第四章 約束の場所 第五節 うらどうし
おかみさんがかえでを、毛布の上にゆっくりと座らせる。
その横におやじさんが胡坐をかいて座り、その斜め後ろに静太が座る。
般若さんが一斗缶の横に置いてある荷物から、矢立と割り箸一膳を取り、街灯に背を向けて薄明りにもかかわらず、梵字を書く。
「かっくん、できた。梵字の下に、般と若も一本ずつに書いて、その下にそれぞれ宝輪も書いといた」
「ありがとうございます。大切に大切に使います」
そう言って合掌し、いただきますの時のように、両親指でお箸を押さえて持った。
般若さんは角成の横で跪坐に座り、
「私サポートするから、かっくん、太夫さんやって」と言った。
角成は一瞬だけ『僕をサポートにしてください』と言うかどうか迷ったが、
[この場で私と連携取りながら動けるのは、かっくんだけやからそうして]と、大神様に言われたことと、
(それに、あれは、……夢かもしれない。……夢かもしれないけど、儀式を見たのは僕)と、決心をゆっくり頷いて伝えた。
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[隼神様、おキツネ様、カイツブリの神様、宇賀神坂、ふくろう神様、我らが集いました、かえで、加津佐の魂……、この社にて、只今より祝い直しを、太夫は河内 角成が務め、行います]
大神様が静かに皆に伝える。
[キメラはどう動くか、私にはわかりかねます。皆様、どうかお力を]
大神様の言葉にかえでと加津佐の魂の内側は、けば立つような緊張感が漲った。
キメラと神様たちは、にらみ合ったまま動かない。
「じゃ、まずは、みんなに、ここにおるみんなにだけ聞こえるように、開始の宣言して」
般若さんの言葉に角成は迷うが、迷っている時間が惜しい。
「い……、今から、キメラの秘術の、……え~、祝い直し? そう、祝い直しを行います」
角成はそう言って少し照れながら、割り箸を口に、横向きに咥える。
割りばしの木の香りと共に、まだ乾いていない墨の香りを嗅いだことにより、今から尋常ならざること行う、という心持になった。。
「よくできました。んじゃぁ、呪物をこのさらしに順番に乗せていって」
般若さんの言葉に従い角成は、蔵の中で見つけた『やっとこ』でそっと抜き出した、釘が刺さった木の栓と、柱の中に入っていた呪物、呪文が書かれてかなり黄ばんでいるさらしに、枯れて丸まった小さな樒の葉、小さな鳥の羽根、うろこ、縫い針、糸、護摩壇や升の木を削ったもの、細い竹を一センチほど輪切りにしたものと竹のかけら、短く切られた綿の紐、小さなけし炭数個などと、後はなにか判別し辛い物それらを一纏めにして、さらしに乗せていく。
角成はかえでから受け取った、鼻をかんでくしゃくしゃになり少し湿ったティッシュを、護摩壇の内側の一番下に敷いた。
角成は何も言わず静太に一つうなずいて、ポケットに入れていた携帯型懐炉を取り出す。
……だが、
ビロードのような生地でできた巾着の中身は取りだせたが、初めて見る懐炉は、何がどういう構造かさっぱりわからず、角成は固まった。
「しょうがねぇな、俺が……」
静太が立ち上がるのをおやじさんが止め、
「何度も妨害工作したお前はダメだ。俺がやる」と言って、角成の横に行く。
懐炉を受け取った時、
「あれっ? これあんまし温ったかくねぇな……」そう言って、慎重に懐炉の蓋側を引き抜く。
「おいこれ……」
おやじさんの眉間に濃い縦皺が入る。
「おい、嘘だろ!」
横に来た静太が叫んだ。
「さっきまで温ったかかったんだ、本当だって!」
「信じます。静太さん。僕は静太さんの言うこと信じます」
角成の言った言葉に、おかみさんが、
「ありがとう、婿殿さん。さっきまでと違って、静太の眼、やっと普通になった。誰かを馬鹿にしたり蔑んだりしてるような目つきじゃなくなったわ」そう言った。
「そんなことはどうでもいい! 火が、火が消えてんじゃねぇかよ!」
静太が感情的に言った。
角成がおやじさんから懐炉を受け取り、
「ここですか?」と、おやじさんと静太に火口部分を指さす。
