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ソウル ロンダリング2(裏導師) 饒舌な鏡 ~南大阪御伽草子~(仮)  作者: 富田林 浩二
第三章 迷彩収集

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第三章 迷彩収集 第四節 証文


 *



 夕日が宵闇に追いやられ、足元にいっそう注意が必要になる時間帯、弓弦斎と茂吉は峠道から視界が少し開けた場所を歩く。

 この日は終日移動に費やしたため、二人は目的地を前に少し疲れて口数も少なかった。

 丘陵地帯を越えるとまばらな人家があり、さらにそこを超えるとこの土地でいつも利用する馴染みの宿屋がある。

 あと少し、あと雑木林をほんの三つほど越えれば、賑やかな集落の大木戸がある。

 二つ目の雑木林にさしかかると、木々がざわつく。

 逢魔が時にふさわしい魔の気配。

 茂吉が黙って弓弦斎の前に出る。

 スッと右手を帯の後ろに挟んだ道中差しに伸ばし、左手で背負子を外しにかかる。

 ザザザッ、と頬被りすらしない与太者が三人、通せんぼするように木の陰から出てきた。

「かっ、金さえくれりゃぁ殺しはしねえ。黙って出せ」

 真ん中の男が上ずりぎみの声で言った。

 三人とも若い男である。

 自分の十年ほど前の姿を見るようで、茂吉はイヤな気持ちになる。

 茂吉自身は、追いはぎや強盗や盗人はしたことがない。

 だがそれは正確には『したことがない』のではなく『誘われたことがない』だけのこと。

 誘われればこの若者のようにやっていただろう。

 茂吉が思い出したくない過去を追い払うように口を開く。

「夏も冬も汗水垂らして、どなた様にでも頭下げまくって頂いた虎の子。てめぇらを遊ばせるために、世間様から預かってるわけじゃねえ」

「ほう、威勢がいいじゃねぇか」

 最後に出てきた右側の男が頭目なのか、それとも単に年が上なのか落ち着いた様子で言う。

「こっちもてめぇらとあんまし変わらねぇか、もっとひでぇ暮らしを送ったこともあるんでな」

 三人を相手に全く目を逸らさず、茂吉はしゃがんで背負子をそっと地面に下ろした。

 そしてスッと立ち上がりざま手を後ろにやるが道中差しには手を触れず、尻端折りしてあった着物の裾のゆるみを今一度ぐいと引き上げる。

 薄暗がりの中、その姿が堂に入っていたことで、三人の暴漢のうち二人が少しひるむ。

 それを見て取った茂吉は、

「先生はどっか別の方向から人が飛び出してこねぇか見張っといて下さいやし。あっしがこの三人きっちり料理しちまいやすんで」と言って、ひるんだ者達に精神的な追い打ちをかける。

 ひるんだ二人は顔を見合わせ、そして、ダッと走って逃げる。

 残ったのは先ほどまで落ち着いていた男。

 三対二であったはずが今は一対二。

 だが一人は大きな荷物を担いだままじっとしているだけ。

 実質一対一のようなものである。

 男は考える。

(荷物を下ろしたこの男さえどうにかできれば……)

