Ⅵ・無辜の灰1
「もうっ! 一体なんなのよ、この森…!」
この森の空気や気配は、通常のバハールドートのそれらとは何かが違う。つまり、それだけ可能性がある、という事だ。
だが――。連日に渡って森の探索を続けているが、自分が目的とするモノの手掛かりすら見つからない。
「けれど、この森なのは確かよ! かか様もああ仰っていたし――」
女王である母から以前、万が一バハールドートに行く事があったとしても、二対の翼の魔族が棲む場所にだけは絶対に入ってはならない、と強く言われた経験がある。この世界に生息する二対の翼の魔族は、この森に棲むあの気に入らない魔族だけ。つまり母は、この森の立ち入りを禁じたのだ。
問題は――、何故禁じたのか。
「そう、きっと――とと様がお隠れになられた場所なのよ! だからかか様は、あのように言われたんだわっ! アタシまで消えてしまわないように…!」
母の心配はありがたいが、だからと怯むわけにはいかないのだ。無意識に唇を強く噛む。
自分が棲む世界は今、各地を治める兄達によって戦乱が続いている。女王である母の介入も空しく、戦況は泥沼と化してしまった。この状況を打開するためにも、自分は絶対にチカラを手に入れなければならない。
「それに――…、とと様はご存命だわ。絶対に」
…正直なところ、支配者からチカラを得るのは二の次なのだ。父を捜し出して共に帰還する、それこそが自分の真の目的だ。父王が還御すれば、乱れた世界に平穏が訪れるはず。
「……それに…」
兄達が醜く争う事も、母の哀しげな顔を見る事もなくなる。そして。
――…肖像画や聞かされる思い出話の中でしか知らない父に…、会える。
『なるほどな…』
妙に耳に心地良い男の声が聞こえた――気がした。
驚き慌てて周囲を見回すが、自分以外の人影などない。油断のない眼光で周囲の木々を鋭く見やると、先程まで不思議そうにこちらを見ていた兎やリス達が怯えたように隠れてしまった。
平穏な森の気配。風に優しく鳴る落ち葉。何処かにいる虫の儚げな声が、澄んだ空気に響いている。
「…気のせい…?
んもうっ! 全然見つからないしッ、幻聴は聞こえるしッ! 本ッ当に変で気持ち悪い森――きゃあぁっ!?」
勢い良く踏み出した瞬間、落ち葉が隠していた段差に右足を捕られ、盛大に転んでしまった。反射的に地面へ伸ばした手のひらを擦りむき、ささくれ立った心がますます刺々しくなる。
「ああーッ、もうッ…!! 一体何なのよッ!? 信じられな――」
怒りの対象である地面を睨み――、それに気付いて言葉を失う。
落ち葉の敷布から覗き見えたのは、人工的に形を整えられた石の数々。元は石垣や外壁の一部を形成していたのだろうが、自然の風化とは異なる形で崩されている。
ここは『恥ずべき者』が棲む世界だ。おそらく過去に惨い戦が起き、その戦乱の犠牲となった建築物なのだろう。
「まさかここが、支配者の居場所? ――…そのわりには、何もないわね…」
周囲をつま先でほじくりかえしてみたが、他に目ぼしい遺跡の痕跡は見つからない。だが意識をすればするほどに、この場所は異質な気配を放っているように感じてくる。
「変な呪術場の跡だったりしないでしょうねぇ…? あぁやだやだッ、気持ち悪いッ!」
ゾゾッ! と鳥肌立った両腕を激しく擦り、身震いして足早にその場から立ち去った。
――その姿を愉快そうに見守る者の存在に、微塵も気付きなどせずに。