「あぁ、そこに……、そこから火を移せたのに……。待っててくれたら俺が教団から火……」
そこまで言った静太が考え込む。
実は、先ほど鉄扉を開けてくれた忍海青年を、脱会させるために色々画策していたことが、つい最近教団側にバレて、今では本部に出入りするための裏口の鍵も、教団幹部に取り上げられていた。
静太が教団本部に行っても、中に入れるかどうかの、確証はなかった。
「ごめん、俺、無理だ……。火、持って来れねぇわ。昼なら開いてるけど、教団、……夜は俺出禁だ」
静太が膝をつきぐったりと下を向く。
角成は、ほんのり温かい懐炉の火口部分を見つめ、ありったけの力を込めて心の中で祈る。
(大神様、おきくさん、玄宗さん、茂吉さん、弓弦斎さん、磐城さん、天美 圭吾さん、秋恵さん、誰でもいい、助けてください。僕に、僕に誰か……)
「キメラ残り香、我の手にあり。我の手にあり……」
角成が呟いた、その時……。
突風が角成の手元に吹き『キンッ』と甲高い音が皆の耳に届いた。
もう一度ひときわ大きく『キンッ』と鳴った時、火口に薄赤い色が見えた。
般若さんが黙ってティッシュを赤い部分に近付ける。
『ポッ』という音が鳴り、ティッシュに火が付いた。
般若さんがその火を身体の近くで半紙に移し、懐紙に移し、そして、予め用意しておいた紙のかたまりへと、徐々に火力を上げていく。
「よっしゃ、でけた」
そう言って般若さんがそっと護摩壇の中心に燃える紙を置く。
しばらくすると、護摩壇にも火が燃えうつった。
「包んだものを中へ、……熱いから気を付けて」
般若さんがそう言い、角成はさらしごと火の中心に置く。
「熱っっ!」
角成が右手を隠すようにかばう。
角成がかえでの方を見ると、目を瞑りおかみさんにもたれている。
「救急車、もう呼ばないと。さっきここに座ってから、この子意識無いのよ」
おかみさんは、目が合った角成にそう言った。
角成は、
「呼んでください。もうすぐ終わるから、呼んでおいてあげてください」と言った。
おかみさんがスマホを取り出し、救急に連絡している。
そこで、角成が大切なことを思い出す。
「契り石と砂!」
角成が、急いでバタバタとした手つきで、お守り袋を開けようとするが、焦ってしまい袋が開かない。
『どんな時も、余裕がないとモテませんよ』
かえでの微笑みと共に思い出す。
街灯から逆光だが、角成には口元だけ微笑んだように見えた。
角成は肩を何度か上げ下げして、肩の力を抜いた。
指先に集中し、ゆっくりとだが確実な動作でお守り袋を開き、契り石と、砂と軟膏と角成の血液が付いたティッシュを取り出す。
「しまった! あの寺にまつわるもの、持ってない……」
割り箸を咥えたままの角成がそう言った時、静太が、
「もういい、無いものがあってもそれだけ揃ってたらじゅうぶんだ!」と叫んだ。
「でも……」
「早くしないと、救急車来ちまう。それに、この護摩壇、野焼き禁止条例にも引っかかるから、早く済まさないと、救急って消防署から人が来るんだから、余計に面倒な事になるぞ」
「婿殿さん、でっかい丸いどんぐりは?」
おかみさんの言葉に角成が、お守り袋からクヌギの実を取り出す。
「ありました。これなら、あの時代に、あの木……」
角成は護摩壇の中央に、クヌギの実を入れ、そのあと、砂が付着したティッシュを入れる。
護摩壇と呪物は、爆ぜることもなく静かに炎を上げている。
あと、残るは契り石のみである。
遠くで救急車のサイレンが鳴っている
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[来る!]
大神様が嫌な気配とキメラの闘気を同時に感じて身構える。
カイツブリの神様とおキツネ様母も、姿勢を低く身構えた。
隼神様が、
{キメラのやつ、分裂して飛び去った時と同じにおいがします}と言った。
[まさかっ!]
{そうはさせません。そのために私の羽根を飛ばしたんですもの。ヤツもこれだけ弱っています。この機に乗じて、ヤツの分身をこちらへ私の翼ごと引き戻します}
[じゃぁ、おキツネ様とカイツブリ様もこちらに戻ってもらおっか?]