 それをまるで聞いたかのように、

「俺を何とかできればと思っても、お前さんには無理だ」茂吉は、道中差しを体の前に持って来て相手に柄を向け、逆手に柄を握り、左手で鞘を絞るように握って言う。

「なんだとっ!」

「仕込みが違うよ」

 男が匕首を懐から出すのと同時に、茂吉は道中差しを抜く。

「ちっ!」

 刃の長さが違うだけではない。

 匕首は隠し持つものであるために、相手の攻撃を受けるためのつばが付いていない。

 ということは、斬り合い用の武器ではない。

 一方茂吉は立派な装飾まで施したつばが付いた、どう見ても刀と呼ばれる物を、逆手から両手持ちにひょいと握り直す。

「お前らド素人にはあきんどが獲物に見えるかもしれねぇ。だがな、あきんどは別のエモノ(武器)を持ってる、ってぇことを、今日覚えて、地獄へ行きな」

 そう言って茂吉が刃を下げる。

「くっ、くそっ!」

 その男は匕首を闇雲に投げて逃げる。

「あぶねっ!」

 それだけ言って茂吉は避けもしない。

 だが、

「うわぁっ!」

 弓弦斎の声のする方向に匕首は飛んで行った。

「ひぃっ、ひいぃぃ」

 弓弦斎が悲痛な声を上げる。

「先生っ!」

 茂吉がそう叫んで足元にあった棒切れを逃げる男に向かって投げる。

 棒は地面で一度弾み、逃げる男の足に絡みつくようにして男を転ばせた。

 茂吉が走って起き上がろうとする男の背中を蹴る。

 男が前のめりに倒れ、顔から水たまりに突っ込む。

 立ち上がろうとする腹ばいの男の背中を茂吉は踏みつける。

 顔がもう一度水たまりにつかる。

 茂吉が男の背中を右足のすねで押さえつける。

 人間は腹ばいの状態で背中を誰かに押さえられると、それだけで起き上がることができない。

 押さえる方はそう力がなくともできることなのだが、押さえられた方は完全制圧されたことで、絶望感や屈辱感を瞬時に味わう。

 そのことを我が身で知っている茂吉が、男を押さえ込んだ。

 頭に血が昇った状態の茂吉は、男の総髪の髷をつかみ、水たまりに顔を押しつける。

「このバカ野郎っ! 先生に向かって何しやがんだ。よりによって何で俺に投げず先生に」

 茂吉の右手には道中差しが握られたままである。

 髷を引き上げ、男を反らせる。

「刃物ってぇのは刺さると痛い、切れりゃぁ痛い。それくらいのことお前はわからないのか!」

 刃の幅が広い部分を男の首筋に当てる。

「お前みてぇな野郎、今助かったら二度とこんな目に遭いたくねぇから、次は確実に人を殺すだろ?」

 男は身体を反らされて声が出ないのか、それとも恐怖から声が出ないのか、息が漏れる音を発しながら首を横に振る。

「俺はな、お前みてぇな奴を何人も見てきた。皆、碌な奴じゃなかった」

 茂吉は刀をゆっくり傾け、刃の部分を首に当てる。

「だからいいだろ。もう好き勝手放題、人様やら世間様にかけられるだけの迷惑かけただろ」

「ひっ、ひっ」

 刃が首に当たっているので男は首を振れず、情けなく息の漏れる音だけをさせる。

「そんだけ人様困らしゃぁもう満足だろ、えっ」

「はっ、はぁっ、はぁっ」

 男の息がいっそう早くなる。

「 ……おい、あきらめろ。 ………すまんな、お前のその命、  …………今俺にくれ」

「ダメだ、茂吉さんダメだ……」

 荷物を降ろした弓弦斎が、這うようにして近付き声を振り絞るように言う。

「ダメだ、ひとごろしだけは、何があっても、それだけはダメだ。私にケガはない、だからダメだ、絶対に」

「先生、こういう奴は放っとくと絶対にまたやるんだ」

「それでもダメだ」

「先生、こいつら生かしといたら絶対に罪のない人間を傷つける」

「それでも、裁くのは私達の仕事じゃない。裁くのは天の仕事」

「天が裁く前にコイツらが誰か殺したら!」

「茂吉さん、だったら、……だったら、あなたがもし今裁いて、今後その重圧に耐えられますか?」

 茂吉は、

「耐えてみせる」と言おうとした。

 だが、昔の悪仲間で人を殺めたことのある人間が、毎夜々々ひどくうなされるのを見て知っていた。

「茂吉さんにはもうつらく苦しい人生歩いて欲しくない。だからお願いだ、刀を収めて」

 茂吉が苦々しそうな顔になる。

 怒りからか、悲しみからか、はたまた人を殺めることに臆したからか、刀が震えた。

 震える刃に、男の呼吸の乱れもいっそう激しくなる。

 弓弦斎は茂吉と男の正面の水たまりの中で、着崩れた着物が汚れることも厭わず膝をつき、男の顔をのぞき込む。

「茂吉さん、さっ、刀をどこかにやって。この人の目はキレイだ」

「せっ、先生」

 茂吉が唇を噛む。

「私の目を、人を見る目を信じて、その刀を、ほら……」

 そう言い弓弦斎は、

「どうか、どうかお願いでございます。このお人を殺さないでやって下さいまし」

 水たまりに顔をつけて土下座した。

 ひどい緊張からの解放からであろうか、度胸のない自分を責める気持ちから来る悔しさだろうか、それとも弓弦斎の優しさが染み通ったからであろうか……。

 茂吉は涙がでた。

 そっと刀を男の首から外し、髷を持つ手と背中を押さえた脛をゆっくり放す。

 弓弦斎が匕首を男に返そうとする。

 男は膝をついて座り、それはいらない、と、しきりに断っている。

「それなら……」

 と、弓弦斎は男のふところにある匕首の鞘を一朱で買い取る、と提案する。

 あっけに取られる二人を尻目に、弓弦斎が懐紙に銀貨を丁寧に包んでいる。

 男は押し頂くようにそれを受け取り、遠慮がちに小さな白鞘を差し出す。

 それを今度は弓弦斎が押し頂くように受け取り、

「ありがとう」と、相手の目をしっかり見て言った。

 茂吉は釈然とせず黙ってそのやり取りを見ていた。

 男が何度も頭を下げて去って行く。

「茂吉さん、よく我慢してくだすった。助かりましたよ」

「いえ、助かったのは、……こっちの方で」

 茂吉と弓弦斎が荷物を背負いながら言った。

 そこから宿までは四半時(三十分)足らずで着いた。

 弓弦斎は到着だけ告げて茂吉を宿に残し、着替えもせず汚れたままで件の道中差しだけ持って出て行った。


 弓弦斎が宿に戻ると、茂吉が湯に行く用意を調えて待ち構えていた。

「先生、男前を磨きに参りやしょう」

 宿の女中さんに刀を預け、そのまま風呂場へと向かう。

 風呂場では二人は一切の会話を交わさず、その日の汚れをじっくりと洗い流した。

 部屋に戻ると簡素ではあるが食事も用意されていた。

 時間外の投宿は素泊まりが決まりである。

 当然コンビニどころか電灯すらない時代である、食べ物屋もそう遅くまで営んではいない。

 なので、こういう時に馴染みの宿があるとそのあたりの融通が利き何かと助かった。

 二人の膳の間に、弓弦斎が道中差しを置く。

 茂吉は顔を上げず自分の膳だけを見つめる。

「命、大切ですよ。誰の命も」

「はい……」

「私はご存じの通り、もともと担ぎの薬売りで、今は薬も売れば悪いモノも祓います」

 茂吉は静かに頷く。

「私は命が尽きかけた床に何度も呼ばれたことがある。……バチ当たりな話ですが、それが結構なお年の人ならあまり私の心は騒ぎはしなかった。でも、それが年端もいかない子供だったら……」

「 ……騒ぐし痛いですね、心が」

「それまで会ったこともないのにね。勝手なもんです、私の心なんざ」

 茂吉は黙って頭を下げる

「それでこの刀ですが……」

 階段を登る足音が二人の会話を遮る。

「もし、失礼致します」

 障子の向こうから宿の主人が声をかける。

「いやね、泥まみれの二人連れがこの宿で休んでないか、って聞いているお方様がおられまして、ひょっとして先生と茂吉さんのことかと思いまして……」

「何の用か言ってましたか?」

 警戒しながら茂吉が聞いた。

「謝りたい、とか何とか……」

 茂吉が険しい顔を弓弦斎に向け、弓弦斎はにこやかな顔を作り頷き、二人はそのままの表情で顔を見合わせる。


 茂吉が先に降りて、一枚だけ外された戸板のところにいる二つの人影に声をかける。

 その人影は提灯の明かりを自分の連れの前に持って行き、

「この度は弟がとんだご迷惑を……」そこまで言って深々と頭を下げた。

 藩役職氏素性の一切はご勘弁を、と前置きし、自分の監督不行届を平謝りした。

 そこに弓弦斎が出てきて、先程の男の顔を見るなり、

「おや? このお方はどなた様で? 私どもが見知った不届きなお方はもっとこう面構えがこのように……」そう言いながら神妙な顔をした後、

「お人違いでございます」姿勢を正し、にこやかにきっぱり言い切る。

「いや、しかし」

「お人違いでないと、たかだか町人の分際でお武家様に手を上げた不届き者がここにおることに……。ここは一つ、失礼とは存じますが、そちらのお武家様には、今一度泥をかぶって頂けましたら、当方助かるのでございますが」

