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夢の罪 無辜の灰  作者: 神代きい


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Ⅳ・無辜の灰6

 


 ハッ…、と動きを止め、静かに視線を落とす。

 立ち込めた霧。…黒耀の鎌。黒光りする刃。それが、僅かな隙間もなく、自分の喉先に存在している。

『――…自我が戻った、か。自らの歩みで首を落とす大天使を今少しで見られたというのに…、残念だ』

 その芝居じみた落胆の声は、自分のすぐ頭上から聞こえた。背後にピタリと感じるこの気配の持ち主が、自分の喉元に鎌を沿えているのだろう。

 だが、これは――…本当に死人の魂か? 死者がこれほどのチカラを有するというのか?

「…興が醒めて残念だったな。俺はこれでも大天使だ、そう簡単に首をくれてやるもんか」

 なるべく喉を動かさないようにと慎重に声を発したが、余裕なく沿った刃は微塵の容赦もない。鋭痛と共に流れた一筋の血を感じる。

 精一杯の矜恃を保とうとするリオンが可笑しいのか、男が静かにクツクツと笑った。

『そう怒るな、小僧。これは忠告だ』

「…忠告?」

『そうだ』

 鎌を持たない左手が、ぽん、と頭に置かれた。よしよしと撫でられて、リオンは顔をしかめる。

『此処はお前のような小僧が来るべき場所ではない。私のようなモノに遊ばれるからな』

「だから…、何? 俺は用があるんだ、アンタに付き合う暇はないッ」

『強がるな、小僧。認めたらどうだ? 本当は怖いのだ、と』

「…っ」

 ――…止まらない震えを懸命に抑えようとするが…、そうすればするほどに、背後の存在との歴然とした実力の差をひしひしと感じてしまう。

 それが手に取るようにわかるのだろう。男はリオンの頭を優しく撫でていく。冷たい指先を髪に感じ、リオンの首筋に虫酸が走る。

『怯える必要はない。これ以上お前を嬲るつもりはない。

 しかし、お前のような小僧を連れてこの地に入るとは…。相変わらず正気を疑うな』

 誰に向けての発言なのか――それを理解した瞬間、リオンの震えは恐怖から怒りのそれに変わった。

「タオを悪く言うなッ。俺が無理に頼み込んで連れてきてもらったんだッ」

『タオ…?』

 予想外に怪訝そうな声音。

『何故に大天使が、あれの(あざな)を知っている?』

「あいつも俺の字を知っている。俺達は親友だッ。――何が可笑しいッ?」

 笑いを堪える男に殺気を向けると、憐憫を含んだため息が返ってきた。

『いや、すまない。お前を笑ったわけではない。

 だが…、大天使と友、だと? まさかあれがままごと遊びに興じるとは…!』

「馬鹿にするのもいい加減にしろッ! アンタに何がわかるんだッ!?」

『――わかるとも』

 笑いを含んだ吐息。目を眇める気配。

『あれは忌み子だ。災いを振り撒く』

「なんだと…!?」

『あれを産んだ母親は、その禍々しさに恐れおののき、赤子を床に叩き捨てた後に発狂し自害した。あれを産ませた父親は、戦々恐々としながらもチカラの魅力に負け餌とし、結局はあれに弑された。国を滅ぼし、世界を焼き、自分に繋がる血脈の全てを消し、数多くの無関係な生命をも殺し尽くした。

 その災厄が、大天使と親友だと…!? ついに気が触れたか』

「ア…アンタには関係のない事だッ」

『大ありだとも…』

 心外だ、とばかりに、わざとらしく驚きを含んだ抑揚。

『だからこそ、忠告している。お前もあれには関わらぬ事だ。手酷い最期を迎える羽目になるぞ?』

「タオはそんな事しない…ッ」

『あれは忌み子だ。本来ならば生きる事を許されぬ存在だ。お前も見ただろう? あれは餌だ。ただ餌として存在していればまだ良かった。それを飼い慣らせると自惚れた愚か者共が檻から解き放った』

「タオは悪くないッ」

『良いも悪いもない、あれは存在そのものが災いだ。まだ幼いお前には理解できないのだよ。畏怖や恐怖から己を守ろうとする反応を、友情や親愛の類いと勘違いしているのだよ。禍々しきあれの本質を、いつかお前も理解するだろう。だが、それでは遅すぎる』

「黙れッ!!」

 頭を振って否定したせいでまた喉から血が流れてしまった。

 しかし――、その程度の障害では、到底リオンの怒りは収まらない。

「アンタの意見は関係ないッ。昔あいつがやった事も関係ないッ。あいつがどんな存在でも関係ないッ」

『お前は真に理解していないのだ』

「だからなんだよ!?」

 リオンは遠慮なく鎌の刃を鷲掴みにした。裂ける手。流れる血。刃を押し退ける事は出来なかったが、だからとリオンは臆さない。

「あいつが災厄だと言うなら、天使を壊滅した元凶の俺は死神だ! あいつは俺を救った。兄貴を救った。今イシュヴァに生きる天使の全ては、あいつのおかげで生きているんだッ!