{お任せいたします}
大神様がおキツネ様母子に思念を送る。
[カイツブリの神様ならどこに逃げても追い上げてこっちまで連れてこれるから、一緒に戻るって。おキツネ様の小ちゃい方は、キメラの気まぐれで逆行したらあかんから、あっちで加津佐守るって]
{承知いたしました。では、太夫さんの式次第の御進行具合と頃合いを見計らいながら…………、ブチかまします}
隼神様が来るべき時に備え意識をキメラに集中し、大神様はふくろうの神様の傍へ行き、宇賀神様、おキツネ母様、カイツブリ様らと、キメラの逆行を防ぐために立ちふさがる。
角成が合掌した手の中に契り石を包み込み、早口に般若心経を唱えて集中し念を込める。
「磐城さん、茂吉さん、弓弦斎さん、あなたたちの、……あなたたちの本当の願い、やっと、ここに実現します」
そう言って契り石を遠くの炎にかざす。
「かっくん、ちょっと待ってな」
般若さんが自分の襟から手を入れたり、背中に手を回したりごそごそしたあと、
「ほい、お待たせ。魔女のちゅえ、あっ」と、噛んだ。
角成に杖を火にかざすように言って、おかみさんと交代でかえでを抱きしめ、しっかり支える。
「おかみさん、かっくんが契り石を護摩壇に入れたタイミングで、……この場合分離だからちゅえ、……おっほん、杖を上から下へゆっくり振り降ろしてください。ただし、振るときに『鳥は空へ、魚は水へ』って言ってから、振って、その後一斗缶の中に突っ込んでください」
「『鳥は空へ、魚は水へ』ね、うん、わかった」
「魔女のちゅ、……つーえ、は、主に縁を繋ぐか切るか、どっちか一回限り使えます。さっき言うたみたいに、今回は鳥と魚に分離する縁切りですので、上から下へ。絶対にこれは間違えないでください。今キメラの周辺にはたくさんの神様がいます。反対に振ると神様たちが……、エラいことになりますので、冗談でも、逆はナシ、でお願いいたします」
「わかりました。上から下に『鳥は空へ、魚は水へ』冗談はかなたへ」
角成が、
「どうぞ、熱くないですが、すごく重いです」そう言って杖を渡す。
おかみさんは魔女の杖を両手で握って、炎の前に立つ。
波の音と砂利がぶつかるきゃらきゃらという音だけ、皆が聞いている。
「いきます。契り石、投入します」
角成が契り石を、今にも焼け落ちそうな護摩壇の中心に落とす。
その瞬間、護摩壇が崩れ、一斗缶の中から、真っ赤な瞳をした炎の鳥が飛び出し、かえでに向かい飛び込んだように見えた。
「あかんっ! かっくん、加津佐さんからかえでちゃんにキメラ戻った! お箸割って二本にして構えて。おかみさん、おねがいしますっ! 静太さんは車の向こうまで下がってて!」
その時、かえでがゆっくり上体を起こし、下を向いたままゆっくり目を開く。
顔がゆっくりと正面に向く。
暗闇の中開いた眼が赤く光り、かえでの顔が苦痛に歪む。
おかみさんが頷き、ゆっくりと杖を振り降ろしながら、
「鳥は空へ、魚は水へ」と言った。
魔女の杖が、ふっ、と軽くなり、おかみさんは一斗缶にそっと入れた。
杖は枯れた高砂百合に戻り、パチパチと小さく爆ぜながら炎を上げた。
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角成が契り石を護摩壇に落とした瞬間、隼神様は加津佐のところから、風切り羽を送った道筋を逆行させるように、自らの翼に弱ったキメラを包み込んでかえでの魂に引き戻す。
その勢いで、キメラ同士をぶつけ、融合させて一つの姿に戻す。
一つになったキメラがくちばしを開いた瞬間、カイツブリの神様が飛び出した。
分離していたキメラが一つになったが、大きさはどんどん小さくなっていく。
様々なことが要因となり、キメラを弱体化させている。
キメラの体が崩れ始める。
[もうちょっと……、もうちょっとやから、かえでちゃん……]
大神様が呟いた。
キメラの崩れた身体の中に、小さな魚と、鳥の雛のような生物がうごめいている。
{こいつら、分離したのなら、もう生き物の理の内側の存在。これでやっと、どうにかできる}
隼神様がそっと呟き、自らの羽根の内側に、鳥と魚を包み込んだ。
歯を食いしばり耐えるかえでの、首の右側のあざが盛り上がる。
般若さんがかえでを抱きしめ、
「やっと会えた私のかわいい妹、絶対に、絶対に連れて行かせへん……」小さな声だが、力強く言った。
「来る!」
角成が右手に二本割ったお箸を、人差し指と中指の間、中指との薬指の間に持ち、握りしめた拳に力を入れる。
「出て行けぇぇぇぇっ」
[出て行けぇぇぇぇっ]
涙と共に大きな声で叫んだのは、かえでだった。
同時に、大神様も叫んでいた。
