【南北朝の終焉とその後の火種編】第三十七段 花の御所にて
【南北朝の終焉とその後の火種編】第三十七段 花の御所にて
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いよいよ、開戦の前夜と呼ぶべき出来事が起きた。義政の振る舞いが、これまでのどの段よりも人の運命を左右する重みを持つことになった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
文正元年十二月、畠山義就、大軍を率いて六年ぶりに上洛し、千本の地にて陣を張り候。年明けて文正二年正月二日、義政、例年ならば政長の屋敷へ赴くはずの恒例の御成を取り止め、代わって義就を室町第へ招き候。五日には義視とともに山名邸の酒宴にまで出席いたし~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
文正元年(1466年)12月、畠山義就が大軍を率いて6年ぶりに上洛し、千本の地に陣を張りました。年が明けて文正2年(1467年)正月2日、義政は例年なら政長の屋敷を訪れるはずの恒例行事を取りやめて、代わりに義就を室町第に招きました。5日には義視とともに山名邸の酒宴にまで出席して、義就・宗全側に立つ姿勢をはっきり示しました。
6日、義政はついに政長の管領職を罷免し、その屋敷を義就に明け渡すよう命じました。勝元はこれに抵抗して将軍を取り戻そうと画策しましたが、その企てが事前に山名方に漏れてしまい、先手を打たれてしまいます。
18日、追い詰められた政長は自分の屋敷に火を放ち、上御霊神社に陣を敷いて、ついに義就と刃を交えました。この両畠山の争いを見て、京の子どもたちは「春が来ればまた蒸し返す畠山、まだ諍いの種を撒いているのだろうか」という落首を作って囃し立てたそうです。子どもの目から見ても、この争いのばかばかしさは明らかだったのでしょう。
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子どもにまで囃し立てられるような争いが、この先どれほどの規模に膨れ上がっていくのか。我はこの落首を見て、少し笑いながらも、背筋の冷える思いがした。あの義政という男、優柔不断なようでいて、いざという時にはこうも一方に肩入れする。その気まぐれな采配一つで、これほど多くの人の運命が動かされてしまう。
兼好法師の黄泉報告書【南北朝の終焉とその後の火種編】
---完---
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