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ソウル ロンダリング2(裏導師) 饒舌な鏡 ~南大阪御伽草子~(仮)  作者: 富田林 浩二
第五章 饒舌な鏡

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第五章 饒舌な鏡 第一節 饒舌な鏡


 角成が電話を切り、病院のパンフレットを撮影して篤義さんに送ると、ほっとして緊張が解けたのか、

「おトイレ、おトイレ……」そう言って処置室近くのトイレに向かう。

 般若さんが前から歩いて来て、ハンカチを渡してくれた。

 角成が手をよく洗い、顔を上げると自分の顔が鏡に映る。

「かえでちゃん、どぉ、調子は? なんか違うなぁ、かえでちゃん、どこか痛いとこ……、これも違う……、う~ん……」

 そこまで言った時、

[なんか気持ち悪っ。かっくんもっとカッコつけてみて]大神様が角成の心に話しかけた。

「大神様、戻ってたんですか?」

[海岸でかえでに魚と鳥吐き出させた後に、身体中見て回って確認したあとすぐ戻った。おキツネ様母子だけまだ戻ってなかったけど、玄ちゃんに何かあった?]

「はい、脱水らしいです」

[そうかぁ、無理したんやろねぇ。……今回、多分やけど、玄ちゃんおらんかったら、誰一人助からんかった、と私思う。今やから言うけど、私と隼神様は、かっくんらが失敗したら、私らの最期の力使って、キメラだけ引っぺがして一緒に地獄行くつもりやった。しかも、もうお別れの言葉も考えてたくらいヤバかったんよ]

「そうだったんですか……」

[ところが、あの場面で、カイツブリの神様っていう強力な援軍送ってくれるとか、ほんまにスゴかったわ]

「そんなにカイツブリの神様すごかったんですか?」

[あの親子、キメラ分離した後も、水中と空中に逃がせへんように独自の結界張ってくれてたみたいで、結局キメラ、……小魚と鳥の雛の姿のまんま、どこにも逃げられへんかったから、そのままの形で、そっちの世界に放逐できたんよ]

「それってスゴイですよね」

[うん、……もしも取り逃がして、ほとぼり冷めて自分らで合体したら、……次は魔女の杖無しであいつら追い出さなあかんかった。……そうなってたら、たぶん、難しかったやろね]

「え~っ、そんなにぃ……」

[それから、それに加えておキツネ様介して直接エネルギー送るとか、限界超えてたかえでが何とか持ちこたえることができた、それも、玄ちゃんのおかげやよ]

「そうですかぁ。……よかった。……ところで大神様、どこか痛いとことかないですか?」

[あるけど、玄ちゃんが助けてくれたから、だいぶマシよ]

「何か必要なこととかあったら言ってください」

[無理やと思う]

「言ってみないとわからないじゃないですか」

[んじゃぁ、かっくんこの後処置室戻ったら、点滴にドッグフード混ぜてもろて]

「確実に僕の健康を害しますね、それ。……WHO的な意味全てにおいて」

[ほら、アカンやろ。……って冗談やよ。じゃぁ、この世に伝わるすべての仏教のお経を写経それぞれ一万回と、全ての祝詞を一万回……]

「いやです、そんな何回も生まれ変わらないとできないこと」

[冗談よ。んじゃぁ、玄ちゃんちに戻ったらぁ……]

 そこまで言った時、静太が男子トイレに入って来て、

「廊下までなんかボソボソ聞こえてんぞ。鏡の前で独り言って……」と、用をたしながら話しかけて来た。

「あれっ、静太さん戻って来たんですか?」

「車の鍵渡すの忘れてたんで持って来た。それと、あの白いかわいい猫、あの子の面倒見てもらうために、般若さん連れて帰るわ。……って、そんな事より、鏡に向かって会話してたってことは、お前んとこも神様帰って来たの?」

「はい、大神様帰ってきました」

「ということは、彼女たちの呪いの解除は終了、か……」

「はい、大神様が『かえでちゃんと加津佐さんの、魂の内側のどこにもいないのを確認した』って、そう言ってました」

「そっか、良かったな」

 静太が素直にそう言った。

「しかし、鏡の前でよく喋ってたけど、お前の神様ってそんなにおしゃべりなの?」

「はい、大神様すごく話し好きです。静太さんのふくろうの神様は喋らないんですか?」

「うちは無口。ぜんぜん話したことない。お前、河内みたいにもっと話ができてたら……、こんなにひねくれずに済んだかもな……」

 角成は失礼なことしか頭に浮かばなかったので、何も言わなかった。

「河内が本当に羨ましいよ。いい仲間がいて、良い許婚もいて、そんなおしゃべりな鏡まで持ってるなんて」

「鏡は喋りませんよ、白雪姫のお妃さまじゃあるまいし」

 角成のこの言葉に、

「おい河内~、その返しだと俺がスベったみたいじゃねぇかよぉ~」静太が横に来て手を洗いながら、笑って言い、

「あっ、すいません……」角成が謝った。

[かっくん、静太にちょっと言わせて……]

「静太さん、うちの話し好きの大神様が何か言いたいそうです」

 角成が手を拭きながら言った。

[キメラが分離される時、アイツ苦し紛れに静太にとり憑こうとしよって、その時ふくろうの神様を、おキツネ様とカイツブリの両母神様と宇賀神様が、攻撃をやり返されへんかったから、盾になって守り通してくれたんよ。その後も消される前、何とかこの世に姿残そうとして、アンタが送ったパワーの残り使って、小魚と鳥の雛に化けて、またほとぼり冷めたら自分らで融合・復活するつもりやったんやろうけど、それを、隼の神様がキメラの体内に風切り羽根打ち込んでくれてたんと、カイツブリの神様たちが結界張ってくれて、それに、おキツネ母さんが追い込んでくれたおかげで、かえでの身体に負担かかってもたけど、なんとかかえでの体外に排出させた。そんな経緯で、……あんたが死ぬより苦しい思いする前に何とかできたこと、……色々な神様に感謝しいや。……それと、……あんたのご先祖がスゴかったから、悪用防止のためにトラップ仕掛けて、それにあんたがまんまと嵌って、そのせいで、かえでと加津佐が死にかけて、あんたも危ないめに逢いかけた。その事を踏まえて、これからは、突き進む前に少しだけ立ち止まりや]

 横で鏡越しに目が合った静太が、口をポカンと開けたまま目を見開いている。

「その表情はひょっとして、大神様の言葉、聞こえました?」

「あっ、あぁ、……うん」

 こちら側の角成の口は動いていないのに、鏡の中の角成の口が、大神様の言葉の通り動き、静太にも大神様の声が聞こえていた。

「良かったぁ。あんな長ゼリフ、僕、覚えられませんって。とにかく、大神様、おキツネ様宇賀神様、隼神様、カイツブリの神様、ふくろうの神様、皆様ありがとうございました」

 鏡を見つめて手を洗うことも忘れ、水を無駄に出しっぱなしにしている静太を残し、角成はトイレから、

「ハイホー、ハイホー……」と歌いながら処置室に向かった。


 処置室に戻り、玄宗さんとかえでの様子を見たが、二人とも先ほどと全く変わらない姿勢でよく眠っていた。

 角成は朝まで寝ずに、かえでの横で座っているつもりだったが、急激に疲労感に襲われ、隣のベッドで横になる。

 角成は瞬時に眠りに落ちた。



 角成は夢を見ていました。

 街灯もない暗い夜道。

 舗装されていない土の道を、角成は提灯を持ち一人歩く。

 そこに少し離れたところから、もう一つ足音が重なる。

(誰だろう?)

