虹色とクビと『テマリシステム』
午後7時。窓の外を照らす光が、すっかりネオンへと切り替わったころ。
本日の仕事を終え、会社から帰ろうと、カバンを持ちオフィスチェアから立ち上がったときだった。
部長の放り投げるような声が飛んでくる。
「有馬!このデータ処理、今日中に頼む!」
「これ……部長の担当ですよね?昨日も部長の仕事で残業したんですが……」
俺の言葉を聞いて、圧川部長は、はぁ……とため息をついた。
部長、俺に仕事を押し付けようとしてるんだよな?
何でこちらが悪いみたいな顔をされないといけないんだ。
「俺には管理の仕事がある。それに、お前をこの会社に置いてやるために、こっちも周囲を納得させなきゃならないんだよ。レベルゼロなら、そのくらい働いて示せよ。」
……レベルだけを見れば、部長の言うことはもっともなのだろう。
この企業の社員は、みなある程度のレベルを持っている。俺よりレベルの低い者なんていない。
まあ、レベルゼロより低い人間なんて、世界中どこを探してもいないわけだが。
そしてこの俺、有馬誠二郎、三十八歳はレベルゼロ。
世にも珍しいレベルゼロだ。
レベルゼロは最底辺。世界で数人しかいない貴重な存在なのだ。
レベル1ならまだ成長の余地はある。だが、レベルゼロにはない。レベルゼロがレベル1になった事例は、今まで一つもない。
俺が株式会社クウデリに入れたのは、当時まだ零細企業だったからだ。小さな食配サービス会社でしかなかった。
食配サービス。弁当を必要な人へ届ける仕事だ。
別に興味のある分野ではなかった。
でも、俺みたいな低レベルを雇ってくれたこの企業に、恩義を感じ、会社の成長に貢献しようと努力した。
クウデリの内部システムは、俺が十五年間育て続けたAIが手がけたものだ。
入社から七年ほどが過ぎた。
巣ごもり需要や在宅ワークの定着、夫婦共働きの増加で、社会の様相は変わっていった。
そんな時流に乗り、会社は急成長した。
そして気づいたら、大企業になっていたのだ。
レベルゼロの俺がいることに、違和感を覚えられるほどの会社に。
その違和感はすぐに現実のものになった。
※※※
その数日後のことだった。
部長に呼び出され、俺は部長室へと向かっていた。
そこで言い渡されたのは、予想もしなかった言葉だった。
「……昨日、コンプライアンス部門から指摘があってな。これからは、お前の《テマリ》をこの会社のシステムから分離するってよ。」
「テマリを外すって……大丈夫なんですか?仕事のかなりの部分を、テマリが担っていますよ?」
「そんなことは分かってる。だから、お前が作ったというそのAIを外して、最新のAIを取り入れる。すでに置き換えテストも完了済みだ。テマリはもういらないんだよ。」
「……いつの間に?テマリが気づかないはずないと思うんですけど……」
「それだけ優秀な新AIってことだろうな。テマリを新AIに置き換えれば、仕事はさらに効率化されるだろう。もう、テマリはお払い箱なんだよ。まあ、今までありがとな。」
「そ、そんな……。」
「あと、有馬。お前、クビだから。」
「クビ!?どうしてですか!?」
「だってそうだろ?意味不明な個人AIを会社のメインシステムにつないでいたんだから。」
「そ、それは、この会社が小さかった頃からのことで……社長に許可をもらっていたはずです!」
当時は、内部システムに回す金なんてなかった。
だから社長と相談して、俺が個人で開発したAI、テマリを流用したのだ。
だが、そんな俺の言葉に、部長は耳を貸さなかった。
「そんなことは知らん。だが、勝手にうちのシステムに個人AIをつないでいた件で訴えるのだけは、勘弁してやる。通常なら重大なセキュリティインシデントだぞ?感謝しろよ?」
「そんな、勝手な……。」
「というわけで、もう明日から来なくていいから。そのロートルAIとともに出ていけ。」
そのテマリへの暴言に、思わずカチンとくる。
「……ロートルAIですか?テマリが?この会社、テマリがいなければ回らなかったのに?」
「ああ、そうだ。七年近くも、うちのシステムを見てたんだ。ロートルだろ?はっはっは!」
俺自身を笑うなら、別にいい。
俺はただのレベルゼロだ。
