第一章 深い記憶 第三節 キメラ飛翔の行方
*
月のない夜に炎をまとった鳥が飛び立つ。
それを呆然と見つめる男が二人。
「おぉっ、あれがキメラか……」
「 ……っはい、左様で……」
茂吉が取り乱さず辛うじてそう答えた。
キメラは二間(三・六メートル)ほどの高さまで盛大に火の粉を振りまいて飛び、その後ふっと、羽音だけを響かせて闇に溶け込むように消え去った。
三つの護摩壇はキメラ飛翔の圧で崩れてしまっていた。
茂吉が護摩壇のあった周囲から火の点いた薪を集め、供物台も残りの呪文・文様を書いたさらしも次々と火にくべていく。
「だんな、あともうひと踏ん張り、よろしくお願いいたしやす」
「 ……あぁ」
磐城のだんなが枯れた声で覇気なく答えた。
「あびらうんけん……」
だんなはかすれ声を振り絞るように唱える。
さらしや供物台に火が移り、その火がいっそう大きくなったその時、波打ち際でバシャバシャと大きな魚が騒ぐ。
「だんな、魚は、マツカサウオは、ちゃん海へと帰りましたよ。これで関係の無い方向方角で悪さすることはございません」
「そうか……」
ほとんど消え入りそうな声だった。
「だんな、疲れましたか?」
「あぁ、……茂吉、 ……いや、茂吉さんよ、 ……俺はいいモン見た」
「いえ、何をおっしゃいます…」
「ありがとうな」
闇の中でだんなの声は泣いていた。
その直後、だんなの身体が砂浜に横倒しになる。
「だんなぁーっ、しっかりっ、だんなーっ」
茂吉はだんなを背負い走る。
ここからならいつもの菜めし屋が近い。
「だんな、しっかりして下さいよ。 ……今から、これからが、儀式の仕上げは、これからなのに」
茂吉は思わず口走る。
菜めし屋の裏口から中に運び込み医者に来てもらったが、ただただ医者は首を横に振るだけであった。
菜めし屋の裏では弓弦斎が闇に身を潜め茂吉を待っていた。
茂吉ががっくり肩を落として現れる。
しばらく二人は動かなかった。
「 ……だんななら、五十の半ばまわったばっかりのだんななら、まだまだ大丈夫だと思ったんだ」
弓弦斎は漆黒の闇の中から、濃紺の作務衣のような服装と同色のほうかむりしていた手ぬぐいを外して手に持ち現れる。
「うん、わかるよ」
「毎日毎日歩き回ってたし、身体こそ小さかったが腕っぷしも、剣術のほうだって腕もまだまだ達者だったし……」
「 ……うん」
「だから、だから俺らぁ……」
「それで、 ……その、だんなは満足してくれたのかい?」
「それは……、それが……」
「そうか、聞いてない、……じゃないな、聞く前か」
茂吉は黙ってうなずく。
「どうする、茂吉っぁん。ここまで来たら一番近くで見ていたお前さん次第だ」
茂吉は苦しそうな顔をして下を向く。
しばらく茂吉はそのまま考え込んだが、
「すまねぇ先生。もう少し、だんなを寺まで連れて行く間だけ、時間くれねぇか」
「わかったよ、茂吉さん。……だが、どっちに転ぶにしても、無理はだめだよ」
そう言って弓弦斎は足音も無く、そのまま闇に溶け込むように消えた。
店の奥とは言え、一刻も早くだんなを運び出さなければ菜めし屋に迷惑がかかる。
だが、もう茂吉がだんなを背負って歩く、気力も体力も残っていなかった。
そこは弓弦斎が気を利かせ、菜めし屋の近所の若い衆に頼み、だんなを戸板に載せて運ぶ手はずを整えていた。
廃寺に着くまで茂吉はずっと下を向いたまま一言もしゃべらなかった。
廃寺は、寺と言っても荒くれどもが暮らしていたため、それなりの装備品はすべて売り払われて何もなかった。
それを知っていたのか、菜めし屋の主人が気を利かせ、線香を一束磐城のだんなのふところに入れてくれた。
弓弦斎が用意してくれたのだろう、欠け茶碗に火鉢の灰を入れたものがある。
そこに茂吉は線香を立てた。
ろうそくの炎がゆれる。
弓弦斎が入ってきた。
「茂吉っぁん、どっち取った?」
