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美しすぎる王太子の妻になったけれど、愛される予定はないそうです  作者: 榛乃


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今は亡き親友

「でもさあ、彼女は違うと思うんだよね。あの子は君にそんなこと言ったりしないよ」

「……何故そう言い切れる」


 ぼそりと、まるで独り言のように呟かれた言葉に、ユリウスは苦笑をこぼす。こんなに弱々しい姿を曝け出すのは、いったいいつぶりのことだろう。


「だって彼女は、僕たちほどリオネルに思い入れがないから」


 リリアが王太子妃として都合が良い、と思ったのは、正にそれだった。


 宮廷にいる人間は、何かしらリオネルと関わりがあり、それは中枢にゆけばゆくほど濃く深くなってゆく。王族はもちろん、上級貴族や議会の人間、はたまた上位の使用人たち。故に彼らには、リオネルに対して多かれ少なかれ思い入れがある。それは、どちらかといえばルイスとの方が親しいエルンスト兄妹も例外ではない。


 しかし、リリアは違う。彼女は侯爵家の娘であるが、家庭の複雑で酷い事情により、殆ど屋敷の外へ出ることはなかったという。貴族の娘にとって重要な場である夜会にも、彼女は滅多に参加することはなかったと聞いている。彼女に出会えたら幸運、暫くの運を使い果たした、と言われるほど。


 そんな状況にあったおかげで、リリアは恐らく他の貴族女性以上に、リオネルのことについて疎い。つまりそれは、余計な色眼鏡が存在しない、ということだ。彼女はルイスの周囲にいる他のどの人間とも違って、リオネルの亡霊に囚われていない。


「あの子は、リオネルを殆ど知らない。会ったこともなければ、話しをしたことも。だから他の奴らと違って、君とリオネルを比べるなんてことが、彼女はそもそも出来ないんだよ。頭にもないだろうね」


 それがどれほど貴重なことであるか、きっと彼女は少しも知らないだろう。リリアにとっては“当たり前”のことが、他に人間にはそうでない。


 ――この異能は、殿下のお役に立てるものなのでしょうか。


 そう言った時の、彼女の真っ直ぐな瞳を、今でも鮮明に憶えている。とても綺麗な瞳だ、と思った。混じり気のない、純粋で健気な、澄んだ青色の瞳。ルイスの役に立ちたい、というあの想いは、嘘偽りのない本物だった。地位を確立する為などの自己保身によるものではなく、それはただただルイスのことだけを想い考えた言葉だった。


「だから彼女は、ありのままの君を見つめてるんだよ。君という存在そのものを。曇りのないまっさらな瞳で、真っ直ぐに」


 小さく笑いながらルイスへ視線を向けると、仄暗い影の中で、彼は静かに唇を噛み締めていた。その横顔に、ほんの一瞬だけ、迷いとも痛みともつかぬ影が差した気がして、ユリウスは僅かに目を細める。後悔していないのか、なんて、確かめるまでもない。後悔していなければ、こんなところにひとりで閉じこもってはいないだろう。無関心を決め込み、いつも通り執務室へ戻って政務に取り掛かっていたはずだ。

 けれど彼は、そうしなかった。それこそが愚問の答えだ。


 その些細な変化が意外にも嬉しいことに気付き、ユリウスは肩に垂れた細い三つ編みを指先で弄びながら、ふっと笑みを深める。誰に何を言われても、一切反応を示さなかった男だというのに。まるで硬い殻に閉じこもっているみたいに。或いは、心などどこかに置き忘れてきてしまったみたいに。


 そんなルイスを変えたのは、紛れもなくリリアだ。あの無自覚に漏れ出た健気な一途さが、彼をそうさせた。まだまだ少しずつではあるけれど。それでも、分厚く堅い殻に罅を入れたのは事実だ。そこから薄っすらと差し込む一縷の光に、ルイスはきっと気付いている。


 だからこそ彼は、それに手を伸ばしたのだ。他の人間へ対するのとはまるで違う感情を抱いて。それを、愛だの恋だの言うつもりは、ない。そんなものより、もっとずっとかけがえのない、希望のようなものだろうから。