 文字通り、まだ水たまりでついた泥を落とすことを許されない侍に言った。

「そうは参りませぬ、全て悪いのはこちら。それに、……弟の末路はすでに決めております」

「先生、このお武家様のおっしゃる通りかと存じます」

 弓弦斎の後ろで茂吉が失礼にならぬよう、控えながら言う。

「けりをつけたいとご本人がおっしゃるのなら、それにお答えするのも我ら町人のつとめ」

 茂吉が頭を下げる。

 そこで始めて、先程茂吉に取り押さえられた男が口を開く。

「先程はご迷惑をお掛けして……。今日悪い仲間と、……そのぉ」

 男は両膝をついて下を向く。

「お武家様、もう結構でございます」

 弓弦斎のその言葉に、

「そちらのお方のお言葉が身に沁み……、俺は、いや、拙者このままではいかんと思い、この度の事、人としてのけじめをつけねば……」

 若い侍が懸命に話そうとするが、最後は言葉にならなかった。

 まだ身なりも髪も汚いままで、相当に情けない惨めな心持ちであることは容易に察することができる。

 この時代も現代と違わず、路上強盗は重罪である。

 しかもこれが、加害者が町人で関係機関に逮捕されれば、本人がそれなりの罰を受けて、その家族は ところばらい(居住地域から追放=生活基盤を失う)という連帯責任でかなりの重責を負わねばならない。

 だが今回は武士が加害者である。

 この一件を藩の他の人間が知ることになれば、本人は切腹ではなく斬首刑、一族の者は監督不行届により軽くても知行取り上げ、要するに失業か、最悪の場合それに加えて切腹もありうる。

 事件が起こる前に、その家の当主が勘当してこの若い侍の監督責任を放棄し、無宿人として放逐し、その後のことならば責任はない。

 だが、事件後ではその方法も使えない。

 自ら腹を切る以外、この若い侍の武士としての威厳は保てない。

 しかも、事件が明るみに出てしまえば、一族郎党は路頭に迷う。

 自業自得とは言え、厳し過ぎる現実がそこにある。

 弓弦斎は未だ頭髪や着物の泥を落とすことすら許されない姿と、それに反した憑き物が落ちたようなさっぱりとした面持ちを見て『もう、……じゅうぶんだ』と思い、そのまま帰ってもらおうとした。

 だが、それではこの若い侍の命を救うことはできない。

 弓弦斎は必死の思いから一計を案じる。


 茂吉が素早く表戸を閉めて、往来からの目を遮る。

 弓弦斎はこの日、客が他にいないことと従業員が帰ったことを静かに確認する。

「ではお武家様、本当に悪いことをした、そうお思いなら、詫びは指一本でどうです?」

 弓弦斎はそう言い、茂吉が、

「ああっ、先生それはいけません。あれは遊女やらが岡場所ですることで、お侍様がすることじゃ……」

 と、驚きの声を上げる。

「それは、金子(きんす)のことか?」

「いいえ、その肩から生えてるものの先っちょについてる、そうです、その爪が生えてるそいつでございます」

 若い侍は、痛々しそうな顔で自分の手を見つめる。

「どうせ明日には用が無くなる体ゆえ、弟の指一本、あなた方へのお詫びの証文として置いて参りましょう」

 今回の一件が無ければ、遠くない将来家督を継ぐはずであった惣領の兄は、厳しく言い放つ。

 若い侍は歯を食いしばり、横に立つ兄の脇差しに目をやる。

「刃物の話に町人が口を挟んで良いのかどうか、お許し頂けますか?」

 弓弦斎が控えて言う。

 兄の侍が話を遮らぬよう大きく頷く。

「匕首を握りますには右手の小指が一番大事でございます。だから今回の一件のけじめに、右手の小指を頂けますでしょうか?」

 若い侍が、震える右手を見つめながら、そっと頷いた。

「ならば、先程のこちらの道中差しで、その御指頂いてよろしゅうございますか?」

 若い侍は目をつむり、覚悟を決めて頷き、

「よろしくお願い申す」立派にそう言った。

 その姿は、ほんの数時間前に山賊まがいの路上強盗を行った者とは思えなかった。

 宿の主人が見かねて、

「ここは一つ、どうか、どうか穏便に……」

 そう言って出てきたが、

「いえ、ご主人には迷惑かもしれませぬが、これは俺の不始末。今少しだけご容赦を」若い侍が、言葉は乱れ気味だがそう言い切った。

「偉いね、若いお武家様。よく言った、うんうん」

 弓弦斎がうれしそうに言う。

「ですがお武家様、それとこれとは話が別で、あいすいませんことでございます」

 弓弦斎はそう言って「お手を拝借、失礼致します」と、手ぬぐいを若い侍の右手小指にふわりと巻き、茂吉が用意した道中差しをそっと抜く。

「ご主人、ちょいと土間をお借り致します。お武家様、痛とうございますが、では御免下さいませ」

 そう言って手ぬぐいで巻かれた手の平を、片手でしっかりと掴み、その小指に向けて道中差しの刃を腰で落とす。

 嫌な音が『ごりり』と、刃から鳴った。

 弓弦斎が急ぎ手ぬぐいをぐいと引き締める。

 手ぬぐいに赤いものがゆっくり広がる。

 宿の主人が、

「ああっ、弓弦斎先生ほどのお方が、なんと、なんということを……」見損なっていた、と言わんばかりに、泣き顔で目を伏せて奥に消える。

 若い侍は暗い行灯と提灯の明かりしかなくとも、蒼白なのがはっきりと見て取れた。

 そこに茂吉がすっと出て、

「お武家様、今日はついてらっしゃいます」若い侍にそう言う。

「今日は満月。弓弦斎先生のお力がいつもより殊更強うございます。ですので先生直筆の御札にて、うまくいけば指がくっ付くやもしれませぬ」

 茂吉が懐から御札を一枚取り出す。

「お~い、ご主人、お手数ですが湯飲みにお水を一杯頂けますか?」

 奥から宿の主人が怒り顔に震える手で、水の入った湯飲みを持ってくる。

 その水を侍の指に巻かれた手ぬぐいにかけ、その上に御札を巻き、そっと揉むような仕草をする。

「あぁっ!」

 若い侍は声を上げた。

 茂吉がゆっくりと御札もろとも手拭いを外す。

 そこには五本とも指が付いた手が現れた。

「おぉっ、これは」

 兄の侍も驚きの声を上げる。

「お武家様の悪いモノは指と共に落とし、体も心も内外きれいに戻してございます」

 弓弦斎がそう言い、

「そう、これが弓弦斎先生の神通力。 ……と言いたいところなんですが、これはまやかしにございます」茂吉が後を取り、そして手をついて深々と頭を下げる。

「なっ、なんだって!」

 指を切られたと思った若い侍が、一番驚いているようだ。

「痛とうございましょ? しばらく跡が残るやもしれませぬ。申し訳ございません」

 弓弦斎も茂吉の横で、手を付き頭を下げる。

「どうやって?」

「はい、実はこの刀切れませぬ。その刀を思い切り、関節が痺れて痣になるほどに、押し付けましてございます」

「しかし、それはいくらなんでも……」

 二人の侍は釈然としないようである。

「全ては勢いでございます。嫌も応もない勢いで、宙に浮いた指を押せば指は曲がります。その後下に手を押し付けたら指は伸びるが、しびれている。今のはそれを利用しましただけで」

