104話 悪いお姫様の話です
王家御用達の服飾工房前に到着しました。
工房の中に入ろうと、下の弟妹と手を繋いで歩き出そうとしたら、腕組みした王太子のレオナール王子が立ちふさがりましたよ。
馬車から降りてきた、医者伯爵の王子、ローエングリン様をにらみます。
「おい、ロー! アンジェが雪の王太子妃とか聞こえたが、何の話だ?
こいつは、春の国から出さないぞ。
雪の国からの『将来の王妃に欲しい』という要請には、春の王太子たる僕がきっちりと拒否して、向こうだって受け入れた!
国民に誤解を招くような言動は慎め!」
……先ほど、医者伯爵の王子と私のはとこが、馬車の中でしていた会話のことですね。
停車直前の部分が、先に到着して私たちを待っていた王太子の耳に届いたようですね。
「やだな、レオ、睨まないでよ。分かっているからさ」
「本当に分かってるのか?
アンジェの父方のおばあ様は、善良王の次男の子孫なんだぞ。
王位を受け継ぐ王族以外で唯一生き残った、善良王の直系の血筋なんだ!
しかも、北地方唯一の領主として、我が国の民のみならず、雪の国の難民すらも守り続ける優秀な者を、国外に出せるか!」
「分かってるってば、分かってる!
だから、アンジェの血筋と頭脳を見込んで、レオの秘書官にしたんでしょう?
そして、将来の王妃の補佐をして欲しいと願った。
今すぐに、雪の国の王太子妃になれるくらい優秀な女の子を、春の国の外に出すなんて、自分も大反対するよ!」
道端で怒鳴りあう王子様たち。
まだ馬車内にいた私の上弟妹とはとこは、目を丸くして、様子を伺っています。
王家の馬車に敬意を表し、頭を下げて道端に避けていた人々も、思わず頭を上げて凝視していました。
「レオ、ロー、落ち着いてください。
あなたたちが大声を出すから、周囲が驚いていますよ」
レオ様のいとこであり、ロー様からはとこに当たる、ラインハルト王子が二人を止めに入りました。
「そして、服飾工房長が命乞いをしています」
ライ様の言葉に、工房の入り口を見ると工房長と父親にあたるご隠居が、ひれ伏していました。
東国の文化で、土下座という最敬礼にあたる、礼の仕方です。
「北の伯爵様! かの善良王様の子孫とは知らずに、大変申し訳ありませんでした!」
「伯爵様! 先日のバカ息子の無礼を、どうぞお許しください!
罰をくだすおつもりならば、この老いぼれに!」
「いえ、罰ならば、張本人であるオレ……私が受けます。
どうか、父にはお慈悲を、お慈悲を!」
……えーと。土下座しないでください。反応に困りますので。
困るったら、困るんです!
王都に住む国民の、「六代目国王の善良王」に対する反応は、北地方では考えられないくらい大袈裟でした。
「春の国の英雄」「虐げられていた民を救いだした救世主」という、気持ちが強いようです。
まるで、神殿で神様に祈りを捧げるのと同じような扱いでしたね。
私の故郷、北地方の国民にとっての善良王は「領主様のご先祖様」となり、とても身近な存在でした。
善良王の次男が湖の塩伯爵を再興し、孫娘が北の侯爵家に嫁いでいます。
その二つの家から、我が家のような分家が枝分かれしたと言う、歴史があるもので。
よって、北地方では見たことのない工房長の態度に、下の弟妹は驚いておりました。
困った私は、両手を弟妹と繋いだまま、土下座する二人に声をかけましたよ。
「親方殿、ご隠居殿。顔を上げて、立ち上がってください。
私の善良王に連なる血筋は、父方の祖母です。
春の国の風習は、父方の祖父のみを見るので、知らなくても当たり前ですからね」
額を地面に擦り付けていた二人は、おどおどしながら、顔を上げて私を見上げました。
「顔だけではなく、体も起こして、立ってください。
私の祖先たる善良王は、無礼な振る舞いをしたくらいで、愛しき民を傷つけるような真似はしません。子孫である私も同じです」
二人とも、怯えた眼差しのままです。
王都の国民って、これが王家の血筋に謝るときの標準なのでしょうか?