 角成が振り返るが誰もいない。

 角成がまた歩き出す。

 左側に誰かいる。

 角成がそちらを向き、失礼のないよう気を付けながら、提灯を少しその人の方に傾ける。

「よう、あんたが、かくさんだったんだね」

 横に懐手で並んで歩いていたのは、磐城のだんなだった。

 角成が何を言って良いかわからず、控え目に頭を下げた。

「どうだい、首尾は? うまくいったかい?」

「はい、おかげさまで……」

 そこまで言って、角成が口ごもる。

 磐城のおやじさんが、結果的にだが『命がけ』で行った儀式。

 それを、角成たちはキメラを鳥と魚に分離し、そして葬った。

 その事を磐城のだんなはどう思うだろうか。

「磐城さん、ごめんなさい。キメラの呪い。僕たちが解きました」

「おう、そうか、解けたか。そらぁ良かった。なぁに、気にするこったねぇ。俺がやったことは、お天道様には内緒の事。ただただ、かえでのことを、……悲しさを紛らわすためにしたことだ。その後誰がどうしようが、もう俺には何のかかわりもないさ。……だから、謝ることも、気に病むことも、何もいらねぇよ」

 磐城のだんなの声音は優しかった。

「それとなぁ、お前さんにはお礼を言いたかったんだ」

「えっ? なんですか?」

「俺の最期のとき『天美 圭吾です』って言ってくれただろ、あれさ」

「あっ、はい……」

 角成は、なぜお礼を言われるのか、わからなかった。

「かくさんは、歳はいくつか若いが、背格好やら顔かたち、それに声まで圭吾によく似てるんだ。その声と姿で、俺の最期を看取ってくれた。その心遣いがありがたかった。……天美の親父さんから代替わりして、それからずっと一緒に歩いて回った間柄だ。あの気持ちの優しい圭吾が、あいつが看取ってくれたのなら、何よりありがたいじゃねぇか」

 それなりの経緯があったのだから、隣組の組内でもそれなりに天美家と磐城家のいわくを、皆が知っていたはずである。

 なので、磐城のだんなとかえでの通夜葬儀に、天美 圭吾が顔を出したとは考えにくい。

 だからこそ、と考えると、角成は、

「はい」と、一つ頷くしかできなかった。

「それと、かくさんよ……」

「はい……」

「本当ならかえでが焙じて淹れた、旨いほうじ茶の一つも飲んでってもらいてぇところだが、生憎そうもいかねえ、勘弁してくれな」

 磐城のだんなは優しく微笑んだ。

 角成は『茂吉さんが、磐城のだんなの力になりたかった』という気持ちが、わかった気がした。

 角成がつられて微笑むと、

「それじゃぁ、かくさん、本当に、……感謝してるぜ」

 そう言って、夜の闇に溶け込むように、磐城のだんなが消えて行った。


「あっ、ちょっと待ってください、……まだちゃんとお礼が、それと、かえでさん……」

 角成がそう言って体を起こすと、

「はいはい、あら、起こしちゃった?」と、新庄 楓さんが言った。

 角成があたふたどぎまぎしていると、

「さっき、あなたのお友達? って言ってた女性が、それ置いてったわよ」

 新庄 楓さんはベッドの枕元を指して、角成の体温を測り、隣のかえでのベッドに行った。

 ベッドの枕元に500㎖のペットボトルが置いてあり『目が覚めたらこれを飲め』と、貼った付箋の端っこに、丸の中に『わ』と一文字書いてあった。

 たぶん、若菜が貼ったであろう付箋を外し、ラベルを見ると『ほうじ茶』と書かれていた。

 喉が渇いていた角成が、ありがたくペットボトルの蓋をゆっくりと開け、一口飲む。

「かえでさんありがとう、本当においしいお茶です」

 角成が思わず声に出していった。

「あら、ありがとう。でもそれ、買って来たのはさっき言ったみたいに、私じゃないのよ」

 新庄 楓さんは隣のベッド付近から、声だけで嬉しそうに言った。

 角成は、

「そうでしたね、ハハハ、寝ぼけててすいません』と、嬉しそうに言った後、ベッド上で正座し、誰にともなく神妙な顔で深く手を合わせた。



 令和七年 五月十一日(日曜日)


 朝が来て、病院内にも静かだが活気が宿り始める。

 角成たちがいるのは静かな病室ではなく、救急搬送患者が診てもらったり処置してもらうところなので、日曜といえどそれなりの人の動きはあった。

 角成は平熱になったので、入院加療の必要はなく、そのまま会計を済ませれば帰れるのだが、玄宗さんとかえではまだ眠ったままである。

 二人とも目が覚めなけれな、このまま入院になるらしい。

 角成の身代わりで念のため一晩仮病入院した若菜が、朝の入院病棟検診で、当然異常が無かったので、退院手続きと支払いを待ちながら、角成とそれらの事について話をしていた。

 角成は、

「あっ、若菜姉ちゃん、ほうじ茶ありがとう。おいしかった」と言った。

「えっ? あれ紅茶じゃなかったん? 私、あんたが好きなレモンティーのところから取ったのに、間違ってたの気ぃ付けへんかった」

 若菜はそう言って、レシートがほうじ茶になっているのを確認し、謝った。

「謝らんとって、若菜姉ちゃん。僕が一番飲みたかったのほうじ茶だったから」

 角成はそう言って、夢の話をした。

 若菜は角成の夢の内容を黙って聞き、

「私なぁ、角成の枕元にお茶置いた時『起きたこのレモンティー飲みや』って言うてんよ。恥ずかしいわ。せやから、私の声聞こえてたらその夢見てないと思う。……なんか、めっちゃ不思議な偶然っていうか、お導きじゃないけど、……なんかうまいことよう言わんけど、すごいな」と、少し気まずそうに嬉しそうに言った。

 外来受付に、天美 篤義さんが到着した。

 角成が廊下に出て、

「こちらです」と手を上げる。

 天美さんが速足で来て、

「ありがとう、本当にありがとう」と、両手でしっかりと握手した。

「かえでちゃん、まだ目が覚めなくって……」

「大丈夫、これでいい、これで。かえでは小さい頃から朝早くから起きて、トレーニングとか色々やっとったから、疲れてたんやろ。十何年分の寝不足取り戻してるだけやから、これでええんよ」

 そこに当直医師と看護師さんが、現状説明のために診察室に天美さんを案内した。

 かえでが入院していた病院から、かえでのデータを送ってもらい、それに照らし合わせて午前中に様々な検査と診察をするらしい。

 角成は明日学校があり、また、若菜は今日強引に有給休暇を取ったが、明日も休むのは難しいらしく、二人は午後から帰ることになった。

 玄宗さんは、

「検査に行きますよ」と看護師さんから声を掛けられた時に目を覚まし、歩いて検査エリアまで言った。

 玄宗さんは『倦怠感が取れない』と言って、もう一日入院することになった。

 病室まで一緒に行った角成が、脱水状態と聞いていたので体調を尋ねると、

「俺ってば良ぉ~く思い出してみたら、昼食が水分補給の最終やって、その時も、急いでたから水もお茶も飲まんと飛び出して、鹿児島の病院でも缶コーヒーもろたのに、口にしたのは結露をほんの少量、で、そのコーヒーもひとにあげたし、しかもその後は、速すぎる乗り物乗り継いで、空中から塩水に飛び込んだりで、俺緊張で喉乾いてるとばっかり思てた。今思たら、あれ、身体からのサインやったんやで、たぶん」と言った。