「なるほど、指が痛く血が付いていれば、手拭いの中で指が落ちたと思い込むか」

「左様にございます」

「だが、弟の指から血が出たではないか」

「それはこの血にございます」

 弓弦斎が自分の左手を明かりに向ける。

 小指の横に小さな切り傷があり、拳を握るとじんわりと血がにじんだ。

「これは粗忽者の私が、尾花(ススキ)を先程取りにいった時の傷でして、それを手拭いに垂らさせて頂ました。あいすいませんことで」

 その言葉を聞いて茂吉が階段を駆け上がる。

「これは何と言って良いやら、……いやぁ参った。弟の尻ぬぐいに来て、見事なものを見せてもらった」

 兄の侍が感動している。

「こちらの尾花にございます」

 茂吉が自分たちの部屋に活けてあった、まだ穂がほとんど出ていない葉ばかりのススキを花瓶ごと持ってきた。

「確かに、こちらに血が付いておるな」

 行灯の明かりにうっすら血が浮かび上がる。

「何事も勢いか……」

「左様にございます。人も否応無き状況という勢いで押されれば、流され折れ曲がりもしましょう。ですが、お武家様がこの後お腹を召されましては、私どものせっかくのまやかし、効き目が雲散霧消いたします」

 二人の侍は神妙な面持ちになる。

「私どものようなたかだか担ぎの商人が申すのも、口はばったいことと存じております。ですが、失礼を承知に申し上げます。それにはまず、本日只今お武家様がたへの刃物を使いましての失礼、誠に持ってお許し願いたく存じます。つきましては、この若いお武家様と我ら一切の関わりなし、お許しついでに、なにとぞ、なにとぞお願いを申し上げます」

 兄は瞑目し答えない。

 弟は両手をついてうつむき涙を流した。

 弓弦斎はさらに、

「この宿の主も口が堅とうございます。ですので、なにとぞ、そのお侍様のお命、なにとぞ」そう言って土間に額をすりつけた。

「そうは申しても弟の悪友二人、我が敷地内にとどめて明日夜明けに弟と共に……」

「私ども、もう既に先程のお武家様の指と共に、何もかも頭の中から落としましてございます。ですので、皆様とどこぞでお目にかかりましても、どこのどなたともわかりませぬこと、と存じます」

「うぅむ……」

 兄侍は提灯を持ったまま腕組みし思案する。

「なにとぞ、なにとぞお願い申し上げます」

 弓弦斎と茂吉が二人で土間に額をすりつけた。

「その方ら二人の世知長けた心遣い、誠にありがたく思う。だがなぁ……」

「ではお武家様、簡単なけじめを取って頂けましたら、それで……」

 弓弦斎はなぜか横にいる茂吉の頭をそっと撫でた。

 兄の侍はその姿を見て、

「ふぅむ、けじめとな……」

 そしてまた瞑目し、

「あいわかった。何から何までかたじけない」そう言い宿屋の戸を開く。

 帰り際若い侍は、

「この度は本当に申し訳なかった」涙声で謝った。

「お武家様、もうおやめ下さい」

 弓弦斎がそう言い、そして、

「ね、茂吉さん言ったでしょ、私の人を見る目は確かだって」と、うれしそうに笑った。


 一連の騒動も収まり、弓弦斎と茂吉は部屋に戻り、すっかり遅くなった夕食を再開させる。

「そうそう、さっき言おうとしてたのはこの刀のことですが、さっきお侍様の前で言ったように、刃を落としてもらいました」

 そう言って弓弦斎は頭を下げた。

「先生、申し訳ないのはこっちだ。実はそのぉ、全て知っておりやした」

 弓弦斎が、

「うわぁ、これは悪いことはできませんね」

 そう言って笑う。


 いつも茂吉に心配かけまいと、何も言わずに姿を消すことなど決してしない弓弦斎が、宿に着くなり一人で急ぎ出て行った。

 気になった茂吉はこっそりと後を追う。

 弓弦斎は宿屋のすぐ近くの研ぎ屋の裏木戸を叩く。

 中から研ぎ師らしき職人が出てきて、弓弦斎を笑顔で迎えている。

 裏木戸の内側で弓弦斎が、

「もったいない話で恐縮なんだが」そう旧知の研ぎ師に話し始める。

「先生、何でもおっしゃって下さいまし」

「刃を、……こいつの刃を落として切れないようにして頂くことはできますか」

「はいはい、それならいくらでも」

「やって頂けますか?」

「刃を立たせるのは時間がかかるが、落とすのはそう難しくはない」

「では、明日にでも……」

「お急ぎなら今すぐにでも」

 そう言って研ぎ師さんは道中差しを抜く。

「モノはいい」

 刀身を行灯にかざしてあらため、そして砥石を持ってきてすぐに作業にかかる。

「弓弦斎の先生、あきんどさんがこれで、本気になって身を守っちゃいけねぇ。だからこれは良い心がけでござんすなぁ」

 そう言いながら目釘を抜き、柄から刀身を抜く。

「綺麗ななかごじゃございませんか。人の血を吸った刀はここが嫌な色しやがるんで」

 研ぎ師さんは刀身だけを持ち、月の明かりで刃を確かめる。

 そして慎重にゆっくりと刃を落としていった。

 道具としての機能を残すため、つばから二寸たらずのみ刃を残し、そこから先端までは刃のない刀になった。

「うんうん、これでいい」

 弓弦斎がうなずくと、

「実は私も、こういう刀の方が好きですよ」研ぎ師さんが声を顰めて言った。

「刀をひとごろしの道具にしちゃ、……かわいそうですよね」

 弓弦斎が笑顔で言った。

「床の間に飾っとくだけ、ってのも、どことなくかわいそうですが、それが本来の姿、であってほしいです」

 そう言って研ぎ師さんも笑った。

「危ない目にお遭いになったんですね?」

 研ぎ師さんが刀を返し、静かに言う。

「ええ。大事な大事な私の兄弟が、心だけあっちの世界に取り込まれそうに……」

「刀が綺麗だということは、それを防ぎなすったんで?」

「ええ、なんとか」

 弓弦斎のその言葉と着物の汚れを見た研ぎ師さんが、

「そいつは先生大変でしたね。いったんあっちに取り込まれたら、それこそもう二度とこっちに戻れねぇかもしれねぇ。それが大事なご兄弟なら……、本当によろしゅうございましたねぇ」