「だんながどっちを望んだのか、本心は今となってはわからねぇ。……だが俺は」
「うん」
「だんなの意思を通させてやりてぇ……」
茂吉は嘘をついた。
「そうかい。よし、わかった。それなら祝い直さないが、……いいんだね?」
前述の通り呪いの儀式を正式に行う場合、たいていはかなり煩雑である。
そのややこしい作業に没頭することで、本来の相手を呪う気持ち、それを忘れてしまうことがある。
要するに、
『人間は二つの大変なことを同時進行させるのは難しい。そのためには、非常に厄介であったり、非常に困難である儀式を行うことによって、本来のあるはずだった、相手を呪ったり恨んだりするマイナスの気持ちを、もっと強力(に見える)なマイナス行為によって達成感を得ることで本末転倒させてしまう。 ……ということによって、気持ちが治まる』ということも期待できるのである。
呪い・呪詛の儀式が複雑なのは、そういう側面を多分に持ち合わせているからである。
また、そうして人を呪う気持ちが失せた場合には『祝い直し』という儀式で『もう相手を恨む気持ちもなくなりました』と、呪いを行った人間に再確認させながら説明付きで行えば、呪い自体、要するに、呪う気持ちも行為もなかったことに、便宜上出来るのである。
(娘さんを失っただんなの無念は、独り身の俺には計り知れねぇ。だが、あのだんなのあの顔、雨の日に出会ったあの顔。 ……あれは俺にだって、どういうことだかわかる)
茂吉はそう考え、そして、
(呪った相手はだんながかばってくれてなきゃ、俺に縄を掛けた野郎だ。 ……だったら俺が気に病むことは何ひとつねえ……)そういう茂吉自身の思い、考えで結論を出してしまった。
本当は、磐城のだんなが倒れて茂吉に背負われ、気を失う寸前に、
「ありがとよ、茂吉。だからもういいぜ……、もう充分だ。 ……もう誰も恨んじゃいねぇ。 ……天美にも恨んじゃないって伝えてくれ。本当にありがとうな、茂吉、 ……ありがとうな」そう言ったのを、茂吉はハッキリ聞いている。
だんなは最後の瞬間まで優しかった。
そのだんなを失う悲しさや寂しさから、自分とだんなの間柄を固く結びつけたかった。
呪いの成就。
それがあれば磐城のだんなが死んでも、茂吉はだんなと自分との関係が途切れない、という、寂しい男の切ない気持ちであった。
こうして茂吉は『呪いの続行』を自らの意志だけで決断してしまった。
しかもこの時弓弦斎は、
「茂吉っぁん、どっち取った?」と聞いた。
これは磐城のだんなの遺志を聞いたのではなく、茂吉の決断を弓弦斎は問うている。
拝み屋としての弓弦斎の眼は鋭かった。
「わかった、茂吉っぁん。それじゃあ私に今後の始末その他諸々は任せてもらえるかい?」
「先生、それはいくらなんでも申し訳ねぇ…」
「茂吉さんは今から亡くなった方のご家族に知らせに行ったりだとか、なかなか大変だろ。だから気にしないで私に任せてくれないか?」
「申し訳ねぇこって」
茂吉が正座し直し、手をつき深々と頭を下げて丁寧に礼を言う。
そして茂吉は磐城の家に向かう。
だが、最愛の一人娘を失いその一週間後に連れ合いを亡くした磐城のだんなの奥方様に、茂吉はどんな顔をして会えば良いのか、わからなくなる。
元はと言えば、心身共に疲れ果てていただんなに、数日間あまり眠らず作業をさせたのが自分であることなども、茂吉の足を重くさせている要因であった。
だんなの家を訪ねたことは一度もなく、初めて訪ねるのがだんなの訃報を伝えるためとは、いくら与太者で通っている茂吉でも躊躇していた。
そして茂吉が、だんなの暮す組屋敷そばの番屋に顔を出して、取り次いでもらう時、
「恐れ入りやす。磐城のだんなの……」そこまで言った時に当番の同心の顔色が変わる。
「何か知っているのか磐城さんのこと?」
茂吉はそう言われて咄嗟に、
(これはマズイ) と思った。