「たぶんじゃなくって、確実にそうでしょ」

 玄宗さんは、

「はっはっは」と笑った。

 角成は、玄宗さんが嘘を言った時の特徴、まつ毛の端がピクピク動く、のに気付いたが、どの部分が嘘なのか、疲れている人に聞くのもどうかと思ったので、何も言わなかった。

 そして、

「ほんまに疲れてるみたいやから、ちょっとゆっくりするわ。それとこの病院、検査で自分の足につまずいてコケそうになった時も、腕組んできたり肩貸してくれたりとか、一切無し。振り向いてチラ見だけ。みんなそうやって距離作って、そっとしといてくれるから居心地ええわぁ~」と、言った。

 その件に関しては、玄宗さんにまだおキツネ様が戻っていないことと関係がある、と角成は思ったが、

「そうですか……」とだけ言った。

 そして玄宗さんは、

「自分の事って、体調含め意外とわかってないからね」そう言って、六人部屋のベッドにごろりと横になった。

 角成が、

「玄宗さん、かえでちゃんのこと、何か心配事でもあるんですか?」なんとなく気になったので、そう聞いた。

 玄宗さんは、すぐに寝息を立てはじめたので、そっとふとんを掛けて病室を出た。


 角成が病室を出てロビーに行くと、若菜と般若さんが座って談笑しているのが見えた。

「あら、かっくん。右と左の手、と、肘の具合はいかが?」

「般若さんありがとう。そんなに気にならないです、ちょっと握ると痛いけど」

 角成が手をグーパーしながら言った。

「そっかぁ、大変やね。単車のブレーキとクラッチレバー握るの大変やろうから、玄ちゃんに返しに行ってもらう?」

「私の車で一緒に帰るやろ? あんた疲れてるんやから。ゆっくり寝て帰れるよ」

 若菜の言葉に、角成が自分の手のひらを見つめて、

「うん、ありがとう、短距離なら大丈夫だから、単車は自分で返しに行くよ。その後で、うちまで送ってくれる?」と、言った。

「それから、玄ちゃんどうやった?」

「玄宗さんは脱水だけみたいですけど、もう一日入院するって言って、さっきまで寝てたのに、また病室のベッドに倒れ込んでバタンキュー、って、すぐに寝ちゃいました」

「えっ! それって、玄ちゃん今までに何回かあったけど、完全にエネルギー切れるとそうなるねん。あかん、ちょっと行ってくる、どこ病棟の何号室?」

 角成が般若さんを病室まで案内する。

「玄ちゃん、何年か前にものすごい無茶して、一週間近く寝込んだことあったから……」

 様子を見た般若さんが、ナースステーションに急ぎ、点滴の追加をお願いした。

 すぐに医師が診てくれて脱水と発熱があったのと、般若さんの熱心な説明で、点滴で栄養もごく少量だが足してもらえるようになった。

「玄ちゃん、栄養も点滴してもらうよう頼んだよ」

 眠る玄宗さんに般若さんが言うと、

「おう、般若っちか、助かるわありがとう……」それだけ言って玄宗さんはまた眠った。

「私、玄ちゃんのこと気になるから、もうちょっとこっちにおるわ。それでかっくんにお願いがあって、あの白いにゃんこちゃん、一緒に連れて帰ってもらえると、あの子喜ぶと思う。かっくんが玄ちゃんちに行けるように、言うとくからお願い」

 般若さんはそう言って、柏原家に電話をした。

 若菜と般若さんが玄宗さんのところにもう少しいるということなので、角成はかえでのところに行く。

 病室は天美さんが泊まれるようにと、かえでは個室にいた。

 処置室にいた時と同じように、身体を丸めて横向きで眠っている。

 角成が天美さんに、

「どうですか?」と聞く。

「どこも全く異常は無し。前の病院の時に比べても、検査の数値は非常に良好。あとは、目覚めてくれるだけでいい……」

 天美さんはそう言って、静かにうなずき、

「私が言うのもアレなんやけど、なんか、ちょっと見ない間に、かえでがキレイになってるんだが、角成クンと会ったから、なのかな?」

 角成は照れがあって、答えに困り、

「え~~っとぉ、そうなんですか~?」とだけしか言えなかった。

 そして、角成が今日大阪に戻ることを伝え、LINE登録をして病室を後にする。

 若菜と病院を出て柏原家に寄り、色々と手を貸して、力になってくれたことのお礼を言った。

 しかも、昨日角成が海に飛び込んだ時に来ていた服は、全て娘さんが洗濯乾燥してくれていたので、角成は自分の服に着替えて帰ることにした。

 かえでと玄宗さんの服は、あとで病院に届けてくれるという。

 静太は何も言わず朝早くからいないそうで、若菜と角成が柏原夫妻に、更に何度もお礼を言い、末広湯を後にして帰路につく。

 レンタルバイクを返却後、帰りの車では若菜が『誰かと会話していないと寝てしまう』と、一方的に喋り、角成はずっと相槌を強制的に打たされ、結局一睡もできなかった。


 あたりが暗くなるなか、若菜の車で玄宗邸に行ってみたが、やはり入り口は何度通っても見当たらず、角成は若菜にスマホを預けて近くで降りて、徒歩で向かう。

 若菜の視線があるうちは、何度行き過ぎても雷薬局と風菓子舗はなく、角成は単車に付けていたタンクバッグを背負い、白い猫のケージを抱いたままうろうろした。

 若菜が諦めて帰り、角成と白い猫が無事玄宗邸に到着する。

 ダイニングには黒い猫とおきくさんがいた。

「おきくさん、黒にゃんこさん、ただいま戻りました」

 角成の言葉に、

「おかえりなさい、かっくん」

「にゃぁぁぁぁぁっ、フンッ!」

 とそれぞれが返事を返してくれて、大神様が角成の後ろに、そっと姿を現した。

 猫たちと大神様の食事の用意をし、後片付けを済ませた時、角成がフローリングの床に正座し、

「おきくさん、この度『も』本当にありがとうございました。おきくさんのおかげで、無事にキメラをあの世に送り届けました」と言った。

「ひょっとして、お箸手裏剣のこと? 私、何ぁ~んにもしてないよ。かっくんが私の名前呼んだから、今回もじっと見てただけ」

「やっぱり! 僕、なんとなくですけど、おきくさんの視線感じていました。心強かった~。おきくさんがこの家の裏で僕のこと操ってくれた、あの時のあの感じを思い出して、お箸投げました。だからうまくいったと。だから、おきくさんのおかげです。ありがとうございました」

 角成が手をついて頭を下げた。

「照れくさいからもういいよ、それよか、あんたの、……かっくんの相棒、何にも言わないけど、限界超えてるんじゃない?」

 その言葉を聞いて、

「やっぱりそうですよね。僕に何かできることはありますか?」と、おきくさんと大神様に言った。

 大神様は首をゆっくり振るだけで答えない。

 おきくさんが、

「かっくん、あんた、大神様抱きしめたことある?」

「言われてみれば、頭蓋骨は何度か勢いで抱き締めましたけど、この姿の大神様はないです」

「やめてよ、おきくさん。……なんか恥ずかしい」

 大神様が逃げようとする。

「やめない。かっくん、抱きしめてあげて」

 角成は大神様の正面に廻り、両手を広げる。

「大神様、かえでちゃんの魂を守ってくれて、本当に、本当にありがとう……」

 あとは言葉にならなかった。

 大神様は、角成の腕に安心したように顔を乗せた。

 普段はお喋りな大神様。

 おきくさんの前ではいつも無口だが、この時はいっそう無口だった。

 その後、おきくさんの指示で、いつも玄宗さんがいる殺風景な部屋に、ピラミッドの骨組みのような、金属製の四角錐のフレームを角成が組み、一緒に置いてあった方位磁針を使い東西南北を確かめて置き、大神様に中心に寝てもらう。

