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美しすぎる王太子の妻になったけれど、愛される予定はないそうです  作者: 榛乃


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花の楽園

 ベルグローヴ・ハウスまでの旅路は、意外にも穏やかで快適なものだった。


 王都を取り囲む市壁を南門からから抜け、時折うねりつつ伸びる幹道を、ひたすら真っ直ぐに進む。中心地から離れれば離れるほど、人影も民家も次第に疎らになってゆき、出立して小一時間も過ぎると、辺りはすっかり長閑な田園風景が一面を占めていた。ぼうぼうと生えた丈高い草、若々しい緑色の葉をたっぷりと茂らせたポプラ、夏野菜の植えられた広大な畑、あたたかな風にそよぐオルレア。


 幾度かの休憩を挟みながら南下し、国を横断するように流れる大河に架かる橋を渡って更に進むと、やがて果樹園と牧草地の広がるゆるやかな丘陵地帯へと入った。ゆったりと美味しそうに草を食む牛や羊、所々に積み置かれたロール状の牧草、小さな池の畔を散歩している鴨。果樹園の傍を通り過ぎる度、薄く開けた窓の隙間から、果実の甘く爽やかな香りがふわりと流れ込んでくる。手入れの行き届いた木々には、枝がたわむほど丸々と太ったアプリコットや桃が、陽の光を浴びながらたわわに実っていた。遠くの方に、収穫に勤しむ人々の小さな後ろ姿も見える。


 橋をふたつ超え、密集する木々の合間に伸びる細道を抜けると、ほどなくして、林に抱かれるようにして広がる草原の中に、ベルグローヴ・ハウスへと続く専用の一本道が現れた。白い砂の敷き詰められたその真っ直ぐな道を、草の香りをふくんだ柔らかな風に押されるように、馬車はゆっくりと進んでゆく。道の両脇にはオークやリンデンが薄灰色の影を地面に落とし、まばゆい光をやさしく和らげている。


 建物は、たくさんの木々や草花に半ば埋もれるようにして建っていた。

 白い小さな花をびっしりとつけた生け垣の傍で馬車はゆるやかに足をとめ、揺れが落ち着くのをしっかりと待ってから、リリアは徐ろに腰を上げる。護衛のひとりが開けた扉から外へ顔を出すと、生け垣の間に取り付けられた錬鉄製の質素な門扉の前に、ふたりの男女がにこやかな笑みを湛えて立っていた。仕立ての良い暗色のベストを着た、如何にもすっきりと爽やかな面立ちをした男性と、襟付きの黒いワンピースを身に着けた、母のような年頃のやわらかな雰囲気をした女性。


「ご到着を心よりお待ちしておりました、リリア様」


 そう柔らかく告げながら、男性が静かに、恭しく片手を差し出す。リリアは僅かに躊躇いながらも、その手にそっと指をかけ、ドレスの裾をそろえながら慎重にステップを降りた。華やかな匂いを仄かに含んだ風が、髪の毛を微かに揺らめかせながら吹き抜けてゆく。


「改めまして、私はこのベルグローヴ・ハウスを預かっております、執事のエリオット・ベイリーと申します。そしてこちらは、家政婦長のメアリ・ベネットです」


 エリオットと名乗った彼の、真っ直ぐに向けられる柔和で誠実な眼差しに、リリアはふわりと微笑んで返す。長時間馬車に乗っていたせいか、それとも初めて訪れた場所に緊張しているせいか。知らず知らずこわばっていた身体から、すうっと力が抜けてゆくのを感じる。彼の低い声には、人の心を落ち着ける不思議な響きがある、と思った。


「滞在中のことは、すべて私どもにお任せください」


 そう言いながら門扉を開けるエリオットの後に続いて、リリアはゆっくりとアプローチへ足を踏み入れる。

 その瞬間、リリアは動きを止め、思わず息を呑んだ。眼の前に広がる、まるでこの世のものとは思えない、あまりにも幻想的で美しい景色に目を奪われて。


 玄関へと続く芝生の小道を縁取るように植えられた灌木、淡い紫色の小さな花を咲かせたカラミンサ、穏やかな風に長い花穂をそよがせるデルフィニウム、たっぷりと群生したサルビア。煉瓦製のプランターにはベゴニアやビオラが植えられ、所々には木や大理石で出来たオブジェが品良く配されている。