「 ……磐城のだんなのところに出入りされていた親分さんは、えっとぉ……、ど忘れしちまった」
「ん? それなら辰さんかい?」
「そうそう、そうです、その辰親分はこちらには……」
「辰さんならさっきここを通ったぞ。ほれ、あそこの角の小間物卸の看板あげた家だけまだ戸板はめてねぇだろ」
「本当だ。あいすみません、では直接行ってまいります」
「おう、足元は暗いから、お気を付けなすって」
茂吉はこの時、
(あの天美ってお侍もこれくらいの愛想がありゃぁな) 気まずさを紛らわせるためかそう思った。
そして茂吉は、その当時岡っ引きをしていた辰親分に、磐城のだんなの訃報を伝える。
だが、死に至る前の話は何もしなかった。
そして辰親分のはからいで番所に通さず、まずは茂吉の案内で下っ引き二名と四人で廃寺に出向く。
廃寺に着くまで茂吉は終始無言であった。
親分達と廃寺に着いて茂吉は驚いた。
弓弦斎が枕元にいて、弔い用のろうそくまで持参して線香を絶やさずいてくれたのだ。
そして、
「これは故人の遺志でございます」弓弦斎は磐城のだんなの胸で組まれた手の下にあった書き付け二枚を取り出し、それを親分に手渡す。
親分がうす暗い部屋の中でろうそくの炎に懐紙をかざし黙読する。
「これを、磐城のだんなが?」
弓弦斎が黙ってうなずく。
「う~む、いや、どういうことなのか全くわからねぇが、だんなのご遺志はわかった。それまでは俺の胸にとどめ、そして時が来れば、奥方様に伝えればいいんだな?」
そう言って親分は紙入れに懐紙をしまう。
「お役目外ですのに、お疲れ様でございました」
弓弦斎は深々と頭を下げた。
こうして磐城のだんなの無言の帰宅を見送った茂吉は、あらためて弓弦斎に聞く。
「先生、親分が妙なことを言ってましたが……」
「やっぱり気づきましたか?」
「だんなが紙に書いたのは自分の思いだけで、段取りどころかあとは何にも書いてねぇはずだ」
「うん、だから、私がなんとかしました」
さらっと言う弓弦斎に茂吉は驚いた。
「それじゃぁ……」
「言ったでしょ、あとの始末は私がしますって」
「確かにそういうお願いはしましたが、死人に筆握らせても字は書けねぇ。先生どうやって?」
「私の今の生業はなにかご存知でしょ、茂吉さん」
そう言って弓弦斎は、不謹慎にならぬようほんの少しだけ口元で笑った。
そして時は過ぎ、天美 圭吾の娘が亡くなった日、磐城のだんなのお引き合わせだろうか、偶然茂吉は辰親分と邂逅する。
そこで天美 圭吾の娘が亡くなったことを知り、そのことを、自分のしたことの確認のつもりで出向いてきた。
そしてこの時、茂吉は天美 圭吾の前で激しく後悔していた。
*
「これが私から数えて六代前の天美 圭吾という人が書き残した日記に書かれていたことなんだけど、…以前角成クンがここに来た時、おばあさんに全部話したんだが、覚えてませんよねぇ、何年も前のことだし」
「はぁ、まぁ。ほんの少し覚えているところもありましたけど、ほとんどは……」
角成は正直に答える。
「そこで相談なんですが……」
「はい」
「まだ解けてないみたいなんですよ、その呪いが」
「キッ、キメラの呪いってやつがですか?」
木地師はひどく辛そうにうなずく。
「実は角成クンのおばあさん、葛葉さんになんとかしてもらったんですが、それがどうやらまたぞろ復活したようでして……」
角成は背すじに冷や水をかぶせられたようにぞくぞくした。
「私は呪いって『七代祟る』っていうから私の息子の代で終わりだと思ったんですよ。ですが……」
角成は黙って相槌をうつ。
「息子が結婚した相手の名前が、偶然秋恵さんで、その秋恵さんが産んだ女の子を、秋恵さんのご両親が、偶然かえでと名付けたり……」
木地師さんが湯飲みを見つめる。
「大丈夫と思ったんですよ……。八代目なら祟らないと、……何の根拠もなく思い込んで。 ……いや、そう思いたかった、信じたかったんでしょうな」