 角成はそこに、新品ではないが、きれいにアイロンのかかった白いシーツをかける。

「あとは、そっとしておいたげて。疲れてるみたいだから」

 角成が気付かなかったが、どこから現れたのか、白猫が大神様にもたれて丸くなり、一緒に眠る。

「お二人とも疲れましたよね、今回は本当にありがとうございました」

 角成はおふたりさんの寝息に向かって、そっと言った。

 角成が帰ろうとして廊下に出ると、

「かっくん、ちょっと投げてく?」と、おきくさんが言った。

「そうですね、いっちょいきますか」

 角成がそう言っておきくさんの案内で裏庭に向かう。

 角成が薄いベニヤ板を木に立てかける。

「分厚いコンパネじゃないの」

 おきくさんの問いに、

「確実に刺さって欲しいので」と角成が答える。

 角成が割ったお箸を一本持ち、精神統一して構える。

 角成が海岸の時と同じ要領で『今だ!』と思った時に全力で腕を振る。

 お箸は『ぺとっ』という情けない音でベニヤ板に当たり落ち、おきくさんが『プッ』と笑った。

「かっくん、本当に本番に強い、というか、本番以外は全く、っていうか……」

 おきくさんは、本当に愛おしそうに言った。

「それはそうと、さっきあっちの部屋で組んだピラミッドみたいなフレーム、あれって般若さんプロデュースか何かの回復アイテムですか?」

「あぁ、あれね。あれは玄ちゃんがどっかのアヤシイ海外通販で買った、未知のパワーを体内に取り込む画期的な『プラシーボ装置』って、私にだけ説明してくれた」

「何でおきくさんにだけなんですか?」

「私だけ効果感じられなかったから、玄宗ちゃんに聞いたの。そしたら『あれは効くって思い込まんと効果無いよ』って。だから私はだめだけど、あの子たちには絶大な効果があるみたい。だから黙っといてあげてね、あの子達には」

「そうなんですね。OKです。あのピラミッド、大神様の回復を助けてくれるものなら、僕は大歓迎です」

 角成は意地になり何度も投げたが、この日も順調に一本も刺さらなかった。



 令和七年 五月十二日(月曜日)


 この日角成は早起きして登校準備をし、先に玄宗邸に行って猫用と犬用の食事を用意した。

 大神様はピラミッドの中で眠ったままなので、食後の片付けは猫の食事のみし、一旦帰宅してから通学用リュックを背負い登校した。

 学校終わりにホームセンターへ寄り、少しお高い猫用と犬用の缶詰を買い、一旦家に帰り、リュックスマホを置いて玄宗邸に向かう。

 玄宗邸では、大神様は食事も摂らずそのまま眠っていた。

 大神様の食事を片付け、新たに皆の食事の用意をし、猫の食事の後片付けをし、この日もいつも通りお箸手裏剣は一本も刺さらず、角成は玄宗邸をあとにした。

 角成が帰宅後、スマホに般若さんから連絡が入る。

 内容は、玄宗さんの微熱が下がらないので、入院は当初一日ということだったが、熱が下がるまでに変更になったこと、と、かえではまだ眠ったまま起きていない、ということだった。



 令和七年 五月十二日(月曜日)


 この日は満月である。

 本来ならば思いを遂げた魂を送り出す日、なのだが……。

 少し不謹慎な話だが、気候の良い季節は、むし暑い季節や、特に寒い季節に比べると、死亡者数は少ない。

 この時も、待合室には誰一人待っていなかったので、送り出し業務は無く、玄宗邸の正面の門も閉じたままだった。



 令和七年 五月十六日(金曜日)


 この日も角成は朝早く起きて、玄宗邸で食事の用意と後片付けをした。

 大神様は前日まで、飲まず食わずでほとんど寝て過ごした。

 この日は朝から食事を摂り、またすぐにピラミッド内で寝てしまった。

 角成が学校で昼休みにスマホをチェックすると、般若さんから一件連絡が来ていた。

『玄ちゃん熱下がらずで、姫の目覚めは王子のくちづけが必要かも』

 角成は、

『行きます』とだけ返信した。

 早退するか角成は悩んだが、食事の用意が頭にあったので、授業終了してから自宅経由で玄宗邸に向かう。

 リビングにはおきくさんと共に、大神様がいた。

[行くの?]

 大神様が聞く。

「はい」

[わかった。玄ちゃん何か言うてた?]

「何も……。大神様には、何か心当たりでも?」

[無くはない。……私の心当たりは、静太の動向、と……」

「静太さん改心したように……。あっ、食事の用意しますね」

 角成がそう言って、猫用と犬用の食事の準備をする。

「あのね、かっくん、私たちの食事って、別に毎日じゃなくっても大丈夫よ」

 おきくさんが言った。

「えっ? じゃぁ、何日おきですか?」

「私たち存在的にアレじゃない。だから、ここでは食事も水分補給もそれなりで大丈夫なのよ」

「そうなんですか? でも、いつも般若さんがいるから、誰もいないと寂しいかな、……って、思って……」

「ありがとう、その気持ちと一緒に、今日も食事はおいしくいただいとくけど、何日メシ抜きでも、気にしないでいいわよ」

「ダメです。般若さんがいない時は、来れる範囲で僕か玄宗さんが来るべきです。……来ます!」

 角成はおきくさんに向かって、毅然と言った。

 おきくさんは、

「あんた、玄ちゃんと同んなじこと言うのね」と言った。

「そうなんですか! なんか嬉しいです」

「私たちは大丈夫だけど、かっくんが『寂しがり屋さん』なだけなんじゃないの?」

「そうかもしれません。ずっと孤独を感じなかったのは、若菜姉ちゃんや父さん母さんが気を使ってくれてたから。だから、僕が気を使える時に、使わせてください。そうすれば、僕も寂しくないし……」

「あらまぁ。……男の人って、寂しいと死んじゃうのかしらね……」

「大丈夫です。僕は慣れてますから」

 角成の答えを聞いて、おきくさんは、くすりと笑った。

「何か僕おかしな事言いました?」

「ごめんごめん、違うのよ。玄ちゃんに同じこと言った時、アイツね『寂しいと死ぬかも、俺うさぎ年生まれやから』って言ったのよ。その事思い出したら笑っちゃった。ごめんね」

「そうだったんですか、玄宗さんって、……いくつなんだろ? というより、食事の用意できてます。皆様お待たせいたしました~、お召し上がりくださ~い」

 そう言って角成は正座したまま皆の食事を見守った。

 食事も後片付けも終わった時、

[んじゃぁ、かっくん行こうか]と大神様が言い、すっ、と、姿を消した。


 角成が荷物を取りに家に帰り、急ぎ足で駅に向かう。

 電車の中で大神様が、

[かっくんに伝えとくことあるんよ]と心に話しかけた。

(なんですか?)

