116話 王子は、放物線を描いて飛びました
明日から、王太子のレオナール王子は、東地方の視察に向かわれる予定です。
そのくせ、東地方の領主たちの報告書を見るのを後回しにして、溜め込んでおられました。
夏休みの宿題を、最後の日にあわてて、全部やっつけようとする子。それが、レオ様の性分です。
懲りない上司に、現実を突きつけて、ダメな男性の烙印を押しましたよ。
「雪の天使の姫、それ以上は、お止めください! レオ王子が再起不能になります!」
口達者で現実主義の私は、弁論が得意です。
少なくとも、口喧嘩において、レオ様を負かせることができます。
レオ様の危機を察した、新米秘書官殿が急いで止めに入りました。
外交官の子息殿は、私の性格を『よく知っている』ので、黙って会話を見守るだけです。
私は、次の相手を新米秘書殿に定めました。
「あなたにも、言っておく事がありました」
「えっ?」
「今年の春から、あなたを含めて、王太子の側近は五人増えましたよね?
それに対して、秘書業務を停止して、側近から抜けたのは、私一人です。
実質、四人も増員されているのに、レオ様のサボりを許して、このていたらく。
私が業務に携わっている間は、レオ様にうまく逃げられて、サボることはあっても、この十分の一以下の書類しか、ためさせませんでしたよ。
成人男性が五人も居るのに、年下の子供の私より、仕事が劣るとは、どういうことですか?」
両手を腰にあて、ぷりぷりと可愛らしく、怒っていると分かる表情で、背の高い相手を見上げます。
さすがに、外交用の兵器は使いません。
「年下の女の子」という、成人男性にとっては、庇護対象になる私の武器を使って、会話を進める必要がありますので。
自分に矛先が向くと思っていなかった新米秘書官殿は、目を白黒させておりました。
「新米側近とはいえ、皆さん、王宮勤めの役人経験者ばかりですよ?
特にあなたは、レオ様の親戚と言うこともあり、新米たちのまとめ役も求められます。
そのことを念頭におき、今後は行動なさってください!」
言葉に抑揚をつけ、事実を羅列しましたよ。
最後はピシャリと言い放ち、相手がビクッと一瞬おびえる所を確認しておきました。
すっと、視線を和らげ、尊敬の眼差しに切り替えました。
「あなたは、お忙しい内務大臣を、補佐官として支えておられた、我が国の影の立役者です。
政治から四年間離れていようと、優秀なあなたなら、王太子の補佐官と秘書官も兼ねられますよ。
そして、親戚であるゆえ、レオ様の行動を誰よりもよく知り、今後の対策を講じられるはず。
将来、『国王の右腕』と揶揄される秘書官になられることを、私は期待していますからね♪」
雪の天使の微笑みではなく、にっこり無邪気な笑みを贈りました。
新米秘書官殿の瞳には、戸惑いが浮かんでいましたよ。
さっきまでの私は、言っている内容が辛らつだったのに、突然、誉めることを言い出しましたからね。
数回の瞬き中に、私の言葉を反芻し、自分の言葉で理解したようでした。
大人の余裕を感じられる、貴族の微笑みを浮かべて、宣言してくれましたよ。
「もちろんです。王子の行動パターンが読めてきましたからね。
今後は、サボりを許さないと、お約束しましょう!」
会話の最後に新米秘書官殿を誉めたので、「憎たらしい小娘から攻撃されている」のではなく、「年下の女の子から頼りにされている」と、秘書官殿の中で変換され、好意的に受け止められました。
要するに、私は信頼関係を損なわず、やる気を植え付けることに、成功したんですよ。
人間は会話をすると、相手の最期の言葉が一番記憶に残るらしいです。
これは、うちの母が子育て中に発見した法則でした。
子供をしかり続けると、またしかられないようにと緊張した子供は、失敗を繰り返します。
……そのしかる教育をされ、失敗を繰り返し、一番怒られたのが、一番上の私。
二番目の長男と三番目の次女は私を反面教師にして、うまく立ち回りました。