「あのぉ、すいません。 ……非常に聞きづらいことなんですが……」
「どうぞ、何でも」
「今まで、天美 圭吾さんから何代かこっちで、その呪いでお亡くなりになった方は……」
「それは、 ……直系で産まれた女性は、……一人を除き全員です」
「ぜっ、全員? でも一人は大丈夫だったんですよね?」
「実は一人だけ養女に行ったか何かで、その人の後のことはよくわかってないんですよ。養父さん達に気を使って何も書いてないのか、それとも何かの理由で疎遠になっただけなのか……」
「そうですか……」
「そういう訳で直系はほぼ全員、四人全員が、 ……皆、満十二歳で……」
重い空気が垂れ込める。
そこに食後のコーヒーを盆に載せて女性が現れる。
「この人が今言ってた秋恵さん。かえでのお母さん」
「角成さんお久しぶりです。覚えてます?」
長い黒髪を少し低目の位置で一つに束ねた背筋のピシッと伸びた女性が、角成の顔を覗き込むようにして言う。
角成の脳裏に突然記憶がフラッシュバックする。
「 ……その時は角成サン、よろしくお願いします。かえでを、かえでの命を助けてあげて下さいね」
「あっ!」
角成はその前後を思い出した。
「どうしても探せなかったんですよ、申し訳ございません」
「いえいえ、お手をおあげ下さい。こちらこそありがとうございます」
「でも、私の力の半分をお孫さんに、かえでさんに受け取ってもらいましたから」
「えっ? いや、そんなことして大丈夫なんですか?」
「ええ、本来なら私の力全てをかえでさんにお渡しするのがいいんですけど、大神様はご自分で次の行く先をお決めになってますから……」
そう言って葛葉おばあちゃんは、角成の頭をそっと撫でる。
その角成の横で一緒におやつを食べていた少女が角成をくすぐり、二人が大声で笑い合う。
あまりに大きな声で長時間笑ったものだから、角成は咳き込んでしまった。
葛葉おばあちゃんが角成の背中をさすり、そこに秋恵お母さんがマグカップを持って来て、
「角成サン大丈夫? はい、落ち着いたらこれ飲んで」
そう言って渡されたのが、甘いレモンティーだった。
(思い出した! 僕がこの時からレモンティー好きになったんだ)
「熱かったらふーふーしたげよっか?」
少女もさすがに心配になったらく、横から覗き込みながら言う。
「これでかえでちゃんは大丈夫、 だと思うんですが……」
「思うとは?」
角成のカップをふーふーする孫の横で、木地師さんが訝しげに聞く。
「やっぱり呪物から遡って直接キメラを取り除くのが最良の呪いを解く方法なんですけど、私が今出来る限りの手を尽くしても探し出せなかったものですから、全く別の方法をですね……」
「どういうことなのか、素人の私にはサッパリ……」
「ええと、簡単に言いますと、呪いを解くのにベストの方法が取れなかったので、二番目に良い方法をとった、ということなんです」
「 ……はぁ」
「一番良い方法は、呪った本人の誤解を解くこと、……なんですけど、それは昔の話だからほぼ不可能なので、せめて呪物を探し出して解除のための儀式を行う、これらを例えると『爆弾の起爆装置解除』とでも言うのでしょうか? そうすることでこっちに攻撃が絶対にこなくなる」
「なるほど。 ……でも、それが出来なかった」
「そうです。だから、こっちの防御方法を変更したんです」
「それが今回かえでに行って下さった?」
「そうです。あれでかえでちゃんは向こうから見えなくなります」
「ほぉ、ステルスっちゅうやつですか?」
「はい」
「そりゃぁ向こうが攻撃しようとしても攻撃対象が見つからないということは、防御法としてはかなり有効でしょうな、これで攻撃する側がこの子を、かえでを見つけられずにいたら、それで呪いから逃げ切れる可能性も出る訳でしょ? だったら、本当にありがとう、葛葉さん。いや、破魔子さん」