かえでの首から、ガスか煙のような気体がゆっくり立ち昇るように出て行き、空中で金色の魚と鳥の形になる。
『パキーーーン!』
般若さんが、勢いよく指を鳴らし、おかみさんにかえでを預け、皆から少し離れる。
「よっしゃぁ、今の合図であの世の裏門開いた。御導師様はそっちに導いて……、ちゃうわ、叩っ込んだって!」
角成が逃げていく鳥と魚を見つめる。
そして、大きな声で、
「いくよぉぉぉっ、おきくさ~ん、見ててぇぇぇっ」そう叫び中空を見つめ、
「鳥は空へぇぇぇぇ、魚は水へぇぇぇぇぇぇぇっ、どぉうりゃぁぁーっ」と叫んで、二本の箸を一度に投げた。
一本は何かに刺さったような音の後、海に落ち、もう一本も刺さった後、西の空に加速がついて飛んで行った。
空と海に向かって飛んで行った後を、何かが追っていったのを、角成は見た。
「なんだ、なんか落ちたバシャって音と、なんか飛んで行ったシューッって二種類の音がしたけど、……お前たち、いったい……」
おやじさんがびっくりしながら恐る恐る聞いた。
「ええっとぉ、……裏導師有限会社の者です、僕たちは」
角成が険しい目つきのまま、笑顔で言った。
「般若さん、僕、キメラをちゃんとあの世に送れましたか?」
「うん、こっち来る前に裏口開ける手続き、すったもんだして手間取ってしもて、新幹線に乗るの遅れたけど、ちゃんとさっき合図も送ったし、あの世の門とかフェンスにブチ当たって、ピチピチとか、バサバサとかない、……と思う。それに、失敗したら速攻何らかのペナルティ、私がくらうから大丈夫。私元気やから、スピリット・ロンダリング成功やよ!」
角成の問いに般若さんが答えた時、西の海上の遠いところで、稲光が二つ見えた。
「よっしゃ、成功確定。受取りの合図くれる言うてたけど、まさか大空に、とか、なかなか粋なことを……」
般若さんが親指を立てて、頼もしい弟を誇らしげな笑顔で見つめ、大きくうなずいた。
「でも、般若さんが何らかのペナルティって、落雷食らったかも? ってことですか?」
角成の問いに、
「さぁね。あの門って、簡単に開け閉めできる門ちゃうから、ちゃんと書式に則って書類作成して、それでも渋りよったから、最後は強引にねじ込んで承諾させたった。それだけ厳重やから、融通も利かんし、騙したり偽ったり、あと、しくじっても厳罰に処す、らしいわ」
静太が、
「それって、簡単に開け閉めすると、気に入らないヤツ簡単に叩き込むとかできるからか?」と聞いた。
「魂と肉体の分離って、絶対に無理なんやって。だからそれはできへんのよ。……魔女の杖はあくまで『縁の分離』しか出来へんから無理やし、キメラの呪い解くために色々情報集めて、あっちの世界にも問合せたけど、魂と肉体を分離する方法は、様々な摂理に反するから不可能なんやて。しかも、さっき言うたみたいに、あっちの人らに不正は絶対に通らへんし、こっちの都合とか諸事情とか一切関係なし」
「そうか、そういうことか……」
「うん。だから、裏門に玄ちゃん叩き込まれへんわ、ごめんな」
「お見通しかよ。……まぁ、おれは扉の開け閉めとか、あっちに送る人とか、一切知合い居ねぇから、どのみち無理なんだけどな」
そして般若さんは角成の眼を見て、
「これは関係ないけど……」と前置きし、
「もしも扉開けたのに、何も送り込んで来ぇへんとかは『作為的な虚偽の申告になるので、身分は剝奪します』って言われたけど『どうぞご勝手に』って言うて帰って来たったから、……はぁ、かっくんのおかげで助かった。まだみんなと、こっちおれる」と言って笑った。
居住まい正して般若さんが、
「全てはこの世の理を守るため、ですって」と言って締めた。
角成は、
(そんなたいそうなことに僕は首突っ込んでたの? 『バイトせえへん?』とか、ほんの軽いノリで今に至ってるんだけど……)そう考えると、少し怖くなった。
だが、気を取り直し、
「それもこれも、般若さんがお箸に名前書いてくれたから、今回は裏門から送るの、成功したんですよね、本当に感謝します」と言った。
「それちょっと誤解、私の名前にそんな力ありません。あそこまで飛ばしたんはかっくんの力、オンリーやよ」
「えっ? そうなんですか? えっとぉ、はぁ、まぁ……」
角成は自分が行ったことなのに、全く自覚も達成感もなかった。
「あっ、かえでちゃん、かえでちゃん……」
静かなうめき声を上げたかえでの所に、角成が名前を叫びながら行く。
かえでが両手でお腹と胸元を押さえ、苦しそうにしている。
苦悶の表情のあと、かえでは吐血した。
吐いた血の中に、小指ほどの魚と鳥のひながゆっくり動いていた。