 しみじみそう言った。

 刀の研ぎ師という仕事をしていると、様々な人達を見、様々な話を聞き、中には因果な話や悲惨な話も聞いたであろうし、時には崩壊・転落していく人間を、見たことがあるのかもしれない。

 研ぎ師さんは言葉少なに、弓弦斎を送り出した。

 このやりとりのほとんどを茂吉は隠れて聞いていた。


 そして宿屋の主人が熱燗を持って上がって来た。

「先生、茂吉さん、お願いだから納得いく説明をして下さいな。でないと私は、こいつを何本飲んでも眠れそうにありません」

 酌をしながら懇願する。

 弓弦斎はばつ悪そうにぽりぽりと額を掻き、宿屋につく前の出来事は『喧嘩になりそうだった』と噓を言い、それ以外の事は、道中差しの刃を落としたことや、それを茂吉が知っていたことなども話した。

「ではあの尾花ですが、あれは私が裏の土手から刈ってきたもので、血は付いていないはずですが?」

「あれは私のですよ」

 茂吉が言う。

「それじゃぁ、持って来る時に付けたんで? こりゃぁ油断ならねぇお人達だ」

 そう言って宿の主人は笑う。

「先生の手の傷、あれは匕首を避ける時か拾う時についた傷、あっしはそう思いやした。だがお気持ちの優しい先生は、あの場でそれをお武家様に言うわけがない。だから咄嗟にそこに活けてあった尾花のことを思い出して言ったんだろうな、と。そのことに気付いたら、そこはあっしの出番でしょ。その尾花の花瓶を抱えながら、しゅっ、とね」

 茂吉は左手の小指の横の傷を見せて言った。

「ほぉ~っ、お二人ともなんと息の合った。しかしその傷、大丈夫ですか?」

「ご主人、お武家様が町人に頭を下げることに比べたら、このくらいの傷、どってことねぇこってすよ」

 茂吉が返杯しながら言う。

 杯を干した店主が膳を片付けて床を延べ、

「これですっきりした。すっきりついでに全て忘れちまった。先生、茂吉さん、ゆっくりおやすみくださいまし」

 そう言って下って行った。

 横になる前に茂吉が手をつき、

「先生、約束します、……約束させてください。今後、人様の命を頂戴するような真似は絶対に致しません。そのための証、証文の文字血判なんざ所詮紙きれ、そうおっしゃるなら、指なり腕なりお好きなところを差し上げます」

 そこまで一気に言う。

「茂吉さんついた手をあげて下さいな。それと、証文なんざいらない。言ったでしょ……」

 茂吉がそっと目を上げる。

「私の人を見る目は確かだって」

 幼少から青年期にかけて寂しい人生を送ってきた茂吉は、感極まって一滴だけ涙を流した。

 その嬉しさに浸りながら、

「あっしは先生がなんで賭け事なさらねえのか、今日ハッキリわかりました」と言った。

「ほう、それは?」

「先生は人生を張った賭け事ばっかり、してらっしゃるからですよ」

「なるほど、うまいこと言う」

「先生、一つだけお願いがあるんですが……」

「何ですか?」

 弓弦斎が穏やかに問う。

「今度一緒に賭場に行きやせんか? 先生となら勝てそうな気がするんで」

「私は駄目ですよ」

「やっぱり賭け事は駄目ですか」

「私の勝負運は今日で使い果たしたかもしれません。ほら、二人ともこうして元気なままだ。だからこれからも、賭け事しても大した結果は望めない、そう思いますよ」

 弓弦斎はそう優しく言った。


 次の朝、茂吉は出かける前に宿屋の正面に置かれた縁台に腰掛け、道中差しの鞘の鯉口の細い部分の、右に『えいしち』左に『しげはち』と、小さな文字を彫った。

 これは、この刀を軽はずみに鞘から抜き差しすれば、二人のうちどちらか、もしくは二人とも傷付く。

 そうならぬよう、この刀を持つ者、茂吉が自らを戒める、という意味で彫ったのである。

 後に印判師として身を立てた手先が器用な弓弦斎とは違い、茂吉の彫った文字はお世辞にもきれいではない。

 だがその気持ちを弓弦斎はひどく喜び、

「これほどまでに心を込めてもらった私の名前を今まで見たことがない。しかも、茂吉さんの名前、私が授けさせてもらった、万一のとき用の名前、茂八……。茂吉さん、しっかり頂きましたよ、証文」そう言ってしっかりと茂吉の手を握った。


