167話 侯爵家の断罪、その3 女装おじ様? 誰のこと?
会議室の真ん中では、西の公爵夫人「サビナ」が、金切り声でうちの母に、真っ向から勝負を挑みました。雪花旅一座の悪口を、金切り声で並べ立てます。
最強の母は黙りこみ、冷たく美しい雪の天使の微笑みを浮かべました。
サビナ公爵夫人が、会議室で悪口を言えば言うほど、雪の王族に対する不敬を重ねることになりますからね。
春の貴族たちが集まり、春の王族が勢揃いしている、会議室での出来事です。
さすがに夫になる、西の公爵当主「ネロ」にも、妻の発言を無かったことには、できません。
舌打ちした西の公爵ネロは、席を離れ、妻サビナに発言を止めるように迫りました。
公衆の面前で、金切り声と低い怒声による、痴話喧嘩が始まります。
よくできた春の貴族たちは、分家王族のみっともない姿を、見てみぬふりしました。
「オデット!」
会議室に「裏切り王子」の単語が飛び交う中、私は声を大きく出し、妹のオデットに話しかけました。妹は、不思議そうな顔で振り返ります。
「なんでしょうか、お姉様?」
「先ほど、医者伯爵家の王女殿下が、『裏切り王子』の話題を出したことに、気付いていましたか?」
「いいえ。女装趣味のおじ様が、淑女になりきって、耳障りな金切り声で叫ぶんですもの。他の方々の声なんて、聞こえませんわ。
お姉様は、子供特有の高い音程の声をお持ちなので、私を呼ぶ声が、かすかに聞こえましたけど」
「……なるほど。王立劇場の舞台上で歌って、最後尾の席まで届く、私の声ですら『かすか』なのですか。
目の前の人物のヒステリーな金切り声は、それを上回ると言うことをですね」
金切り声でヒステリーを起こす、西の公爵夫人に負けないように声を出したので、なんとか妹に届いたようです。
……あれ? 妹の発言に、違和感を感じました。念のために、確認しておきます。
「オデット。目の前の人物たちが誰か、分かりますか?」
「ええ、一人は副宰相をしている、西の公爵王子殿下ですわ。
もう一人は、西の侯爵当主の弟ですわね。
お二人は仲が良いとお聞きしておりましたから、親戚の醜態を止めるため、とうとう西の公爵王子殿下は、お出ましになられたようですわよ」
……我が妹よ。素で言ってるの? それとも、わざと間違えてるの?
演技の英才教育を受けている妹からは、秘めた感情が読み取れません。
「西の侯爵当主の戸籍、きちんと見ましたか?」
「ええ。戸籍には、三兄弟で長男、長女、次男の順で記されておりましたわね」
「商務大臣である長男は、どこに居ますか?」
「あそこですわ」
私の質問に、右手の人差し指で、きちんと商務大臣である、西の侯爵当主を指差します。
「次男は?」
「ここです」
妹の右手が動き、目の前でヒステリーに叫ぶ、サビナ公爵夫人を示します。
私たち姉妹の変な会話に気づいたのか、隣の席を突っつき、聞くように仕向ける貴族が増えました。
「……侯爵当主の妹に当たる長女は、どこに居ると思いますか?」
「妹君は、西の公爵家の屋敷ですわね」
「……なぜ、屋敷に居ると?」
「公爵王子殿下の大切な人なのでしょう? 親子ほど年齢の離れた後妻を、一人娘共々大切にしていると、ウワサに聞きますわ。
現在は、春と雪の戦争が起こる寸前。危険な状態の王宮に、連れてくるはずありません。
大切な妻は、安全な公爵家の離宮においてきて、信頼できる騎士に、命をかけてでも守るように託すはずですわ」
……あっ、これ、演技だ。妹は、目の前の人物が、西の公爵夫人って察していますよ!
