第13話 聖女裁判
三日後。
三日間は嵐のように過ぎた。
バルドゥスとの審議手続きの確認。証拠の整理と提示順序の打ち合わせ。リーシャとの帳簿の最終照合。レオンハルトとの護衛計画。アルヴィンへの出席依頼——全てを三日間に詰め込んだ。
眠れたのは合計で六刻ほどだ。
けれど頭は冴えていた。
覚醒した魔力が体を支えてくれている。
そして——大聖堂。
あの日と同じ場所だった。
蝋燭と魔石灯の光。高い天井。石柱が並ぶ身廊。
けれど今日の空気は、あの日とは違う。
身廊の左右に木の長椅子が並べられ、貴族、神官、騎士団の幹部が着席している。
正面の祭壇に大神官バルドゥスが座り、その隣に書記官。
左手の壁際に王族席。アルヴィンの姿があった。
そして——右手の壁際に、ミレーヌ。
白い典礼服を着ているが、顔色は悪い。
その後ろに、ドルクスが立っていた。
宰相ドルクス・ヴェインハルト。
わたしは初めて、その男の顔を正面から見た。
五十を過ぎた痩せた男。銀に近い灰色の髪。深く落ち窪んだ目。
表情はない。感情を全て内側に押し込んだような、冷たい顔だった。
——この人が。
娘を亡くし、聖女を恨み、制度を壊そうとした人。
わたしに毒を盛らせた人。
胸の奥に怒りが湧いたが、わたしはそれを抑えた。
ここは感情の場ではない。証拠の場だ。
「公開審議を開廷する」
バルドゥスの声が聖堂に響いた。
「本件は、聖女の資格と正統性を問う審議である。召集権限は大神官に帰する。王国法第七章第三条に基づき、証拠の提示と証言を行う」
形式的な宣言。けれどその重さが聖堂を静まらせた。
「まず——申立人、フィオナ・クレティア」
わたしは祭壇の前に進み出た。
大勢の視線が集まる。
足が震えそうになる。
けれどレオンハルトの姿が視界の端にあった。身廊の柱際に立ち、わたしを見ている。
「わたし、フィオナ・クレティアは、以下の事実を申し立てます」
声が出た。
自分でも驚くほど、はっきりと。
「第一。わたしは聖女認定の祝宴の夜、ミレーヌ・ヴァルシスから手渡された葡萄酒により、禁制毒・蒼鉛花の中毒を起こしました」
聖堂にざわめきが走った。
「第二。蒼鉛花は王立薬草園から持ち出される禁制毒であり、持ち出しには宰相の署名入り許可状が必要です。わたしはその許可状に関する三つの独立した証拠を持っています」
わたしはリーシャに目で合図した。
リーシャが木の箱と紙束を祭壇の上に並べた。
「証拠一。宰相府秘書官セドリック・ルーヴェンが写し取った許可状の写し。品目:蒼鉛花・乾燥根。数量:五グラム。日付:星降りの月・第三週。署名者:ドルクス・ヴェインハルト」
ドルクスの目がわずかに動いた。
けれど表情は変わらない。
「証拠二。王立薬草園の管理簿に残された圧着痕の記録。破り取られたページの次ページに、同一の内容が筆圧の凹みとして残っています」
「証拠三。宰相府書庫の暖炉で焼却された許可状原本の灰。灰の断片に残った金属酸化物の文字痕跡から『ドルクス』および『蒼鉛花』の二語を確認しました」
木箱を開けて、灰の断片を慎重に祭壇に置いた。
バルドゥスが身を乗り出して確認した。
「第三。聖女関連の神殿資金に不正な流用があります。リーシャ・オルヴェーヌ神官が作成した帳簿の照合記録を提示します」
リーシャが前に出て、帳簿の写しを広げた。
「慈善基金からの不明金、三か月で金貨八百枚。流用先はミレーヌ・ヴァルシスの私的支出と、宰相府への上納金です」
聖堂のざわめきが大きくなった。
貴族席から声が上がる。神官たちが顔を見合わせている。
ミレーヌの顔が真っ白になっていた。
「異議がある」
ドルクスの声が聖堂を切り裂いた。
初めて聞くその声は、低く、硬く、氷のようだった。
「写しは偽造が可能だ。灰などという脆弱なものが証拠になるのか。管理簿の圧着痕も、素人の読み間違いに過ぎない」
予想通りの反論だった。
わたしは慌てなかった。
「大神官猊下。わたしからもう一つ、証言をお願いしたい方がいます」
バルドゥスが頷いた。
そしてバルドゥス自身が立ち上がった。
「——儂が証言する」
聖堂が静まり返った。
大神官が自ら証言台に立つ。
前例のないことに、全員が言葉を失っていた。
「15年前。宰相ドルクス・ヴェインハルトの一人娘エリーゼが病で亡くなった。当時の聖女マルテは治療を試みたが、聖女の治癒の限界を超える病であり、救えなかった」
ドルクスの顔が、初めて歪んだ。
「ドルクスは娘の死を聖女制度の責任と見なし、復讐を誓った。儂はそれを知りながら、15年間沈黙した。——儂の怠慢が、今日の事態を招いた」
バルドゥスがドルクスを見た。
「ドルクス。エリーゼの死は聖女の罪ではない。力の限界があっただけだ。……それを、15年前に儂が言うべきだった」
ドルクスの顔が歪んだまま固まっていた。
落ち窪んだ目に、何かの光が揺れている。
聖堂は沈黙していた。
「——最後に」
わたしは声を上げた。
「聖女の正統性を証明します」
祭壇に歩み寄った。
前回と同じように、聖杯に汚染水が用意されている。
バルドゥスが審議のために準備させたものだ。
わたしは聖印を持っていない。
何も持っていない。
右手を聖杯の上にかざした。
魔力が流れた。
温かい光。
祝宴の夜に覚醒した、あの力。
黒い水が——一瞬で、透明になった。
清水の表面に、魔石灯の光が反射して輝いた。
誰かが息を呑む音。
それから——拍手が起きた。
最初は一人。やがて波のように広がっていく。
「ミレーヌ・ヴァルシス」
バルドゥスの声が拍手を止めた。
「同様の浄化を、聖印なしで行えるか」
ミレーヌが震えていた。
唇が何かを言おうとして、声にならない。
「——で、できないわ」
絞り出すような声だった。
「わたくしは……聖印がなければ……」
それ以上は言葉にならなかった。
聖堂に沈黙が落ちた。
「審議の結果を宣言する」
バルドゥスの声が響いた。
「ミレーヌ・ヴァルシスの聖女認定を取り消す。フィオナ・クレティアを、リグレシア王国正統の聖女として承認する」
——終わった。
いや、まだ終わっていない。
ドルクスの処分は審議の範囲外だ。
それは王国法の問題であり、この場で決まることではない。
けれど——聖女の座は、正された。
わたしは祭壇の前で立ち尽くしていた。
拍手の中で、リーシャが泣いていた。
レオンハルトは柱際で腕を組んだまま、小さく頷いた。
アルヴィンが王族席から立ち上がり、静かに拍手を送っていた。
そしてドルクスは——。
わたしは宰相の顔を見た。
表情はなかった。
あの冷たい顔のまま、聖堂の出口に向かって歩き始めていた。
その背中に、わたしは声をかけなかった。
まだ、終わっていない。