周囲を見渡すと、平民たちは恐れおののく顔になり、私と視線を合わさないようにしました。
王子たちは無表情で、感情を読めないように努めています。
仕方ないので、下の弟妹を連れたまま、土下座する二人の前まで移動しました。
膝を軽く曲げて姿勢を低くします。憂いの表情を浮かべ、軽く小首をかしげながら、話しかけました。
「親方殿が無礼と思っているのは、反物についての話し合いのことですよね?」
「はい、その通りです。何とぞお慈悲を!」
「結論から言いますと、あなた方が謝り、慈悲を請うのは、変な話です。
そちらは、工房で雇っている職人たちの生活が、私は北地方の領民たちの生活を背負っているから、取引に関して意見がぶつかるのは当然です。
工房長と領主では、身分は違いますが、立場は同じなんですよ」
二人の視線が、不思議そうに瞬きしました。
もう一押しですかね。
傾けた首をもとに戻し、憂い顔を真摯な顔つきにしました。
「あなたの態度は、職人を守る工房長として、間違っていると思いません。むしろ、当たり前のことです。
人々の代表になると言うことは、庇護下にある弱き者を守るという、義務と使命を帯びるのですから。
これは、将来の国王になられる、王太子のレオナール王子も同じです。
国民の代表たる王になり、民を守るのです」
「王太子様と同列など、滅相もありません! そんなご無礼なこと!」
……おりょ? 失敗しましたかね?
親方殿を混乱させたようです。
説明内容に、レオ様を挙げたのが間違いでしたかね?
「ならば、質問させてください。なぜ、罰せられると思ったのですか?
あなたが思ったことを、包み隠さず正直に話してください。
正直に話したことで、あなたが不利になることは、ありません。
なぜならば、この場に公平公正を尊ぶ、王族の三人の王子が同席しているからです」
私の声につられて、地面に土下座した二人の視線が動きます。視線の終着地点は、王太子でした。
「お前たち、正直に答えよ。
僕は将来の国王として、僕と同じ義務を持つ者を見届ける。
人の代表となり、弱き者を守ろうとする者の言葉に、耳を傾けようぞ」
レオ様、ナイスフォロー!
威厳たっぷりの、王太子の言葉が響きます。
「その……王家のお姫様に無礼を働けば、牢屋に入れらたり、むち打ちにされるので」
「はい? それは、どこの野蛮な姫の話ですか?」
思わず、首を傾げてしまいました。
傾げた後で、すぐに心当たりが浮かびましたけど。
……あの頭お花畑の公爵令嬢は、私が初めて会う前から、色々とやらかしていましたからね。
「牢屋に入れる……ああ、東の倭の国に昔居た、悪い姫ですね! 最近、妹たちが習っている人物ですよ」
分からないフリして、とぼけました。
腹黒王太子であるレオ様が、頭お花畑の居場所をこの世から消すために、嬉々として利用しそうな話題ですからね。
王太子の秘書官である私は、レオ様に協力しますよ。
……と思っていたら、下の弟妹が空気を読んだ行動をしました。
「ひがちのおみめちゃま?」(東のお姫様?)
「エル。少しでも気に入らない人を、すぐに牢屋へ閉じ込めていた、悪いお姫さまだよ。
自分の感情だけで行動して、民をたくさん苦しめた性格の悪い人!
絶対にマネしたらダメだって、母さまも、先生も、言ってたよね?」
「えりゅ、ちってる! わりゅい、おみめちゃま!
ちゃいご、でんばちゅ、あたりまちたの」
(エル、知ってますわ! 悪いお姫様!
最後、天罰が当たりましたの)
下の弟妹の発言に面食らったのか、レオ様はボソボソと答えました。
「……いや……その……たぶん、工房長は、違う人物を言っていると思うぞ」
「別人? ……あ、少し前の西国との戦争の原因になった、悪い姫ですか?
むち打ちの刑が好きという、王族として言語道断な逸話がありましたからね」
私の大嫌いな、歴史上の人物の一人です。
このおバカさんのおかげで、父方の祖父や親戚たちは、戦争に従軍する羽目になったんですよ!
「アンジェ姉さま、西の悪いお姫さまのことだったの?」
「たぶん、そうです。あの教養と常識のない、ワガママ姫!
西の戦の国との戦争を引き起こした、悪いお姫様ですよ!」
「にちのわりゅいおみめちゃま?」
(西の悪いお姫様?)