察しているけど、嫌がらせのために、無邪気で無知な子供のふりして発言しています。
外見年齢十才の己の容姿を、最大限発揮してね。
念のため、右隣に座っていた、はとこのジャックにも、確かめます。
「……ジャック。オデットの目の前にいる、ドレスの人物。どのように見えますか?」
「あん? 厚化粧してひげ面を隠して、女物のドレス着て喜ぶ、中年男だぜ!」
十五才のはとこは、力強く「中年男」と断言しました。
「……オデットも、中年のおじ様に見えるのですね?」
「ええ。どこからどうみても、女装している年上のおじ様ですわ!」
妹も、こくりと頷き、年上のおじ様と断言します。
素直な子供たちの発言に、貴族たちが凍りつきました。
全員が、ぎぎぃと、荷馬車がきしむような音を出しながら、サビナ公爵夫人を見たように思います。
「誰が、女装の中年ですって!?」
あっ、本人に聞こえちゃった。ヒステリーな金切り声が、会議室にこだまします。
はとこは、器用に金切り声を聞き流しながら、発言を続けました。
「しかし……春の王宮って、ずいぶん開放的な環境なんだな?
貴族の男が、日常生活で女装するのを、普通に受け入れ、誰も変に思わず、平然と会議して見せるなんてさ。
雪の王宮じゃ、お祭りのときしか男の女装や、女の男装は見られねぇぜ。
あそこまで、似合わない女装して、耳障りな金切り声で女の声を再現さながら、堂々としていられるなんて……本当に素晴らしい役者魂を持ってると思うぜ!
姉貴のじーちゃんに頼んで、旅一座に役者としてスカウトしたら、どうだ?」
すっとぼけた表情で、無邪気に感心する演技を見せる、はとこ。
やんちゃ坊主は、子供っぽく振る舞い、あえて空気を読まない発言をしているようですね。
元女優だった私の母から、演技の英才教育を受けているジャックは、「心底思っている」と周囲の大人たちに思わせました。
「……オデット、ジャック。非常に言いにくいのですが、あの化け物化粧で、女装して見える人物は、西のネロ公爵の奥方、サビナ公爵夫人です」
「にしのこうしゃくふじん?」
きょとんとした顔つきで、たどたどしく、私の言葉を繰り返す妹。
意味が分からないと、小首を傾げる演技をします。
「へー、西の公爵夫人なのか。 ……公爵夫人? ……夫人?
えっ、あの厚化粧の中年のおっさん、もしかして女なのか!?」
私の言葉で、思いっきり目を見開いた演技をする、はとこ。視線を動かして、ヒステリー魔を凝視しました。
会議室は静まりかえり、ジャックの仰天した叫び声だけが、こだまします。
「女装じゃなくて、女? 男じゃねぇのか!?」
「お姉様……もしかして、国際社会で有名な……?」
「はい。ジャックとオデット、正解です。
『初対面の外交官は、春の国には女装趣味の中年王子様が居ると、先輩に感想をもらし、あれでも一応、王子妃と訂正されて盛大に驚く』と言われる、あの国際社会の有名人です」
「……そっか。雪の国へ留学している奴らが、面白おかしくウワサしてるだけと思って、聞き逃してたけど……事実だったのか」
私が淡々と教えてあげると、はとこは顔をひきつらせながら、公爵夫人から視線を背けました。
真剣な眼差しになって、私をみます。
「あのさ、姉貴。ちょっと話があるんだけどさぁ」
「ジャック。神妙な顔で、どうしたのですか?」
「俺さぁ、雪の王立学園に留学してるじゃん?