[かっくん、やっぱしそいつ往生際わるいわ。何とか私が実体化させてそっちの世界に送った……、私らが叩き出したった。だから悪いけど、正規ルートであの世に送ったって。火葬したらどっかその辺におる死神さんが、生き物の魂として普通に仕事してくれはるわ]
大神様が言った。
般若さんがその二体を、
「逃がしてたまるかぁっ!」と、素手で掴んだ。
角成がそれを見て即座に振り向いて戻り、一斗缶を左手で掴んで般若さんのもとに運んだ。
般若さんが一斗缶の残り火の中に、一体ずつ時間差で投げ入れ、
「ほんまにしつこい! もう二度と戻ってこんでええよ。あんたらの行先はお浄土。そこでみんな仲良くね」そう言った。
角成が般若心経を唱える。
「ギャワーーーーッ」
断末魔のような嫌な鳴き声が皆の耳に届き、その後すぐに火が消え、一斗缶の中には、けし炭ところか、契り石含め、灰一つ残らなかった。
「なんか気持ち悪い叫び声聞こえた……」
おやじさんがおかみさんを見て言う。
「私も聞こえた……」
おかみさんがおやじさんを見つめて言った。
「静太さん、水を」
般若さんが声をかけた。
「うん」
静太が車に積んだポリタンクを持ってきて蓋を開ける。
「最後は太夫さんが、もう一度キメラたちの行方を言いながら、その水を缶の中に」
角成は水が少しだけ残った軽いポリタンクを受け取り、ぎこちなく、
「鳥は空へ、魚は水へ。……と、お戻りいただき、ありがとうございました」そう言って、儀式の終わりの宣言とした。
救急車が近付く。
「来たね。かえでちゃん安心し……」
角成がそこまで言った時、救急車のサイレンが遠ざかるドップラー効果の音になった。
「あれ? 行っちゃった?」
「おう、ここがわかんねぇのかも知れねぇ。ちょっと入口のとこで、俺待ってるわ」
そう言っておやじさんが鉄扉に向かって駆け出す。
すぐにもう一台の救急車の音がして、おやじさんの誘導で浜に入って来た。
静太が無言で、かえでに水のペットボトル差し出す。
「ええとこあるやん」
般若さんの冷やかしにも、静太は無言だった。
かえでが口を漱いで横を向き吐き出し、二度三度と口を漱いだ後、ガラガラとうがいをして吐き出し、残りの水を般若さんの手にかけて血を洗い流し、その後立ち上がろうとした。
「ダメよ、今無理をしちゃ」
おかみさんが座って待たせる。
救急車が横まで来て隊員がかえでの状態を確認し、おかみさんの同乗で搬送される。
「俺たちも長野さんが、玄宗さんが待ってるグランドに行こうか」
おやじさんの言葉に、疲労の色が濃い角成が頷き、四人が車に乗り込んだ。
グランドに着いたが、そこには誰もいなかった。
近くの駐車スペースに停めておいた車にも、玄宗さんはいない。
トイレにでも行っているのかと思い、般若さんと角成が探し回るが、どこにもいなかった。
角成と般若さんが不安な顔でうろうろしていると、
「さっき救急車で運ばれた人のお知り合いか何か?」と『この辺の町会長』と名乗る初老の男性が飼い犬と共に現れた。
飼っている犬があまりにも吠えるので、町会長さんが散歩がてらにグランドに来て見ると、男の人が倒れており、声をかけたが意識が無かったので、先ほど救急車でこの近くの救急指定の病院に搬送された、ということらしい。
また、どこの誰かもわからない人が倒れていた、ということは、警察の聴取とかありそうだったので、説明上手な会長さんの奥さんが一緒に救急車に乗った、ということだった。
「玄宗さん、無茶したんだ……」
角成は申し訳なさそうに言った。
町会長さんに病院名を聞いて、おやじさんの車で玄宗さんが運ばれた、ここから十分足らずのところにある病院へ送ってもらう。
向かう途中でおかみさんから連絡があり、かえでが搬送された病院と玄宗さんが搬送された病院は同じ、とわかった。
後部座席に座る般若さんが、横に座る角成に、
「病院に行ったら、かっくんも診てもらおな」そう言ってお茶のペットボトルのキャップを開け、角成に渡した後、人差し指で角成の両手を順番に指した。
角成が、
「なんのことですか?」ととぼけてみたが、
「右手、かまいたちの切り傷。左手、やけど。生まれて初めてあんな大きな声出して、喉乾いたやろ。おやじさんにお礼言ってお茶飲み」般若さんが前を見たまま無表情に言った。
「…………はい。おやじさん、ありがとうございます。いただきます」
角成が懐炉を力いっぱい握った二回目の時、何か右手の母指球あたりに当たった気がした。
そのまま祝い直しの儀式をしていたが、力を入れるとうっすら血が滲んだ。
般若さんが、かまいたち、と言ったが、角成にはなんのことかよくわからなかった。