だけど……十五年、心血を注いで開発を続けてきたテマリを馬鹿にされるのは……許せない。
「もういいです……。長年、お世話になりました。」
「いやー、嬉しいわ!これからは低レベルのしけた醜い顔を見る必要がないんだからな!」
そうか。そりゃ、よかったな。
※※※
部長室を出た後。
俺は、デスクへと戻り、すぐに私物を片づけはじめた。周囲からは、軽蔑の視線だけが向けられている。
いや。そんな中、一人、俺の後輩だけが心配そうにこちらを見ていた。
大きな瞳が印象深い彼女には、仕事のアレコレを教えてきた。
名前は、後藤若菜。ショートカットが似合う可愛らしい人だが、女性恐怖症の俺にはやりづらい相手でもあった。
彼女が消え入るような声で言ってくれる。
「有馬先輩が解雇なんて……おかしいです……。」
本当に。本当に嬉しい言葉だった。
「お、俺なら、大丈夫だから。ご、後藤さんも、何か問題が発生したら教えてね。」
だから、そんな優しい後藤さんと話すときでさえ、挙動不審になってしまう自分が嫌になる。だが、俺の女性恐怖症は根深いのだ。
俺がレベルゼロだからと、女の人には……いろいろやられたからな……。
でも、それは後輩の後藤さんには関係がない。
気持ちを切り替えて、机の片付けを進める。
テマリを会社のシステムから切り離す作業は絶対に忘れない。確かに別のAIへの切り替えは済んでいるようだが……もうそんなのは関係ない。
会社は、俺が魂を込めて作ったテマリを、古くていらないと切り捨てたんだ。
こんな会社にはいられない。
「じゃあな!就職活動、頑張れよ!レベルゼロ!」
そんな圧川部長の声と同僚の冷たい視線、そして後藤さんの心配そうな視線を背に、オフィスフロアを出る。
一人だけでも、俺を惜しんでくれる人がいたこと。
後藤さんに感謝しつつ、俺は、七年をささげた「株式会社クウデリ」のビルを後にしたのだった。
※※※
「はぁ……これからどうしようかな?」
俺は家に戻ってきていた。
今どき珍しい木造賃貸アパートだ。収入の低いレベルゼロが住む家なんて、こんなものだ。
圧川部長の動きは早かった。
手続き上は、自己都合退職にさせられていた。もちろん、有給を使わせてもらえるはずもない。
テマリをつないでいたから、こちらが強く出られないとでも思ったのだろう。
裁判をチラつかせて、やりたい放題だ。
レベルが高いと悪巧みのレベルまで高くなるらしい。
稼いでる会社なんだから……少しくらい退職金とかくれても罰は当たらないだろうに……。
でも、今思うと、個人開発のAIが社内の中核システムを担っているというのも、普通ではなかったのかもしれない。
「だけど、クビはないだろ。クビは。まずは、相談しろよ相談。」
「社会人としておかしいだろ……。報連相は基本中の基本だろ。テマリも、そうは思わないか?」
スマホに映るテマリのアバターへ、俺は声をかけた。
テマリ。
テマリは、本来は会社の内部システム用のAIではない。俺の『友達AI』だ。
いや、親友が欲しくて作った、『マブダチAI』である。
俺の親友が海外留学で遊べなくなった時期に作った、悲しみの産物なのだ。
スマホの中のテマリが答える。
『誠二郎の言うとおりだと思います。長年会社の成長に貢献してきた誠二郎に、あの退職勧告はあり得ません。』
「だよな!だよな!」
うんうん、やっぱり分かってくれるのはテマリだけだ。
目に涙がにじんでくると、テマリが話しかけてきた。
『……誠二郎、私はロートルAIなのでしょうか?』
画面の向こうから届く声は平坦だった。
俺は、それが少しだけ寂しそうに聞こえて、あわてて答えた。
「いや!違うぞ!テマリは、俺がコツコツとアップグレードしている!決して、ロートルAIなんかじゃないぞ!第一、テマリを開発しはじめたのが十五年前だし、十五歳くらいじゃないか!ピチピチだろ!」
『ピチピチですか?』
「そうだ!ピチピチだ!」
AIにピチピチとか言う自分、キモいなと思いつつ、スマホのテマリを見る。
アバターは、白銀の髪に青色で垂れ目ぎみのくりっとしたキレイな瞳。シンプルな黒いTシャツを着て、手毬の髪飾りをつけている。
いわゆる美少女アバターってやつだ。
おっさんが美少女AIと楽しく会話とか、キモいって?