「それに気付いてるならさあ、君は誰より彼女を大事にしなきゃいけないんじゃないの?」


 三つ編みの毛先から指を離し、ユリウスは半ば仰け反るようにして天井を見上げる。アカンサスの装飾が施されたアーチ状の梁、所々に切られた明り採り用の丸い窓。たっぷりと降り注ぐ白い月明かりはとても眩く、それにぼんやりと照らされた天使のオブジェは夢幻的だ。昼間とはまるで違う、どこか蠱惑的な顔をしているように見えるのは、そこに落ちる濃い陰影のせいだろうか。


「――本当に守るべきものを、見誤ってはいけないんだよ」


 懐かしい口癖に思いを馳せながら、ユリウスはそっと目を伏せ、静かに苦笑する。自分の口から出たはずの言葉が、どこか他人のものであるように感じられて。まるで、誰かに唇を乗っ取られたみたいに。胸の奥にじんわりと広がるそんな奇妙な感覚が、けれど、とても心地良と思った。


「まあ、君にも色々思うところがあったんだろうけどさあ。でも、だからって許されるわけじゃないからね」


 長椅子からゆっくりと腰を上げ、未だ俯いたままのルイスの傍らに立つと、ユリウスは淡く輝く白銀の頭を見下ろして、その頂にこつんと拳を落とした。一国の王太子に対し、ただの部下でしかない人間がするにはあまりに無礼ではあるけれど。しかし今は、今だけは、部下云々ではなく、託された役目を全うする必要がある。どこかで見守っているだろう、今は亡き親友の為に。


「ちゃんと謝りなよ。彼女が許してくれるかは分かんないけど」


 ついでに、くしゃりと乱雑な手つきで頭を撫で、ユリウスはぐっと伸びをする。


「……兄上みたいなことを言うんだな」


 自嘲ともとれる微かな笑みの滲んだ呟きに、ユリウスは僅かに目を見開き、それからくつくつと喉を鳴らして笑った。


「だって、僕は君の“お兄ちゃん代行”だからねえ」

「頼んだ覚えはない」

「僕も、君に頼まれた覚えはないよ。頼んできたのはリオネルだから」


 そっと目を閉じれば、今も瞼の裏の暗闇に、あの凛々しいかんばせが鮮明に浮かび上がってくる。もしものことがあったら、と、そう言った時の彼の青い瞳は、国の未来を背負う“王太子”のそれではなく、七つも年下の弟を溺愛し、故に弟の未来を心から憂う“兄”のそれだった。


 馬鹿なことを言うな、と、鼻で笑ったあの時に戻れたなら――。過ぎ去った幸せはもう二度と取り戻すことは出来ないと、そう分かっているけれど。それでも、幾度も考えてしまう。無意味なことを、何度も何度も。


「――彼女のこと、ちゃんと信じてあげなよ、ルイス」



***



 目を開く前から、はっきりと嫌な予感はしていたのだけれど――。

 小さく溜息をつき、リリアは鏡に映る顔を見つめながら、そっと自嘲をこぼす。夢から解き放たれた瞬間から感じていた違和感は、ゆっくりと瞼をあげるごとに少しずつ明瞭になっていき、そうして完全に目を開ききった時にはもう、疑いようのない決定的なものになっていた。


 ぽってりとして重たい瞼と、いつもより狭い視界。じんわりと熱を帯びた目元は薄っすらと赤く染まり、鼻の付け根の奥の方が鈍く痛む。やってしまった――と、今更後悔してももう遅いのは分かっているけれど。それでも、後悔せずにはいられない。


 いつも通りの時間にやって来たクラリスは、その情けない目元を見るや否や、ぎょっと目を見開き、それからくしゃりと顔を歪ませた。同行していた侍女が慌ただしく寝室を出てゆき、入れ替わりに入ってきた侍女もまたリリアのかんばせを見た途端、大仰に肩を跳ねさせてばたばたと踵を返す。その忙しない様子を、リリアはベッドの縁に腰掛けたまま、苦笑を浮かべてただ眺めていることしか出来なかった。