葛葉おばあちゃんが天美さんに自分の本当の名前を言ったのには訳があった。
葛葉おばあちゃんは、この時半分をかえでに与えたと言ったが、本当は半分どころか八割から九割近くをかえでに与えた。
それを何のために使ったかというと、
かえでに強力な神様をまとわせたのである。
「朔日より月満つるまでのあひだ精進潔斎を行ひ……云々」と、儀式を終え、かえでを自宅に送り届けたのが、ちょうどこの時であった。
その間、葛葉おばあちゃんに万一のことがあった場合、角成の母、果子だけでなく、天美さんにも呼び戻してもらえるように、おばあちゃんは破魔子という名前を明かしていた。
それは葛葉おばあちゃんの身に危険が伴うほどの儀式だったことを意味する。
そしてそれを、準備を含め一ヶ月近くの間、かえでは「寂しい」とも「帰りたい」とも一言たりとも弱音を吐かず、小さな身体で頑張りぬいた。
その間も、空いた時間には角成がかえでの相手をしたり、夜は同じ寝床で絵本を読みあって眠ったり、と、本当に二人は仲良く過ごしていた。
だが、かえでの頑張りがあっても、血の業だけはどうしようもない。
葛葉おばあちゃんもそれを痛感するが『なんとしてもかえでの頑張りに報いたい』ということから、自分の力の大半でかえでを守る神、美しく黄金に輝く「隼神」に託したのであった。
これでかえでは終始神様から守られる、そのはずであった。
「本当は物凄く強い神様なんですが、あくまでそれは攻撃した場合のこと。本当の意味での魂の融合のようなことがないとそういう行為は難しいんで、とにかく防御一辺倒に徹して頂くようお願いしました」
「そんな強力な神様をこんな小さな子に授けて大丈夫なんですか?」
「それは大丈夫です。隼神様の攻撃がかえでちゃんに向かうことは絶対ありえません。本当によい神様ですから、それはご安心下さい」
「そうですか、それはよかった」
「それと、かえでちゃんがもう少し制御できるようになってくれると、今より状況も変わります」
「それはどういうことで?」
「かえでちゃんが後天的に力を上げてくれれば、状況はもっと好転します」
「そうですか。ちょっと嫌な事を聞きますが、状況が悪化する可能性は?」
「ゼロではありませんがあります。あっちが何かの拍子にパワーアップするか、こっちがパワーダウンするか」
「呪いがパワーアップ?」
「それは今後起こるかもしれないという、いわば予測不可能というか、不確定要素というか、現段階ではどうしようもありません」
「なるほど、それよりもかえでが心がけ良く生きて、神様と仲良くした方が良いと」
「かえでちゃんはこんなにいい子ですから、そのへんは大丈夫です」
「ふ~む、そういうもんなんですか。私には全く見えない聞こえないから検証しようがないけど、汐ノ宮さんのお人柄を私は信じますんで、言うことも信じます。そして、みんなしてかえでをいい子に育てます」
「ありがとうございます、そうしてあげて下さい。そしてこれが、今現在の私の精一杯なんです。天美さん本当にごめんなさい」
葛葉おばあちゃんは幼い角成が不安になるくらい、すまなさそうに謝った。
「いえいえ、なにかあってもこれ以上はこの子、いいや、これは我が一族にまつわる運命。汐ノ宮さんにはいくら感謝しても足りないくらいだ」
「それと、私の力はもうほとんど残っていませんが……、まさかの時には」
「その時は、……」
角成にかえでの母、秋恵が近づき、
「 ……その時は角成サン、よろしくお願いします。かえでを、かえでの命を助けてあげて下さいね」
この時の言葉だった。
そして、その約束を果たす時が来た。
角成は葛葉おばあちゃんの書き残したノートをあまりちゃんと読んでいなかったが、どういうわけかそのあたりの記述だけは軽く目を通していた。