[かえでは、起きてる]

(えっ? でも、般若さんも玄宗さんも天美さんも、何んにも言ってきてないですけど……)

[かっくん、私の歯と葛葉さんの毛、今どこ]

 下を向いていた角成が顔を上げ、

「あっ!」と少し大きめの声が出てしまった。

{それと、玄ちゃんはずっと、発熱してない。看護師さんの眼を盗んで、体温計擦って温度上げてる。それもこれも、静太の動向が気になるんで、イザとなったらかえでちゃんらを守るためにおキツネ様母子もそのまま。般若ちゃんはそれ見抜いて、あの病院にいてる}

(そうだったんですかぁ。そういうことかぁ……)

 角成は電車内で携帯電話を操作したくなかったので、ターミナル駅に着くと、すぐにLINEで連絡を入れる。

 送信先は般若さん。

『今日の王子様の白馬は、お腹に青い線が入っています』

 乗り換えで歩いていると着信があり。券売機脇で確認すると、

「絶対に足の動き見えへん速度やんか。パカパカ気を付けて」という内容だった。

 リュックサックを胸元にした王子様は、青いストライプの馬への改札口へと向かう。


 駅員さんに聞くと、駅から病院までタクシーで十分ちょっと、ということなので、角成は徒歩で向かう。

 歩きながら大神様が、

[どうするつもり?] と聞いてきたので角成は、

(キッ、キスはしませんよ)と大テレで答えた。

[そっちやないの、静太のこと]

(あっ、そのぉ~、静太さんは……、どうしましょう? 何か動きは?⁆

[毎日駐車場まで来ては、車から降りてすぐ帰って、を繰り返してるらしいんよ]

(それって、何か意味があるのかどうなのか……)

[私には確信ないから、……般若ちゃんにあとで聞いてみる?]

(そうします)

 夜道を角成は、自然と速足になった。


「見つかった? 同心長屋」

 般若さんが、病院の駐車場の奥の方に停めた、ワンボックス車の陰に向かって言った。

「あぁ、たぶんこの周辺が長屋で、この辺りが磐城家と天美家が暮らしたとこ」

 静太は振り向きもせず、背後の般若さんに言った。

「ここに居てた? 目的の人は」

「ここだけじゃなくって、この辺り一帯探してみたけど、いない。……とっくの昔に、あの世に行っちゃったか、俺が誰とかも知らずに送っちゃったか、みたいだわ」

「だからって、呼び戻すとか反魂とかはあかんよ。絶対に」

「やっぱり無理なのか?」

「古事記にも書かれてるやん。あっち行った人があっちのごはん食べたら、絶対にこっちに元通り戻ることは出来へんって」

「できるかできないか聞いてんだけど」

「できない。一回あの世の関所通ったら、二度と戻れない、っていうシステムやから、無理よ。これは誰かがどうにかできることちゃうよ。神様の一番上の『天』が決めた事やから、裏技とか一切無いよ」

「まぁ、居なくっても法要はできるから大丈夫なんだけど、どうせなら、本人に伝わった方がって思っただけで。そうかぁ、あっちから誰も連れて戻って、は、出来ない、と……」

「そういうこと」

「じゃぁ、法要するにも、宗旨宗派とか戒名法名とか詳しいことは、元々本人からは聞けないか……。まぁ、そんなのわからなくっても、法要は行う者の気持ちだからな……」

「そうやね、この辺りの昔の人別帳でも残ってたら、……どうやろ、あったとしても県とか市町村の膨大な資料の中からやから、かなり難しいね」

「そうだなぁ、まぁ、それはこれからどうするか考えるわ。……なぁ、そうだろ? 河内ぃ」

 ワンボックス車の陰で聞いていた角成が姿を見せ、挨拶も早々に話し始める。

「あのぉ、般若さん、呪いで亡くなったり、呪われたままで亡くなった人を、送ったこと、……あの世の門くぐったの、見た事ありますか?」

「ほんの数回しかないけど、あるよ。それがどうかしたん?」

「その人たちと、呪物とかとり憑いていたモノノケとかいうんですか? そいつらは一緒に門をくぐるんですか?」

「うん、一緒にあっち行った……」

「それと、これは祝い直しが終わった時からずっと疑問だったんですけど、キメラは天美家に女の子が『産まれたらとり憑く』んでしたよね?」

「そやね」

「女の子が呪いで亡くなると、キメラが一緒にあの世に行って、こっちに戻って来れない。だったら、天美家に産まれた女の子に、どうやって、キメラはとり憑くんでしょう?」

 その言葉に般若さんが、

「天美家の直系の男性のところに生まれた女の子……。ということは、直系の男性が?」と、言った。

「おい河内ぃ、それって……。お前よくそんなこと気付いたな」


『我が家と同じ不幸を。……願わくは、干支一回りののち天美の家へと』

 磐城のおやじさん、磐城 照信は、儀式の時にそう言った。


 角成はその事を二人に話し、

「天美家の男性陣も、何か手を打たないと……」と言った。

 そして、

「あのぉ、合ってるかどうかもわかりませんが……」と角成が前置きし、

「メンデルの法則って、ラージA、ラージB、スモールa、スモールbとかの、スモールaとbがそろった時にしわくちゃの豆ができるって、ことでしたよね。そんな感じですか?」と言った。

 般若さんは、

「そっかぁ、染色体で言うと、性染色体のⅩ染色体に因子があって、男性のⅩYの組み合わせならY染色体が邪魔して発動せんけど、Ⅹ染色体が二つの女性の場合発動する、ってこと?」と言った。

「俺は染色体もDNAもわかんねぇからあれだけど、そんな感じなのか?」

「私も専門外やから、自信満々にはよう言わんけど。……それが発現せえへんのは、免疫持ってるからとかじゃなくって、ただ条件がそろってないから。たぶん、そんなんちゃうかな?」

 般若さんがそう言い、じっと考え、

「大神様、今日は元気ある?」と聞いた。

[はいは~い、眠りっぱなしやったから、充電OKよ~]

「大神様は、キメラの匂い、覚えてる?」

[うん、まだ日にち経ってないから、鮮明に]

「じゃぁ、あとで、天美家の男子今日は二名揃ってるから、嗅いでみて」

[わかった。かっくんがお目覚めのキスする時に嗅いでみる]

 角成はむせた。

「えっ? 河内、お目覚めのキスとかすんの?」

「しないしないしないしない」

「それはどっちでもいいけど、ちょっと今からお使い頼まれてくんない?」

「は、はい~。いいですよぉ」

「女子が好きそうな甘味系、適当に見繕って買って来て」

 そう言って静太は財布から一万円札を出した。

「誰用ですか?」

「お供えだよ。かえでさん……。ずっと前にここで暮らしていた方の」

 角成が一万円札を押し返し、

「静太さんはそのためにここに、……かえでさんのこと、考えてたんですね……」と言い、静太が立っている駐車場奥の緑地帯を見ると、小さな丸いお盆の上に、豆大福と、まだかすかに湯気が立ち昇る、お茶が供えてあった。

「何か買ってきますんで、その大福のおさがり、僕にください、晩御飯にします」

「実を言うと、甘いものあんまし得意じゃないから助かるわ。おさがりは絶対に捨てちゃダメだもんな」

 静太が控え目に微笑んでそう言い、角成に千円札数枚をお盆替わりにして豆大福を渡した。

 角成が食べながら、近くにあったコンビニへ行き、イチゴのショートケーキにモンブランと、クリームぜんざいと白玉あんみつ等、洋の東西を問わず買った。

 角成が戻る時大神様に、

(大神様、静太さんの動向、何が気になってたんですか?)