春の国からの唯一の留学生だから、雪の王族や他国の王族や貴族たちが、話かけてくるんだ」
落ち着きなさそうに、右手で後頭部をガシガシ引っ掻く、ジャック。
口を開きかけて、閉じてを、数度繰り返します。周囲からは言おうか、言うまいか、悩んでいると見えるでしょう。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなさい!」
「うっ………えーと……。
春の国の、とある王子妃について、『美的センスが破綻していて、中年女のくせに、若い娘のように振る舞う痴女なのは、本当か?』とか、『白塗りの化け物化粧や、目元や口元がひび割れる厚化粧をしているのは、本当か?』って、他国の奴らによく聞かれるんだ。
『まさか、そんなわけ無いじゃん。王族の花嫁になった娘を敵視している春の貴族が、やっかみで流したウワサだろうぜ』って、笑い飛ばしてたんだけどよ……」
ここで、一旦口を閉ざす、はとこ。再び、ちらりと、ヒステリー魔を見ます。
醜くい顔つきで、「不敬よ! 死刑にしてやるわ!」などと、叫んでいました。
「実際に、本物を目にした後だと、雪の国で笑い飛ばす自信が無くなったぜ」
「……まあ、そうでしょうね。なにせ、『現代の世界四大ブサイク女』の一人ですからね。サビナ公爵夫人は。
今後は、『外交官として活躍できるように研鑽をつみ、将来、春の国へ来て、自分の目で真実を確かめるように』と、返答したらどうですか?」
「う……ん。姉貴の助言、参考にならないけど、頑張ってみるぜ。
はぁ……あれが、春の国の王子妃なのかよ。王族の女性って、気品と教養にあふれる、すばらしい美人揃いと思ってたんだけど……現実って、厳しいんだな」
『はんっ。やっぱり、残虐王の子孫、西地方の貴族だけあるぜ! みっともないったら、ありゃしない。
死刑にできるなら、やってみろよ? てめぇの方こそ、死刑にして、返り討ちにしてやるぜ!』
あからさまに、西の公爵夫人から視線を反らす、はとこ。
絶望に満ちた表情で、現実を直視できない、思春期の少年の演技をしています。
周囲の大人の貴族は、夢を壊された少年に同情する視線を送っていましたよ
私には、毒気付く、はとこの心の声が聞こえた気がしますけどね。
「お姉様! あのような品の無い人が、王子妃と申しますの!?
私やお母様が発言している途中で、いきなりに乱入してきたので、てっきり西の侯爵当主の弟が、横やりを入れてきたと思っておりましたわ!」
「……オデット。女装おじ様と思っていたのに、平気で受け入れて討論していたのですか?」
「ええ。歌劇では、女装や男装を普通にしますもの。
現在、王立劇場では王子が侍女に変装する『銀のバラの王子』を公演中ですわ。
ですので、歌劇の王子のマネをして、男の人が女装するのが流行っていると思っておりましたわ」
「……『王族の花嫁ならば』とか、さっき、言っていませんでしたか?」
「公爵夫人になった姉の影武者として、弟が女装して、危険な王宮にやって来たと思っていたんですもの」
「……影武者……なるほど。……影武者ですか」
「ええ。姉を思う姉弟愛を笑っては、失礼になりますわ。似合だていなくても、知らないフリをして対応してあげるのが、礼儀だと思いますの。
王族なら、影武者が居ても、おかしくありません。雪の国の歴史においても、よくあることですもの」
目をまんまるにして、大げさに自己主張する妹。
頭の回転の早い、軍師の家系の婚約者が出来たせいか、とっさの言い訳も上手になってきていますね。
周囲の大人たちは、「子供の目線なら、そんなふうに突拍子もない考えをしても仕方ない」と、納得してくれていますよ。
妹の外見は、本当に凶悪な兵器ですね。
「……では、あちらの罪人たちは、どう思っているのですか?」
「お姉様。一昨日した、自分で服をめくって、肩を出しながら、ローエングリン様に近づく痴女の話を、覚えていらっしゃいます?」
「顔に傷があるのか、ひび割れるほど厚化粧している、常識の無い女性ですよね?」
「ええ。私、てっきり学の無い、平民の商人の奥方だと思っていたのですけど……西の侯爵当主の妾だとは思いませんでした」
「……妾?」
「はい。春の王子様である、ローエングリン様が何一つ許可を出してないのに、勝手に話しかけてきて、勝手に近付いてくる人間なんですもの。
貴族でしたら、王宮で王族の許可なく、発言したり、近付いたら、不敬罪に問われることくらい、常識として知っておりますわ。
王宮の常識を知らないと言うことは、平民ということ。そして、貴族の男性のお側近くに居ることを許される平民の女性は、妾か妾の産んだ子供……言わゆる庶子ですわね。
少なくとも、ローエングリン様より年上の外見だから、庶子とは考えられません。そうなると、妾以外にあり得ませんわ!」
「どう? どう? この考え。きちんと考えられた私って、頭良いでしょう♪」と、得意気な顔つきで、ペラペラしゃべる妹。
十才の外見年齢は、本当に凶悪ですよ。妹は、己の武器を最大限使う方法を知っています。
どんなに荒唐無稽な発言をしても、子供の言うことだからと、周囲の人々はあきらめてくれますからね。
「誰が、妾よ!? わたくしは、侯爵令嬢でしてよ!」
「……こうしゃくれいじょう?」
妾と侮辱された、西の侯爵令嬢は、怒声を発しました。妹は、きょとんとした顔つきになります。
「……オデット。彼女は、まだ未成年です。レオナール様やラインハルト様の一つ年下。
ローエングリン様より、二つ年下の十六才ですよ」
「じゅうろくさい? ……十六才!? 全然、見えません! お母様と同い年か、少し年上と思っておりましたもの!」
妹の驚きの声に、うちの母と西の侯爵令嬢を見比べる人が、続出。
まだ二十代の娘で通用する、小柄な絶世の美女が、私たちのお母様ですからね。
西の侯爵令嬢と見比べた全員が、「アンジェリーク未亡人よりブサイクで、年上に見える」と、視線で語っていました。
「……それから、自分から肩を見せるのは、春の王都の恋の駆け引きの一つらしいですよ」
「あんなハレンチな仕草が、恋の駆け引きですの!? 信じられませんわ!」
「……まあ、彼女は浮気癖で有名な春の王女、あのファム嬢のいとこですからね。
『現代の世界四大ブサイク女』のうちの二人、サビナ公爵夫人の姪っ子であり、春の王女ファム嬢のいとこなのです!