角成は確認のために母に電話をし、お仏壇からノートを出し、該当部分を複合機でコピーし、ファックスで天美さんのところと玄宗邸に大至急送る、ということを、天美さんから話を聞く間にしてもらった。
そのファックスによると、天美さんから詳細を聞いた葛葉おばあちゃんは、まず天美 圭吾の日記を借りて帰り、内容を繰り返しよく読んだ。
そして必要事項を書き出した後、即行動に移した。
まずは日記に書かれた場所の特定から。
天美と磐城が同心時代に暮した長屋は、今では大きな病院の駐車場になっている。
その後少し苦労したが、廃寺も、幕末の古地図が、現地の図書館に寄贈されていたので、それを頼りに現在の地図と照らし合わせ、そこもほぼ確定した。
残るは、儀式を行った海岸。
その記述に関しても、ハッキリ書き残されていたのだが、なんと言っても海岸は広い。
そこからピンポイントに儀式を行った場所を探し、そして、呪物の一かけらでも良いので探すことが出来れば、それで呪いを解除することが出来る。
だがいくら探しても、葛葉おばあちゃんにはその場所と、呪物のありかはわからなかった。
もちろん、探し物を大の得意とする大神様の力を借りてである。
天美 圭吾の日記の後半に書いてあること、呪いのを解除するために、茂吉も責任を感じてかなり尽力してくれた、らしい。
だが、天美 圭吾の日記に、場所の記述はなかった。
それほど特別な場所、という意識がなかったからこそ、わざわざ書かなかったのだろうか。
それとも茂吉が何らかのショックか何かで忘れてしまったのか。
今となっては理由を知るすべもなく、そして儀式が行われた場所は依然不明のままだった。
そして葛葉おばあちゃんは別の方法を模索する。
この業界、というのか、拝み屋というのは昔から、一部の例外を除いてあまり徒党を組む者はいない。
なので、横のつながりというものをほとんど持たない。
だが、葛葉おばあちゃんは元々そういう地域の出身である。
その地域的なつてを最大限頼り、強力な『結界作成方法』を調べ上げる。
相手はキッチリ干支一巡で人を殺すような強力なモノである。
生半可な結界では逆効果であろう。
そういった観点から葛葉おばあちゃんは『攻撃は最大の防御である』ということに思い至り、実際攻撃とは少し違うが『神様を授ける』ことを思いつく。
だが、これがあまり良い思いつきではないことも、葛葉おばあちゃんは知っていた。
誰でも彼でも神様持ちになれる訳ではない。
それなりの資質、要するに『血』がこの場合最も簡単な要素である。
生まれつき、というか、生まれ憑きというか……。
しかも、葛葉おばあちゃんは若い頃一度、神様を授ける儀式の失敗を見ている。
その時は人の生き死に関係した事例ではなかったらしいが、その後、神様を授けてもらうはずの人に色々なよろしくない存在的なモノが取り憑こうとしたそうだ。
どうもそういう儀式に失敗すると、霊的に恐ろしく不安定になるらしい。
その時は別に何も呪われていない人だったので、一定期間それなりの護符結界の所持だけ事なきを得た、ということらしい。
そして、その時儀式を取り仕切った陰陽師さんは、
「魔女の杖さえあれば……」と、嘆いたという。
失敗の要因は『魔女の杖』がなかったこと、その一点だけだったそうだ。
逆に言えば、魔女の杖さえあれば、その人に神様持ちの血を練り込むことができる、ということなのか、それとも、神様との絆を強固にできるのか。
はっきりとした理由はわからないが、魔女の杖があれば、希望の光が差すのかもしれない。
角成がここに来る前に、高速のパーキングエリアで玄宗さんから受けた電話で聞いた言葉、魔女の杖。
大神様は「そろそろかも」と言った。
角成は迷わなかった。
「僕が、……僕が必ず何とかします」
「こう聞いちゃ失礼かもしれんが、角成クン、なにかアテがあるんですか?」
「今はおばあちゃんが残した資料と、魔女の杖の手がかりがあれば、ひょっとして僕でもなんとかなるかもしれないんです」