 あまりにも草花に溢れているせいで、呼吸をすればするほど、身体中が華やかな香りに満たさてゆくような、それと渾然一体となるような、不思議な錯覚にとらわれてしまう。風が吹き抜ける度に、さわさわとした音が微かに鼓膜を震わせ、陽光に照らされてより鮮やかさを増した草花の色がとても眩い。


 芝生の上に狭い間隔で並べられた敷石を辿ってゆくと、その先には小ぢんまりとした、それでも大層立派な二階建ての建物が静かに佇んでいた。エントランスポーチの脇に植えられた、丈高いゴールドクレストと、色とりどりのルピナス、こんもりとしたダスティーミラー。ぷっくりと艷やかな緑色をしたアイビーと、儚げな薄紫色をした藤が、象牙色の壁を覆い尽くさんばかりに方々へ這っている。


 どこを見回しても、ここには木と草と花しかない。たくさんのそれらに囲まれた、自然豊かな屋敷。そこはまるで、おとぎ話に出てくる妖精の隠れ家のようだ、と思った。或いは、神の作った箱庭のようだ、と。


「ここは、いつの季節も素晴らしい美しさを見せてくれますが、なかでも今は、ひときわ輝いている時期なのです」


 ふふっ、とやわらかな笑みをこぼしたメアリへ目を向けると、深い紫色をした瞳と視線が交わった。皺の寄った、でも、ふっくらとやわらかそうな目元。


「殿下もそれをご存知ですから、リリア様にお見せしたかったのでしょう」


 所々欠けた敷石の上をゆったりと歩んでゆく彼女の隣に並び、リリアはもう一度、色彩豊かな風景をじっくりと見渡す。メアリが気遣いでかけてくれた言葉が、もし本当ならどんなに良いだろう、と、胸の内で密かに思いながら。



***



 建物の中へ足を踏み入れると、ひんやりと澄んだ心地の良い空気に出迎えられた。

 凡そ二百年前に建てられた屋敷である為、建物の至る所に長い年月の痕跡を感じることが出来るけれど、それでも全体的にきちんと手入れが行き届いており、どこもかしこも綺麗に保たれているようだった。


「お部屋へご案内いたしますね」


 馬車に積んだ荷物を降ろしにゆくエリオットとはホールで別れ、リリアは先をゆくメアリの後に続いて、二階へ繋がる階段をゆっくりと登ってゆく。一段上がるごとに飴色の踏み板が小さく軋み、時には薄っぺらな音を立てる。白い壁には六代前の国王夫妻の肖像画や、ベルグローヴ・ハウスの外観を描いた絵画が飾られ、登りきってすぐのところに設けられた窓からは、先程通ってきたばかりのアプローチが一望出来た。


「こちらが、殿下とリリア様のお部屋でございます」


 そう言いながら、メアリは廊下の突き当りに佇む白い扉をゆったりと押し開く。室内は広々としていて、天井まで届くほどの長い窓からは真昼の陽光がたっぷりと差し込んでいる。向かい合わせに置かれたソファ、花瓶の飾られたゲリドン、小ぶりなシリンダーデスク、天蓋付きの大きなベッド――。


 清潔な匂いのするその部屋を見て回り、何気なくソファの背凭れに手を触れさせたところで、リリアははたと足をとめる。一度は通り過ぎたはずの言葉が、ふいに引き返してきたかのように、頭を擡げたせいで。


「――えっ?」


 冷たい震えが、背筋をすっと走り抜けてゆく。きっと聞き間違いだろう、と、そう思いたかった。或いは、言い間違いだったのかもしれない、と。けれど反芻すればするほど、メアリのしっかりとした声が、そのどちらでもないことを突きつけてくる。


「あの……先ほど、何と仰いましたか」


 どうしても信じきれず、リリアは最後の望みに縋るように、メアリの背中へおずおずと問いかけた。どうか違う答えが返ってきてほしい、と、胸の内で切に願いながら。

 しかし、上げ下げ窓を開けて振り返ったメアリは、躊躇いも戸惑いも見せることなく、ただ、どこまでも無垢な、朗らかな笑みを浮かべて、薄い唇をゆっくりと開いた。


「こちらが、殿()()()()()()()()()()()でございます」

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