[般若ちゃんが、かえでの見舞いに行くたび、手ぇ握るふりして牙笛握って、それ通じて近況報告してくれてたんやけど、静太、毎日病院までは来るけど、駐車場ウロウロして帰ってたらしいんよ。それが何の目的か、さっきアイツの言葉聞くまでわからんかった]

(あっちの時代のかえでさんの供養は僕も考えてたから、なんだかホッとしました」

[静太のとぐろ巻いてたどす黒い気の濁りみたいなの、さっき見たらもう淡いピンク色になってたから、そろそろアイツ信用したってもええかな、と]

(そうなんですか。ふ~ん)

 その時角成は、

「あれっ? さっきの大神様の言葉、静太さん聞こえたんだ……」思わず独り言が出た。

[言われてみれば、さっき『キッス』に反応したよね]

 あまりに自然で普通な反応だったので、大神様も今気付いた。

「この前鏡越しに話したの、とか関係あります?」

[う~ん、まぁ、そんなとこやろね。それと、この前かえでのとこに出張した時に、結構長時間ふくろうの神様とご一緒してたから、ふくろうの神様がうっかりバイパスしたとか? ……そんなとことちゃうんかな? 知らんけど]

「そうですよね、そんな感じかもぉ、……ですよね」

 二人のファジーな会話が終わる頃、病院に着き、駐車場に向かう。

 駐車場の奥まで行くと、静太と玄宗さんが跪坐で、小さな小さな声で般若心経をあげていた。

 角成が二人の後方の、般若さんの横で合掌する。

 静太がスイーツの入ったコンビニ袋を受け取り、中身をお盆に乗せ、持参したポットから、温かいお茶を注ぎ直す。

 駐車場の一角の車の陰で、ほうじ茶の良い香りがした。


「これぐらいの気候やったら、圭吾さんとかえでさん、……家の裏の縁側にこんな感じで腰掛けて、甘いモン一緒に食べたりしたんかな?」

 お経を唱え終わった玄宗さんが、静太のワンボックス車のリアゲートを開けたところに腰掛けて、すっかり冷めたおさがりのほうじ茶を飲みながら言った。

「かえでさんって、ほうじ茶淹れるの上手だったんで、お茶飲みながら、おいしいお菓子手に入れば二人、というか、家族ぐるみで話しながら楽しくしてたんじゃないですか」

「そうだよな。……その刹那、と、それから先と……。ずっと縁側に、二人で喧嘩したり微笑んだり、……そうしていたかったのかな。……わかんねぇけどな、本人たちじゃないから」

「少なくとも、磐城さんは、……磐城のおやじさんは、それを望んでいたように、僕は感じました」

 角成はそう言いながら磐城のおやじさんの最期の笑顔を思い出し、鼻の奥がツンとした。

「俺、頻繁には来れないけど、場所が場所だけに、誰にも見つからないように手を合わせに来るわ」

「そうしてあげたら、かえでさんとご両親も喜ぶやろね」

「静太さん、真面目な優しい人で良かった」

 二人の言葉に、静太は少しくすぐったそうな顔で微笑み頷いた。

 三人から少し離れたところで、般若さんが顎に手を当てて、

「磐城家は、かえでさんの代まで、……跡取り無し。魔女の杖も、呪物の残りもない……。どうやって遡る?」と、少し難しい顔をしていた。


 角成はかえでの病室の前にいる。

「婿殿もう来るかなぁ、……お父さん、私狸寝入り苦手やから、絶対に笑わせんといてね」

「わかってるって」

「婿殿と既成事実作って、その勢いで結納まで押し流したるから」

「まぁ、かえでの好きなようにしたらええよ。それよか、ほんの数日ぶりに会ったら、なんかかえでキレイになってないか?」

「私今すっぴんやで。ちなみに、自宅近くの病院でも、顔、イジってないよ」

「そうか。だったら、婿殿との再会が関係してんのかな?」

「それはあるかも。何日も寝てる間、今と昔の婿殿の夢ず~と見てたから」

 と、そこまで言った時、

「こんばんは~、お姫様起きてますね。よかった~」病室のドアを開けると同時に言った。

「あっ、婿殿~。おはようございま~す、 ……あっ」

 かえでは嬉しそうに挨拶をしたが、そのままゆっくり横になり、狸寝入りを開始した。

「河内くん、……角成くん。お久しぶりです、私、かえでの父の修です」

「あっ、お久しぶりです、僕、河内 角成です。お世話になります」

「お世話になってんのはこっちです。今回かえでの……。本当にありがとう、本っ当うにありがとう」

 かえでの父が涙を溜めた瞳で角成をじっと見た。

 角成はテレ臭くなり目を伏せた。

「かえでさんも意識が戻って良かったですね。退院の目途は?」

 その時かえでが、

「夢遊病やから、さっきのは……」と言った。

 父の修は無視をして、

「明日退院です。午前中に」と言った。

「よかったですね、じゃぁ、明日中には家に帰れますね。本当に良かった」

「明日の朝は、王子様のキスなしには絶対に目覚めへん薬、マツ〇ヨかド〇キに売ってへんかお父さん探して来て」

 かえでの言葉、ではなく『寝言』を、二人は完全に無視して会話を続ける。

「かえでさん夢遊病で疲れて退院延びるといけないんで、僕また明日朝来ます」

「そう? 気ぃ遣うんやったら、私、姿消すよ」

 かえで父はそう言うと、かえでがゆっくり腹筋で上体を起こしながら、

「おとうさん、キスも何もせぇへんから、ちょっとだけあっち向いてて」そう言った

 かえで父はスッと二人に背を向ける。

「婿殿、ベッドの端っこにあっち向いて座って」

 そう言って微笑み、角成は言われた通りにする。

「目を瞑って、驚かないでね」

 そう言ってかえではベッド上に座ったまま、角成を後ろから両手でしっかり抱きしめた。

「あっ! 力、戻ったんだ」

 角成が単車での二人乗りを思い出し、驚いて出たその言葉に、父は振り向き、

「あれ、かえで、そのまま押し倒せへんの?」と二人をニコニコ見ながらけしかける。

「婿殿が困ることはしない主義なんで」

 かえでがそう言って、赤面している角成の胸元で、両手をグーパーした。

 かえでの青黒く変色していた手は、左手と同じ色になっていた。

「見た目も力もだいぶ戻った」

 嬉しそうにかえでが言い、角成を自分の方に向ける。

「それとね、ここも……」

 そう言って首に巻いたバンダナをそっと外す。

「もう剥がれそう、あっ! 剥がれた。婿殿来てくれたから、首のうろこ剥がれた」

 かえでの父も小さな歓声をあげて喜んだ。

(大神様、どうですか?)

 角成の心の問いに、

[かっくん、微かにやけど、かえでのお父さんからキメラの匂いがする。どうやら、かえでと加津佐からは完全に消えたけど、天美家に未来永劫の平穏、ってわけではない、かも……] 

 大神様がそこまで言った時、

「おう、これはこれは、角成クン遠いところありがとう。かえでのはかりごとに付き合わせてごめんねぇ」かえでの祖父、天美 篤義が、お高そうな箱入りのプリンを買って来た。

 角成は心で大神様にもう一度同じことを聞く。

 答えは同じ。

「お二方にだけお話があります」

 角成が蒼白な顔色と神妙な面持ちで、かえでの父と祖父に向かって言った。


 病院の薄暗いロビーで、角成、かえでの父と祖父、玄宗さん、般若さんと、静太の六人が、神妙な面持ちで一角にあるソファで向かい合う。

 角成が『うまく説明できなければごめんなさい』と前置きして話し始める。

「これは何の確証もなく、可能性で言うことなんですが、キメラの呪いって、天美家の女性にかけられた、のではなく、女性にだけ顕れる呪い、かもしれません」

「それって……」

 かえでの祖父が驚いて言う。

「そうです。本当なら、キメラの呪いの解除に、お二人にも同席してもらうべきでした」

 角成の言葉に、天美 篤義は、

「かえでにも加津佐にも時間がなかったからね……」と言った。

「本当にすいません。これは完全に結果論で、かえでさんの呪いを解いたからこそわかったんですが、もう魔女の杖も使ってしまったので、今から解除方法を何とか……」

 角成の言葉に玄宗さんが、

「男性には呪いが発動せん、っちゅうことは、中継ポイント。……ということは、鳥と魚に分離せんでもそのまま引っぺがせそう、ということは魔女の杖無くってもいける、っていう感じがする」と言った。