そして左手は、かえでの口から血と共に出て来た、小さな鳥と魚を般若さんが掴んだ時に、咄嗟に一斗缶を手に傷の無い左手で掴んだ時にできた、軽いやけど。
般若さんの目はごまかせなかった。
角成が、
「かまいたちが、あの時火を点けてくれたんですか?」と聞く。
「う~んとぉねぇ、狭い範囲で風がぶつかり合って真空みたいな状態になること、が、かまいたち、の正体。その時に負圧で懐炉の中の揮発油、この場合ベンジンかな? それが火口に上がって来て、火口の奥の方~に残ってた火に供給されたから、何とか火種採れた、んとちゃうかな? だから、かまいたちが助けてくれた、んやと思う」
般若さんの解説に、
「あのキンキン鳴ってた金属音は、一瞬の空気の圧力変化を感じ取って、そっちに懐炉向けたってことか……」とおやじさんが言った。
「はい、……多分ですよ、多分……」
般若さんが控え目に言った。
角成が、大神様の存在を言わずに説明する自信が無かったので、話をごまかすために、突然思い出したようなふりで、
「あっ、病院って、僕保険証……」まで言った時、
「玄ちゃんとかっくんのは、念のためで私が持って来てる。末広湯さんちに置いたまんまのトランクの中やけど」と般若さんが言った。
「いつの間に?」
「今回絶対にいると思たから、若菜ちゃんが合鍵使って持って来たの預かった」
「……いつもすいません」
「おとうとと ともに歩むが しあわせよ。って、なんかかえでちゃんのご先祖、七五調多かったから、感染った……。んんっ? ……違う、書いてた、弓弦斎さんが手紙の中の端っこに……。弓弦斎さん、……そうか、末っ子の栄七さんは茂吉さんのこと、弟ができたみたいで嬉しかった。……そっか、嬉しかったし、全幅の信頼置いてたから、だからキメラ解きたし。……弟できて一緒に行動出来たら嬉しいもん、私わかる。せやのに、……そうかぁ」
般若さんが、寂しそうに言い、今回の呪いについて、車内の皆に説明を始めた。
キメラの秘術を茂吉に話したのは弓弦斎こと、栄七。
それを磐城のだんなに伝え、実行したのは茂吉。
『呪いはもういい』と言った磐城の言葉に反し、茂吉は呪いを無かったことにしなかった。
裏方仕事が大変であることを知っている茂吉だからこそ、弓弦斎の苦労を無かったことにするのは忍びなかったし、無かったことにしたくなかった。
そして、合成獣、が『秘密の共有』となることで、二人の絆をいっそう強固にしてくれることを、茂吉は期待した。
「結果として、二人の絆、二人とも最後まで離さへんかった『気』持ちの『綱』、それをキメラが、合成獣が、食いちぎった……」
「それよか、あんたら長野さん意識無くして病院に運ばれたって、心配だなぁ」
おやじさんの言葉に、
「あぁ、それなら大丈夫だと思います。この猫ちゃん落ち着いてぐっすり寝てるから」と般若さんが言った。
「なんかもう、あんたらが何言っても驚かねぇし、そういうことなら大丈夫なんだろな、って、俺完全に騙されてないならいいけど」
おやじさんが運転しながら笑い、言葉を続ける。
「さっきの海岸での事とかも、俺には音がなんかがたま~に聞こえることがあっても、別に何も見えなかった。だけど、あんたらには何か見えてたんだろ? 静太と兄ちゃん姉ちゃんは、同んなじとこを真剣な眼差しで見つめてたり目で追ったりしてたもんな」
その言葉を角成が聞いて、
「えっ? 何も見えなかったんですか? 一斗缶から炎の鳥が飛び出したのとか、かえでちゃんの首から煙? みたいなのが出て鳥とか魚の形になったり、かえでちゃんが魚と鳥のひな吐き出したり……」
「んんっ? そんなのは全く見てねぇよ。失礼な言い方だが、俺はその集団催眠にはかかってない、そんな感じだ。……たぶんだけど、母ちゃんも一緒だ。何も見えてなかったと思うぞ」
「そうだったんですか、それなのに……」
角成のその言葉に、
「あぁ、信じるよ。三人が同じ方向に向いて同じリアクションだったし、大人しくって控えめな兄ちゃんの、あんな大声聞くとは思ってもいなかったし。最初からすべてが真剣にことが進んでた。あれ見て信じなきゃ俺も終わりだよ」おやじさんが穏やかな口調でそう言った。
病院に到着した。
夜間通用口で玄宗さんとかえでが診てもらっているところを聞き、そのあと般若さんが『うちの弟のケガがどうのこうの……』と、ねじ込んでいる。
角成とおやじさんと静太は、まず意識不明の玄宗さんのところに向かい、
「身内の者です」と言って、処置室に入れてもらう。
町会長の奥さんらしき人がいたので、みんなでお礼を言っていると、
「お手洗いに行かせてね」と言って、気を利かせたのか処置室を出た。