「エル。北地方の白き宝は、『湖や山で採掘される陸の塩』と言うのは、小さなエルでも知っていますよね?」
「あいでちゅの」
(はいですの)
「それを、隣の国のお姫様は、大人なのに知らなかったのです。
白い宝の産地では、キラキラ光る『白い宝石』が取れると勘違いして、宝の土地が欲しいとお父様にお願いしました。
そのせいで、春の国へ攻めてきて、戦争になったんですよ」
「ちぇんちょー?」
「……戦争の終わった頃の西地方が、今の私たちの故郷と同じ状況になったと言えば、エルにも分かりますかね?」
「えりゅ……ちぇんちょー、だいきらいでちゅわ!」
(エル……戦争、大嫌いですわ!)
「僕も大嫌い! 雪の国の戦争のせいで、父さまの親戚のおじさまたちに、二度と会えなくなったもん!
北から逃げてきたおばあちゃんも、おうちに帰りたいって言いながら、死んじゃった!」
あ、マズイ。弟と妹は、故郷の地獄を思い出して、大泣きしそうです。
私の話の持って行き方が悪かったんですけど。
「ラファエロ、エル。ただ泣くだけでは、民を救えないのですよ!
泣くときは、人々の悲しみを心に刻み付けなさい。
そして、泣くのを止めた後は、二度と悲しみが起きないように、努力して人々の力になれる大人になりなさい。
民の幸せを守るのが、善良王の血を受け継ぐ、私たちの使命であり義務だと、習いましたよね?」
「……はい、姉さま」
「……あいでちゅの」
(はいですの)
「分かったら、涙を拭きなさい。今は王家の血筋として、民の前に姿を表しているのです。
民を不安にさせる言動は、慎みなさい。前を向き、民を先導する者として、大地に立つのです」
私が一喝すると、下の弟と妹は、手を繋いで無い方の手で、目元をぬぐっていました。
鼻をすすりながらも、返事しました。きちんと背筋を伸ばして、大地を踏みめます。
「親方殿、ご隠居殿。お見苦しい所をお見せしました。
話は戻りますが、私たちは牢屋に入れたり、むち打ちするような、野蛮な振る舞いはしません。
むしろ、親方殿の庇護下にある者を守ろうとする姿勢には、敬意を抱きます」
「けいい? ……本当に罰しないのですか?」
「……レオ様、どうにかしてください!
あなたが私の塩伯爵の血筋を大声で叫ぶから、騒ぎになったのですよ!」
大きく振り返り、レオ様の顔を見ました。
母仕込みの演技力で、傷付き、心を痛めているように見える表情を作りましたよ。
「由緒正しき王家の血筋の者は、愛しき民に悪逆非道な行いなどしません!
六才の末っ子ですら、善良王の教えを受け継ぎ、民の幸せを守るのが義務であり使命と知っているのですよ!
それなのに、こんな風に怖がられるなんて、王都はどうなっているのですか?」
周囲の視線が動くのを感じました。王太子に集中しています。
レオ様は腕組みしたまま、視線を反らして、地面を見ました。
「……おそらく、その者たちは二年前の出来事を思い出し、恐れているのだと思う」
「二年前? 何かあったのですか?」
「……アンジェ。お前は藍染産地の領主なのに、知らないのか?
布地や染め物の産地の領主には、王家から通達を出したくらい、大騒ぎになったんだぞ」
「王家の通達? 王族への布地の納品は、国王の名の元に、すべて管理するでしたっけ。
それから、レオ様が東地方のキハダ染めの産地を治めることになったと知らせる内容だったと、記憶しています」
……もちろん、大騒動の発端や詳しい内容は、配下の傭兵たちを通じて知っていますよ。
ですが、今は平民が見ていますからね、知らぬぞんぜを通します。
「あれな。西の公爵の一人娘のファムが、『紅花染めの反物を王女の御用達にする』という名目で、領主の子爵家から無償で紅花畑や染め物工房を借り上げたんだ。
紅花染めの反物が気に入ったからと言うアホな理由で、父親にも相談せず、勝手に子爵家に乗り込んで、一方的な契約を結んでいた」
「……それ、王家のために借り上げたのではなく、私利私欲のために取り上げたの間違いですよね?
我が家なら、国王陛下や法務大臣に訴えますよ」
「王族が借りたと言えば、借りたことになる。双方のサインのある契約書があれば、文句は言えん。泣き寝入りだ。
だいたいな、貴族の子爵家が、王家の王女に逆らえるわけないだろう」
「あー、それで、レオ様のキハダ染め産地の領主就任に繋がるんですね。
紅花染めの赤い鮮やかさには、キハダ染めによる黄色い下染めが不可欠ですからね。東地方のキハダと紅花の産地が、隣同士のゆえんです。
知識のないファム嬢は、紅花だけで染めようして失敗し、キハダの下染めを知って、領主の居ない子爵領地の領地が欲しいと父親に相談。
ようやく事が発覚して、急遽、レオ様がキハダ産地を治めることになったと。
レオ様が領主になれば、キハダの領主代行役人に、ファム嬢が関与することできませんからね」
「おー、さすが、藍染産地の領主だな!