 出発の準備も整い、荷を担いだその時、

「あいすまぬ。少しよろしいかな」昨夜の兄の侍が編み笠をかぶり、羽織袴姿で声をかけてきた。

「はい、何か私どもに失礼がございましょうか?」

 弓弦斎は膝をついて控え約束通り目を伏せ知らぬふりをし、茂吉も片膝をついて控え道中差しを背中側にまわすという、武士に対するいつもの動作をする。

「独り言を言うが許せ」

 弓弦斎と茂吉は黙ってわらじのひもを確認するふりをした。

「今朝夜明けと共に……、三人のけじめしっかり取らせて頂いた」

 茂吉がぐっとこらえて顔が赤くなる。

「先程、昨日の雑木林のところでさらしておいたので、関わりあるものとして通りかかり、確とあらためてもらえれば助かるのだが」

「なんでそんなこと、昨日せっかく先生が……。なんで……。しかも晒すなんざ……」

 茂吉は泥で汚れた若い侍の、きれいな眼を思い出して泣いた。

 悔し涙だった。

「聞き遂げてもらえればそれで良い。頼んだぞ」

 弓弦斎が黙ってうなずく。

 二人は荷を担ぎ、黙ったままうつむき歩く。

 昨日の雑木林、弓弦斎たちの向かう方角とは逆である。

 弓弦斎と茂吉は黙ったまま雑木林まで来た。

 茂吉があたりをきょろきょろ見回すが、晒し首を置く台は見当たらない。

 そこに先程の侍が木の陰から現れ、

「よく来てくれた、礼を言う」そう言った。

 そこに昨日の三人が、別の木の陰から現れた。

 兄の侍同様、羽織袴に編み笠をかぶっている。

 三人が武士としての責任を取り、切腹し首を切られたものと思っていた茂吉が、

「先生、嵌められたようで」そう言って、背後の腰に差した道中差しに手をかける。

「茂吉さん大丈夫だ、この人達の眼を見てごらんなさい。それに、お三方とも刀を差してもいない」

 弓弦斎が手のひらで茂吉を制して、優しく言う。

 茂吉が警戒心を解かずにそっと視線を上げた。

 そう言われて見てみれば、皆微笑んでいる。

 皆穏やかな眼をしており、決してあざ笑ってはいないように思える。

 だが危機管理意識の強い茂吉には、自分たち二人と宿の主人を亡きものにすればと、ほくそ笑む、という可能性を捨てずにいた。

 そこに昨日の若い侍が、

「昨日は大変申し訳ないことをした。お許し願いたい」と言い、

「そのようなお言葉、縁もゆかりもねぇお武家様から頂くのはご勿体ないことでございます」弓弦斎は約束通り、知らぬふりをした。

 昨日の若い侍がそこで一歩すっと出て、

「これを受け取って頂きたいのですが」そう言って、懐に手を差し入れた。

 尚も警戒する茂吉に気を遣い、弓弦斎がスッと前に出て膝をつき、若い侍から両手で頂戴する仕草をとる。

 それは、さらしに包まれたものであった。

「あらためさせて頂いてもよろしゅうございますか」

 その言葉に、

「どうぞ、おあらため下さい」若い侍は軽く頭を下げながら言った。

 弓弦斎が膝の上でさらしをそっと開くと、もとどりから切り取られたまげが三本入っていた。

 弓弦斎は兄の侍の方を向き、それを自分の前に置き、手をついて深く頭を下げた。

 茂吉はさらしの中身が何か見えなかったので、そっと弓弦斎の肩口からのぞき込む。

「あっ、それっ! じゃぁ、けじめって毛を絞めてまとめてある? ……それを晒すって、さらしで巻いて?」

 茂吉がそこまで言うと、昨日の三人の侍がすっと編み笠を脱ぐ。

 三人とも丸坊主であった。

「そちらの先生のお言葉通り本日夜明けに、毛、絞め、取らせて頂き、本人達の意志でそのまま剃った。こ奴らなりに反省もしておる様子にて、どうか、これにてご勘弁」

 そこまで言うと、弓弦斎と茂吉の前で手をつき頭を下げた。

 三人の若い侍達も同じように手をつき頭を下げる。

「申し訳ございません、お武家様。お手をお上げ下さいまし、どうかお手をお上げ下さいまし」

 その時強い風が皆の前を横切るように吹く。

 その風に兄侍の編み笠が飛ばされる。

 兄侍も頭を丸めていた。

 それを見た茂吉は、

「あ~ぁ、やっちまいましたね、お侍様がた。そのお姿でお役目大丈夫なんでございましょうか?」

 笑いを堪えながら言った。

「まっ、なんとかなりましょう」

 兄侍は笑いながら、自分の頭をするりと撫でた。

 三人の若い侍達も後ろで晴れやかな表情をしていた。

「見ず知らずのお武家様のお役目まで心配をなさるとは、茂吉さんも相変わらず人が良い」

「そうでした、先生。あっしとしたことが余計なお節介でした。お武家様がた申し訳ございませんでした」

 そして弓弦斎は一人ずつ立たせ、兄侍にさらしに包まれたまげを返し、その場を立ち去った。


 茂吉は人家も人気もない峠道まで来た時ついに吹き出した。

「茂吉さん、よく我慢しなすったね。私ももうちょっとであのお方達の前で笑い出しそうでしたよ」

「最後に傘が、ぴゅ~っと、風に持ってかれた時は、あぶなかったぁ」

「本当に風の神様もいたずら好きだ」

 二人は高らかに笑う。


 静太はふくろうに姿を変え、このやり取りをずっと見ていた。

 最初は暴漢の出現に危険を感じ身を隠していたが、町中で誰も静太に視線を向けないことに気付き、その後冷静になると何も触れないことに気付く。

 それからは身を隠すこともせず、一定の距離を保ちずっと二人のことを見ていた。


 静太にも友人は居る。

 しかし、これほどまでにお互いを信頼し、しかも打ちとけ合った間柄、そういう関係はこれまで誰とも築けなかった。

 静太は自分の先祖である弓弦斎が、心底羨ましかった。

 それと同時に先程の二人のやり取りを見て自分の先程の行い、人を殺していたかもしれなかったということ。

 そのことをひどく恥じ、深く反省した。

「継ぐべきものは刀じゃなくって、 ……心か。濡れ衣着せて悪りぃことしたな、アイツらに……」

 静太がそうしゃべると、視界が暗転した。



 *



 静太がそっと目を開く。

 うっすら星が見える。

 ゆっくりと静太の顔をのぞき込む者がいる。

「そういうこと、わかった? 刃を落としたのはあなたのご先祖、弓弦斎こと柏原 栄七さん」

 静太の頭を膝に乗せて、般若さんが静太の髪を手でそっと撫でながら優しく言った。

 その状況に静太が驚いて飛び起き、

「違う、これは違う……」誰に言うともなく言い訳した。

「地べたに寝転んだら誰でも頭痛いよね。たとえ私の命を、もののついでに狙った奴でもね」

 般若さんの言葉に静太が目を逸らす。

「 ……悪かった」

 般若さんが、

「ほんまにあんたアカン奴やね。謝る時って、自分の非を認める時やよね? 大声で自分の非を認められへんヤツぅ? そらぁモテへんわ、それじゃぁっ!」関西弁全開で静太を袈裟がけに斬り捨てた。