若い男性医師が、
「この人は、いつもこんなに唇シワシワですか?」と角成に聞いた。
「いいえ、唇のこんな深い皺は、……見たことないです」
「じゃぁ、たぶんですけど、脱水です」
「あのぉ、それってぇ、死にませんか?」
何を聞いていいかわからなかったので、角成は直球勝負(ただし暴投)に出た。
「うん、さっきCTとX線、レントゲンですね、それで見たんですが、脳も心臓も詰まってないし、バイタル、血圧脈拍呼吸心拍数全て落ち着いてますんで、今してる点滴と、もう一、二本ぐらいで、明日普通に歩いて帰れると思いますよ」
静かな寝息を立てている玄宗さんの横で、医師はそう言った。
「……よかったぁ」
角成が安堵した。
「河内さまぁ~」と、女性看護師さんが廊下で呼んでいる。
角成が『は~い』と返事をし、隣の扉に入る。
医師が来て角成の両手を消毒する。
右手は表皮が切れていただけなので縫合の必要はなく、抗生剤の軟膏を塗りガーゼとテープで、左手は軟膏を塗り乾かしただけだった。
「右手は一週間か十日もあればかさぶたはがれると思います。左手はひょっとしたら、水膨れになるかもしれません。それと、左肘もケガしてるんですよね? ちょっと診せてもらえますか?」
医師は、袖をまくった左肘の上腕後部を診る。
「あれっ? これかなり深そう、腕腫れあがって熱持って、……しかも、なんか傷口に砂入ってるから、洗浄しないといけないですねぇ。かなり痛いから局部麻酔したいんだけど……。麻酔医の先生今日はまだいるからそっちは大丈夫なんだけど、……河内さん、ひょっとして未成年? だったら、うちの病院は念のためで保護者さんの同意が必要なんですよ」
そう言って、傷口の周りを冷やすように、アルコールを少し塗ってくれた。
角成が、
「電話ではだめですか?」と聞いたが、医師は、
「う~~ん……、基本的に確実な確認取れない方法は、ダメなんですよ」と考え込んでしまった。
その時、処置室の外の廊下から、角成の耳に馴染んだ騒がしさが聞こえて来た。
「親族ではありませんが、身内くらい親しい人だったら~……」
角成が廊下の方を指さして言った。
「いっっでぇぇぇぇlっ!」
レントゲン撮影の後、角成がベッド上で三人がかりで押さえつけられている。
同意書・承諾書の類は、コンビニとコインランドリーから帰って来た若菜が、角成の両親に電話をし、病院に若菜を代理にする委任状をFAXで流してもらって、若菜が必要書類に署名し、そして、何度も『緊急を要することなので特例です』と言いながら、病院側はしぶしぶ承知してくれた。
そして今、傷の近くに麻酔の注射を打たれ、角成が叫びながら、激痛に耐えている。
「この麻酔の注射が、麻酔が必要なくらいすごく痛くって、しかも傷に合わせてかなり深くまで入れたから。あとは少々の事しても痛みがほとんど無いから、麻酔効くまでちょっと横になってて」
麻酔医にそう言われ、角成が横向きに寝てじっとしている。
目を瞑ると、幼いかえでと手をつないだまま昼寝をしたことを思い出した。
「……はぁ、かえでちゃん……」
「呼びました?」
その声に、角成が驚いて上体を起こす。
「私、新庄 楓、ですが、お会いしたことありましたっけ?」
ベッド横には、ベテラン看護師さんが立っていた。
「いっ、いえ、あのぉ……」
「かえで違いですね。 ……久しぶりに『ちゃん付け』で呼ばれたのに、なんだか残念です」
楓さんがいたずらっぽく笑う。
その後角成は、優しい医師と看護師さんたちに囲まれ、激痛の傷口洗浄を、何度も麻酔の追加を懇願したが(肉体的な負担増から)全て却下されて、全身汗だくで終えた。
処置が終り、体温が三十七度を超えていたので、念のための入院、と言っても、処置室の空いているベッドでの安静を、角成は言い渡される。
玄宗さんとかえでのことが心配だったので、角成がこっそり廊下に出るとおやじさんがいて、玄宗さんのところに案内してくれた。
玄宗さんを診てくれた医師の横に、般若さんと若菜と町会長の奥さんがいた。
「それでは、何かあったら遠慮せず呼んでください」
そう言って医師が出て行った。
「あんた、腕の穴ぼこ大丈夫なん? さっき『イデデデデ』とか声聞こえてたけど、今普通に歩いていつものシケたツラ……。あんた、ちょっとホンマに大丈夫?」
眠る玄宗さんの横で、若菜が心配そうに角成の顔を覗き込んだ。
「疲れて眠いだけで、僕も寝たら大丈夫、……だと思う」
その時、町会長夫人は『ちょっと失礼』とスマホのメール着信を見て、
「それじゃぁ、主人が迎えに来たので帰ります。さっき病院の人に聞いたら、事件性のない、単なる脱水で倒れた人、ということらしいので。このしょぼくれたお兄さん置いたままだけど私は帰りますね」そう言った。