子供が成長して、子育てに余裕の出てきた母は、『しかった後に誉めて、笑顔で次は気を付けなさいと信頼している様子をみせる』と、子供は親の期待に応えて頑張り、失敗が減ると気付いたようです。
四番目の次男と末っ子の三女は、その教育方針だったため、私よりも誉められ、私よりも演技上達が早かったですよ。
さて、私に事実を突きつけられ、凍りついているレオ様にも、声をかけておきましょうか。
「レオ様、いったん休憩してください。
雑念が多い上、私から苦言を言われた直後では、気が乗らないでしょう?」
新米秘書官殿から視線を反らし、レオ様に向き直りました。
「休憩?」
「あなたが真っ先に休んでくださなければ、室内にいる会計員の方々は、夕食が取れませんので」
「夕食?」
「はい。王太子の名前のもとに、視察関連で本日残業すると思われる財務大臣殿や内務大臣殿、騎士団長殿の部下たちに、軽い夕食を準備してもらうように手配しています」
「手配?」
「レオ様の命令は、受けておりません。
王太子の秘書官である私が、国王陛下に相談のうえ、王太子の名前で手配しました」
「父上?」
「はい。去年の国王陛下の地方視察準備を観察して、今回も、夕食の準備が必要と判断しました。
特別に準備するとなると、予算の問題が出ます。
国王陛下の秘書官殿に相談に行きましたところ、なぜか国王陛下との謁見になりまして……忙しいレオ様には事後報告で良いから、私が責任持って準備するように命じられました」
「手筈は?」
「残業になると推測される役人たちの家族には、二週間前から送迎の馬車の御者に、『帰宅が遅くなるかもしれない』『軽い夕食は王家が準備する』と伝えてくれるように、城門の門番たちに手配していますので、ご安心ください」
「そうか」
少しだけ息を吹き返したレオ様は、単語だけを並べて、会話しました。
性別を超えた親友のよしみで、単語からレオ様の言いたいことを察しましたよ。
説明し終え、時計を見ますと、午後六時前です。そろそろ、各部署に夕食が届く時間ですかね。
「……アンジェって、本当に細かいところに気がつくよね。
ボクらが新しい側近たちを教えるのに手一杯になると見越して、影でフォローしてくれてたんだ?」
「ええ、まあ。次回からは、王太子の側近のどなたかがしてくださると信じています。
私は近い将来、王太子の秘書官から離脱し、王太子妃の秘書官になりますからね。
こういう裏方の仕事も、そつなくこなせるのも、秘書官の仕事だと思っていますよ」
外交官の子息殿との会話の途中で、チラッと新米秘書官殿に視線を送りました。
周囲からは、わざとらしく見えますが、別に構いません。
近々王太子妃の秘書官になる私が、今後のことを心配して、わざと新米秘書官殿にキツく当たったと、受け取られたことでしょう。
納得しなかったのは、私にしかられっぱなしの王太子。
ちょっと会話を交わしたせいで、復活してきましたよ。
「おい、アンジェ。僕を根底から否定するようなことを言って、それで終わりか?」
「否定などしていません。私は現実主義です。先ほどは、レオ様の引き起こした事実を、女性目線で突きつけたにしか過ぎませんね」
「……そうやって、僕を怒らせ、明日会う王妃候補たちに、今日のことを愚痴らせる。
そして、僕をなぐさめさせて、できる男と持ち上げさせ、あいつらと仲を深めさせる魂胆だろう?
そんな単純な手に乗るか!」
……ちっ。見透かされていましたか。
引っかかってくれるかな?くらいの、軽い気持ちで仕掛けたので、見透かされても構いませんけどね。
「お前は、『早く婚約者を決めろ』と、側近の中で一番口うるさいからな。
見習いどもが婚約や結婚話をするのを聞いて、思い付きでやったんだろう? ……図星か」
むー、図星なので、言い返せません。
周囲の視線があるので、軽くむくれて、可愛らしくすねた姿を見せるに止めました。
「あのなぁ。男女の仲が、そう簡単に進むわけないだろう? 歌劇の見すぎだ!