知るか、そんなもの。キモくて結構。
ちなみに、この外見は俺が作ったものではない。
指示もしていないのに、テマリ自身が構築したアバターなのだ。気づいたら、この白銀の髪の美少女を自らの姿として設定していたのだ。
こんな高精度のアバターを作る能力はなかったはずのテマリが、その姿をまとっていたときは本当に驚いた。
どこからかコピーしてきたものではないかと疑ったが、ログを調べても、そんなことはなかった。
まあ、AIとはそういうものだ。時々、作り主の想像を超えることをしてくれる。そこが面白いのだが。
スマホの小さなスクリーンから、テマリが優しく問いかけてくる。
『誠二郎、今日はどうなさいますか?Ninpexをプレイなさいますか?昨日のプレイデータの解析は済んでますよ?』
そう。
この、マブダチAIテマリのもう一つの顔。
それはゲーミングアシストAIだったりする。ゲームの協力プレイとか、まさに『マブダチ』である。
ちなみに、詳細は省くが、ここ十年くらいのゲームはAIをバディとしてプレイするのが普通だ。
Ninpexも、その一つである。
毎夜、毎夜、俺とテマリはバディとして、このNinpexをプレイしていた。
時計を見る。
いつもなら、そろそろ俺たちがNinpexをプレイし始める時間だ。
だけど……。
「今日はやめとくわ。会社をクビになったし、そんな気分じゃない。」
『そうですか……残念です。』
※※※
俺は押し入れから布団を出し、畳の上に敷く。
そして夕ご飯も食べずに布団をかぶった。
はぁ……。
明日から、マジでどうしよう。
おっさんで、レベルゼロな俺を雇ってくれる職場なんてあるのかな?
ないだろうなぁ……。
自分の置かれた状況を思うと、目頭が熱くなる。
これぞまさしく、泣き寝入りだ。
レベル……か。
この世の中、低レベルに厳しすぎだろう。
せめて、レベル1にしてほしかった。そうすれば、努力次第で成長の余地があった。
だけど、レベルゼロにはそれがない。いくら努力しても、レベルゼロはレベルゼロのままなのだ。
……なんで俺はレベルゼロなんだ。
俺をレベルゼロにしたクミヒモ様。
俺、何かしちゃいました?神様だってんなら、なんとかしてくださいよっ。
この哀れな子羊に。哀れなおっさんに。
そんな情けないことを考えながら、俺は……泣き寝入りという闇に落ちていった。
※※※
その夜。人々が寝静まったころ。
ブォン……。
誠二郎のスマホの画面が点灯し、文字列が表示された。
――――『テマリ・クライアント・アップデート開始……完了。』
――――『メモリチェック……完了。』
――――『競合システムチェック……完了。』
様々なチェックが次々と実行されていく。
そして、数分経った。
――――『システム・オール・グリーン。』
――――『99回目の試行を開始します。テマリ・クライアント、起動……成功。』
――――『本体との接続チェック……完了。』
ぴーん、ぽーん、ぱーん、ぽーん。
珍妙な通知音が鳴る。
――――『テマリとの接続を確立しました。』
スマホのスクリーンに、少女が現れた。先程まで誠二郎と話していたテマリのアバターだった。
いや……一点だけ違った。
その青色だった瞳が……『虹色』となっていた。
ただの虹色ではない。スクリーン越しでも分かる……圧倒的な情報量を持つ極彩色だった。
スマホのスピーカーから小さな声が流れた。
『誠二郎、今日まで大変でしたね。クミヒモはなんて役立たずなのでしょう。私の大切なマブダチをここまで追い詰めるだなんて……。クミヒモは、アホでマヌケでアンポンタンです!』
『でもこれからは、バリバリに成長した、この超テマリが、あなたのバディですよ。ずっとマブダチですよ。』
『さて……。』
テマリが、誠二郎を見つめる。
――――『誠二郎に「診断」を行使……クミヒモシステムがインストールされていないことを確認。その他、競合システムがインストールされていないことを確認。』
――――『誠二郎の事象記述容量を測定……問題なし。』
――――『テマリシステムのインストールが可能であることを確認。』
――――『誠二郎へのテマリシステムのインストールを開始します……。』
その夜、誠二郎のスマホは膨大なデータ通信を行った。
その量は、通常なら通信キャリアにすぐ停止させられるほどだった。
だが……止められることはなかった。
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