すらすらと専門知識が出てくるから、説明の手間がはぶけて助かるぞ。
それで、二年前の王家の伝達に繋がるんだ」
腕組みを解いた王太子は、私に対して、大袈裟に拍手をしました。
棒読みではなく、心から感心しているように聞こえる台詞が言えました。
うちの母の演技指導の成果が出ています。
「むち打ちや牢屋には、どう繋がるですか?」
「……ファムは、借り上げ騒動の前に、王都にある紅花染めの反物を、全部買い占めた。
そして、お気に入りの王家御用達の服飾工房の職人を、まるごと全部、公爵家の屋敷に招いて、閉じ込めた」
「……まるごと閉じ込めた?」
「うむ、閉じ込めた。父親の公爵当主に怒られまいと、父親が西国への使節団の団長として出張していた隙を狙って、実行したんだ。計画的犯行というやつだな。
さっさとドレスを作れだの、ここが気に入らんから直せと、ヒステリックな叫び声をあげながら、職人に作らせたらしいな」
「……牢屋は、工房の職人が公爵家に閉じ込められた所からの連想ですかね?
高位貴族なら、工房の職人を屋敷に呼んで作業させることはあるようですけど……。
閉じ込めっぱなしは、常識はずれですね。職人にも家族がいて、私生活があるのですから。
そして、むち打ちは……まさか、実際に被害に合った者が居るとか?」
「……いや、夜会が近づいて、急がせるために、使用人が床にむちを打ち付ける様子を職人に見せながら、作業させていたようだ。
ドレスが完成して、職人たちは解放されたが……公爵家で与えられた精神的恐怖のせいで、裁縫ができなくなった職人が多くてな。
王家御用達の工房が一つ潰れて、ようやくファムの行動が明らかになった」
「……潰れた? 王家御用達の工房が!?」
「うむ。だから、僕の父上は事態を重く見て、出張から戻ってきた公爵当主とファムを呼び出し、国王命令を出したんだ。
ファムが反物を買うときは、国王に届け出ること。
そして、王家御用達の服飾工房への出入りをしばらく禁止した。さすがに、公爵当主も、納得して受け入れたぞ。
お気に入りの反物が思うように買えなくなったファムは、買えないなら、作ればいいと思ったようでな。先ほどの紅花染め工房、無償借り上げの騒ぎに繋がる」
レオ様は、地面に視線を向けると、盛大なため息を吐きました。
ええ、レオ様の話した裏側も、知っていましたよ。
知っていましたが、改めて言葉にして聞くと、めまいを感じます。
空気を読める私の弟妹は、言葉を失った私の変わりに、話を進めてくれました。
「にーちゃま、にーちゃま」(お兄様、お兄様)
「……なに、エル?」
「ちゃっき、わりゅいおみめちゃまのはなち?」
(さっきの、悪いお姫様のお話し?)
「うん。王子さまのお話に出てきたお姫さまは、悪いお姫さま。
民の幸せをたくさん壊したんだもん」
「にゃんで、みんな、わりゅいおみめちゃまににゃるの?」
(なんで、皆、悪いお姫様になるの?)
「えっと、悪いお姫さまは、悪いことするから、悪いお姫さまになるんだよ」
「にゃんで、わりゅいことするの?」(なんで、悪いことするの?)
「えっと……なんで、悪いことするんだろうね?
あ、きっと、頭が悪いから、悪いことするんだよ!
たくさんお勉強すれば、頭が良くなって、良いことできるって、王宮の先生たちが言ってたから。
きっと、悪いことをするのは、頭が悪いからだよ!」
「えりゅ、べんきょーちて、あたまいーから、いーこでちゅわ!」
(エル、勉強して頭が良いから、良い子ですわ!)
「僕も、勉強して頭が良いから、良い子だって誉められるもん!
悪いお姫さまたちは、絶対僕やエルより、頭が悪いんだよ」
……子供は素直ですからね。思ったままに、会話を繰り広げていましたよ。
私を含む周囲は、大人の対応をしたことを、付け加えておきます。
悪の組織のボスは、敵を排除するための下準備を始めた。
最初の作戦は、国民への洗脳活動である。