「魔女の杖なら私も大捜索を掛けている最中でして」
「そっちは僕に有力なアテがありますんで、今から行って見つけ出して来ます」
「おおそうですか、それは心強い」
荷物をまとめる角成の背中に、
「去年までは、痣はあったけど大丈夫だったんです。なのに、この数ヶ月の間に物凄い勢いで進行が……」 天美さんが言った。
「干支一周と数年、それがおばあちゃんの残りの力の限界だったんでしょうか?」
「そうかもしれませんが、私にはそっち系のことは何もわかりません、ただ……」
「ただ?」
「もう一人、無関係な子にまで害が及ぶとは……」
「もっ、もう一人? もう一人って?」
「さっきの女の子、隣に住んでいる加津佐って子で、今年高校二年に上がったばっかりでね」
「えっ? あの子がかえでちゃんじゃ……」
「やっぱり角成クン勘違いしてたか。あの子はかえでじゃないんです」
「かーちゃん、って呼んでたので僕はてっきり」
「だが安心してくれ、かえではあの子と同じくらいかわいいから」
「だっ、あのぉ、でっ。はい、すいません」
角成は激しく照れながら謝る。
そして気を取り直し聞く。
「えぇっとキメラの呪い、でしたっけ? それが他人にも攻撃を始めたということは、どういうことなんですか?」
「そこなんですよ、私は素人なんでよくわからないんだけど、加津佐は私の家内の親戚なので、無関係だと思うんですが……。今まで直系にしか出なかったのに、今回は突然で……」
「それってひょっとして呪いのパワーアップ?」
「葛葉さんが言っていたそれに当たるのかも……」
「そうですか、そんなことが……」
マイナス情報に角成は沈痛な面持ちになる。
「それと、もう一つ、言ってないことが……」
角成は続きの言葉を聞きたくなかった。
いや、本当は恐怖で聞けなかった。
しかし、この恐怖は一種『扉』のようなもので、これを開かなければ何も始まらない。
だが、この扉をくぐってしまうともう後戻りはできない、戦場へと続く決意の扉。
葛葉おばあちゃんがてこずり、苦肉の策でしか対処できなかった、それほど大変なことがこの扉の向こうで待っている。
角成はその扉を堂々と開き、恐怖の世界に自らの意思で入る。
「なんでしょう? ひょっとしてかえでさんのことですか?」
「うむ……」
天美さんの顔が曇った後、苦しむように歪む。
「かえでは先月から入院していたんだが……」
「それほど状態が良くなかったんですか?」
「うん、実はそうなんだが……」
角成は次の言葉を待つ。
「そのかえでが姿を消した」
「えっ、でも携帯で連絡は?」
「携帯は病室に残ったままで書き置きも伝言もなく、いついなくなったのかも病院側はつかんでなかった……」
「 ……忽然と、ですか?」
「うん……、親しい看護婦さんに『魔女の杖探さなきゃ』って前日言ったらしく、手掛かりはそれくらい、……今もかえでからは何の連絡もない」
角成は黙って目を閉じる。
「天美さん、僕、何をしてでも加津佐さんとかえでさんを助けます」
目を開き角成は強くそう言い切った。
「やってみます」でも、
「最善を尽くします」でもなく、
「助けます」と言った。
この言葉は角成自身をも強くさせた。
「それと、まずはかえでさんをいち早く僕達が探し出します」
「僕達?」
「はい、僕と大神様と仲間たちで」
角成がそこまで言った時に角成のスマホが鳴った。
「はい、角成です」
「チュッ」
「その反応は般若さんですね」
「残念俺」
「うげっ、玄宗さん」
「そう、で、本題」
「はい」
「天美さんの件は破魔子さんからある程度聞いてた」
「そうだったんですか」
「うん、それで改めて天美 圭吾さんの日記とかの資料を原本で読み直したいんやけど、天美さんちで借りれそぅ?」
角成が天美さんに聞くと快諾してくれた。
「はい、大丈夫です」
「そっか、だったら二~三日もあれば色々わかるかも」