……と言っても、お前は雪花旅一座の座長の孫娘だ。今まで僕の何倍も歌劇を見ているはず。
その過程で、『男が愚痴って弱味を見せたら、女がなぐさめて二人が恋に落ちる』と、思っていたんだろうな」
……なんて、反論しましょうか。
もう直球で言っちゃえ。レオ様の目指す恋愛なんて、私には興味ありません。
「ええ、そうですよ。レオ様が、いつまで経っても、決断してくださらないので。
王妃候補に選出されている方々は、どんどん婚期が遅れていると、ご理解されていますか?
王太子と言う、この国で最も権力のある男性の花嫁候補であるため、他の家との婚約は結べません。
そして、婚約者に選ばれなければ、改めて結婚相手を探す必要があります。
医者伯爵様によりますと、女性は子供を産める年齢制限があるそうですよ。焦るでしょうね」
レオ様に、年頃の女性目線の正論を言えるのは、私だけでしょう。
王妃候補たちが、ときどき愚痴っている内容を、少しだけ包装紙にくるんで教えてあげます。
「さて、ここで問題です。
レオ様が二十歳でやっと、婚約者を決めたとします。そのときに、王妃候補の方々も、十七から十九才。
この時点で、元王妃候補に釣り合う、有料物件の男性が、何人残っているとお考えですか?」
「そのときは、責任もって、僕が仲人して相手を見つけてやる」
「王妃候補の方々は、レオ様に恋をしていると言えるのに?
自分をふった相手から、好きでもない男性を結婚相手を紹介されて、喜ぶとでも?
男性の方も、王太子から打診があれば、拒否できませんよね。お国のための政略結婚と割りきり、愛してもいない花嫁を迎えることでしょう」
痛いところを突かれたようで、レオ様は押し黙りました。
ロマンチストの王太子は、恋愛結婚至上主義ですからね。
政略結婚をするのが当たり前の王子でありながら、愛情のない政略結婚を嫌い、恋愛結婚を目指しています。
そんなレオ様には、『王妃候補たちに政略結婚の未来が待っている』事実を突き付ければ、精神的に堪えると踏みました。
「……で、王妃候補はどうするんですか? いつ、正式決定するのですか?
いつまでも決められないのでは、王妃候補を含む、春の国すべての民が困るのですよ!」
「……お前、僕とライが、今どんな関係になっているか知っているよな?
知っているなら、それ以上は控えろ。恋の駆け引きに、焦りは禁物なんだ」
……ちっ。うまく逃げましたか。
貴族たちが分裂しているので、うかつに動けないと、レオ様は私を牽制したんですよ。
レオ様は、いとこのラインハルト王子と、将来の王妃筆頭候補のクレア侯爵令嬢を巡って、争っています。
王子たちの三角関係など、とんでもない話題ですよ。
噂が巡るのは早く、貴族社会ではたった数日で、この三角関係に絡んだ派閥が形成されました。
東地方の貴族は結束して、断然、王太子推し。
先代王妃様が東地方の貴族出身で、クレア嬢の祖父の姉に当たるので、尚更熱が入っています。
南地方の貴族は、中立を保ち、静観。
現在の王妃様が南地方の貴族出身なので、心の中では王太子を応援している家が多いですけど。
西地方の貴族は、大きく分けて三つに分裂しています。
一つ目は、王家の血を持たない新興貴族。
分家王族の西の公爵当主が推す、西地方の子爵令嬢を王太子の花嫁にしたい。
もしくは、ラインハルト王子が目をかけている、赤毛の伯爵令嬢を応援しています。
二つ目は、公爵家から枝分かれした文官の世襲貴族。
血筋にこだわる彼らは、世襲貴族である西地方の子爵令嬢を、王太子の花嫁にしたいのです。
先ほど上げた新興貴族の二人は、平民だった農家と商人が貴族に成り上がった家柄ですので。
最後は、武官の世襲貴族。彼らは、どちらにも荷担せず、静観しています。
クレア嬢は東地方の文官の娘なので、王妃になっても西地方の彼らには恩恵が薄いという建前ですね。
