72話 王子の部屋に強制連行されました
王宮の自室に戻って来た私は、背伸びをしました。
女騎士たちの宿舎にお邪魔して、一仕事終えてきたところです。
今夜は王家御用達のレストランで、王太子のレオナール王子や、宰相の子息のラインハルト王子。そして、王家の分家でうちの上の妹の婚約者、医者伯爵の子息殿と夕食を摂ってきました。
子供のうちの弟妹が一緒なので、王子たちはいつもより早めの帰宅を選んだようです。
仲人王子のレオ様は、東の一人っ子男爵子息と、東の女当主予定子爵家令嬢。そして入り婿予定、東の次男子爵子息と共に、王家の馬車に乗られました。
ご令嬢のご家族に現在の婚約は王家が認めない、破談にする。代わりに新たな婚約を支援すると、説明するためですね。
夕食を摂る間、次男坊は見合いをするかどうか、ずっと悩んでいました。そして、帰宅段階で、ようやく覚悟を決めたようです。
……仲人王子のレオ様が助言をしますからね。二月後には、二組の婚約発表になるんじゃないでしょうか?
王立学園の一年のとき学友だったご令嬢に、お喜びを告げねばなりませんね。今度こそ、幸せになれることを祈りましょう。
西地方の男爵次男坊と子爵三男坊は、子爵家のお迎えの馬車に一緒に乗って、帰っていかれました。
婚約確定の友人たちを、小突いてからかいながら、王家の馬車を見送りましたからね。
お家に帰って、没落貴族の平民のご令嬢との結婚を、真剣に検討するのではないでしょうか。
ご両親は反対されそうですけど。親を説得すらできない軟弱な男性に、私の友人である女騎士たちの心を射止めるなんて無理ですよ。根性を見せてくれることを、期待しておきましょう。
寝間着に着替えて、客間で寝る前の薬草茶を飲もうと準備していたら、出入り口からノックの音がしました。声も聞こえます。
「おい、アンジェ、まだ起きてるか? 起きてたら、扉を開けてくれ」
……なにやってるんですか、この王太子は。
私は、もう寝るつもりなんですけど。一応、上司なので、仕方なく扉を開けましたよ。
「レオ様、私はもう寝るところですが。何のご用ですか?」
「東の奴らの顛末を教えてやろうと思ってきた。東の子爵令嬢は、お前の友人なんだろう?
去年、婚約おめでとうと言ったとかなんとか、レストランで言ってたから」
「……細かいところを、よく覚えていましたね。仲良くしている学友の一人と言ったところでしょうか」
「去年の春に王都に来たばかりのお前に、まだそこまで深い友人は居ないだろう?
強いて言えば、王妃教育を一緒に受けているやつらと、北地方へ復興支援に行った女騎士たちが深い友人だな。
お前の交遊範囲は把握している。僕の秘書官なんだから、当然だ」
言葉にしない、この後の台詞は、想像つきます。
『王家の権力目当てのアホが、お前に近づいて来たら困るからな。
お前は頭が良いから、敵味方はきちんと線引きしているだろうが』
私だって、ある程度は深い付き合いをする友人を、厳選していますよ。将来の王妃筆頭候補のクレア侯爵令嬢と親友になったのも、その辺りの事情がありますしね。
現在、王妃教育を受けるご令嬢たちも、その辺りは理解して、私と付き合っています。私は、将来の王妃の秘書官ですからね。
つまり、王妃になった場合は、最も身近な側近になるのです。西地方の貴族のご令嬢も、承知してるから、親しくしてきているんですよ。
「それで、結果は?」
「男爵家と子爵家の方はうまく……お前、お茶を飲んでいたのか?」
「あ、はい。寝る前の薬草茶を飲もうと、準備中でした」
話の途中で、いきなり話題を変える王子様。
私の背後に、机の上に置いたティーポットを見つけたのでしょう。
「なら、ちょうど良いから、僕の部屋に来い。僕も着替えて飲む所だった、一緒に飲もう。
着替えながらさっきの説明と、明日からの僕の予定も言うから、秘書官の仕事をしてくれ」
「……はい?」
有無を言わさず右手を捕まれました。グイグイと力任せに引っ張って行きます。
ちょっと! 私の意志は無視ですか!?
