Ⅲ・夢の罪6
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タオはまだ何かを隠している――、それは間違いないだろう。だが…、タオのあの性格だ。だんまりを決めたからには、何があっても話しはしまい。
――…ならば、こちらが強引に近寄るしかない。
「と、言ってもなぁ…」
無の空間に存在する白き大扉。その前に立つリオンは腕を組んで深く唸った。
イシュヴァ大神殿の書庫で再度調べ物がしたいし、イシュヴァに置いてきた装備品も取りに行きたい。だから情動のままに此処へ来てしまったが…《こちら》にいる以上、自分では扉を開ける事が出来ない。それを失念していた事よりも、そこまで頭に血が上った事を、今リオンは恥じている。
「そもそも、この扉がなければいいんだよなぁ…」
ため息混じりのぼやき。扉を背に座り、組んだ足に頬杖をつく。
イシュヴァに伝わる伝承では、この扉を創った者は創世の大天使長だという。激しい戦乱によって天使は激減し、生き残った者達もまた風前の灯――…。そこで当時の大天使長と魔王は、互いが棲む領域を分かつ事にした。魔王はそのチカラで世界を二つに裂き、大天使長は裂いた世界が唯一接する《道》を扉で封じた。
「それは仕方がなかったんだろうけど…」
大天使長はこの扉に、イシュヴァ側から――しかも大天使でなければ開けられない、という楔を付けた。魔王は裂いた世界の境界であるこの空間に、最上位のチカラを有する者しか出入りが出来ない、という鍵を掛けた。
――そのために、イシュヴァのあの悲劇が起きた。
もちろん自分達にも非はあるが…、責任の大部分は、扉やこの空間に厄介な決まり事を残した創世の大天使長と魔王にある、とリオンは思う。もっとも、その彼らのおかげで、今日のイシュヴァとバハールドートが在るわけだが…。
「まったく、迷惑な遺物だよなぁ。俺がいつか扉を自由に開閉出来るようにしてや――おわっ!?」
鼻息荒く決意を新たにしていると、寄りかかっていた扉が突然開いた。前触れなく背を突き押され、リオンは勢いよくつんのめる。
イシュヴァ側から扉を開けられる人物は、ただ一人。強打した腕を擦り、リオンは振り向きざまに怒鳴りつけた。
「シロンッ、ちゃんと確認してから開けろよなッ! びっくりするだろーがッ!」
「わっ、私こそびっくりしたよ。まさかお前がいたとはね」
イシュヴァの眩しい平和な陽光を背後に受け、ふんわりと笑う大天使長。この暗い空間に慣れていた目では、それらが普段以上に眩しく見える。
この兄に文句を言ったところで効果などない、と知っているリオンは苦笑した。
「お前だけかい? 彼は?」
「…来てねーよ」
首を傾げる兄に素っ気なく返事をした途端、シロンが小さく吹き出して笑う。
「また喧嘩したのかい? 彼をあまり困らせるんじゃない」
「正直に話さないあいつが悪いッ。本当は俺に助けて欲しいくせに、肝心な部分は話そうとしない…!」
リオンは組んだままの二の腕に、クッ…、と強く爪を立てた。苛立つ感情が止まらない。
そんな弟に大天使長が、やれやれ…、と穏やかな眼差しを向けている。どこか嬉しそうな表情だ。
「シロンはなんで扉を開けたんだ?
――…タオに用事か?」
兄を見るリオンの目が無意識に鋭くなった。…この間兄は、用事があって扉を開けたらタオがいた、と話していた。タオもシロンも何を企んでいるのか…、リオンは疑心暗鬼になりそうだ。
弟に睨まれたシロンは、困ったようにこめかみを掻いている。
「うーん…、彼に会えないかな?」
「知らん」
「…そう」
いくら大天使長とはいえ、バハールドート側からでは扉を開けられない。シロンは持っていた錫杖を扉に噛ませると、おもむろに無の空間へと歩み出た。美しい純白の翼が漆黒の空間によく映える。
そんな兄を目で追い――…、リオンは浮かんだ疑問に眉を寄せた。
「なぁ兄貴…、タオは何故これを開けられるんだ? 創ったのは古の大天使長で、開けられるのはイシュヴァ側にいる大天使だけのはずだろ?」
強大なチカラを持つとはいえ、大天使長でも開けられない扉を魔族が開けられるとは不可解だ。今までこれを不思議とは思わなかったのは――…、それほど自分があの魔族を信用し信頼している証拠か。
シロンが静かに目を閉じ、一つ小さな吐息を漏らす。
「…リオン、前にこう訊いたろう?