その発言を聞いて角成は、
(あれっ? 玄宗さんにおキツネ様まだ戻ってないの?)と思ったが、黙っておいた。
「なんでしたら、ひっぱたいて叩き起こして、お礼言わせましょうか?」
般若さんが鬼らしい発言をする。
「それは、やめてあげて。……言っちゃぁなんだけど、こんなかわいそうな感じの人、……ゆっくり休ませてあげて」
町会長夫人は魅力的ではない玄宗さんにも、優しかった。
般若さんと若菜は何度もお礼を言いながら、正面玄関まで送って行った。
角成が玄宗さんのベッド横に立っていると、おやじさんが来て、角成を廊下に手招きする。
「今、母ちゃんから聞いたんだ、かえでさんのことなんだけど……」
「何ですか?」
「救急車に乗ってすぐに意識無くなって、今はただ眠ってる、ってことだって」
角成は、
「そうですか……」としか言えなかった。
おやじさんが、
「こっちだ」と言って案内する。
ナースステーションに最も近い処置室のベッドで、かえでは右側を下にして体を丸めて眠っていた。
「僕が付いていますので、おかみさん、おやじさん、と静太さんは帰ってもらって大丈夫ですよ」
「……そうね、お医者様が仰るには、ただ眠っているだけ、なんだって。これと言って私たちのすることって、心配することくらいだもんね。わかった、今日は失礼するけど、何か困ったこととか必要な事があったら呼んでね。それまで家にいるわ」
おかみさんがそう言って、三人は若菜の車を駐車場に置いて、末広湯に帰って行った。
角成がナースステーションに、かえでの隣のベッドで休んでいることを伝え、事情を話し丸椅子を借りる。
かえでの横で丸椅子に座り、点滴を打つかえでを見つめる。
「頑張って、頑張って、頑張り抜いて、やっと今日を迎えたんだから、……やっと会えたんだから、これから色々一緒にできるといいね、色々な事、楽しい事」
何となくそんな言葉が角成の口から出た。
かえではすやすやと眠っている。
その時角成は、かえでの家族に連絡するのを完全に失念していたことを思い出す。
処置室を出て、誰もいない受付から病院のパンフレットをもらい、夜間通用口から外に出る。
外は肌寒く、角成がぶるっと一つ震えてスマホを操作する。
ロビーでも電話はOKなのだが、誰かの迷惑になるのが嫌なので、外に出た。
「天美さんですか? 河内です」
「角成クン、天美です、篤義です」
「かえでちゃんは今病院にいます」
「わかった、用意してそちらに向かう」
「かえでさんは大丈夫なので、ゆっくり来てもらっても大丈夫、……だと思います」
「思うとは?」
「点滴以外は、管とかピーピーなる電子機器は、身体に付いていませんので」
「そうか、それなら、安心……、とは言えないが、そう深刻でもなさそうだね」
「現状は、眠っているだけ、だそうです」
「今日の夜明け前に姿消したって話やから、疲れてるんやろな。……で、呪い……のことなんやけど……」
「あっ、それ言うの忘れてました。それなら大丈夫です。僕たちのチームとこちらの方々の協力で、呪いは解けました」
角成はわざと軽く言った。
電話の向こうから、数人の大人の男女の叫びと泣く声が聞こえた。
「天美さん、一つお聞きしたいことが……」
「ひょっとして、加津佐のこと?」
「はい」
「加津佐は今病院だけど、大丈夫。さっき目が覚めて夕食と、その後にお高いプリンを三つ食べて、今病室で寝てるって。それで、聞きたいことがあってね」
「はい、何でしょう」
「加津佐の肩から脇腹にかけての痣なんだけど……」
角成が固唾をのんで続きの言葉を待つ。
「なんか、痛くもかゆくもなく皮膚が、というか、鱗みたいになってたとこが、ポロポロ剝がれ始めたらしいんだ。……それって、大丈夫だよね?」
「たぶん……、はい、大丈夫じゃないですかね?」
「そうやよね、角成くんお医者さんやないもんね、陰陽師さんやもんね」
角成は照れて『はぁ』と『あぁ』と『まぁ』の中間くらいで返事した。
「連絡してくれてありがとう。それから……」
「はい」
角成が姿勢を正す。
「呪い、というか、うちの家系に巣くった因縁。……何と言うか、本当にありがとう。心から感謝してる。……ありがとう」
最後は涙声だった。
角成の心の片隅に、何かが引っかかったが、漠然としていたので黙っておいた。
「では、明日。ゆっくりでいいですよ」
角成がそう言って電話を切る間際、ひときわ大きな、秋恵お母さんの泣き声が聞こえた。
第四章 第五節 うらどうし 終
第五章 饒舌な鏡
第一節 饒舌な鏡
に続きます。