 昔の事をねちねち言いやがって…! アンタは今のバハールドートを見た事があるのか!? あの生命溢れる素晴らしい世界を…! あいつ自身は認めないだろうが、あいつはあの世界を背負っている。あの世界を守っている。あいつがいるから今のバハールドートはあるんだッ!

 あいつは忌み子でも何でもないッ、ただこの世に産まれただけだッ。あいつは俺の親友だッ! タオの存在意義や俺のやり方をアンタにとやかく言われる筋合いはないッ!!」

「――…リオン!」

 聞こえた声に、ハッ、と見上げる。

 霧を割って現れた漆黒の翼。大きく振りかざした鎌。そこにあるのは――明らかな殺意。

「貴様絶対に動くなッ!!」

 殺気みなぎる叫びに魂が縮む。

 重量加速に従い落下する勢いのまま――、タオはなんと確実にリオンを狙って鎌を振るった!

「ッ!?」

 これにはさすがに目を閉じた。――…が、訪れるべき痛みがない。

 リオンがおそるおそると目を開けるのと、勢いを殺せないタオが全身でリオンと衝突したのは、同時の事だった。

「〜〜〜ッ!」

 背中と頭を地面に強打し、胸と腹はタオに突っ込まれ、リオンの反転した視界に星が舞った。肺に受けた衝撃で一瞬呼吸が止まり、反動で何度も何度も咳き込む。

 ころん…、と横に転がるようにリオンの上から退いたタオも、荒い呼吸を繰り返している。

「お――…おおぉお前…ッ、俺ごとアイツを斬っただろッ…!?」

 地面に寝転がったまま横目で睨み抗議すると…、未だ呼吸が整わないタオは、同じく沈没したまま力なくヒラヒラと手を振った。…相当消耗しているらしい。

 鎌に乗せたあの一撃には、凄まじいチカラがこもっていた。それに加え、タオはリオンの羽根を利用して一瞬のみ完全にリオンと同調し、その一瞬を狙う事で、必殺の一撃がリオン自身を傷つける事を回避した。これは途方もない集中と魔力を必要とする術だ。しかも…、彼は別の魔族と交戦した後だ。これほど休みなく立て続けに身心を酷使すれば、さすがのタオも参るのは当然か。

「…」

 それにしても…、と思う。

 もしあの一瞬にリオンが動いていれば…、間違いなくリオンの魂までもが消し飛んでいた。リオンが避けないと信じていたのか、はたまた躊躇う余裕もなかったのか。…どちらにせよ、とんでもない事をやったものだ。

 タオを批判しリオンを惑わしたあの男も、結局はあの一瞬にリオンを楯にした。何故共に斬られたリオンが無傷でいられたのか、男は最期の瞬間まで理解出来なかったに違いない。まさか互いの羽根を交換していたとは、夢にも思わないだろう。

 タオはリオンの命など関係なく男を消し去るつもりだった――、などとは誰にも言わせない。波動を完全に同調させるという緻密な真似を、強大な魔力を有するがゆえに極度な繊細さを問われる術を、面倒臭がりなタオが単純にやって退けるだろうか? それこそタオを知らないというものだ。

「おーいタオー…、大丈夫かぁ…?」

「……こ…声が出ねぇ〜…」

 嗄れた喉のせいで妙に高く掠れた返事が返ってきた。咳払いを繰り返して調子を戻そうとしている。…そんなタオが何だかおかしくて、さっきまでの緊張も全部吹き飛んで、徐々に笑いが込み上げてくる。

 万が一俺を斬っていたらどうしてくれたんだとか、あの男は何者だったのかとか、玉砕覚悟の戦略はいい加減にやめなさいとか、――その他にも言いたい事は山ほどある。

 だが――…、とりあえず今は何も言わないでおこう。力なく睨むタオの目が可愛いとさえ思えて、リオンは腹の底から笑い転げた。






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