かの戦乱の以前、天使と悪魔はどのような関係だったのだろう、と」
「ん…、ああ」
「その答えだよ」
は? と怪訝な表情を浮かべた弟を、静かに見据える大天使長。その目はそよ風が吹く野原のように穏やかだ。
「古の大天使長は、当時の魔王にだけ扉を《こちら》から開ける事を許した。それほど魔王を信じ、そして、魔王も大天使長に心を許していた。だからこそ、世界を裂くという荒業を、命懸けでやりきったんだ。
――…戦乱により滅びる寸前だった天使を絶やさないためにね」
「それって…」
大天使長と魔王が気心の知れた友であった、という事か…。リオンは何度か瞬いた。
だが…、戦乱に消耗した彼らには、濁流のごとく暴走する民達を止める術がない。この苦肉の策をとるだけで精一杯だった、というわけだろう…。
シロンの様子が気になって視線を戻すと、兄もまた物憂げな表情で白き扉を見つめていた。
「…とはいえ、彼が扉を開けた事には驚いたよ。古の大天使長は、友人である当時の魔王にのみ扉を開ける資格を渡したはず。だというのに、彼には開けられた。
つまり――彼は、古の魔王と同格であり同等の存在、という事だ」
「…」
そうか――、と。今まで空いていた穴に、答えのピースがカチンとはまった。
何故バハールドートの民は彼に強い畏怖を抱くのか――、その原因は彼が民に植え付けた恐怖だけではない。民はその以前から彼を畏れていたのだから。
しかし…、彼が古の魔王と同格の存在である事を本能的にわかっているためだとすれば、つじつまが合う。だが――…。
…それならば、彼には何の非もないのだ。にもかかわらず、民は彼と距離を置こうとする…。
『――――余が怖いか?』
「だからあの時、あんな目をしていやがったんだな…」
――ようやく得る事を許された友さえも失うかもしれない、恐怖。
「…馬鹿馬鹿しい」
リオンは鼻を鳴らして笑い飛ばす。
彼が別格の存在である事など、出会った瞬間から承知している。そもそも彼が何者であろうが、リオンには全く関係ない。彼の本質を知ったからと、今更何かが変わるなどあり得ない。
あいつは俺の親友、ただそれだけだ。
「…彼が抱え込んでいる問題に、心当たりがある」
友を想う弟の表情に決心したかのように、シロンがおもむろに口を開いた。その強い眼差しは、まっすぐとリオンの両目を捉えている。
「リオン、いいかい? この話はね、本来は大天使長のみに伝えられるものだ。
だが…、彼を友に持つお前には、知る権利があるだろう」
「…」
若き大天使長の真摯な目――。リオンは緊張に唇をしっかりと噛み、重く頷いてそれに応える。
シロンは一つ吐息の間を置き、呼吸を整えた。
「イシュヴァ大神殿の中庭に、この扉を創った大天使長の墓があるだろう? 民をイシュヴァの地へと導いた後、イシュヴァの地で息絶えた。民の間に知られている伝承だね。――だが、これには誤りがある。
民をイシュヴァへ導いた大天使長自身は、イシュヴァに足を踏み入れなかった。…故意か否か、《こちら》に残ったんだ」
「え…っ?」
『この世界には正当なる支配者が――』
――…混血の娘の言葉が脳裏をよぎった。
「…」
「彼は、その大天使長の居場所を捜している。理由は…、彼から直接訊くといい。
リオン、私からも頼む。古の大天使長を捜し出して――…救ってくれ」




