开が相談所を開業して三年ほど経っているが、つい一週間前までは新聞の折り込みチラシと、非常に簡易的なウェブサイトのみだった。
満を持して__ではなく、これもまたアイシェのアドバイスによるものであった。
だがしかし、その肝心の名刺は財布の中。つまり今ここには無いのだ。
「そうですね。そうですよね。そうだと思いまして、私も幾つか拝借しておりましたの。少年殿、どうぞ何かありましたら此方へご相談くださいまし」