 そのおかげで静太は再スタートできそうな気になり、

「疑り深くて、考えの浅い俺の行動で、みんなに迷惑かけた。すまなかった」大きな声で両手をついて謝った。

「ステキ。やっぱヒトって潔くなくっちゃね」

 般若さんが、自ら斬った傷口に薬を塗る。

「静太さん、僕達のことはいいですから、ふくろうの神様にお礼言って下さい」

 静太は愛想を尽かされたふくろう神様のことを言われ、少し戸惑う。

「かえでちゃんに……、いやえっと、そのぉ」

「かっくん突然我に返って照れんでもええやん」

 玄宗さんが笑う。

「婿殿いいですよ、私のことなら『うちの家内』って呼んでも」

「ちょちょちょちょちょ、ないないないない、何もない僕らは何もない」

 角成が必死になる。

「婿殿落ち着いて。じゃ『俺の女』でよろしく」

 角成が少し落ち着き、

「無視して続けます。ふくろうの神様が交換条件を出されました」

「私の中で暴れてるキメラ、こいつの活動を抑えるのを協力するから、あなたはできることしてほしい、って」

「それでお前さっきより元気そうなのか? そうか…………、まぁ、それはよかったな」

 静太は口を尖らせながら言った。

「ふくろうの神様はどうしてもあんたのこと止めて欲しかったんですって。寝てた私のところにふくろうの神様が来て、私達に頼んだの」

「私達?」

 静太が聞く。

「うん、大神様と私に。でもあんたはあの状態だと聞く耳を持たない。だから荒療治って言うか、ショック療法って言うか……。そうすることになって、それで私がけしかけてあなたにロープを引かせたの。ごめんね」

「そうか、そうだったのか……」

 そう言って静太はちらりと般若さんを見て、

「それよか、……ごめんな。色々ヒドイ事言って」

 かえでに頭を下げた。

「ええよ、そんなん。こっちも随分ヒドイこと言うたから。こっちこそごめんなさい。それとふくろうの神様ぁ……」

 かえでが右肩に乗ったふくろう神様を見つめ、

「キメラも私飼っちゃいますから、みんなで私と一緒に暮らしましょうよ」と言った。

 その時、ふくろう神様はひどく悲しそうな顔をした。

 その表情を見て、静太が肩を落とす。

「絆って糸の半分って書きますよね。要するに両端をそれぞれが持つ、ってことでしょ。それに読みが気持ちの『()』と『(つな)』で、きずな。綱って漢字は糸へんやけど読みは糸よりもっと太いつな。気持ちも綱も、そんなに簡単に切れるもんじゃないですもんね」

 かえでの言葉を聞き、

「本当にすまなかった」静太が皆に向かって深く頭を下げた。

 頭を下げた静太に向かってふくろうの神様が音もなく飛んで行き、そっといたわるように肩に乗る。

 そこに走る足音が近付き、

「うおっ、なんじゃこりゃ? おい母ぁちゃんえらいこった」

 静太の父、柏原 昌史が瞠目しながら言った。

 その後ろから、

「ちょっと、誰もケガしてない?」

 静太の母、冴子が叫んだ。

「すいません、おじさまおばさま。私が静太さんに『やれやれ』ってけしかけたから蔵がこんなんなっちゃって……」

 かえでが咄嗟に言う。

「誰もケガしてねぇならいいけどよ、どうせ、がらくたしか入ってなかった蔵だからな」

 おやじさんが半ば呆然としながら言う。

「父ちゃん母ちゃん、俺とんでもないこと……」

「おやじさ~ん、寒かったから袢纏借りましたよ~」

「静太が何かやらかしたんですか、玄宗さん」

「えぇ~っとぉ……」

 玄宗さんが頭の中で言葉を探す。

「若い頃って思い込んだら下り坂でもブレーキかけないじゃないですか。誰の助言にも耳を貸すこともなく」

「あるな、若い時には誰にでも」

 おやじさんがうなずく。

「そんな時って、冷静になって自分でブレーキかけるか、何もせずに下りきって惰力で止まるか、もしくは……」

「もしくは?」

「エスカレートさせてブレーキ踏むどころかアクセル全力で踏んで、そんでもって下り坂の終点の壁にぶち当たって大破するしかないっすよね」

「うむ、ある……、いや、あったな俺の若い頃にも」

「さっきその勢いで息子さんが大破した。ってことです。幸い彼はちゃんと戻って来ましたんで、結果として壊れたのはこの蔵だけかと」

 そう言って今は瓦礫となった東の蔵を指す。

「だが玄宗さん、さっき静太は電話でそんなこと言ってなかったんだが」

「おやじさん、今は説明してる時間がありません」

 玄宗さんがそう言った時、

「あっそうだ、このお面のことなんですけど……」そう言って片手に白い猿太彦の命様の面を持つ角成が、ごそごそポケットを探り、

「あった、これこれ。静太さんのお母さんから頂いたこれと、色以外は同じですよね」と言った。

「そうよ、さっきも言ったけどそれは私のおばあさんからもらった物で……」

「話を遮ってすいません、それで静太さんのお母さんはこの蔵にこのお面、白い猿太彦の命様のお面があったことは以前からご存じでしたか?」

「いいえ。この蔵は開かずの蔵扱いで、嫁いでから一回も中覗いたことなかったから知らなかったわ」

「横からごめんなさい。この風呂敷どなたのものですか」

 般若さんは静太が使っていたあずき色の大きな風呂敷を持って言う。

「あっ、それは俺が母ちゃんのタンスから、大きくて使いやすそうだったから」

「いくら探してもないはずだわ。あんたが使ってたのね」

「おかみさんすいません。この風呂敷を作ったのは、ひょっとして『かのこ』という人ですか?」

「あら、そうだけど、どうしてあなた私のおばあさんの名前を知ってるの?」

 般若さんはおかみさんに説明する代わりに、風呂敷の角に小さく鹿の子絞りで菱に囲まれた『か』と染め抜かれたところを指して、

「『か』が付くかっくん、かえでちゃん、見つけた。魔女の杖を振ってもらう人を」

 そう言った。

「この話の流れだと、その魔女っておかみさん?」

「うん、破魔子さんが言うてた『所縁(ゆかり)あるもの振らば効果高し』なのよ。だから静太さんは保険をかけたのよね。おかみさんを親戚のところに行かせて、もしも誰かが杖を見つけてもそれを使う最適任者が居なければ……」