「玄ちゃん、その場合って、人が亡くなった時みたいに、一緒に誰か、たとえば神様とかに、あっちの世界に連れてってもらわんとあかんのちゃう?」

「そうやな。うん、実はカイツブリの神様、キメラの鳥と魚に戻ったのを、あの世の扉まで送り届けたあと、こっちに戻ってるんよ。なので、カイツブリの神様って、親子やんか。今ここに居てる二人と数は合うよ」

「あのぉ、長野さんって言いましたっけ? 実はですねぇ……」

「何でしょう?」

「かえでの上に兄が、息子が一人います。しかも、奥さん妊娠中で……」

 かえでの父が、不安そうに言った。

 般若さんが反射的に立ち上がる。

 険しい顔つきで涙目になり、唇が震えている。

「玄ちゃん、かっくん……、何とかして。私、金輪際お酒一切断つ。だから、どんな事してもかめへん。……キメラ徹底的にやっつけて! 私も全力で立ち向かう。……お願いっ!」

 般若さんの言葉に、玄宗さんの眉間に険しい皺が寄る。


「一体?一柱って言うんですか? 足りませんよねぇ……。だったら、私が死ぬまで子供を作らなければいいんじゃないですか」

 かえでの祖父である篤義さんがそう言った。

「そう言ってしまえば、そうなのかも知れません。そうなんですが、実はそれよりも、キメラを何らかの形でこの世に留めておくと、今後何が起こるか、誰にも予想ができません。今回は魔女の杖もあり、しかも杖を振るのに最適の人間が、……『縁』があったが切れてしまい、儀式の太夫の血筋だからか、契り石の『血の効果』なのかはわかりませんが、呪いの発動が無かった子孫の女性までいました。……偶然の要素も含めてですが、あれだけの面子が揃ったということもあり、だからどうにかなったわけで……。でも、ご安心ください。今残っているのは、かえでさんにとり憑いていたキメラほどの強力な魔物ではありませんので、かっくんの大神様がいれば解除はそう難しくはありません。……ですが、足りない神様の数は一柱ではなく、二柱です。……直系であるお腹の子供さんが、男の子でも女の子でも……」

 玄宗さんが神妙な面持ちで言った。

 静太が、

「今回、……というか、何年か前から、俺が何も知らずに私利私欲でキメラの力を増幅させてしまって、かえでさんと加津佐さん、そして、天美家の皆さまに不愉快で危険な思いをさせて、本当に申し訳ありませんでした」天美家の二人に謝った。

 天美家の二人は『いえいえ……』と、両掌を振りながら恐縮している。

「俺、……私は、もうこんな馬鹿なことはしませんけど、偶然でまた何かの拍子にキメラにエネルギーが注がれたら、と考えたら、男性は女性と違って閉経とかないですから、そちらの方の活力が漲って……、ということも考えられなくもないし……。俺、私が言うのも何ですが、念には念を入れた方がいいと思います」

 静太の言葉に、祖父の篤義さんは、

「そうかぁ、誰かのエネルギーがED治療薬的なことにもなりかねない……、ということですよね……」

 一同、どういう顔をしてよいかわからなく下を向いた。

 静太が何か思いつき、膝を一つ『パシッ』と叩き、

「長野って、神様三柱連れてんだろ? この際二柱くらい、分霊とか何らかの方法でなんとかなんねぇの?」と言った。

 角成が焦り顔で、般若さんが残念そうに、それぞれ首を横に振り、

「玄ちゃんの神様、どの神様おらんようになっても、玄ちゃんの寿命はそこまで。……それに、人間に取り憑いたみたいな神様は、分霊出来へん……。だからそれは無理なんよ」

 般若さんの言葉に、静太が小声で、

「何も知らねぇのに、……スマン」と言った。

「そうだ、……アテ外れなこと言ってたらすいません……」

 何かを思いついた角成が口を開く。

「さっき駐車場の奥でやったみたいに、供養するとかどうですか? そちらからアプローチして、こっちに戻ってもらうのは無理でも、こっちのことお浄土から見てもらって、その人たちの望み、呪いの解除を見てもらうとか。……かえでさんにまつわるものとか、大切にしてたものとか用意して……。それで、茂吉さんと弓弦斎さんと磐城のだんなの想いを、僕たちが実現する……」

「そもそもの、磐城さんの悔しさの始まりは、かえでさん、やったから、かっくん、考える方向は間違ってない。でもそれには、できれば、戒名・法名とか、没年月日とかわかれば、やけど、それもわからんくらいなんよ……」

「没年月日なら、俺んちのご先祖の記録の中から、キメラの儀式から逆算すればわかるけど、

 さすがに、宗旨宗派やら戒名とかはわかんねぇわ]

 そう静太が言うと、

「あのぉ、確かかえでさんにまつわるものだと思うんですけど……」と、かえでの父がおずおず言った。

「うちに、天美家に圭吾の時代から伝わる鏡がありまして、手鏡なんですけど、女性が絶対に使ってはいけないっていう、金属製の古い手鏡なら……」

「そうそう、私もそれ今言おうと思った。きれいな蒔絵細工のケースみたいなのが付いたやつ」

 篤義さんがそう言った。

「それって! 鏡の直径が五寸で、ケースは蒔絵のかえで模様ですか?」

 角成が高い声とテンションで篤義さんに言った。

「う~ん、一寸が約3センチだからぁ~、……そう、それ。角成クンに見せたことあったっけ?」

「無いです。ないけど、それ、かえでさんの鏡で間違いないです。無念の始まりである、かえでさんのことを、今みんなで大切に思って、偲んで、そしてそのあと、磐城のおやじさんと茂吉さんと弓弦斎さんが行ったキメラの秘術の、キメラの種子みたいなのを皆さんから追い出せたら、それが最も本筋を遡ることに……」

 角成の言葉を受けて、 

「かっくん、それでいこう。天美家の血筋はいてるし、茂吉さんと弓弦斎さんの血筋もおる。けど、磐城家かぁ、う~ん。みんな揃うと遡れるから祓いやすいんやけどなぁ……。それに、祓ったあとも、どうやって、二を四にごまかす、もしくは、誤解させるか、または、たばかるか、かぁ……」玄宗さんが静かに言った。

 無力感を伴う沈黙が流れる。

 玄宗さんが、

「あれっ? 神様もう一柱おるやん」と言った。

 篤義さんが、

「それってひょっとして、……手鏡ですか?」と言った。

「それです。天美家の代々の男性の思いが込められた鏡。……それが言い伝え通り、女性が覗き込んだことのない鏡、かえでさんの姿をその中に留めたまま、であれば完璧ですが」

「それは、……誰かがいたずらで覗き込んでないなら、……ということになりますが……」

 皆に緊張が走る。

「賭けましょうよ、その鏡に!」

 角成の言葉に般若さんは、

「一時の気の迷いから始まった、誰も望んでいない、代々女性が苦しんで亡くなる呪い。呪いの儀式のきっかけになった女性。その女性の希望や無念、そして絶望。それを天美家の代々の男性が、大切に心を込めて守り続けた。それ、立派な付喪神さまですよ。いけます、絶対に」そう付け加えた。