外出着のままのレオ様に引っ張っられ、薄着の寝間着のまま、王宮の廊下を歩きましたよ。
私の後ろからは、『また王子の思い付きか』という表情を浮かべた近衛兵がついてきます。
夜間なので、人気は少ないですけど、すれ違う使用人や、見回りの兵士たちは、少し驚いた顔をしていました。
使用人に構わず、レオ様は話しかけてきます。私は渋々会話に付き合っていました。
「でな、紅花の子爵家の方は、僕の紹介する入り婿なら構わないと言ってくれた。
一人っ子の男爵家も、お家が断絶しないならと、涙を流して祖父母が喜んでいたぞ。
後継ぎの婚約が決まれば、ひとまず安心だろう」
「お家断絶は、貴族にとって一番怖いですからね」
「そうだな。だが、後継ぎが結婚しても、油断はできない。
お前の母方の侯爵の分家男爵が、 後継ぎが死亡して断絶したようにな。
まあ、結果的に王家預かりになった男爵爵位は、お前の父方に爵位を新しく授けて、新興貴族が誕生したわけだ」
そこまで言って、レオ様は振り返り、私を見ました。視線が合います。
「……運命とは、不思議だな。断絶した家の子孫の母上と、新たな家の子孫の父上が出会って、お前が生まれた。
お前の両親は赤い糸に導かれた、運命の相手同士だったんだと思う」
聞いてる方が、赤面するような台詞をさらりと口にして、レオ様は再び前を向きます。
ロマンチストなレオ様の部屋が見えてきました。
使用人が扉を開けるのを待ちながら、レオ様はぽつりと言いました。
「今日の独身貴族のやつらも、運命の出会いを果たせると思うぞ。お前の友人の誰かとな」
「……レオ様にも、運命の相手がおられますよ。現在の王妃教育を受けるご令嬢たちの中に」
「そうだな。僕は未だ決めかねているが、嫁は王妃教育を受けている者たちの中から選ぶ。これは決定事項だ。
僕の前回の婚約者候補たちは、運命の相手では無かったのだろう。だから、いかに努力して振り向かせようとしても、心が離れて 、あのような残念な結果に終わったのだと思う。
今度こそ、僕は運命の恋人を見つけ出し、結婚したいものだ。それが我が国の将来の幸せにも繋がるのだから」
辛そうな顔をしながら、レオ様は独り言を言いました。聞いていた使用人たちは、目を伏せがちになり、神妙な顔をします。
レオ様の前回の婚約者候補の二人は、二人とも逆ハーレムを作りましたからね。
王子の悲劇は、王子に同情する声はあれども、王子を表だって責める声はありません。
どう考えたって、浮気をした婚約者候補が悪いです。
前回だって、花束を持って、婚約者候補の家に出かける姿を、王宮の使用人たちは目撃していますからね。
婚約者候補の部屋から男性の声が聞こえて、レオ様が無言で帰宅することを選んだことは、送り迎えした使用人や護衛の近衛兵が知っています。
仲人王子の異名を持つレオ様は、ロマンチストで細かい性格です。
女性が喜ぶことをさらりと行い、繊細な配慮を施します。男性には、王子として、紳士的振る舞いの手本になるような行動をとります。
なので、貴族の男女には年代を問わずに、人気が高いんですよ。
そんな紳士的で人気者の王子が、女心を掴めませんでした。それどころか、最悪な形で裏切られたのです。皆さん、同情しますよ。
今回の婚約者候補の中から、レオ様がなかなか婚約者候補を決めなくても、仕方ないと貴族や使用人たちは思っていますね。
「アンジェ、そこで座って待っていろ。
おい、寝る前の薬草茶を、外に準備してくれ。僕は着替えてくる」
ご自分の部屋に入られたレオ様は、私を応接間のソファーに座らせました。
着替えるために、奥の部屋に移動します。
薬草茶を外に準備ですか? テラスに出て、お茶を飲まれるんですかね。
レオ様をお待ちする間、そんなことを考えながら、待っていました。
……それにしても、周囲から使用人や護衛の近衛兵たちの視線を感じます。
レオ様が寝間着姿の私を、いきなり部屋に連れてきたからでしょうね。
何を考えてるんでしょうか、あの策士の王子様は。
……私を側室にするつもりでいたのが、今朝、うちの母や、先代王妃様の親戚の侍女殿と、王妃様の親戚の新米秘書官殿を巻き込んで、ご乱心を起こしましたからね。
午前中に、うちの母と面会した、父君の国王陛下に怒られてはいると思います。
その上で、現在の状況ですからね。さすがに私でも、予想がつきませんよ。
「待たせたな。アンジェ、テラスに行こう」
寝間着に着替えたレオ様は、ごく自然に私へ右手を差し出されました。
これ、エスコートするつもりのようですね。
ですが、この状況で手をとったら、面倒なことになりませんか?
「アンジェ、僕はお茶が飲みたい。早く手をとれ。命令だ!」
「はいはい、命令でしたら仕方ないですけど」
「お前は、用心深い女だな。僕は夜伽をさせるために、お前を連れてきたんじゃないぞ。純粋に一緒にお茶を飲みたくてだな……」
「よとぎって、なんですか?」
「何って……えーと、アンジェ。今の僕の言葉は忘れろ。良いな、絶対に忘れろ!」
「なぜ、そんなに慌てるのですか? 何か問題のある発言をなさったのですか?」
「いやその……何でもない! だから、忘れろ! 忘れろったら、忘れろ!
聞いてた周囲のお前たちも、今のことは忘れろ! 意味を聞かれても、絶対に教えるな!
北の伯爵夫人が娘に教えてないんだ、勝手な事をするなよ!」
あわてふためく王子の命令に、使用人や近衛兵たちは、神妙な顔で頭を下げました。
そう言えば、この言葉って、人前で言ってはいけない言葉らしいです。私も発音は知っていても、意味を知りませんからね。
差し出した右手を引っ込めて、レオ様は顎をなでました。
仏頂面になって、呟かれます。
「……うっかりしていた。お前、去年まで田舎育ちだもんな。王都の常識は知らんか。
留学してた、クレアみたいなやつだな。調子が狂うぞ」
「王都の常識なのですか?」
「……まあ、その……ものすごく平たく言えば、王都で行われる、恋の駆け引きのようなものだ。
お前は恋愛に興味が無いやつだから、覚えなくてもいいだろう?」
「なるほど。恋の駆け引きですか。
そもそも、恋の駆け引きなんて、ちっとも分かりませんからね。知らなくても、問題無いです」
「そうだろう、そうだろう。お前が素直なお子様で、本当に良かったぞ」
安堵の表情になり、何度も頷かれるレオ様。再び右手を差し出します。
「アンジェ、ほら、テラスに行くぞ」
「あ、はい」
私は深く考えずに、右手をお借りして立ち上がりました。