 その後に続く言葉は誰も聞きたくないという空気を読み、般若さんは意識的に話を変え、

「あとは呪物がどれだけ揃ってるか、ね」

 そう言って玄宗さんに呪物を全て出すよう指示する。

 それを手伝いながら角成は、

「話を戻してすいません。般若さん、なぜ静太さんのおかあさんが魔女なんですか?」

 と聞く。

「魔女の杖の力を最大限引き出せる人、だから、便宜上魔女って呼ばせてもらってるけど、この場合、キメラの呪いの解除にも力を発揮できるから」

「姉ちゃんじらすな早よ説明説明」

 玄宗さんが言う。

「そうやね、ごめん。さっき静太さんが気を失った時に何気なくこの風呂敷の中身見たら、過去帳が入ってたんよ」

「過去帳って私の方の?」

 おかみさんが自分を指して言う。

「そうです、おかみさんのです。そこに書かれてたんよね、静太さん。正確には、書いて消されてたんやけど」

「こら姉ちゃん、今度じらしたら、……トイレ行って手ぇ洗わんと脇の下こちょばす」

「セクハラ男の脅しって最悪っ! やっぱコイツ最低っ! あ~っ、コイツに些細な不幸、何でもええから降りかかれっ!」

 かえでのために急がせているのに、玄宗さんはどんどん嫌われていく。

「じゃ、てっとり早く言うと、おかみさんのおばあさまの風呂敷に染め抜かれた家紋。それが、大きい方が表紋で隅入り角に錨片喰、反対側の小さいのが裏紋で丸に幣なの」

「あっ、その長ったらしい名前の家紋、斜めの変な四角の真ん中に、船のイカリみたいなのがいくつか入ったやつでしょ。それうちのと同じ」

 かえでが言う。

「そして丸に弊は、茂吉さんの家紋」

「それってひょっとして!」

 角成が般若さんにとびつくように叫ぶ。

「そう、おかみさん、冴子さんのおばあさま、かのこさんは、天美家の直系女性で唯一天寿を全うした人。そうよね、静太さん」

 静太が黙って頷く。

「その過去帳の俗名のところに、天美 いと、っていう名前が書いてあったんやけど、名字のところの天美って消してあるんよ。そのいとさんが、おかみさんの曾おばあさんで、その方が離縁する前、娘のかのこさん用にその風呂敷は作られたんでしょうね。そして、そのかのこさんも天寿を全うしてる」

 その言葉を受けおかみさんは、

「私も干支何周かしてる……」と言った。

「俺は蔵を取り壊す前になんかおもしろいもんでもないかと物色してたら、白い天狗面の裏から色々出てきて、それから色々家に中の古い物調べてたら、うちの先祖の弓弦斎と茂吉って人のことが出てきて。あとはキメラの力が欲しかったから色々調べてたら、長野 玄宗って人がかなり前から天美家のキメラ退治で、魔女の杖探してるって聞いたんで、妨害がてら天美さんの家で色々情報収集させてもらって。魔女の杖に関しては、帰ってから色々調べた。その次の日にうちの仏壇からその過去帳みつけて何気なく中を見た時には、正直びっくりしたよ」

「でもまさかご先祖様も、自分の子孫がトラップにかかって、タイミング悪く天美家の末裔にたどり着くとは、そこまで考えへんかったやろね。静太さん、言うとくけど……」

 般若さんが静太を睨みつけながら、

「キメラの力を手に入れるって、呪いを自分に向ける、って事やからね。それって、今やったらどういうことかわかるよね?」と言った。

「その子らみたいに、……最悪の場合は『死』か……。じゃぁ、キメラの呪いをいったん、母ちゃんの血ぃ引く俺に集めて、その後退治、とかできねぇの?」」

「ん~~、……たぶん静太さん……」

「やっぱしダメか? 死ぬのか?」

「たぶん。……静太さんが呪いのパワーアップのエネルギー注いでたでしょ? その対象のキメラが静太さんの中入れば、……たぶんやけど、永久機関の出来上がりかと……」

「パワーアップし続けて、臨界点突破? ……んじゃぁダメか」

 静太が無表情に言う。

 そこに、蔵が壊れる前にかえでが時間稼ぎしている間、蔵の柱の釘を回して外したその穴から見つけた呪物と、般若さんが文書から読み取ってまとめて一覧表にしたものを照らし合わせて確認をしていた角成が、

「般若さん、ほとんどの呪物は揃っています」

 と言った。

「ほとんど?」

「はい、三つだけちょっと……」

 非常に残念そうに言う。

 その言葉に般若さんは、

「何が足りへんの?」と聞く。

「砂と御札とちぎり石です」

「やっぱそれかぁ……」

 般若さんが困り顔になる。

「砂は何かのどっかに付着してるはずやから、何とか探してみるけど、磐城同心が儀式の時に書いた御札は完全に行方不明やし、ちぎり石に関しては、そもそも何かもわかれへんのよ」

 迷ったり悩んでいる時間など無い。

 角成は、

「あとは僕が何とかします、絶対に何とかしてみせます」顎を引きしっかりとした口調で言った。

 その時角成のスマホが鳴る。

 かえでの祖父からであった。

「かえでをお願いできますか?」

 妙に落ち着いた口調に嫌な緊張を覚える。

 かえでが落ち着いた口調で話す。

「そう、わかった」

 たった一言で切り、角成にスマホを返す。

 受け取った角成は、かえでの震える手を見た。

 かえでは声もなく号泣していた。

「加津佐が意識不明だって……」

 一同が固まり、

「えっ! そこまで……」静太は驚きの声を上げる。

 こういう時に玄宗さんは最も早く復帰する。

「じゃ、サクっと呪いを外しましょかぁ……」

 お面の下から抜いた、釘が刺さった円柱の木で、ポンポンと手のひらを叩きながら、静かだが、腹の底から響くような声で言う。

「あれっ、ちょっと、それ!」

 角成が円柱の木切れを指して叫ぶように言う。

 玄宗さんが、

「ん?」と円柱の木の釘が刺さった逆側を見て、

「紙? ……芯くりぬいて、丸めた紙刺さってる!」と言った。

 細心の注意で丸めた紙を抜き、薄茶色に変色した紙を、般若さんに渡す。

 般若さんは、皆が固唾を飲むなか、破れないようそっと開く。

 般若さんが紙に書かれた文字を見て、眼を見開く。

 そして、

「あったぁ……」そう一言つぶやき、皆に紙に書かれた文字を見せる。

 その紙には筆書きで『楓』と、一文字書かれていた。

「磐城さんの書いた、御札……。あと、砂とちぎり石……」

 角成が静かに言った。

 そして、

「言って、私は何をすればいいの?」おかみさんが毅然と言った。

「それじゃあ行きましょうか、儀式の場所に」

 般若さんと静太が顔を見合わせて頷き合った。

「その前に、お願いがあります」

 角成が皆に言った。



 第三章 第四節 証文  終


第四章 約束の場所

第一節 裏方仕事

         に続きます。

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