……実際のところ。武官の世襲貴族は、分家王族の医者伯爵家に忠誠を誓っています。
おそらく、医者伯爵の指示通りに、静観を決め込んでいるんでしょうね。
とりあえず、レオ様に三角関係をちらつかされた私は、言葉を選ぶために沈黙しました。
私をやり込めたと勘違いした王太子は、いじめっこの笑顔を浮かべて、満足そうです。
そのとき、部屋のドアがノックされました。
軽い口調と共に、医者伯爵家の王子、ローエングリン様が入ってきます。
「レオ、呼んだ? それから、使用人たちが廊下に料理を運んで、並べているんだけど……これ、なに?」
「残業する会計員たちの夕食だ。アンジェが気をきかせて、手配してくれた」
「そうなんだ」
あっ、閃きましたよ♪
ぱあっと、顔を明るくして、叫びました。
「レオ様! 三角関係の打開策が浮かびました!」
「……今度は、何を思い付いた? 言ってみろ」
「はい。王都の恋の駆け引きとやらを、してきてください。
ほら、前に言っていた……」
「前? 前って?」
「ほら、前回の婚約者候補、ルタ嬢がレオ様にやろうとしていたって、言っていたやつ。
えーと……『二人で刺激的な夜を過ごす』でしたっけ?」
「アホか! 女を手込めにして、既成事実を作るなんて、できるか!」
「ちょっと、姉君! 女の子が、そんなこと言ったらダメだよ!」
王子様たちは、一気に顔色を変えました。
レオ様は怒りが丸分かりの真っ赤で、ロー様は血の気が引いています。
「てごめ? きせいじじつ? 何ですか、それ?
それも、王都の恋の駆け引きとやらですか?」
初めて聞く言葉に、キョトンとしました。
思わず小首をかしげて尋ね返しましたよ。
「……おい。刺激的な夜って、どんなことするのか、分かっているよな?」
「えーと、コショウや唐辛子がたくさん使われた、刺激的な夕食を食べることかと」
「アホか、情事のことに決まってるだろう!」
「じょーじって、なんですか?」
私が疑問系で答えると、再び、王子様たちの顔色が変わりました。
今度は、レオ様の顔から血の気が引き、将来の義弟が怒りで真っ赤です。
将来の義弟は、レオ様に詰め寄ると、襟首をつかみましたよ。
「レ~オ~! なんてこと、口走るわけ?」
「いや、その……僕じゃなくて、僕らをからかうアンジェが悪い!」
「私は本当に知らないから、教えてと言っているんです」
「前に『大人の恋愛教えようか』なんて、アンジェをからかったから、オデットを連れて自分に意味を聞きに来て、説明に困ったって、抗議したよね!?
彼女たちは、箱入り娘だから、本当に知らないの!」
私に責任転嫁しようとした王太子相手に、ロー様は怒鳴りました。
力づくで、王太子を部屋の外へ引っ張り出します。
「このバカ王子! 最低男!」
「うぐっ」
珍しく、口汚くののしる、将来の義弟。
文句を言いながら、王太子のみぞおちに拳を叩き込みます。
次の瞬間、足払いをかけると、投げ飛ばしました。
綺麗な放物線を描き、床に叩きつけられる王太子。
途中で受け身は取っていましたが、みぞおちへの一撃がきいているようで、なかなか起き上がりません。
「純真無垢な雪の天使を惑わす、悪魔! 一回、地獄に落ちろ!」
ロー様は、衣類のほこりを払いながら、怒りの声を王太子にぶつけます。
穏やかで大人しいと有名な、医者伯爵の王子様。
その豹変ぶりに、私を含む周囲は、度肝を抜かれて動けませんでした。
悪の組織の博士(医者伯爵のローエングリン王子)は、人体構造を知り尽くした医者のため、体術にも秀でる。的確に相手の弱点を狙えるから。
博士は、純真無垢な婚約者を、「自分好みの天使」に育てている途中。
それゆえ、悪影響を与える悪の組織のボス(王太子のレオナール王子)が許せず、今回はぶん投げた。
博士の婚約者は、女幹部(アンジェリーク秘書官)の妹、オデット。
女幹部が覚えたことを、妹に教えて、さらに妹が婚約者である博士に聞くのである。