「どこですか、その鏡」

 玄宗さんの質問に篤義さんが、

「うちの自宅にあります。念のためすぐに秋恵さんに連絡して、絶対に誰も覗かないように、と、触らないように、も、言っておきます」そう言ってすぐに電話をかけた。

「秋恵さん、女人禁制にしてる部屋にある鏡、女性が絶対に障ったらあかんっていう鏡な、あれ、我々が帰るまで、絶対に誰も触らせんといて。呪いはまだ解けてない。その鏡なしには完結せんことがわかった。だから、絶対に冗談でも触らんといて。頼むわ」

 電話の向こう側で秋恵さんが何度か頷き、

「わかりました」と力強く言った。

 そして、

「絶対に誰にも触らせません。お義父さんの秘密のコレクションにも」と言った。

 篤義さんは皆に聞こえるように、スピーカーにしたことを全力で後悔しながら、

「う~~~ん、そうして」とだけ言って、電話を切った。

 般若さんが、

「そうと決まれば、私は今から帰って用意とか手続きとかしてきますね。静太さん、お宅に荷物置かせてもらってるから、家まで送ってもらえる?」と言った。

 静太は『あぁ……』とだけ言って、ポケットの中の車のキーを確認し、

「河内も、うち来いよ……」と言った。

「えっ? いいんですか?」

「父ちゃんも母ちゃんも、お前が来たのに連れて帰らなきゃうるさいんだよ」

 角成の遠慮の言葉に、静太が言った。

 そして静太は、駐車場に向かって歩きながら、末広湯に電話をした。


 般若さんは、

「帰る前に、私も大好きなかえでちゃんに挨拶したいから、かっくんも一緒に行こ」と角成の手を引っ張った。

 病室でかえでは、目を瞑って横になっていた。

 角成が天美家の人たちの後を、遠慮気味にそっと入り、その後を般若さんが続く。

「あっ婿殿ぉ。……後ろの人、その女の人誰ですか? ……あのぉ、初めましてですよね?」

 かえでが般若さんを見て怪訝そうな顔で言う。

「かえでちゃん、何言ってんの、この人は般若さん……」

「えっ? なんで、誰?」

 かえではふざけているような目つきではない。

「かえでちゃん、般若さん、……ん~えっとぉ、この人は、どんな感じに見えてる?」

「美人なお姉さん。……婿殿がきれいな人連れて来て、私今ちょっと怒ってる」

 角成が今一緒にいるのは、正真正銘いつもの般若さんである。

「光の方向とか、光線の当たり方でも、ずいぶん人の印象って変わるから……」

 かえでの父がそう言ったが、

「私も真夜中は別の顔、やけど、ってそういう冗談でもないし、お父さんが言うようなレベルの話と違うねん。すっぴんとかでは説明不可能レベルの全くの別人やねん……」かえでが般若さんを凝視して言う。

「ええやん、そんな事別にどうでも。かえでちゃん、あんたは私の大切な妹」

 そう言って般若さんは、かえでを後ろから抱きしめた。

「うそ、この人や、同んなじ匂いやし、この感じ……。私のこと、ずっと優しく抱きしめて守ってくれてた人、この人や……。ええぇっ、誰? この人」

「誰やろね」

 般若さんの言葉にかえでは、

「ちょっとこっち来て!」とベッドを降り、裸足で洗面所の鏡の前に般若さんを連れて行く。

 かえでが般若さんの頬を引っ張り、鏡の中の般若さんと、横にいる般若さんを何度も見比べる。

 般若さんもかえでの頬を引っ張ろうとしたが、首の皮膚にダメージがあるといけないので、頬を、優しくツンツンと突っついた。

「鏡の中に正体現せへんかな、と、思たけど、……う~ん、この顔、造りものでもないし、でもこの人は絶対に般若さんや、って、私の本能が言うてるし……」

 かえでが嬉しそうだが困った顔をしながら、

「そうや、キメラのせいで私の記憶がバグってたことにしよう。だから、婿殿の姉、私の義理のお姉さん、ってことにしといたるわ。よしっ! 解決っ!」テレ隠しにそう言った。

 そして、

「もう一回、顔、よ~く見せて」と、般若さんと向かい合う。

「般若さん、守ってくれて、励ましてくれて、ありがとう。心強かった」

「でもこれからのお義姉さんは、キビシ~ィから、覚悟しといてな」

 二人は固く握手をし、かえでは握手した手を強引に引き寄せ、般若さんを両手で優しく抱き締めた。


 末広湯に送ってもらう車中。

「静太さん、突然ですが、般若さんのこと、どう見えてます?」

 角成が聞いた。

「どうって?」

「きれいなお姉さん? それとも普通のおばさん?」

「河内、お前本人の前で失礼なこと言うなよ」

 静太はそう言った。

「ということは、静太さん……」

「その人はきれいな人だよ。……こういうことはテレ臭いから、あんまし言いたくない」

 そうこうしているうちに末広湯に着き、般若さんはおかみさんとおやじさんに挨拶して静太に駅まで送ってもらう。

 角成は入浴後、銭湯終了後の片付けや明日の準備を手伝い(般若さんも連日やっていたそうである)そのあと二人に経緯を簡単に話し、その日は終りを告げる。

 寝る前に静太が顔を出し、

「般若さんから、明日、一緒に来いって言われた……。俺だけ皆とは別の車だからな」と言った。

 布団に入った角成が、

「大神様~ぁ」と声に出して問いかける。

[なに?]

「天美家の男性が守って来た鏡って、……かえでさんの『これでいい、……これでいいんです』を、何度も何度も聴いた手鏡ですよね?」

[そうやね。なんか切ない話やね]

「本当に、……そうですよね。……でも、良かったぁ、天美家の男のひとたちで守ってくれてて……。天美家で、……男性たちだけで……」

 角成はそう言って眠ってしまった。



 令和七年 五月十七日(土曜日)


 角成は朝食後におかみさんとおやじさんにお礼を言い、

「また後で寄ります」と、病院に向かう。

 病院では朝食と退院手続きを済ませた、玄宗さんと天美家の三名がロビーに居た。

 買ってもらったベンチコーチを着る角成を見て、かえでがニッコリ微笑み、

「おはよう」と言った。

 玄宗さんが般若さんに電話をかけるが、出ないようだった。

「女性は何かと用意が大変やから、今忙しいんやろな。また手ぇ空いたら連絡あるやろ」

 玄宗さんはそう言って、天美家の男性陣に、

「では、行きましょうか」と声をかける。

 ナースステーションに玄宗さんがお礼を言った時も、看護師さん、事務員さんなどの女性陣は、ほぼ無視・無反応なことが、玄宗さんは上機嫌だった。

 角成はそれを見て、玄宗さんにおキツネ様が、まだ戻っていない、と思った。

 それぞれ乗車する前に、駐車場の昨日の場所に皆で行き、そっと手を合わせた。


 角成の道案内で末広湯に着く。

 静太は自分のワンボックス車で待っていた。

 天美家の人たちは口々にお礼を言い、柏原夫妻は至極恐縮していた。

 玄宗さんが般若さんから預かった、タブレットPCとシガライター電源キットを、静太に渡した。

 般若さんの話では、静太と玄宗さんが持っているタブレットは、専用アプリ使用でそのまま会話ができる設定がしてあった。

 それらを玄宗さんが説明し、接続確認後、末広湯を出発する。

 かえでは窓から身を乗り出し、何度も『ありがとう』を言いながら、右手を大きく振った。



 第五章 第一節 饒舌な鏡  終


第五章  饒舌な鏡

第二節  消えた許婚

           に続きます。

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