「それが玄宗さん、ちょっと急ぐんです」
「何か事情でもあんの?」
「はい、天美さんの親戚の娘さんとお孫さんのかえでさんの二人に呪いがかかってて、それプラス、かえでさんが昨日から突然行方不明に」
「呪いが二人に分散かぁ、……う~ん、それは破魔子さんから聞いてた非常事態に合致する。時間的余裕は全くないっちゅうことやね。よっしゃ、こっちも全て大至急で手配する」
「すいませんお願いします」
「じゃ、おって連絡するから携帯は電源入れといてや」
「はい、ありがとうございます」
そこで電話を切った。
天美さんが、平綴じで茶色く変色した日記らしきものがたくさん入ったダンボール製のみかん箱を持ってきた。
「結構な量だが、角成クン持って帰れる?」
「どれだけ量があっても持って行きます。この中に呪いを解く重要なヒントが書いてあるかもしれませんから」
そう言って角成はみかん箱を運ぶ。
その時、角成のスマホが鳴る。
「カクナリ、あんた高速の○○乗り口はそこからどれくらい?」
電話は若菜からだった。
「あっ若菜姉ちゃん、そこならえっとぉ……」
角成はここに来る時、同じ名前のところを降りたはずである。
だが、加津佐は角成に回り道をさせたと言っていた。
角成は天美さんに聞くと、十分くらいだという。
そのことを若菜に伝えると、
「よっしゃ、私もそのくらいに行けるから高速に乗ったところで待ち合わせでいい?」
「了解! で、なんのための待ち合わせ?」
「あんたから荷物、日記を受け取って届けてくれって、マイダーリンが」
「なるほど! ありがとう、若菜姉ちゃん!」
「じゃ、慰安旅行帰りのおみやげはその時に渡すわな」
「了解! えっ? 慰安旅行……」
角成は電話を切って天美さんに言う。
「僕の仲間は強くて頼りになる人達ばかりで、それに……」
「それに?」
「みんなすっごく優しいんです」
「そうか。それは頼もしく、そして……」
「そして?」
「……羨ましい限りだ」
天美さんの笑顔も優しかった。
角成が単車に荷物をくくり付けていると、
「かえではここの裏山に自分でフィールドアスレチックみたいなの作りましてね、それで毎日、雨の日も風の日も雪の日も、毎日毎日身体を鍛えてました」
「そうなんですか」
「ロープを腕だけで登ったりとかもしてましたから、お陰さまでものすごい体力で……」
「だったら、かえでさんも強いんでしょうね」
「ええ、かなり。……本当に、……本当にあの呪いさえなければ……」
角成は一瞬返答に困ったが、
「……はい、呪いさえなければいいんです。天美さんの八代続いた……、僕と葛葉おばあちゃんの三代で吹き飛ばします」そう明るく言った。
天美さんは力強く頷くだけで何も言わなかった。
実際は、何か喋ると涙が流れそうなので、必死にこらえていた。
当然のことだが、天美さんはかえでのことが心配でしかたない。
だがそのことを必死に悟られまいと、角成の前で妙におどけたりしていた。
そして今、天美さんの張り詰めた神経の糸が、きしむような音を立てそうなのを、唇を噛んでこらえていた。
角成が荷造りを終えて単車のエンジンを掛けた時、かえでの母、秋恵が走って来た。
「角成サン、これこれ、お忘れ物」
そう言って純白の半紙に包まれたものを差し出す。
「お義父さんが角成サンのために作ってくれた、お箸」
そのお箸を包んだ半紙に小さな文字で、
『加津佐ちゃんとかえでのこと どうかよろしく』そう書かれてあった。
角成はヘルメットごと深く頭を下げて受け取り、それを革のジャンバーの内ポケットにそっと大切に仕舞い込んだ。
角成がかえで用のヘルメットを借りて、エンジンを始動させる。
そして、大神様の案内で、角成は魔女の杖を探しに向かう。
第一章 第三節 キメラ飛翔の行方 終
第二章 魔女の杖
第一節 攻防も筆もあやまり
に続きます。