私たちとは違う世界に住む、不思議な生き物だと思っておきなさい」
「……彼女たちは、違う世界の生き物なのですわね。承知しましたわ」
オデットに諭すように、しみじみと語りました。
妹は、珍獣を見る目付きになって、西のサビナ公爵夫人や、その姪っ子の侯爵令嬢を眺めます。
サビナ公爵夫人や西の侯爵令嬢の金切り声など、きれいさっぱり聞き流しておりました。
西の公爵当主の結婚関連は、オペラ「ポッペーアの戴冠」を元にしています。
●西の公爵当主「ネロ公爵当主」
小説では、西地方に領地を持つ分家王族、公爵家の現当主で、春の王女ファムの父親。
アンジェリーク秘書官が、「北地方の貴族を暗殺した、親戚たちの仇!」と見なしている人物。
・暴君として知られる「五代目ローマ皇帝ネロ」が、モチーフ
皇帝ネロは、人類史上初めてキリスト教徒を迫害したり、 初代ローマ教皇・ペトロを逆さ十字架にかけて殉教させたと言われる。
ただし、暴君と呼ばれる原因になったの、後妻の「ポッパエア」が影で動かしていたという説もある。
・ 新約聖書のヨハネの黙示録に、獣の数字「666」について記述があり、この数字は「皇帝ネロ」を指すとされることもある。
●西の公爵当主の後妻「サビナ公爵夫人」
正室亡きあとに後妻になった、ファムの母親。
・皇帝ネロの後妻になった「ポッパエア・サビナ」がモチーフ。
ポッパエアは、最初に、ルフリウス・クリスピヌスと結婚するが、夫は流刑となった。
二回目に結婚した、マルクス・サルウィウス・オトとは、ネロと結婚するために離婚した。(離婚した夫は、後にローマ皇帝の一人となる)
三回目にネロと結婚したことで、とうとう皇帝妃に上り詰める。
一人娘が生まれたが、幼いうちに亡くしてしまった。
・ポッパエアは優れた美貌を持ち、人々を魅了して離さない会話術を備えていたという。
また、「歴史上、最も化粧に時間を費やした女性」と呼ばれることもあり、毎日の身支度に、百人の手を借りたらしい。
●西の公爵当主の亡き正室
皇帝ネロの最初の妻「 クラウディア・オクタウィア」がモチーフ。
・歴史上のオクタウィアは、父親によって、「ルキウス・シラヌス」と婚約していたが、とある事情(自主規制)で、二人の婚約は破棄。
義理の弟に当たるネロと婚約し、12歳で結婚。同じ日に元婚約者は自殺したらしい。
・ネロと結婚した後も、義理の父親は毒キノコを食べさせられて、暗殺。
弟ブリタンニクスも、ネロによって、13才で毒を飲まされ暗殺されたとされる。
自身も、不妊を理由に離婚、島に幽閉された後、残酷な方法で死亡させられる。
死後も、ネロが後妻に見せるためにと首を切断され、ローマに運ばれたなど、幸薄い人物のようであった。