「ごめんなさい。こんなつもりではなかったのだけれど……」


 大広間でも、庭園でも、カトリーヌにあれこれと言われていた時ですら堪えられていた涙が、ベッドに倒れ込んだ途端、一気に溢れ出してしまったのだ。泣き止まなければ、と、頭では分かっていたけれど、しかしそうしようとすればするほど、涙は意に反してぽろぽろとこぼれ落ちてくる。次から次へと流れてくるそれを止める術がなく、枕に顔を押し付けて咽び泣くのを――いったいどれだけの時間続けていたのだろう。ほんの少しだっただろうか。それとも気の遠くなるほどの長い時間だったのだろうか。気付いた時には夜は明けていて、開けっ放しにしていた窓からは、眩い朝陽が燦々と差し込んでいた。


「……のせいですわ」

「えっ?」


 両の手をぎゅっと握り締めて、ほっそりとした肩を小さく震わせるクラリスに、リリアは思わずぱちりと目を瞬かす。ぷっくりとして愛らしい桃色の唇は、まるで何かを必死に堪えるようにきつく噛み締められ、長く濃い睫毛まで微かに震えているように見える。


 その睫毛の下に隠されていた薄黄色の瞳が、かっ、と現れた瞬間。感情の堤が崩れたように、クラリスは突如声を張り上げた。


「全部、殿下のせいですわっ!」


 怒りの滲んだその叫び声に、リリアは一瞬面食らう。


「もう我慢なりませんっ! 今すぐ殿下に文句を申し上げて参ります!」


 そう言いながら、力強い足取りでずかずかと扉へ向かってゆくクラリスを、リリアは慌ててベッドから腰を上げ、華奢な背中に飛びつくように引き留める。


「わ、私は大丈夫よ。だから落ち着いて、クラリス」


 宥めるようにやさしく抱き締めると、クラリスはぴたりと足をとめ、それからゆるゆると振り向いた。可愛らしいかんばせには、薄赤い怒りがしっかりと滲んでいるけれど、何より一番印象的なぱっちりとした大きな目には、今にもこぼれ落ちてしまいそうなほど、涙がたっぷりと浮かんでいる。

 そんな彼女の薄黄色の瞳を見つめながら、リリアはふっと微笑む。私は大丈夫よ、と、やわらかくも確かな声でそう言いながら。


「本当に、悔しくて……」


 ぽつりとこぼれた声は、先程までのそれと違って、清潔な朝の空気の中に溶けて消えてしまいそうなほどか細かった。


「リリア様は、あんなにも一生懸命、ダンスの練習をなさっていたのにっ……」


 リリアは何も言わず、ただゆっくりと、彼女の震える背中に手を添える。まるで幼子をあやすように。


「あんなの、酷すぎますわっ……」


 きゅっと唇を引き結んだクラリスの目から、透明の小さな雫がぽろぽろと落ちてゆく。薄っすらと紅潮した頰に、何本もの筋を残しながら。これではタオルは二人分必要そうだ、と胸の内で密かに苦笑しながら、リリアは頰をつたったばかりの涙を指先で拭い取る。彼女は本当に感情豊かだ。それが少しだけ、羨ましい。


「悪いのは私の方よ。未熟だったんだわ。だから、あまり殿下を責めないであげて」

「そんなことはありません!」


 一瞬、まるで睨みつけるように目を細め、しかしクラリスはすぐに力なく顔を俯けると、肩に触れていたリリアの手をゆっくりとやさしく、両手でぎゅっと握り締めた。


「私も兄も、いつだってリリア様の味方ですわ。絶対に。それだけは、どうか忘れないでくださいませ」


 弱々しくも、真っ直ぐに向けられたその言葉に、リリアはふっと、僅かに目元を緩める。

 大広間に満ちていた、あの悪意だらけの視線や囁きが、心に何の傷も残さなかったわけではない。忘れたわけでも、吹っ切れたわけでも。今もふと気を緩めれば、ひそひそとした嘲りに囚われ、また伏してしまいそうだ。


 けれど――。握り締めるクラリスの手の上に自身の片手をそっと被せ、掌に広がるやさしいぬくもりを感じながら、リリアは思う。今この瞬間に、自分の為に声を上げてくれる人がいる。涙を流してくれる人がいる。味方だと言ってくれる人がいる。それだけで、心のどこかがやわらかくほどけてゆく。小さくても、確かな幸せ。

 それは、今のリリアにとって、何よりの救いだった。

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